ああ「ナディーヌ」

三澤洋史 

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ああ「ナディーヌ」
 「ナディーヌ」の合唱団員に、カトリック関口教会聖歌隊から参加した女性がいる。ナディーヌに会えなくて沈んでいるピエールが、路傍の花フローラを発見して話しかけているところを通り過ぎ、不審な眼差しを向ける姿がとってもウケたYさんである。
 昨日、関口教会で彼女と話していたら、ご主人の仕事の転勤でパリに駐在していたことがあり、舞台がパリだということで、「ナディーヌ・プロジェクト」に加わったそうである。僕が驚いていたら、他にもパリを訪れたりパリに住んでいて、パリが好きで参加していた人が少なくなく、練習の合間にパリの話題で盛り上がっていたという。やっぱり、パリという街は、そういうところなんだな。

 いろいろ思い返してみたら、「ナディーヌ」という物語が生まれるきっかけになったエピソードに思い至った。もう完全に忘れていた話なんだけど・・・。

 長女の志保がパリに留学して間もない頃、東のはずれNation駅に近い12区Dr. Arnold Netter大通り沿いのアパルトマンに住んでいた。ある時、電話で話していたら志保がこういう話をした。
「家のドアがオートロックで、夜中に締め出しをくって入れなくなっちゃったんだ。朝にならないと管理人さんは来ない。それで、泣きたい気持ちになったけど、どうしようもなくて、ドアの前でひとりでうずくまっていた。しばらくしたら、隣の部屋のお兄さんが帰ってきて、どうしたの?て聞いてきたから、理由を話した。そしたらね、そのお兄さん、3階なのに、なんとコンクリート伝いに窓までたどり着いて、窓から入ってドアを開けてくれたんだ!」
 それを聞きながら、最初はそのエピソードを物語にしようと思ったんだ。そこで恋が芽生えてね、二人で楽しくパリの街を闊歩するラブストーリー。そういう意味では「素敵な妖精」という曲の萌芽は、もうその時にあったのだと思う。結末がハッピーエンドか悲劇に終わるかなんて、その時はまるでノー・アイデアだったけどね。
 志保は、別にそのお兄さんと恋に陥ったりはしなかったし(笑)、ドアの前でじっと待っているのは舞台ではあまり絵にならないので、僕の新作品のストーリーは二転三転していった。でも、ラブストーリーを書こうと思ったモチベーションが、あの時に生まれたのだけは間違いがない。

 以前書いたけれど、モンマルトルの丘で哀しい別れをする男女を描こうと思い至ったのは、パリの空港を中心に起きた大規模なストライキで、バイロイトに飛ぶことが出来ず、意気消沈してモンマルトルの丘の夕暮れにたたずんだ時だ。
 毎年6月20日から始まる祝祭合唱団の練習に先立って、6月17日に日本からパリに飛び、志保のアパルトマンに2泊してから19日の午前中にニュルンベルク空港に飛び立とうとしていた。志保は、期末試験の途中で、家で必死になってピアノをさらっていた。
 17日の夕方に着いて荷物を解くと、すぐに僕はひとりでパリの街に出かけていった。ワンルームのアパルトマンに、グランドピアノとベッドを置いている志保の部屋は、歩くのもままならないほど狭い。それに志保がピアノをガンガン弾くので、とてもいられない。僕は、ゆっくり街並みを歩き、Nation駅の近くの広場のカフェに入ってグラス・ワインを注文した。そのおいしかったこと!ああ、ここはパリだ、と妙に感動した。
 まあ、「ナディーヌ」の中に出てくるカフェのモデルは、残念ながらそうした伝統的なカフェではない。本当はスターバックスなんだ。ほら、ピエールが、
「近くにカプチーノがおいしい店があるんだ」
とナディーヌに言うだろう。あのアイデアは、トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の「ユー・ガット・メール」という映画の中に出てくる会話から取った。あれはニューヨークが舞台だけれど、あの映画が出来た頃は、きっとスターバックスが流行りだした頃だったのだろう。映画の中で“スターバックス”と言っていたのが妙に印象的だった。宣伝料もらっていたのかね。そしたらすぐに日本にスターバックスが現れたのでびっくりしたよ。伝統的なパリのカフェでは、カフェ・クレームはあってもカプチーノはない。

 第3幕冒頭では、夕暮れのモンマルトルの丘に教会の鐘の音が響き渡ってくる。それは本当にそうなんだ。舞台のようにあれほど重なり合って響いてはいないけれど、丘の上でぼんやりしていた僕が、「トスカ」の鐘の音の場面を思い出したのは間違いない。だからピエールにあのセリフをしゃべらせた。

ほら、教会の鐘の音が聞こえる。早い鐘、ゆっくりで低い鐘。遠くからかすかに聞こえてくるまばらな鐘。カヴァラドッシはこんな気持ちでいたのかって、よく分かる気がする。僕も・・・・、僕も処刑の時を待っているのさ。
 ああ、言い出したらきりがないが、どの場面にも僕のパリ体験が感じられるし、僕のパリへの愛が溢れている。公演に来てくれた人達の感想に、
「パリの情景が途切れることなく続いていたのは良かったです」
というのが少なくなかったのも嬉しい。

 東京バロック・スコラーズでも志木第九の会でも、行くところ行くところ、合唱団として参加してくれたメンバーがいて、みんな、
「ナディーヌ・ロスから抜け出れないんです」
と言ってくれる。







 僕も本当は誰よりもそうなんだが、スケジュールがナディーヌ・ロスに浸る間を与えてくれなかったので、かえって良かったのかも知れないと思っている今日この頃です。



中央大学混声合唱団の演奏会
 正確には中央大学音楽研究会混声合唱団というが、今週末の9月24日土曜日に、八王子市芸術文化会館いちょうホール大ホールでの演奏会を指揮する。メイン・プログラムは、モーツァルト作曲のミサ曲ハ短調KV. 427。その前に、バッハ作曲モテット第1番と、ハイドンの「マリア・テレジアのためのテ・デウム」を演奏する。
 この合唱団は、大学の合唱団には珍しく、邦人作品をやったりコンクールに出たりということはあまりしないで、プロのオーケストラを使って、「マタイ受難曲」や「天地創造」などの大規模な作品を取り上げて活動している。ずっと長い間、白石卓也氏が音楽監督としてこの合唱団を率いてきたが、昨年4月、甲斐駒ヶ岳で滑落して急逝してしまった。
 団員達の悲しみ、落胆はいかばかりだったかと深い同情を禁じ得ないが、それでも合唱団を存続させ演奏会を絶やさないために、客演指揮者を呼んで今日に至っているのである。それまで白石氏の元で指導していた大森いちえいさんが音楽監督代行として合唱団を音楽的に牽引し、その関係で今回僕が指揮することになった。だから大森さんとは、この夏は、新町での「魔笛」、「ナディーヌ」、愛知管弦楽団の「ラインの黄金」と、いつになく熱い関係となっている。
 白石氏とは、二期会の副指揮者をしていた時代に、何度か一緒に仕事をしたことがある。とても気さくで、やさしい人だった。その後あまり会ってはいなかったが、お互い好感は持っていたのではないかな。
 この更新原稿を書くにあたって、名前の漢字が違っていたら申し訳ないと思って、ホームページの検索をかけたら、 驚いたことにまだブログが残っていた。読んでみたら、まさにこの中央大学混声合唱団の様子がありありと描かれているし、彼がどれだけこの合唱団を愛し、慈しみながら育てていたかが感じられて、思わず胸にこみ上げるものがあった。

 この合唱団は、まさに彼のいう通りで、僕のふたりの娘よりも10歳も若い学生達に、こうした名曲の奥深さがどれだけ分かるんだろうか、という疑問は湧くものの、もの凄いエネルギーと集中力で、音楽に立ち向かってくる姿には胸を打たれる。
 もうオーケストラ練習に入っているが、「学生にしては」という断りなど全く不要な素晴らしいコンサートになることは間違いない。みなさんに広く呼びかけたいところであるけれど、残念ながらチケットは今の時点ですでに完売だそうである。

 いいねえ、ここにも“行列が出来る合唱団”がいるのは嬉しい限りだ。白石氏の業績は偉大だ!
頑張れ、中大生!

僕のお気に入り
 僕にはあまり物欲というものはない。特に衣類には興味なく、裸でなければいいやという感じで、妻や娘たちが買ってきたものをそのまま着ている。まあ、それでも気に入る気に入らないという好みはあるが、たいていの場合それはデザインとかいうよりも、気易いかどうかによる。
 そんな風に、音楽以外のことについては、ほとんど「どーでもいい」という生活を送っているが、愛用しているものが皆無というわけでもない。衣類で言えば、Tシャツだけは自分で買っている。昔は、木綿の生地をよく買ってオーケストラの練習などに着ていたけれど、最近は運動する時にドライの生地の方が汗をかいた時にジトーッとならないので、木綿のものは着なくなった。
 その他は、K2のスキー板だったり、今この原稿を書いているパソコンだったり、まあ実質的なものばっかりだね。贅沢好みの正反対で、同じ性能ならコストパフォーマンスを望むので、見かけ素敵なものを求めるということが少ない。でもその中で珍しいものがあるよ。
 この写真を見てもらいたい。僕のお気に入りのふたつのカップだ。ひとつはコーヒーを飲むためのマグカップ。もうひとつはウィスキーや焼酎用の水玉模様のグラス。
 星の王子様のマグカップは、妻の車で群馬に行った帰りに、関越自動車道寄居パーキングエリアで買った。ここは「星の王子様パーキングエリア」として有名。南仏調の素敵な建物で、レストランもあるし、焼きたてパンも買えるし、なんといっても「星の王子様グッズ」がいろいろあるのだ。みなさんも関越自動車道を通ったら、一度寄ってみるといい。
 ミーハーと言われるかも知れないけれど、僕は「星の王子様」がとても好き。特にこのカップの「狐と王子様との対話の部分」が最も好き。いろんな場面のカップがあるけれど、ここの場面のがあったので買ってきた。


星の王子様マグカップ

 家の書庫には、日本語の本だけでなく、原語のフランス語、ドイツ語、イタリア語、英語の版があって、特にフランス語とイタリア語は何度読み返したか知れない。この物語の中には、人が生きるために大切なことが書いてあるから、時々触れる必要があるのだ。それで、毎朝食の紅茶と、10時半のカフェ・タイムのコーヒーを飲みながら、いつも、
「大切なものは目に見えない」
というメッセージを思い出すというわけである。
 一方、水玉模様のグラスでは、芋焼酎も飲むが、メインはBallantine's 12年のソーダ割り。水玉模様が爽やかで、泡立つ琥珀色のウィスキーがおいしくなる気がするんだ。カティサークとかホワイトホースとかシーバスリーガルとか、これまでにいろいろ試したけど、Ballantine'sが一番自分の好みにぴったりなウィスキー。竹鶴なんかは、スモークの匂いが立ちすぎて好きではないのだ。全体のバランスが大事だと思う。
 家でくつろぎながらこのカップで飲んでいる時に、
「ああ、しあわせだなあ」
と思えるんだ。


ソーダ割り用


Speranzaと命名
 自作パソコンというものは、スイスイといくときはいくのだが、ひとたびトホホの神が降臨すると、限りなくトホホになるものだ。まあ、そのトホホに悩まされるのも、自作ならではの楽しみと言えなくもないのだが・・・・自作パソコンは、最初はコストパフォーマンスを考えて行うのだが、いつも最後は、「これって趣味なんだからね」と自分を納得する状況に追い込まれるねえ。

 実は、今回の自作に関して大きな問題がふたつあった。ひとつは、メインで使っていたSSDカードの初期不良。もうひとつはWindows 10である。

 SSDカードとは、皆さんもよく知っているSDカードのことである。SDカードというと、デジカメなんかに入れる4ギガ・バイトや8ギガのものを思い浮かべるだろうが、最近急速に進化して500ギガ・バイトや1テラ・バイトくらいまでの大容量になって、パソコンのハードディスクの代わりに使えるようになった。それを特別にスーパーSDカードすなわちSSDカードというのだ。なにせ、高速でしかも静かなので、自作マニアがOSを入れるメイン・ドライブとして使う筆頭の人気商品だ。
 ただ小さいので作りがチャチい。僕の購入した260ギガの製品は、Sirial ATAのコネクターの部分が脆弱で、最初にSATAケーブルを挿した時、ピンをガードするプラスチックの部分が割れてSATAケーブルのコネクターの部分に入り込んでとれなくなってしまった。それを騙し騙し使っていたのだが、とうとう接触不良で、その中に入っているWindowsが立ち上がらなくなってしまった。
 仕方ないので、わざわざ秋葉原に行って、初期不良製品(破損製品)として取り替えてもらった。それはいいのだが、問題のある製品はその場で新品と交換なので・・・つまり・・・またまっさらな状態からWindowsをはじめとして様々なドライバーやソフトを入れ直さなければならない。そこで僕は店員にこう尋ねた。
「あのう、ダメ元で言いますけど・・・またWindowsから入れ直さなければならないんだったら、このWindows 10も初期不良で7とか8に交換というわけにはいかないですかね。あまりにバグが多いし、それに大事なソフトやドライバーがなんにも動かなくなってしまったのですよ。こんな状態で発売してひどいと思いませんか?」
「あああ・・・気持ちはよーく分かりますよ。そういう風に言ってくるお客さん、多いですからね」
「でしょ」
「特に何が問題ですか?」
「自社の日本語変換ソフトだけ認めて、たとえばA-Tokをインストールさせないってひどくないですか。それに10万円以上する音源モジュールが動かなくなってしまって、対応するドライバーもないんです。僕は譜面作成ソフトを使ったりDTM(コンピュータ・ミュージック)をやっているんですよ。その関係のものは軒並み動かなくなりました。今からすぐ使いたいのに・・・」
「ああ、よく分かります。特にその苦情も多いです。ですがお客様、Windows10は、そのパッケージを開けた段階で、もう交換不可能なのです。ほらパッケージの裏に承諾書が書いてあるでしょう」
「読まねえよ、誰もそんなの・・・あ、ひどいな!」
「で、大変同情の余地はあるのですが、残念ながらお客様、Windowsのお取り替えは出来兼ねます」
「どうせそう言うと思ったよ。もういい!Windowsの7か8をここで買う!」
「えっ?・・・・」
「で、何がいい?」
「Windows 7の64ビット用のがいいかと・・・」
「なんだそりゃ。8を置いといて、7を薦めるんだ」
「ええ、8もあまり評判良くないので・・・」

 と、こういうわけで、なんとWindows 7が僕の新パソコンに入ってます。超最新式ハイスペック・パソコンのはずだったけれど、目的の「譜面作成からMIDIファイルでの作業を通って音源を作り上げる」までの一連の作業が、Windows 10では何一つ出来ないのでは仕方がないのだよ。って、ゆーか、Windows XPで平和に出来ていた事が、どうして最新式のマシンで出来ないのだ。おかしいだろう、この世界!
 まあいい。とりあえずEdirol(Roland)のSD90という、僕のお気に入りのサウンドが満載している音源モジュールは、Windows 7監督下でサクサクと動いている。Rolandの音色追求の情熱は素晴らしい。残念ながらYAMAHAでは、この音色は出せないのだ。
 先日ちょっと書いた、ブルーレイ・ドライブを認識しない事件も、接触不良ではなくWindows 10のバグのひとつに違いない。2週間待って「正常動作しています」ということで戻ってきた。Windows 7に入れたら何の問題もなく動いている。


Speranza

 このパソコン・ケースの写真は後ろから写しているので、あまりカッコ良く映っていないかもしれないが、Geforceのグラフィック・ボードの青いLEDの光が美しいでしょ。ZALMAN製のケースは純白でとても気に入っている。それに、作業していても本当に静かなのだ。前回のパソコンにはWishという名前をつけたが、今回は命名に関していろいろ考えた。純白だからBiancaとつけようとも思ったけれど(笑)、結局Speranzaと命名する。イタリア語で「希望」の意味である。

 さあ、これからコキ使うから、しっかり働いてくれよ!僕の人生の希望を創り出すセンターとなってくれ!



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA