Miserere Nobis

三澤洋史 

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Miserere Nobis
 11月12日土曜日。午前中は東京バロック・スコラーズのオーディション。その後、何人かの団員と一緒にお昼を食べてから群馬に向かった。夜は新町歌劇団の練習だが、その前に、お袋の入っている介護付き施設にお見舞いに行く。

 施設内に入ると、みんなが集まる広いホールの片隅で、テーブルの前で車椅子に座りながらボーッとしているお袋の姿が遠くから見えた。他の入居者達も同じで、ほとんど会話もなく動きもない。お袋は近づくまで気が付かない。でも僕だと分かった瞬間、顔がパッと明るくなった。心なしかひとまわり小さくなった気がする。
 もう89歳。昨年末の脳内出血と大腿骨骨折で右側の空間が認識できず歩行困難なので、車椅子から離れられない生活。放っておくと立ち上がろうとしてしまうが、また転んで骨折してしまう心配があるので目が離せない。最初の内は家に帰りたがっていたけれど、自宅で生活するのはどうみても困難。
 もともと頭の良い人なのでよくしゃべるし耳も遠くないから普通の声で会話可能。だからちょっと見ると健常者に見える。でも認知症はそれなりに進んでいる。すごくまともな話をした直後にそのままの顔をして超トンチンカンなことを言う。昔話がほとんどだが、いろんな時代のいろんな話が全部ごちゃ混ぜになり、ありもしない創作話と絡んで、実に芸術的。
 自分の家の話をなつかしそうにする。でも僕たちと生活した新町の家を通り越して、娘時代に過ごした玉村の実家の話になっていたりする。それって、息子にしてみたら結構ショックだよね。その頃行き来していた人達のことを、ほら、お前も知っているだろう、と持ちかけてくるが、会ったこともない。おっとっとっと、と思うけれど、勿論逆らわないで、ハイハイと話を合わせていると機嫌が良い。
 施設内では、何もドラマチックなことは起きないから、新しい話題はない。昔話が途切れたら、特にこちらから話題を提供したりしないで、そばにじっと居てあげる。僕が黙るとお袋はそのままボーッとしている。僕もそっとお袋を見つめている。その静かな空間が好きだ。愛情に満ち溢れた午後のひととき。

 でも、いつも別れ際は淋しい。
「それじゃ行くからね。また来るよ」
と意を決して言うと、いつも悲しそうな顔をする。
バイバイしてから、施設の長い廊下をお袋に背を向けて歩きながら、時々振り返ると、じっとこちらを向いている。こちらが手を振ると向こうも手を振る。

 施設を出るともうあたりは真っ暗。少し欠けた月が妙に大きく明るく夜空にぽっかりと浮かんでいる(後で知ったがスーパームーンだったのだね)。ここのところずっと天気が悪かったから気が付かなかったけれど、この間半月だったからもうすぐ満月か。その月の下をとぼとぼと歩いていると、なんだか無性に淋しくなってきた。「月光とピエロ」の詩を思い出した。月は孤独や淋しさと仲良しだ。
 施設から徒歩で15分かけて八高線の群馬藤岡駅に来る。3時間に2本くらいしかない超ローカル線。ホームで待っていると、暗闇からジーゼルカーの灯りがぽっと浮かび上がり、ゆっくりホームに入って来た。ボタンを押さないとドアは開かない。
 お袋を東京の施設に引き取ろうとこれまでに何度考えたことか。いくつかの施設を見に行ったが、東京はどこも高いばかりで、今居る所のようにきめ細かく見てくれる施設はない。ここは田舎だから充分な敷地がある。真ん中の広いホールは入居者の各部屋に直結しているので、みんなホールに集まり易いし、職員達の目が届きやすい。職員達はみんな明るくやさしい。
 入居の時に責任者と話したけれど、全てのケースに対応する覚悟と責任感を持っているので、この人がいるなら安心して任せられると思って入居を決心した。すぐ近くの実家には姉が住んでいるので、どう考えてもここ以上に適切な場所はないのだが、要するに自分が頻繁に行けないのが辛いわけだ。

