教会で聴くクリスマス・オラトリオ

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

そのままプチダイエット
 先日の胃腸系の体調不良は数日間後を引いた。下痢はすぐおさまったが、その後も消化器官の働きが悪く、食べたものがなかなか消化してくれないので、コッテリしたものを食べる気が起きなかった。
 でも、僕にとってはかえって良かったかも知れない。それまで、毎晩ワインを主としてお酒を飲んでいたし、食事の量もハンパじゃなかった。それが、胃腸を壊したお陰で、丸二日はほとんど絶食に近く、それだけで痩せたのが嬉しかった。勿論、体から力が出ないので、仕事するのはしんどかったが・・・。
 普通だったら、体が回復してきたら、「食べなくっちゃ」と思って、つとめて食べるようにするのだろうが、この際だから、体が本当に要求するまで無理して食べなくていいや、という気になって、便乗ダイエットに踏み切った。お酒も先週は全く飲まなかった。
 土曜日の「教会で聴くクリスマス・オラトリオ」演奏会後の打ち上げでも、僕にしては本当に珍しく飲まなかったのだよ。以前は、飲まない人といえばウーロン茶くらいしか選択肢がなかったが、最近はいいねえ。ノンアルコール・ビールというものがある。これねえ、気分はビール飲んでる感じ。こんな風にしてカロリー・コントロールしていたから、体が軽い。
 12月4日日曜日。晩は、志保が手作りのビーフ・シチューを作ったので、久しぶりにシャンパンを開けた。アルコールが体に染み渡ってきた。これは、僕のJASRAC音楽文化賞受賞のお祝いに、ソプラノの飯田みち代さんがわざわざ贈ってきてくれたものだ。うーん、さすが飯田さん。見立てがいいねえ。
 それにしても、この時ほど健康のありがたさを感じた時はないなあ。でも、まだもう少しプチダイエットを続けてみよう。年末の白馬でコブを滑ってフウフウ言わないよう、シェイプアップするんだ。

教会で聴くクリスマス・オラトリオ
 僕たちがミニクリオラと呼んでいる、東京バロック・スコラーズによる「教会で聴くクリスマス・オラトリオ」演奏会が12月3日土曜日に無事終了。今年は小田急相模原駅から徒歩で7分くらいのところにある日本基督教団翠ヶ丘教会で演奏した。第6カンタータまである長大な全曲から、聞き所を抜粋して、随所に僕の解説を入れて行う、いわばダイジェスト版。伴奏もオルガンのみ。今回は娘の志保が弾いた。
 この教会のオルガンは、パイプオルガンにしては小ぶりで、ストップも少なく昔ながらの手動(レジスターを記憶するボタンがない)だけれど、とても美しい音がする。それが、教会堂内の響きと相まって、実に心地よい。また合唱団の響きとも溶け合うので、全曲終わった後でアンコールのようにして会衆も交えて歌ったAdeste(来たれ友よ)では、聖堂全体が響きに満ちあふれ、さながら天国にいるようであった。
 今まで何回となく行ってきたミニクリオラだけれど、今年ほど自然でしっくりいった演奏会はなかった。合唱団のみんなもそう言っている。なんでだろうなと帰り道考えながら、ひとつ気付いたことがある。それは、自分の中で「ホンモノになってきた」という感覚があることだ。


