竹下節子さんとの思いがけない出遭い

三澤洋史 

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竹下節子さんとの思いがけない出遭い
 パリに在住し、キリスト教関係の書物を多数出している竹下節子さんから、Cafe-MDRのコンシェルジュを通してメールが転送されてきた。思いがけない出遭いに僕は驚喜し、パソコン騒動の最中ではあるが、すぐに返事を書いた。すると、またすぐに竹下さんからお返事が来た。
 竹下節子さんの存在を知ったのは、もう20年以上前のこと。「パリのマリア」(筑摩書房)という本を妻が買ってきて読んでいた。その冒頭に、先日も書いたカトリーヌ・ラブレの話が載っていた。妻が読み終わったので、僕も冷やかし半分でページをめくってみた。
 その著書は、意外なことに単なる奇蹟物語を啓蒙する目的で書かれたものではなかった。むしろ知的で論理的なアプローチが見られ、冷静に描かれているからこそ真実味が感じられた。それでいて、この作者には、揺るぎない信仰心がベースにあることが僕には分かった。さらに超自然的な現象に対する興味も見え隠れする。
 読み飛ばすつもりが、気が付いたら夢中になり、一気に読み通した。なんて面白い人が世の中にいるんだ!というのが、読み終わった直後の感想。その後僕は、特にカトリーヌ・ラブレに興味を持ち、パリ旅行に行った時には必ず「奇蹟のメダイ」教会を訪れることになる。そのきっかけとなった「パリのマリア」は、これまでに何度読み返したか知れない。


「パリのマリア」(筑摩書房)

 これはごく最近の話であるが、ある時ふとしたことから、竹下さんがご自身のブログで僕のことを書いているのを知る。そして、物書きとしてしか知らなかった彼女が、なんとバロック音楽を演奏しており、バロック・ダンスもやっている、という別の面も知ることとなる。

 彼女は、そのブログの中で、僕が、バッハの音楽に見られる律動感や力学的運動性を、スキーにおけるコブ滑走から読み解いていることに、いたく興味を示しておられた。僕にとっては、まさに「我が意を得たり」という感じで、なんとかコンタクトを取ってみたいなあ、と思っていたところ、思いがけなく彼女の方からアプローチがあり、かえって恐縮してしまった。
 メールのやりとりをしてみると、本当に僕と竹下さんには共通点がある。まず、なんといってもパリという大きな共通点で結ばれている。しかしながら、彼女はなんとパリ40年在住。パリという街を偏愛していて二人の娘を留学させた僕でさえ、足下にも及ばない生粋のパリジェンヌ。宗教や超自然的なことに興味があること。音楽。ダンス。

 今回、竹下さんが僕にアクセスしてきたきっかけというのが、また面白い。僕が、先週の「今日この頃」で、東京バロック・スコラーズのチャリティ・コンサートの記事を書いたでしょう。その中で、「僕の“おと”は彼岸から聞こえてくる」と書いた。それを読んでメールを書こうと決心したらしいのだ。
 何故なら彼女は、2014年に築地本願寺、去年はパリと、能管の槻宅聡さんと共演し、二人で、彼岸の音をキャッチする扉の開け方についていろいろ話し合っていたということである。二人の往復書簡を出版する可能性すらあるという。
僕は、自分の言葉に対して反対に、
「彼岸から来る“おと”、なんて書いて、また三澤はおかしいことを言っている、と思う人がいるだろうな」
と多少なりとも心配していたのに、「彼岸の音をキャッチする扉の開け方」だって!おほほほほ・・・僕なんかより10歩も20歩も先を行ってる。あれきしの記事を書くのにビクビクしていた僕は、なんてみみっちい人間なんでしょ!