 八高線に乗って高崎に向かう間に、ふとmiserere nobisという言葉が浮かんだ。自分の無力さをひしひしと感じた末に自然に出てきた言葉なのか?いたずらに罪悪感に沈んでいるわけではない。人間は、その存在自体がmiserableだ。生きているだけで哀しい。だから絶対者である神を求めあこがれるのだろう。
 電車と違ってジーゼルカーの車内は暗い。窓の外も東京とは違って真っ暗だから、わずかな時間なのに、見知らぬ土地であてのないひとり旅をしているような錯覚に陥る。miserere nobisと意味もなく何度も心の中で繰り返す。気持ちを入れてないので、祈りとも言えない。でも、南無阿弥陀仏の念仏を祈りと呼べるのなら、これも立派な祈りかも知れない。これって僕の中の何が誰に向かって言っているんだ?
 言葉を繰り返しながら僕の脳裏に浮かび上がってきたのは、親父もお袋もまだ若い頃の実家のお茶の間の明るい雰囲気。大工だった親父は働き者で、5時半くらいには帰って来て、6時過ぎには夕飯だった。毎日判で押したような規則的な生活。それが今の僕の精神的骨格を形成している。
 親父は酒を飲まないので、夕飯は15分くらいでチャチャッと済んだ。それから親父はテレビを観、僕は宿題をちゃぶ台でした。2人の姉がいた。僕は長男の末っ子だから可愛がられたけれど、いたずらばっかりしていたからお袋にしょっちゅう怒られた。でも、怒られても怒られても、僕はお袋が大好きだった。

そのお袋は、今、人生の最終章をひとりでゆっくりと歩んでいる。

 高崎駅のスターバックスでシフォンケーキを食べながら珈琲を飲み、新町歌劇団の練習に向けて心を整える。miserere nobisという言葉を自動的に何度も繰り返していたら、どうやら心の中に光が入ってきたようで、体が暖かくなりやさしい気持ちになってきた。

 突然i-Phoneがブルブルと震えた。開いてみたら、家族4人のLINEに、もうすぐ3歳になる孫娘の杏樹の写真がいくつも入って来た。今日は志保と一緒に写真スタジオに入って、レンタル着物を着て七五三の写真撮影。 次女の杏奈がヘヤメイクをしてあげた。頬紅がぽっちゃりしてなんとも愛らしい。赤とピンクの2種類の着物を着てゴキゲンな杏樹の顔に心が癒される。
彼女の前には無限の可能性が開けている。
彼女にとって世界はまだ始まったばかりなのだ。

黄昏のしずかな命と、萌え出る命。
どちらの命もいとおしい。

どうなるのアメリカ?
 あろうことか、ドナルド・トランプ氏が大統領になってしまった。びっくりポンや!選挙戦の最中にすでに案外トランプ氏に支持が集まっているのを意外に感じていた。でも、まさかね・・・と思っていたのは僕だけではないだろう。それにしても、討論会におけるクリントン氏との悪口の応酬の醜いこと!二人とも品位のかけらもないことが残念であった。
 クリントン氏がトランプ氏の女性蔑視の発言を叩けば、トランプ氏は平然と、
「私の女性に対する扱いは言論にしか過ぎないが、ビル・クリントン大統領はそれを行為において行った」
と言い放った。別のところでは、
「彼女は、自分の夫も満足させられないのに、アメリカ国民を満足させられるわけないだろ」
などとも言っている。これってセクハラ発言だよね。
 ご存知の通り、ヒラリーの夫は、大統領時代、ホワイトハウス内において不倫行為をはたらいていたといわれる。しかし、何もここで持ち出すことはないであろう。そもそも天下のアメリが合衆国の大統領選だよ。政策で正々堂々と勝負すればいいのに、こんな低次元のやりとりで相手を負かそうなんて、まるで小学生の喧嘩のようではないか。
「もうやめよう、こんなクダラナイ足の引っ張り合いは!」
と誰かが言い出さないかなと期待していたけれど、みんな面白がっているだけ。それだけでもこの国には失望した。

 選挙の開票が始まった日、僕は新国立劇場にいて「ラ・ボエーム」舞台稽古の真っ最中だったのだが、合唱の出番が終わって楽屋エリアに戻ってくる毎に、着到版前のテレビでトランプ氏優勢の色が濃くなって来るのを見て、嘘でしょうと思った。そして当選確実と知ると、この国どうなってしまうんだろうと、いいようのない不安にかられた。

 トランプ氏は、普段選挙に行かない下流労働者層の心を掴んでいたといわれる。また、中流層以上の人達の間でも、トランプ氏を支持していたが、それを表明すると恥ずかしいと思っていた「隠れトランプ」の存在が不確定票となって、最終的に当選を後押ししたという。では何故トランプ氏は、そんなにも米国民の心を掴んだのであろうか?
 トランプ氏のマニュフェストを見ると常に内向きである。最初から、本音のアメリカ人の心を反映していると言われていた。「本音」という言葉は、大きな権力の元で正しい意見を言うことが出来ないような時に使う場合は、そこに真実や良識がある。ところが、アメリカのように、むしろ権力の側にあるような国が使う場合、それは、大国の義務感や正義感、福祉や犠牲的精神という“建前”に反対する言葉となり、すなわち、義務より正義より福祉や犠牲的精神より“自己の利益を最優先”し、他を顧みず、差別を助長するエゴイスティックな精神を指すようになる。
 
 分かりやすい例で言うと、米国民は、たとえば日本に米軍が駐留する費用を“税金の無駄遣い”だと本当は思っていたということだ。世界の警察を名乗っていたアメリカの理想や建前は、下流労働者層には届いていないのだ。だから、米軍駐留の費用を日本が負担すべきというトランプ氏の意見が支持を得るのだ。
 また彼は、日米安全保障条約の不平等さを指摘し、
「日本が攻撃を受けた時には米国が日本を守らなければならないのに、米国が他国から攻撃を受けても、日本は何もしなくていいなんて・・・」
と言っている。北朝鮮からの脅威については、「自分で守ったら」と突き放しているし、北朝鮮が核兵器を持っているのだから日本も核武装をするべきだとも言っている。
 それらの発言は、これまでのアメリカではタブーであった。しかし、勿論僕にはそれがアメリカの本音であったことは前から分かっていたし、この「今日この頃」でも何度となく書いた。こうした本音をカモフラージュした“美しい建前”を安易に信じてアメリカの庇護を期待し、憲法第九条の非現実的な理想に酔い痴れる日本人のお人好しさを指摘してきたりもした。
 しかし、そんな僕でさえ、これほど早くアメリカが建前の衣を脱ぎ捨てて、エゴを丸出しにしてこようとは思ってもみなかった。まあ、日本にとっては、本当の意味で独立国家になるいい機会かも知れないが・・・。

 諸外国は、これからアメリカに対するリスペクトをやめ、「大国である武器を掲げながら自国の経済原理を最優先とする自己チュー国家」として接するようになるであろう。
それでいいんか、アメリカよ!

マイルス再評価
 先週はマイルス・デイヴィスばかり聴いていた。「今日この頃」で書いた小川隆夫著「マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと」(河出書房新社)をまだ引きずっている。特に今回は、これまであまり興味が湧かなくて避けて通っていた「ビッチェズ・ブリュー」以降のエレクトリック・マイルスを集中的に聴いている。

 特に1975年の日本公演の「パンゲア」を再評価した。うーん、確かにこれは食わず嫌いでは済まないなと思った。クラシックとかジャズとかいう分野を問わず、即興演奏というものがなし得る表現力の極限の姿がここにある。これを聴いていると、シェーンベルクの12音技法が何だ、シュトックハウゼンやメシアンやツィンマーマンが何だ、と自分のことでもないのに自慢したくなってくる。俺の父ちゃん偉いんだぜ、みたいに・・・。だって、どの現代音楽よりも前衛的じゃないか!

 ただ、ある曲想から次の曲想に移っていくブリッジの部分は、みんなが褒めているほど素晴らしくない。って、ゆーか、これって半信半疑の指示待ち状態じゃね?ど、どーする?・・・ボス、どう思ってるんかな???・・・これを発展させていいの?・・・それとも、他のモチーフ出してみようか?・・・・ボスから返事ねーし・・・・困ったな・・・って感じにしか見えない。
 即興演奏の脆弱性。でもね、クラシック音楽的に考えると確かにそうなんだけど、これは徹頭徹尾即興音楽なんだ。完成品である必要ないでしょう、と開き直られると、その通りと答えるしかない。様々なリスクを冒しても、偶発的に生まれる奇跡的な瞬間をゲットするのが即興演奏。それに比べると、クラシック音楽とは、冷凍食品をチンして食べたり、濃縮果汁還元ジュースのようなもの。良く出来ているが、本当に全てにフレッシュな魂を吹き込むことの難しさよ!
 マイルスが、今の状態をアクセプトし、全員がコンセプトを理解した時のバンドのハジケぶりは、同じ日の「アガルタ」よりも、他のどのCDよりも凄い。いろんな人が、マイルスの全てのCDの中で「パンゲア」を第1に挙げている理由は、今回初めて良く理解できた。

 リズム隊は充実している。しかし、これだけビッシリ音を詰め込まれてしまうと、かえって身動きとれなくなってしまう。コンガなんて不感症的に叩きっぱなしじゃないか。もともとロックのリズムって硬直しているからなあ。
 やっぱり4ビートでは、独特のゆる~い空間があるから、かつてマイルスが低音から高音にブリブリブリピッって駆け上がると、トニー・ウィリアムスがパツーンとシンバル一発かまして反応したり、ハービー・ハンコックがカッキーンと和音で答えたり出来るんだ。
 ハーモニーは、はっきり言ってつまらない。だって、どの曲もワンコードだから要するにハーモニーは全曲通して一度も変わらないのだ。勿論そのコードの上に様々な偶成和音が乗っかる面白さはある。でも結局のところ基本風景は変わらない。やはり、和声が変化(コードチェンジ)する瞬間の、まるごと変わる色彩感が欲しいし、そこを貫いて渡っていくマイルスのメロディーが魅力的なんだけどなあ・・・・。

 なんだか、書いている内にだんだん悪口になってきちゃったぞ。もともと4ビートのマイルスが好きだから仕方ない。でも、「パンゲア」のバンド集中力や緊張感は本当に稀有のものだ。
 これ、もしライブに行っていたら、決して今頃こんな風に上から目線で語れないだろうな。日本での大阪ライブは1975年2月1日だっていうから、その頃は・・・芸大浪人してもう後がない受験直前・・・・行けるはずもなかった。

 さて、マイルスは、交通事故の後、様々な要因が重なって、75年から81年まで6年間という長い引退生活を送った。それからカムバックして、亡くなる91年までの約10年間精力的に活動する。その後半の時期のアルバムから、いくつか新たにCDを買ってきた。1986年のTUTU、1988から89年のAmandla、亡くなった1991年のDoo-Bop。
 TUTUは、昔レコードを持っていたが、その頃はそれを聴いて失望し、もう二度と聴くまいと思って棚にしまいっぱなしだった。何故って、屈折しているんだけど、「アガルタ」や「パンゲア」のマイルスを認めるのが嫌だった僕ではありながら、あんな風にただの売れ線狙いのポピュラー・ミュージックのようになってしまったのは許せなかったのだ。マイルス、お前は金に魂を売ったのか?なんてね。
 それがね、今あらためて聴き直してみたら、これが案外良いんだ。マイルスは、確かに後は振り返らなかったかも知れないが、「パンゲア」のように全力疾走するのはこの頃からもうやめて、あまりこだわらなくなったというか、良い意味で力が抜けてきたんだ。
 それが若い僕には許せなかったのだが、その代わり、この頃から亡くなるまでのマイルスというのは、再びトランペットを吹くのが大好きになる。アレンジとかは任せても、あるいはすでに録音したものに自分のプレイを重ねるという昔なら考えられなかったこともすんなり受け入れて、あたかも最後はやっぱりトランペッターとして名を残したいと思っているかのように、吹いて吹いて吹きまくる。
 即興のみでないので、ワンコードでもなく、適当にコードチェンジがあるのもいい。最後のアルバムのDoo-Bopでは、再びワンコードのようになってワンパターンで飽きるが、マイルスのプレイ自体は秀逸。

 僕が最も心を打たれたのは、Amandlaの終曲のMr. Pastorius。まず久々にミュートでなくオープンプレイが聴けるのが嬉しい。ミュートばっかりだと、マイルス本来のあのちょっとほの暗く暖かい音が聴けないのでつまらないのだ。それから、なんと4ビートだ!まあ、昔ながらの4ビートではないのだけれど、マイルス独特のあの空間性があるのだ!そして、極めつけは、マイルスのトランペッターとしての美があるのだ。

 やっぱりマイルスはいいなあ。彼がいれば、僕はねえ、もうストラヴィンスキーとバルトーク以降の現代音楽は要らない。



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