翠ヶ丘教会オルガン

 バッハは、コンサート会場ではなく、そもそも教会のクリスマスというシチュエーションを想定してこの曲を書いた。それが今日でも、ドイツでは見事に定着していて、クリスマス時期になると、規模は様々なれど、どこの教会でも当たり前に演奏されている。一方、我が国では、教会から全く切り離されたコンサート会場で、たまに演奏されるのみだ。
 第九のように年末の恒例行事として定着させるというのが目的ではないのだが、どうせクリスマス・オラトリオをやるのであれば、こうしたバッハが作曲した環境になるべく近い状態で演奏してみたかったのである。
 それで、2009年に池袋の東京芸術劇場で2回に分けての全曲演奏会をやり、それをベースに、当団の定期演奏会の練習と並行して、過去4回の「ミニクリオラ」演奏会を行ってきたのである。
 しかし、当時は、肝心の僕自身が、「教会で典礼音楽を演奏する行為」を日常の中に溶け込ませていなかった。だから言ってみれば、よく俳優が、医師や牧師や音楽家をドラマで演じるような「嘘っぽさ」があったのだ。
 一番最後に「クリスマス・オラトリオ」を演奏したのは、おととし2014年12月。しかし、その時はオーケストラ付きで、場所も大田区民ホール・アプリコ大ホールであったから、「ミニクリオラ」は2013年のカトリック二俣川教会以来になる。

 その間に僕は、2014年の待降節から関口教会の聖歌隊指揮者となり、日曜日のミサを指揮するという行為が自分の日常に取り入れられるようになった。そうした生活も2年も続いてくると、典礼音楽を礼拝そのものの中で演奏することが自然になってきた。それにつられて、そもそも音楽を演奏するという行為の意味も、僕の中で大きく変化してきたのだと思う。今や教会は、音楽家としての僕にとって、コンサート会場以上にホームとなっているのだ。
 トークの内容についても、聖職者でもない僕が、教会の中で多くの信者さん相手に語るという、いわば「釈迦に説法」的なことをやっているのだが、これも、歳を取ってきて、自分の想いも行動もシンプルなものになってきたので、自分が語っていることと、自分の行動との間にギャップがなくなってきた。だから、自分が語ることが、相手にスーッと伝わっていくのが分かるのだ。

 そうしたことを総合して、ひとことで言うと、この「ミニクリオラ」が自分の中でホンモノになってきたということなのである。やっぱり僕は、宗教曲をやっている時が一番自然だし、しあわせなのだ。
 それは今後もっともっとそうなっていくであろう。自分の人生から、余計なものがどんどん削ぎ落とされていき、最後にはエッセンスのみが残っていくであろう。

それは、音楽だったら宗教曲なのだろう。
人生では・・・愛なのだろう。
愛のみに凝縮されていって人生を終える・・・・そんなことが出来たら、なんて素敵だろう!

SKIの科学~ああスキーに行きたい!
 本屋で何気なく目に入ったスキーの本。「SKIの科学~コブ・新雪・ポール攻略編」(洋泉社MOOK)
「おっ、これはなんか僕にぴったりの本だ!」
と思って、手に取ってページをめくったら、渡辺一樹さんの写真が目に入ってきた。巻頭のスペシャルインタビューだ。


SKIの科学

 渡辺一樹さんは、上村愛子などのモーグル選手をのぞけば、恐らく日本で一番有名なスキーヤーではないかな。基礎スキーの花形として、長年日本のスキー界を牽引してきた存在。その渡辺氏がコブについて語っている。それだけでも興味が湧く。
 ところが、読み続くにつれて、あれれっと思った。渡辺、角皆、渡辺、角皆と交互に名前が並ぶ。なあんだ、インタビューしていたのは角皆優人君だった。それから、さらにパラパラっとページをめくると、コブの解説は角皆君がしているし、そもそも表紙でK2のスキーを履きながら雪煙と共にカッコ良くコブの山を超えようとしている姿も角皆君じゃないの。気がついたらレジーに並んでいた。

 渡辺氏のインタビューは、実に面白かった。「へえっ」と何度思ったことか。何故なら、ある点では、角皆君がいつも僕に教えているのと真っ向から対立するようなことを言っているからだ。
スキーは前にポジションを崩すと戻せません。だからコブのときは整地以上に、前方向にバランスを崩さないことに気をつけています。具体的にはコブの中では整地よりも体を起こしています。
それに対して角皆君はこう言う。
私はレッスンで「後ろへの転倒は禁止」、「転ぶときは前に」と言ってます。コブではポジションが後ろ側にいってしまい、コントロール不能になる方が多い傾向があります。ですから前に転ぶくらいのポジションを意識することで、ようやくセンターポジションになる感じですね。
さらに渡辺氏。
私の場合は、何かあったらより逃げ腰で滑ります。後ろの方が転ばないで逃げ切れるという意味でもあるのです。
さらに新雪のくだりでも次のように強調する。
スキーの後傾は全然構わないと思うんですよ。もちろん完全に動けない後傾はよくありませんが、後傾は転ばないので逃げようがあります。そのまま横にターンを引っ張ったり、止まったりと。けれども、前に行き過ぎると転ぶしかないです。新雪は前に行き過ぎると、絶対に前転しますしね。
「怖いときには前に行け」、という言葉は、僕はウソだと思います。なぜなら 絶対に失敗しますからね。
 僕自身は、勿論角皆君の弟子だから、「転ぶときは前に」の精神でコブに挑戦してきたが、そもそも日本のスキー界の権威の人が「後傾は全然構わない」という意見を持っているのにびっくり仰天した。
 そこで、さっそく角皆君にメールを送った。
「これって、どーなってんの?」
すると、すぐに返事が来た。
渡辺さんの後傾の話について
これは、一樹さんのお客さんのレベルが、わりあい高いことに起因しています。一樹さんにはしっかりした顧客がいて、みなさん1級以上のいわゆる上級者です。だから、コブをより安全に滑るために少し後傾の『逃げ腰』姿勢を教えているわけです。加えて、前に行きすぎると転ぶしかないというのも事実だと思います。
ただ、一般的にはコブだと後ろに行きすぎてしまうスキーヤーが多いので、わたしは前に転ぶくらいの気持ちを大事に指導しています。
モーグルの素晴らしい選手のほとんどが転ぶときは前なので、最高の滑りを求めて前に失敗するか、まあまあの滑りを求めて『逃げ腰』で滑るかというところでしょう。
わたしは後ろにいきすぎると、コブを叩きやすいようにも思います。これはとても体に悪いので、こちらの方が転ぶより危険かも。

(追って届いた次のメール)
ただ上半身だけ突っ込むような前傾姿勢だけは絶対に避けるべき、ということは言い添えておきたいです。
  前傾しようとして上半身を前に突っ込むと、吸収幅が狭くなり、かつ重心の上下動が少なくなり、スキーをうまく操作できません。だから姿勢としては一樹さんの云うように、上半身を起こして、全身の軸で前傾を意識する。じっさいはスキーのセンターに乗れるのが理想。
 この説明で、すごく良く分かった。つまりだね、僕もそうだけど、モーグル選手はコブを滑りたいわけだ。でも一般の基礎スキーヤーにとって、コブは必ずしもメインではないのだな。そういえば渡辺氏はこうも言っていたな。
コブに苦手意識がある人は、コブと整地が並列になっている斜面など、コブから逃げられるところを選ぶといいでしょうね。
 コブから逃げられるところを選ぶなんて、僕なんかは考えもしないものね。整地とコブが並んでいたら、ヤッホー!って感じでコブに飛び込んで行くに決まってる。つまり、この渡辺氏の意見は、基礎スキーはめちゃめちゃうまいけど、コブがちょっと苦手という人のことを考えて言っているわけだ。

 そういえば思い出したことがある。今よりもっとずっとコブを滑るのが下手だったとき、スキー雑誌だったかな、「2つ前くらいのコブを上から目線で眺めながら滑る」というのを読んで、ちょっと体を起こして滑って、うまくいったことがあった。しかし、うまくいかない時もあった。
 うまくいかない時は、スキー板に体が置いていかれて暴走してしまった。その場合は、確かに転びはしないが、怖いから極端な山回りで上の方に逃げようとする。結局、コブの裏側の傾斜に貼り付くように大きな「逆ハの字」を書いて止まるのだが、その屈辱感ったらない。結局、コブ初心者にとっては、後傾そのものが恐怖からくるのだが、「逆ハの字」は恐怖に負けた象徴のように僕には写った。
 まあ、渡辺氏の生徒さんたちには、もうこんなレベルの人はいないので、後傾と言ってしまっても大丈夫なのだろうな。

 この本は大きく4部構成になっている。
パート1 コブを攻略する
パート2 アルペンスキーを科学する
パート3 新雪を攻略する
パート4 マテリアルを科学する

 その中で、最も秀逸だったのが、僕の先生だからというわけでもないが、パート1の「コブを攻略する」である。この章の内容は、僕にとっては基本的に新しいものではない。キンドル(電子書籍)のエフスタイル・スピリットのシリーズには、もっと細かく詳しい内容のものが載っているからだ。けれども、それよりかなり短い記事ではあるが、実に簡潔にまとめられていて、写真も分かり易い。また上達に至る道も適切に示されていて、あらゆるレベルの人のためになる本に仕上がっている。

 ちなみに、インタビュー記事を読んで気になって仕方ないので、渡辺一樹さんのコブの本を数日後に買ってみた。「渡辺一樹が教える~いまどきのコブ&急斜面スキーテクニック」(山と渓谷社)である。


渡辺一樹の本

 コブのところをじっくり読んでみたが、基本姿勢が上体をやや起こしている他は、後傾のことは特に強調していないし、その他も不思議に思うことは何も書いていない。それどころか、しごくまともな本だ。
ただ、バンクターンのくだりで、あれっと思う言葉が目に飛び込んできた。
コブの外側を大きく回り込む滑り方なので、比較的スピードが遅い、ゆったりとした滑りになります
 渡辺氏のいうところのバンクターンとは、コブに挑戦したい僕たちが頭に描く、あのスピードコントロールの難しいターンとは定義そのものが異なっているのかな。普通、バンクターンに悩みながらこうした本を買った人が知りたいのは、どうやったら暴走しないでうまく滑れるかなのに・・・。

 同じバンクターンについて、「スキーの科学」の角皆君はこう語る。
大きく成長したコブが並ぶ斜面であれば、コブの外側に隣のコブの膨らみがある。この膨らみを、競輪のコーナーのような壁として使う滑り方が、バンクターンである。
バンクターンではターンの内側に傾いている壁を滑るため、非常に減速要素が少なくなる。なぜなら斜面自体が、横ずれしないようスキーを押さえてくれるからだ。
これこれ。これをどう滑るかが知りたいのだ。
大切なことは、ターン前半(谷回り)をできるだけ長くすること。このときに足を大きく伸ばすまでは雪面とのコンタクトが薄れるため、ターン前半の圧力は薄くなる。しかし足を伸ばし切れると雪面を押さえられて圧力を感じることができる。これがバンクターンで大切なポイントになる。
 さらに、角皆君の次の章では、「バンクターンでスピーディーに滑る」というタイトルで、「重心の高さを一定に保つ」ことと「抜重を理解すると上達が早くなる」ことを具体的に教え、痒いところに手が届くようなサジェスチョンがなされているのである。

 渡辺さんの本にDVDがついていたので観てみたら、めちゃめちゃカッコいい。この人は滑り方に華があって、いわゆる「見せるスキー」なんだね。一緒に観ていた妻や志保なんか、もう目がハートになっちゃっているよ。歳はそれなりに取っているけどイケメンだしね。
 そしてバンクターンも「ゆったりとした滑り」どころか、本人は結構攻撃的に滑っている。おお、基礎スキーの人も、このクラスになるとコブも上手なんだね。当たり前か。ただ「直線系の滑り」の映像は、やや後傾になっているために、結構コブを叩いている。
 ジャンプのようにコブの山を越えた後、ややカカト寄りに下のコブに着地するから、板のトップによるクッションが利かないので、衝撃をモロ受けている。なんちゃって、僕のような下手っぴいが言える義理ではないのだが・・・・。
 確かに、これでは前に転ぶ危険性はない。でも、この衝撃には、僕のようなおじさんは耐えられない。膝の故障とギックリ腰が先に待ち構えている。