 竹下節子さんは、10月から11月にかけて来日するというので、その時に是非お会いしましょうという話になった。ただ来日中の彼女のスケジュールは結構忙しいそうなので、うまく日程が合うか心配しないわけでもないのだが・・・。
でも大丈夫!この出遭いが、神の導きであったならば、僕は何があっても絶対に竹下節子さんと会えるし、また会わなければならないのだ。

最近、こんな風に、僕の回りでいろいろな風が起きて、仏教的に言うと法輪がグルグル回り始めている。

パソコンが壊れた!
 6月27日月曜日。先週も書いた通り、国府中学校のスクール・コンサートを終えて、大磯駅から都心に向かった。秋葉原でお茶を飲みながら「今日この頃」の更新原稿をノート・パソコンで半分くらい書いてから、夜のミュージカル「ナディーヌ」の練習に出た。
 その練習には、僕のホームページを管理してくれているコンシェルジュも出ている。
「すみません。午前中からコンサートで出掛けていて、原稿を仕上げる時間がなかったので、明日の朝送ります」
それで、家に帰って来た。

 ずっと忙しかった日々がやっと終わった。とりあえず火曜日水曜日はオフ。まあ、オフといっても、明日からは、中断していた「ナディーヌ」のオーケストレーションを再開しなければならない。でも明日は明日。今晩は、忙しかった日々のひとり打ち上げ。僕はワインを開け、ゆったりと食事を取った。日本では高温多湿な夏になると赤ワインという気分になかなかならないので、その晩はよく冷えたシャルドネ。うふふふふ・・・忙しいのによく頑張ったね。自分で自分を褒めてあげるよ。

 そのまま寝ようかと思ったが、メールくらい確認しなければね、と思って、ほろ酔い加減でいつも通り自作パソコンのスイッチを押す。最初の画面が立ち上がり、Windows XPの表示が出る・・・・が・・・その後、起動しない。
「あれ?」
 ちょっと脇腹がこそばゆい感じがした。フワッとした予感のようなものが背中に走る・・・まさかね・・・・ま、パソコンにはよくある事、と思って、もう一度電源を落として、スイッチ・オン・・・・やっぱりXPは起動しない。
「ま、酔っ払ってるし・・・あははは・・・寝よ!」

 翌朝。恐る恐るパソコンに向かう。昨晩と違って完全にシラフだからね。もしもの事が起こったら・・・いやいや・・・考えるだけでも恐ろしい!なあに、昨夜はなんでもなかったんだ。
スイッチ・オン!
「お願い!」
起動しない。
「あははははは・・・・ウソ!」

 ここから僕は、うろたえ、不安や絶望感にさいなまされながら、約3日間悪戦苦闘を繰り広げたわけだが、それをいちいち描写したところで、読者の皆さんには面白くないだろう。先週の「今日この頃」を仕上げた時は、その不安の渦の真っ直中、いつも旅に持ち歩いている小型のノート・パソコンで書き上げた。それまで家にあまりいなかったので、このノートで書き始めていたから、更新原稿としてはラッキーであった。
 いろいろ調べたら、XPが起動しないということではなく、OSが入っているハードディスクに寿命が来たということが分かった。僕は起動用のCドライブの他に、もうひとつデータ保存用のハードディスクを入れていたので、「データ全て消失」という最悪の事態だけは避けられた。ふうっ!
 でも、さしあたって「ナディーヌ」のオーケストレーションだけはなんとしても進めなければならない。それだけは急務なのだ。それで、こうすることにした。まず、画面の大きいノート・パソコンを中古で買う。それで「ナディーヌ」のオーケストレーションに専念する。それが終わったら・・・・・それが終わったら・・・むふふふ・・・新しく最新式の自作パソコンを作るのだ。わっはっはっはっは!
 これまでずっと、まわりがWindows7だWindows8だ10だと乗り換えているのをよそに、僕はずっとXPを使い続けてきた。きっかけはVistaのお試し版を入れて、あまりの互換性のなさに腹が立ったことだ。だって、これまでのソフトがなにひとつインストール出来なかったんだもの。その後、新しいOSを入れる誘惑がなかったわけではないが、パーツのスペックが追いついていかない可能性があったので、見送っていた。
 しかし、こうなったらもう、マザーボードからCPUからグラフィック・ボードまで、なにもかも最新式のものに買い換えて、もうみんながうらやむような最強パソコンを作るぞう!そのマシンで、いよいよ東大アカデミカ・コールから頼まれている「ミサ曲」の作曲をするのだ。どうだ、ざまあ見ろ!ただ、長年自作から遠ざかっているので、まずは最新機器の勉強をしなければ。そんなこんなで、自作パソコンが完成するには時間を要するので、まずは「ナディーヌ」に専念!

 ということで、大きいサイズのノート・パソコンをSofmapで買ってきた。ついでに将来を見据えて新しいFinaleも買ってきた。Finaleって数万円もするんだけれど、今まで使っていたのは2006版だから、もうそろそろ取り替えないとね。
 今は、その大型ノートに音源モジュールやキーボード(鍵盤)をつなげて「ナディーヌ」を進めている。「ナディーヌ」は、エレクトーンとピアノとシンセ・パーカッションだけだから、この画面で充分だけれど、もっと大編成のスコアは、縦の長いディスプレイでないと無理なんだ。
だから、やっぱり新しいデスクトップの出現が待たれますなあ!

トホホ・・・それでもしあわせ
 先週は、パソコンが壊れただけではなく、プチ失敗を繰り返したり、いろいろツイてなかった。例えばこんなこと。

 7月2日土曜日、家から志木第九の会の練習に行く。月契約をしているいつもの分倍河原の駐輪場に自転車をとめようと思ったけれど、武蔵野線でダイレクトに行きたかったので、府中本町の駐輪場に臨時でとめた。
 車輪幅の台に自転車を乗せると、ツメのような金具が前輪に伸びてきてカチッとはまり、駐輪したことが登録される。帰りには、精算機で台の番号を押して表示された金額を払うと、金具がはずれて出庫出来るという仕組みの駐輪場。
 志木第九の会の練習から帰ってきて、府中本町で降り、駐輪場に来て精算機でお金を払って自転車のところに来た。けれども金具がはずれていない。どうやらマウンテンバイクのタイヤが太いので、金具が食い込んでしまっているらしい。もういちどお金を入れようと番号を押しても、
「精算の必要はありません」
と出るばかり。力ずくではずそうとしてもビクともしない。他の人が通り過ぎる。なにか悪いことをしている人のよう。仕方ないので、看板に書いている緊急センターに電話する。
「もう時間が遅いので係員がいませんので、伝えておきますので明日以降来てください」
という。あーあ、なんてツイてないのだろう。信仰深い人は、こんな時でも、
「神様、感謝します!」
って言えるんだろうか?
 その時電話が鳴った。娘の志保からだ。
「パパどこにいるの?」
「いやあ、最悪!」
僕は理由を話した。
「じゃあ、志保が車で迎えに行ってあげる。まだ飲んでないから。本当は帰りのついでにお酒買ってきてと言おうと思ったんだ」

 翌朝のお散歩の最中、ふと昨晩のことを思い出した。
「そうだ・・・自転車のことはツイていなかったけれど、家に帰ったら次女の杏奈も来ていて、みんなで僕のこと飲まないで待っていてくれたんだ。だから志保が迎えに来れたんだし。それから、遅くなってしまったけれど、妻も交えて夜半まで楽しい語らいをした。自分には愛する家族がいて、そして自分の確かな居場所がある。やっぱり、神様、感謝します!」
 次の日は一日名古屋だったので、自転車は月曜の朝に取りに行った。係の人と一緒に、前輪の空気を一度抜いて取り出し、それからあらためて空気を入れて、一件落着。

 次の失敗談はこんなこと。3日日曜日の名古屋ムジークフェライン管弦楽団の練習の場所と時間が分からなくて担当者にメールした。パソコンが壊れたお陰で、近日中のメール・データが失われてしまったからだ。すると、大府市勤労文化会館だという。担当者は、駅まで迎えに出ましょうと申し出てくれたのだが、僕は、
「大府でしょう。大丈夫です。しょっちゅう来ていますから自分で行けます。先日も長野から名古屋に来て大府駅前に泊まって、練習場に行きましたからね」
と返事を書いた。
 愛知祝祭管弦楽団の「ラインの黄金」の練習は、いつも大府市役所のホールでやっているのだ。この時点で、僕は、大府のような小さい街に(失礼!)、オケが練習できるような大きな練習場が2つ以上存在してようとは思ってもみなかった。それで、いつものように大府駅から徒歩で大府市役所に向かった。
 そして、いつものように練習場の扉を開ける。すると、いつものように「ラインの黄金」の音楽が聞こえてきた。
「おお、感心、感心。一生懸命練習してるやんけ・・・まてよ・・・『ラインの黄金』?何故?どうして?」
そこで練習していたのは、紛れもなく愛知祝祭管弦楽団のメンバーたちであった。指揮台にいるのは、いつもの僕・・・ではなく、トレーナーの方。
 しかし、暢気な僕は、その時点になってもまだ、気がつかなかった。
「ははあ・・・この建物の中には、別の練習場があって、そこでムジークフェラインはやっているのか。ま、いいや。まだ早いので、『ラインの黄金』をしばらく聴いていよう。こんな風に指揮台以外のところから客観的に聴くなんてこと、なかなかないもんな。ほほう・・・結構、勉強になるやんけ。ああ・・・あそこの所はバランス悪いな。今度の練習で直さなければ・・・・それにしてもトレーナーの人、丁寧によく振ってる」
 団員たちは、代わる代わる振り返って、気にしている。それはそうだ。いきなりマエストロの僕が入ってきて聴いているんだもの。落ち着かない。でも、今は通し稽古の時間のようで、音楽は止まらないので、みんなとあらたまって挨拶も出来なかった。
「さて、2時15分前になった。そろそろムジークフェラインの人たちも心配し始めているだろうから、別の練習場に行こうかな。今日は、思いがけなく祝祭管弦楽団の練習が聴けて、神に感謝だな」
それで、僕はソーッと練習場を抜け出して、別の練習場を探した。

 ところが、いくら見ても別の練習場というのはなかった。その瞬間、ちょっと血の気が引いた。
「ゲッ!もしかして・・・」
主催者から来た携帯のメールをよく見た。ここは大府市役所。練習場は大府市勤労文化会館。あはははは・・・・・ヤベエ!会場、間違えたあ!大変だあ!
すぐ担当者に電話。
「すみません。会場間違えてしまったようです。大府にいることはいるんですが、今いるのは大府市役所です」
「分かりました。すぐ行きます!」
うううう、なんということ!大府を知っているという過信が、こんな過ちにつながってしまった。

 2時から始まるはずだった名古屋ムジークフェライン管弦楽団の練習は10分遅刻。しかし、オケの人たち、みんな暖かかった。曲目は、9月にあるモーツァルト200合唱団演奏会のための、モーツァルト作曲ミサ曲ヘ長調、ヴェスペレ(晩課)、そして交響曲第39番変ホ長調だった。
 その交響曲の練習は5時からだったが、そこでクラリネットを吹くWさんは、同時に祝祭管弦楽団のメンバーでもある。彼女は、練習場に現れるなり、
「みんな、三澤先生がいきなり現れて、感激してましたよ。ああ、こんなに、自分たちのこと気にしてくれているんだなって」
「あはははは・・・・実はね・・・かくかくしかじか・・・・でもね。みんなの夢を壊すといけないから、このことは内緒にしていてね。僕がなにもかも分かっていて、あえてみんなの練習を見に行った、ということにしておこう」
とは、言ってみたもの、やっぱり良心が咎めるので、こうして暴露しているのだ。

 この記事を、もしかして愛知祝祭管弦楽団の皆さんが読んでいたら、こう思ってくださいね。僕は、扉を開けた時、みんなの「ラインの黄金」の演奏を聴いて、みんなの顔を見て、本当に嬉しかったのだ。本当は、
「いっけねえ、間違えた!」
と、すぐ確認するところだが、
「いいや、どっちにしろギリギリまで聴いていよう」
と僕に思わせたのは、みんなの演奏にこもった熱意だ。それと、トレーナーの元、一生懸命通している姿に、心を打たれた。このような団体を率いて9月に「ラインの黄金」を演奏できる僕は、本当にしあわせ者だ。でもね、今度の練習では、まだまだハードルを上げるから覚悟していてね。

 ぬあんちゃって、偉そうなことを言っているけれど、ま・・・要するに・・・ご、ごめんなさい!片方にはぬか喜びさせちゃって、片方には、練習遅刻という指揮者が決して行ってはいけない過ちを犯したトホホな日曜日だったというわけ。



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