法華懺法(ほっけせんぽう)と祈りの音楽

三澤洋史 

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法華懺法(ほっけせんぽう)と祈りの音楽
 7月18日月曜日の祝日。この原稿を、池袋の東京芸術劇場コンサートホールの楽屋で書いている。今日は、東京六大学OB合唱連盟演奏会で、東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコールの指揮をする。
 曲目は、上に掲げた法華懺法(ほっけせんぽう)。これは「天台寺門宗総本山園城寺声明による男声合唱」という副題がついていて、元となっているのは、天台宗で毎朝行われる勤行だそうである。それを作曲家藤原義久氏が、男声合唱用に作曲したのだ。

 祈りの音楽を得意とする僕であるが、最初にこの曲の指揮を依頼された時は少々戸惑った。キリスト教の礼拝音楽ではなく、全然違う声明の世界だからね。しかし、最近の僕は、この「今日この頃」でも書いている通り、京都に行ったら西本願寺、東本願寺に行って朝の勤行に参加し、長野に行っては善光寺を訪れるなど、宗派を問わず“祈り”に触れることに何の境界線も抵抗感も感じていない。それどころか、他宗の祈りに触れる度に、祈りって、人間が人間であるために根本的に必要な行為であり、その前には宗派は関係なく、みんな一緒なんだなと信じているのである。
 ということで、宗派にボーダーレスな僕は、法華懺法の指揮を引き受けることにした。オリジナルが声明でも、実際には楽譜に書かれた音楽だから、譜面通りに歌えば、形にはなる。しかし、その背後には、僕のような門外漢がノコノコとテリトリーに入っていったら活(カツ)を食らうような奥義が横たわっている。これをどうしたもんかと試行錯誤したのは事実だ。
 それに、僕なんかよりもアカデミカコールのメンバーの方が、この曲になじんでいるという事実もあった。その一部の人達は2013年にニューヨークまで行ってこの曲を歌っているのだ。そんな彼らと最初から張り合うのは馬鹿げていると思ったので、僕は謙虚になって、初回の練習を見学とさせてもらった。みんなの練習を見学しながら、自分をまっさらにして、自分が何をそこに見、何をそこに感じたかを大切にしようと思ったのだ。
 練習を聴いていて、心に引っ掛かったことがあった。同時に、この引っ掛かりを大事にしようと思った。本物の声明よりも、演奏会用に作曲された藤原さんのこの音楽の方がより高揚感があり、俗な言葉で言えば楽しいことに僕は気がついた。僕は思った。このコブシやメロディーの流れ、また音楽を貫いている緊張感のようなもの。それは、演歌や謡曲に通じるものがあるし、祈りがしだいに高揚する様は、なんだか“祭り”に通じるものがある。そうだ!“祭り”でいこう!と決めた。
 しかし、みなさん!祭りを軽んじてはいけない。ミサや礼拝を司る人が「司祭」や「祭司」と呼ばれるように、祭りは元来宗教的なものだ。それに、祭りには、なにか日常世界を超える怪奇な要素が潜んでいる。御輿(みこし)を担いだ男衆達のあの真剣で恐ろしげな気迫なしに祭りは語れないし、長野県の御柱祭などで死人が出たって祭りは中止しない。祭りはある意味命がかかっている。祭りと聞いて、金魚すくいや綿菓子を思い浮かべるのは自由だが、本質的な意味での祭りは、決して薄っぺらい遊びなどではない。祭りには、魔が宿っている。

 と、思って、練習中にも合唱団員達にそれを語り、いよいよ本番で演奏しはじめた。しかし、なんのことはない。僕よりもみんなの方がそれを知っていた。やっぱり日本人なのだな。祭りとか、あえて言わなくても、声明の世界の静けさも、激しさも、全てがつながっていて、とても自然な祈りの曲に仕上がっていった。
 1曲目の散華(さんげ)のコブシを聴いていたら、祭り笛のコブシでもそうだけど、コブシの度に空間がゆがんでいくような気がした。少なくとも心の中で、何かがえぐられるような感覚が生まれた。2曲目の敬礼段では、句頭師といわれる先唱者達の「一心敬礼」という言葉につられてオスティナートのように連なる経文がだんだん速くなってくる。この高揚感は凄いな。また3曲目の十方念仏(しほうねんぶつ)は、南無(帰依します)という歌詞が、重なるように歌われる。謙虚になって仏に身を捧げる祈りの境地が、しだいに純化されて、究極の癒しの音楽になっていった。

 終演後、客席にいらした作曲家の藤原義久氏に僕は立っていただいたけれど、どう思ってらっしゃるかと気になっていた。その藤原氏は、休憩時に僕の楽屋を訪ねてくださった。
「作曲家って客席の中で立たせられるでしょう。正直言って、あまり立ちたくない時もあるのです。でも、今日は違いました。胸を張って立ちましたよ!」
と言ってくれたので、ほっとしている。藤原氏は、音楽に対してとてもひたむきで、穏やかで温かい人。作品も好きだが、人間的にも大好きだ。
 この曲は、藤原氏が20代の時に、当時コールアカデミーの常任指揮者であった前田幸市郎氏の依頼によって書かれた曲だというが、パリ音楽院で作曲を学んだ後、歴史と文化における西洋と日本との差異の中で自分を見失っていた藤原氏にとって、この曲を作ったことがひとつの光を彼にもたらしたという。

 西洋と日本ねえ・・・昔、ドイツ留学していたときに僕も感じたことある。でも、僕の場合、バイロイトでそれは解消された。そこに至るまでの精神的葛藤について、いろいろ言いたいことはあるのだが、長くなるので次の機会に回そうと思う。とにかく、この東洋的祈りの世界と、西洋的作曲技法の融合による素晴らしい曲は、こうして今や僕のレパートリーに加わった。
 でも、この曲だけではなく、ジャンルを問わず、宗派を問わず、“祈りの音楽”を究めることこそ、僕のこれからの使命なのかも知れないと、本番後のほっこりした気分の中でとっても強く感じている「今日この頃」なのです。
 

「ラインの黄金」という傑作と愛知祝祭管弦楽団
 驚いた!「ラインの黄金」が、こんな素晴らしい曲とは思わなかった。練習をつけながら、圧倒されっぱなし。感動したなんてもんじゃない。しかし、他のオペラのように、ラブストーリーに“心情的に”感動したり、音楽の美しさに陶酔したというのとは違う。
 この音楽は美しくない。叙情的な部分はほとんどない。扱っているテーマは、権力と欲望。登場人物は全員よく言えば個性的だが、はっきりいって奇人変人ばかり!しかしながら、たとえばニーベルハイムの鍛冶の場面の、あの魂の根源から湧き上がってくるような、原始的なリズムのエネルギーはなんだ!それを支える、比類なきオーケストレーションと、縦横に張り巡らされたライトモチーフはなんだ!ワーグナーが開いた、新しい表現の世界は、こんなにも従来の音楽と異なっていたのだ。いやあ、開いた口がふさがらないとはこのことだ。
 ワーグナーは、失敗することを怖れなかったのだろうか?従来のオペラしか知らない聴衆の前で、本気で上演できると考えたのだろうか?聴衆が本当に付いてきてくれると思っていたのだろうか?
 とんでもない楽天家だ!いや、天才というものは、こういう人間をいうのだろうな。徹底的に描写する音楽。歌手が美声を披露する心地よいメロディーに背を向け、ひたすらストーリー・テリングに徹する。その独創性は、シェーンベルクやシュトックハウゼンの響きを知っている現代の我々の常識を持ってしても、理解を超える新しさを持っている。

 7月16日土曜日と17日日曜日は、名古屋郊外の名鉄太田川駅前の東海市芸術劇場で、愛知祝祭管弦楽団による「ラインの黄金」の練習。まず16日の午後は、各セクションに分かれての自主練習。僕は弦楽器の分奏を担当してガシガシ彼らをシゴいた。休み時間にドンナー役の滝沢さんのコレペティ稽古。夜は第2場を丁寧にやってから、第4場を無理矢理通した。
 17日は、朝から二人のソリストを迎えて、第3場と第4場前半をやった。ソリストは、東京から参加のアルベリヒ役大森いちえいさんと、ミーメ役で名古屋在住の神田さん。彼らが入ったことで、オケのメンバーは一挙にテンションが上がった。
 お昼休みに、3人のラインの乙女達のうちの2番3番が参加。まず僕のピアノでコレペティ稽古をやり、それから第1場をオケで大森さんとも一緒に合わせた。ソリスト達が帰ってからは、第4場のやり残した後半部分を最後までやった。

 これで、一応まんべんなく形にはなってきた。しかしながら、愛知祝祭管弦楽団が本領を発揮するのは、これからだ。これから、このオケでなければ決して出来ない“旨味”の部分を時間をかけて作り上げていく。
 それは、僕がけしかける部分もあるけれど、彼ら自身が魂で感じ、共感し、自分の中で発酵させて、そして自分の表現として発信していくものだ。この土日の集中練習で、それが可能であること、しかも、これまでの「パルジファル」をはじめとするどの公演でも出来なかったレベルで達成する可能性を、僕は予感することが出来た。

 彼らは、間違いなく「ラインの黄金」の魅力に目覚めつつある。ライン川の川底に眠る黄金達が、陽の光の中でしだいに目覚めてくるように、本当の楽しみ方を味わう術を入手しつつある。
 その証拠に、急に目が輝いてめちゃめちゃ楽しそうに演奏し始めた。それに僕も影響された。恥ずかしい話だけれど、この僕でさえ、これまで「ライン黄金」という作品を「ワルキューレ」や「神々の黄昏」よりも下に見ていた。しかし、それは完全な無知だったのだと、彼らと練習を重ねていく内に気が付いてきた。
 この作品こそ、世界に唯一無比なる、ある方向における最高傑作だ。そして、ワーグナーは二度とこのような方向性を持った作品は書かなかった。やっぱりワーグナーは、情緒的要素を捨て切れない作曲家だし、ワーグナーの後継者や追従者も、ライトモチーフ的作曲法は継承しても、やっぱり情緒にこだわった。「ラインの黄金」のような叙事的ストーリー展開とそれを支える言語化された音楽の羅列は、誰にも受け継がれることはなかった。しかしながら、その事実は、決してこの作品を貶めるようなものではない。
 これ以上、言葉を尽くしても表現出来ない。とにかく、僕の言っていることが気になる人は、愛知祝祭管弦楽団の「ライン黄金」演奏会に足を運んでください。そこに見られるのは、他のどこでも決して聴く事の出来ない、こぼれるほどの魅力に溢れた演奏。
 僕は、全ての人物の性格や、セリフで語られる物や概念や、語る人の感情や、シーンの状況をくまなくオーケストラで描き切ってみせましょう!一瞬たりとも退屈する瞬間のない、興奮とスリルに満ちた演奏。こんな演奏を求めて、ワーグナーは、孤独の中で一音一音ペンで音符を五線譜に書き込んでいったのだと言い切ってしまえるような演奏をしてみせましょう!

おお!ここまで言ってしまった。

 ということで、愛知祝祭管弦楽団のみんな。あとはお願いね(おっとっとっと、無責任にフッてはいけない)・・・・なんちゃって、僕はもう9月の演奏会の当日が来るのが待ち遠しくて仕方ない。ま、その前に、果てしないハードルを越えなければならないのだけれど、あははははは!

i-Phoneとi-Padな生活
 パソコンが壊れて、携帯電話をなくして、大事なデータのかなりの部分が飛んでしまった時には、本当に世の終わりかと思った。けれど初めて手にしたi-Phoneは便利だね。これは売れるわけだよ。
 この際だからというので、i-Padも買って「ラインの黄金」のフルスコアとピアノ・ボーカル譜をpiaScoreからダウンロードしてみた。元々パソコンを自作するくらいだから、きっとその内、誰にも負けないくらい使いこなすと思うよ。ただ今は状況が状況なので、これらにのめり込むのは「ナディーヌ」のオーケストレーションが終わってから、と、自分に言い聞かせている。
 差し当たって、来たメールに返事も書けないようじゃ仕方ないので、ガラ携と違う文字の打ち込み方をまずは集中して覚えた。それと、親切な人達がどんどん送ってきてくれるメルアドや電話番号を連絡帳に一生懸命入れている。

 i-Phoneにしてすぐ、思いがけないことが起こった。
「三澤先生、ラインを始めたんですね」
という連絡が知り合いからいきなり入って来たのだ。驚いているのもつかの間、続けざまに何人もの人が書いてきた。
「な、なんだ、なんだ、そのラインって・・・そんなもの始めた覚えねーぞ!」
横で娘の志保が笑ってる。
「i-Phoneを始めると、自動的にこういう状態になるんだよ。あたしたちは、もうずっとママと杏奈とでラインで会話しているんだよ。メールより手軽で便利だよ。いとこ達ともラインでつながってるしさ。パパも、この際だからラインをやろうよ。連絡してきた人達には、志保が返事してあげる。嫌な人は受け入れなくていいんだよ」
「でもさあ、受け入れなかったら、感じ悪い人って思われるよね」
「パパみたいに、沢山の人に一方的に知られている人は、割り切らないと大変なことになるよ」
「それはそうだ。返事書いている間に1日が終わってしまう」
「返事は書かなくてもいいよ。たとえばこの絵文字で、スタンプって言うんだけど、OKのサインだけ送っておけばいいよ」
 なんか、妻や娘達が急に上から目線になって、まるで密林で発見された原始人に文明を教え込むように、得意になっていろいろを教え込もうとしている。
「ようこそ現代文明の世界に!」
妻なんか、パリ旅行に行くというのでi-Phoneに変えたんだから、まだまだ初心者のはずなのに。えっらそうに!

 「ラインの黄金」のオケ練習の2日目の朝、i-Phoneとi-Padが同時に鳴って、どっちに出ていいか分からなかったのだが、志保がFaceTimeという、以前でいえばSkypeのようなテレビ電話をしてきた。こっちもi-Padで向こうもi-Pad。こんなにお手軽に、可愛い孫の杏樹の顔見ながらお話が出来ちゃうんだ。杏樹なんか、こんなことが普通に出来る世の中にオギャアと生まれ落ちたわけだから、もう当然という感じなんだろうね。

ふうっ、おじさんは、器械の変化というよりも、こうした世の中の変化についていけないや。
まあ、でも、こうなったら、新しいスマホ・ライフの性能を味わってやろうじゃないの!



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