 角皆君のパート1の他に、パート3の「新雪を攻略する」も、いろいろ目からうろこの記述が目立つし、パート4「マテリアルを科学する」では、スキー板の滑走面のクリーニングやワックスのかけ方など、なかなか懇切丁寧な本である。

 ただ、これから読むであろう人に、ひとつだけ注意を促しておきたいことがある。それは、パート2「アルペンスキーを科学する」で、北見工業大学教授の述べる「ベンディング」という単語は、普通に読んでいくと、ベンディング・ターンと意味を混同しやすいので要注意。
 僕自身がよく分からなかったので、早速角皆君に質問した。すると、彼からただちに次のような答えが返ってきた。
  スキーでふつうストレッチと言ったりベンディングと言ったりすると、伸身抜重のターンと屈伸のターンを意味しますね。しかし、このページで言っているのは、ストレッチは単に「脚部を伸ばすこと」、ベンディングは単に「脚を曲げること」です。つまり、速いスキーヤーは脚を曲げて滑る時間が少ないということを言っていて、抜重のことを言っているわけではないのです。
(それに対して、僕がベンディングの回数が少ない人が勝っているって書いてあるが、どういうこと?と質問したことに対する角皆君の答え)
たぶん、この人は重心の上下動の回数を言っているのだと思います。
ターンからターンでつなぐケースはポールの本数で良いけれど、バランスを崩したりターンのつなぎで斜滑降したりする時の重心の上下動も数えているのだと思います。
 この人は学者だから、選手の立場から滑りを科学するのとは基本的にスタンスが違う。いろいろためになる記述も多いのだが、たとえば最初の章で「ズレはスピードを減らす大きな要因」とタイトルを掲げて、「エネルギーを観点にして考える」などともったいぶって語っているのだが、ズレって、そもそもスピードコントロールするために行うものだろう。つまりズレ=ブレーキだろう。ということは、タイトルを言い換えると「ブレーキはスピードを減らす大きな要因」となる。なんだ。当たり前のことを言っている。
 第5番目の章のタイトル「内傾角が深いほど速い!?」は、タイトル自体が無意味。これはすでにカーヴィングスキーの常識。内傾角が深くなれば、エッジがしっかり噛んでズレ度はゼロになるし、スキー板がたわんで加速度が増す。今更「科学する」ほどのこともない。
 科学するといっても、どうやったらベンディングの数が少ないように滑れるのか?どうやったら内傾角を深くして滑れるのか?という実践的なことを、僕も含めて“科学的に知りたい”のだ。ブレーキかけないで滑る方が速いにきまっているけれど、それを支えるテクニックやフィジカルなパワーが伴わなかったら、飛ばされるか転倒するかしかないじゃないか。足さえ伸ばしていればワールドカップに勝てるのだったら、攻略本は要らない。
 まあ、僕はレーシングにはあまり興味がないので、どちらでもいいや。ああ、それにしても、こんな本を読んでいたら、もう明日にでもスキーに行きたい!そしてあの白銀の世界で思う存分戯れていたい!

 こんなことを思っていたら、あるメールがCafe MDRを通して僕に送られてきた。それは、キンドル本で「アルペンスキー・ターンテクニック」という本を書いている中井浩二さんという方からである。もう昨年の夏になるが「夏にスキーを想う」というタイトルで中井さんの本について「今日この頃」に書いたことがある。そのお礼を言ってきてくれたのだ。それがきっかけでメールによる文通が始まった。

 夏の間は、どっちみち無理だからあきらめがつくけれど、こう寒くなってきて、スキーをする日々の到来が近くなってくると、考えただけで、まるでじんましんが出る直前の体のように、全身がぞくぞく火照ってくるよ。今年は、まず27日から30日まで3泊で白馬五竜に行くのが滑り初め。もう指折り数えている。



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA