夢は叶う~長野スクール・コンサート
6月10日金曜日早朝6時。善光寺に向かってお散歩に出る。そう、僕は今長野市にいる。今日は、午前中に屋代高校、午後は長野高校のコンサートがあって、新国立劇場合唱団のメンバー40人が昨日から来ているのだ。6時過ぎに善光寺なんて早いと思うでしょ。
ところが、境内で合唱団のバリトンメンバーSさんに会って驚いた。お朝事といわれる勤行が5時40分からあって、お坊さんや女性の上人さんに頭を撫でてもらったりしたそうだ。Sさんは、ネットで調べて早起きして行ったのだけれど、6時じゃもう遅いんだって。教会の8時のミサだって早いと思うのに、いやはや仏教には負けますな。
以前、京都に行った時にも書いたが、僕は仏教では阿弥陀如来が好き。だから、ここも阿弥陀如来が祀ってあると聞いて嬉しくなった。ただね、みんな“ご本尊”だ“ご開帳”だといって有り難がっているけれど、僕にはあまり興味がない。阿弥陀如来というのは、大宇宙にあまねく存在する大神霊であり、そんなちっこい像などには収まらないのだ。
朝の善光寺
善光寺本堂
愛知祝祭管弦楽団でないと出来ないチャレンジ
角皆君達と別れてから、僕はひとりで特急しなの号に乗って名古屋に向かった。俗に「振り子電車」と呼ばれるしなの号は、特に松本から先は左右に面白いように揺れる。しなの号のせいではなくて、ルートのせい。山間部をうねるように走るからこうなるのだ。
トイレに行こうとして立つと、まっすぐに歩くことが出来ない。僕はスキーのボーゲンの要領で、振り子に合わせて腰のくびれ(アンギュレーション)を作り、リズムをとりながら列車の通路を横切っていく。楽しいんだけど、他の乗客から見ると相当「変なおじさん」だったであろう。
6月11日土曜日は、愛知祝祭管弦楽団で「ラインの黄金」の練習。長野の演奏会で、午前午後とスピーチをして声を使いすぎたのが祟ってか、あるいは今朝方、エアコンが効きすぎて喉にきてしまったか、声帯が思うように鳴らないので、大きな声で歌ってあげられないのが残念だった。それでも、オケにとっては、「8分音符だけ弾いてあと待っているだけ」といったレシタティーヴォ的な部分を歌で補ってあげると、みんな意味が分かって、俄然モチベーションが上がってくる。
アマチュアのオーケストラでオペラをやる場合、テクニックの問題ではなく、こうした途中の「オケだけでは盛り上がらない部分」にどう必然性を持たせるかが、大事なポイントとなる。そんな時、自分で歌えない指揮者は失格だ。今日は第1場、2場、4場という予定であったが、第2場をきっちり固めた方がいいと判断して、第2場に集中した。
前回までは全般的に下手だったが(笑)、今日は、意味が分かってきたところは、驚くほど上手になったぜ!まだ、それはまだらで、そうでない部分とのギャップは残るが、「可もなく不可もなく」という演奏をまんべんなく高めていく方法と違って、まず僕は、自分の心に響く部分を楽員達に訴える。そして、そこだけでも何が何でも魅力的にする。こうした部分を固め、それをだんだん広がらせていくのが祝祭管弦楽団の練習方法。
「パルジファル」で証明したように、出来上がったものは、随所にこぼれるような魅力が満載し、それぞれの個所に団員達の熱い想いがこもる。これぞ愛知祝祭管弦楽団ならではの醍醐味!
ドイツのオーケストラの楽員達でも、恐らく最初はよく分からないで弾いているのだと思う。しかし、彼等は舞台上で歌われている歌詞の意味が理解出来るからね。劇場で繰り返し弾いている内に、自然に内容が分かってきて、その内容に沿った音を出せるようになる。こんな状態にならなければ、きめの細かいオペラ・オーケストラの演奏は不可能。我が国のように、本番の数日前で初めてオケ練習をやり、本番は数回で終了というのでは、よほど自分で予習をしない限り、単語レベルで表情を作るなんて無理。指揮者だって楽員だって、合わせるだけで終わってしまう。
我が国のオケは、合わせる事にかけては世界一だと思う。だから短期間で格好がつく。それに、東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル)が「蝶々夫人」をやる時のように、何度も何度も上演している曲目に関しては、結構細かいところまで表情が行き届いている。
だが、そうでない演目に関しては、バイロイト祝祭管弦楽団のような、歌詞の意味やドラマの意味に対して痒いところに手が届くようなきめ細かい表情を、楽員ひとりひとりに望むのは、普通に考えたって無理だろう。嘘だと思うなら、ワーグナーの楽劇のどこかの歌詞をドイツ語で言って、楽員のひとりに、
「これどういう意味ですか?これが歌われる時、どういう気持ちで弾いていますか?」
と聞いてみるがいい。ただ、それを分からないのは、楽員の罪ではないよ。仕方ないだろう。ドイツ人ではないのだから。
だからこそ、僕は愛知祝祭管弦楽団を指揮して「パルジファル」をやったり「リング」をやったりするのだ。テクニックではプロに敵わないかもしれない。でも、僕が丁寧に場面の意味を説明し、ドラマの流れや、それにワーグナーがどんな気持ちでこのフレーズをつけたかを説明し、だからどんなテクニックでどんな感情を込めて弾いたらいいか導いていったなら、我が国でもバイロイト祝祭管弦楽団のような演奏は可能になるのだ。勿論、その為の時間や労力は必要だ。でも、ワーグナーのためだったら、そのくらいやったっていいだろう。アマチュアだからこそ1年だってかけられるのだからね。
さあ、これから本番までが勝負だ。描写する音楽。表現する音楽。それを噛み砕いて説明し、表現にまで持って行く。どこまでいけるのか誰も知らない。だからこそ、指導者の腕が試されるのだ。誰もチャレンジしたことのない戦い。それを僕はあえて行う。
コレペティ稽古~神髄を探る
さて、オケ練習のお昼休みに、会場のピアノを使ってフライヤ役の金原聡子さんのコレペティ稽古。練習後は、場所を変えて、フリッカ役の相可佐代子さんとミーメ役の神田豊壽さんのコレペティ稽古をした。コレペティ稽古とはピアノを弾きながら歌手達に稽古をつけること。僕は、ドイツ語とドイツ語的表現、それから、それぞれの場面の表情づけを行う。相可さんも神田さんも一生懸命食らいついてきた。
こうした稽古を行うこと自体、僕は好きなんだな。それを通して、僕自身もワーグナーの音楽に肌で触れるような感覚を味わっているし、やりながら随所に新しい発見もある。言葉の表情からくるちょっとしたテンポの変化やダイナミックの変化に気付き、オーケストラの指揮に生かせるのだ。つまりワーグナーの神髄を探る旅が出来るのだ。僕は、本当にワーグナーが好きなんだ!
モーツァルト200
6月12日日曜日は、名古屋モーツァルト200合唱団の練習。曲は、聖証者の盛儀晩課Vesperae solennes de confessore KV339とミサヘ長調KV192(186f)。これらの演目や練習に関しては、もう少し経ってから語ろう。また11日に1日声を使いすぎて、声が枯れていたので、あまり歌ってあげられなかったのが残念。
僕は、自分で歌って口移しのように稽古するのが好きなんだ。ぼくなんかよりずっとうまい新国立劇場合唱団を相手にしても、そのやり方を続けている。それは、バイロイトでノルベルト・バラッチュがやっていたのだ。「なあに、うまくなくったって構わないのだよ。歌うことでダイレクトに自分のイデーを伝えられれば、そっちの方が何倍も能率的だ。みんなも言葉で抽象的に言われるより、ストレスがたまらないからね」
とバラッチュは僕に言ってくれた。
だから、喉の調子が万全でないと辛いね。
週が明けて
この原稿は6月13日月曜日の午前中に書いている。これから文化庁スクール・コンサートの前触れで、4人の歌手を連れて厚木中学校までワークショップに行ってくる。僕は、おはなしとピアノを担当するのだが、ちょっとダミ声なので、中学生達に申し訳ないなあ。
その後は、ミュージカル「ナディーヌ」の練習。今晩はナディーヌ役の前川依子さんと、ニングルマーチ役の秋本健さんが来て、放送局の場面を練習する。とても楽しい練習になると思うよ。