特報~ネイティブの指揮する「カルメン」
今この原稿を、1月7日土曜日の4時過ぎに書いている。場所は新国立劇場5階の僕のデスク。たった今、「カルメン」の指揮者イヴ・アベル氏の合唱音楽稽古が終わったばかり。
アベル氏は、すでに「蝶々夫人」「コジ・ファン・トゥッテ」「椿姫」「ファルスタッフ」と4度も新国立劇場に登場しているお馴染みさんであるが、これまでずっとイタリア語のオペラばっかりで、今回のようにフランス語は初めて。
しかし、カナダのトロント生まれの彼は、フランス語を母国語としている。だから、今日のマエストロ稽古はとても実りのあるものとなった。同時に彼は、僕が指導してきたフランス語の発音と表現に驚き、喜んでくれたので、僕にとっても、これまでやってきたことが、そう的外れなものでなかったことを確認することが出来た。
彼が直しながら、歌ったりしゃべったりする発音を、僕は耳をダンボのようにして聴いていた。曖昧母音や鼻母音の醸し出すなんともいえないニュアンス。あるいは、激しい表現をする時の、ドイツ語に勝るとも劣らない強い子音の立て方など、フランス語という言語の持つ多様性や堀の深さを味わいながら、僕は興奮する気持ちを抑えきれなかった。
「カルメン」という作品特有の、独特なテンポの揺らし方は、アベル氏の独壇場。これこそフランス的感性や、フランス語のニュアンスから来るものだ。僕たちも、見よう見まねでやってはきたが、やっぱりネイティブにはかなわないし、かなわなくて当然。反省しようと思ったって、反省のしようもない。むしろ、ネイティブを目の当たりにしながら仕事するのってなんて素晴らしい!と開き直って兜(かぶと)を脱ぐしかないんだ。
でも、楽しいねえ。こんな時こそ、むしろ合唱指揮者冥利に尽きる瞬間なのです。合唱指揮者という中間管理職はねえ、自分がどうやったってかなわない上司を得て、その上司に対して、全面的にリスペクトを捧げられる時こそが最もしあわせなのだ。
新春初スクープ。アベル氏の「カルメン」は名演になる予感がする。特に皆さん、合唱団の表現を聴いて欲しい!
僕の年末年始
白馬に行く
12月26日月曜日のオペラシティでの読響第九が仕事納めになって、27日火曜日から3泊で白馬にスキーに行った。昨年は、お袋が脳出血で倒れたばかりだったので、妻がそちらの方に車で行ってくれて、僕たちはあずさ号で白馬に向かったが、今年は妻が一緒なので、彼女の車で行く。ただし次女の杏奈は28日に仕事が入っているので、後から合流することになっている。
スキー・レッスンの話は、後に掲載しているので興味のある人は読んでね。僕たちがスキーをしている間、妻はよく孫娘の杏樹の面倒を見てくれて、3歳の杏樹は、ひとりでソリ遊びができるようになった。嬉々として雪と戯れる杏樹を見ていると、来年はスキー・デビュー出来るに違いないと確信した。
角皆君の奥さんである美穂さんが、
「来年、千春さんと杏樹ちゃんで一緒にレッスンしましょうよ。リフトの乗り方から教えてあげますから」
と言ってくれているので、妻もその気になっている。
杏樹のソリ遊び
虎太朗や歩君と滑る
28日水曜日は、角皆君の一日レッスンだったが、29日木曜日になると、姪の貴子夫婦と小学生になった虎太朗君、それに彼らの車に便乗した次女の杏奈が朝の9時に着いて、一緒に滑った。
虎太朗君は、中級以上のコースもスイスイ行く。ボーゲンなんだけどもの凄いスピード。緩やかなコブだったら、僕が結構攻撃的に滑っても、すぐそのあとを付いて来るんだ。ただ、非圧雪のテクニカル・コースだけは、恐れをなして逃げていったぜ。うふふ、なんだかんだいっても、まだお子ちゃまなのね。
貴子の夫である飯田市出身の歩(あゆむ)君は、普通に上手なスキーヤーで、テクニカル・コースで僕がコブの簡単な滑り方を教えてあげたら、たちまちマスターして、なんなく滑っている。グランプリ・コースのてっぺんにある新雪地帯に連れて行ったら、油断してiPhoneでビデオ撮りながら滑って、まんまとコケていたけれど、彼も、どこでも滑れそう。
普段の僕は、スキーというものは、孤独の中で自分と向かい合いながらやるものだと思っているけれど、気心の知れた仲間とやるスキーは、また別なもの。特にレベルが近いと、とっても楽しいね。
夜は、ペンション・カーサビアンカの素晴らしい夕食コースを食べた後、みんなで地下の居酒屋“おおの”に行って、大いに盛り上がった。他の泊まり客の子供達が、杏樹とよく遊んでくれて、とてもなごやかで楽しい夜を過ごした。
12月30日金曜日。みんなでお昼過ぎまで滑って、3時過ぎに貴子達と別れて白馬を出発。オリンピック道路を通って長野市方面に向かい、それから上信越道に乗って群馬の実家に向かった。
運転は妻。僕は助手席。後部座席には、杏樹のチャイルドシートがエリアの半分を独り占めしているものだから、長女の志保と次女の杏奈はギュウギュウ押し込まれて身動きがとれないほど。3歳のチビが一番偉そう。
横川のサービスエリアで一度休憩。姉の分も含めた「峠の釜飯」を買って再び車に乗り込む。
於菊さんのこと
群馬の実家に着いてみると、お袋がいないのでお正月に神棚を飾る御札がない。昨年お袋は、それらを全部用意してから脳出血に倒れ、それ以来この家には戻らずにずっと施設に入っているから、今ひとりでこの家を守っている姉は、その御札をどうやって入手するか知らないのだ。そこで於菊稲荷(おきくいなり)神社に電話をかけてみたら、直接いらっしゃれば3千円でお譲りしますよというので、行ってみた。
そしたら、神社の中がリニューアルしてきれいになっている。あしたは大晦日だけれど、杏樹を連れて来てみようと思い立った。沢山ある鳥居に工夫がしてあって、板で高低を作り、「胎内くぐり」ということで楽しそうだ。
この於菊稲荷神社の由来を調べてみたら、とても興味深いストーリーがあった。新町は古くから中山道の宿場町。ここには遊郭があり、旅人を一夜の歓楽に誘っていた。宝暦年間(1751~1763)、大黒屋に於菊という遊女がいた。類い希な美貌と気立ての良さで新町宿随一の売れっ子であった。
ところが於菊は、風邪をこじらせて重病に臥すこととなる。それと共にナンバーワンとしてちやほやされていた境遇は一変し、冷たい仕打ちを受け、世の無常を知る。ある夜半、元来信心深かった於菊の元に稲荷の霊が現れ、それを機に、彼女の病気は奇跡的に全快した。神の恵みに感謝した彼女は、それからの生涯を神明奉仕に捧げる決心をしたという。それ以来、この稲荷神社は於菊の名を取って於菊稲荷と呼ばれているのである。
遊女に名を由来するとは、なんと色っぽい神社だ。しかしこの話には何か胸を打つものがある。うーん、ミュージカルにしてみようかな。ただね、神に捧げる余生への決心をしたところでおしまい、というのでは、ちょっと弱いかなあ。
まあ、聖書では数行くらいしかなかったマグダラのマリアについての記述から、新たなストーリーをでっち上げ、3時間にも及ぶミュージカル「愛はてしなく」を作ってしまった僕としては、いかようにも創作出来るんだけどね。
でも「愛はてしなく」に似てきちゃう危険性があるね。「娼婦の館」から始まって、「あかつきの時」で終わるとかね。なんだ、それじゃあいっしょやん。
於菊さんって、きっと美人だったんだろうなあ。気立ても良かったというから、やさしかったんだろうなあ。おいおい、還暦過ぎたじーさんが何をほざいているんだ!
大晦日~元日
大晦日。その於菊稲荷神社に杏樹を連れて再び行ってきた。赤い沢山の鳥居をくぐって杏樹は楽しそう。それから、白馬で使ったソリを持って土手に行く。雪山の要領で土手の上からソリで草の間を滑り落ちる。杏樹は大喜びだが、枯れ草のカスやバカがずぼんや服にどんどんついて、うっとおしくて仕方ない。杏樹もタイツにバカが付いて、さすがに、
「痒い痒い!」
と言ってきて、ふたりですごすごと帰って来た。やっぱりソリは雪に限るなあ。
於菊稲荷の胎内くぐり
2017年の初日の出
玉村八幡宮
しばらく経ってから、みんなで玉村の八幡様に行こうかという話になった。この年末年始は、自分でも笑っちゃうくらい多宗派の間をハシゴしまくり。妻の母親は熱心なカトリック信者で、いつもは元日のミサに必ず行くのだけれど、今年は腰が痛いので家に居ることにしたという。そうかあ、教会だけ行ってないや。いいんか、カトリック信者として、そんなんで・・・。
玉村八幡宮
角皆君の一日レッスン
さて、いよいよ僕のスキー・シーズンが始まった。それと共に、
「この記事、一体誰が読むんだ?」
という、僕の一方的スキー・レポートも開始した。
2016年の暮れの押し迫った12月28日水曜日。白馬五竜スキー場での角皆優人(つのかいまさひと)君の1日レッスン。引く手あまたの角皆君を、親友のよしみで丸1日独占して個人レッスンを行う贅沢。今回は、僕と一緒に長女の志保も受講した。最初は午前中だけのつもりだったが、僕自身が初滑りなので、シーズン初めの基礎レッスンに終始したから、結局志保も1日付き合った。
角皆君は、レベルの違いや“求めるもの”が異なる複数の人達を同時にレッスン出来る不思議な能力を持っている。“基本は一緒だから可能”とはいえ、こうしたフレキシビリティは、本当に優秀な教師でないと不可能だ。あとで詳しく述べるが、それで二人とも、それぞれに1日でとても上達したのだ。
たかがボーゲンされどボーゲン
さて、午前中のほとんどはプルーク・ボーゲンでのレッスンであった。でもそれは、志保がいたからではない。僕ひとりのレッスンでも恐らく同じであったろう。
長野冬季オリンピックの男子モーグルで優勝したジョニー・モズリーのコーチであるクーパー・シェルは、新しい指導体系を考え出した時、
「最初にスタンスのトレーニングをおこない、それから選手達に3本もプルーク・ボーゲンを滑らせれば、基本的メカニズムをみんな理解するだろう」
と考え、全米最高のモーグル選手達を集めたキャンプを始めた。ところが、結果として選手達は、4日間のキャンプの間ずっとプルーク(・ボーゲン)のみを滑り続けることになったという。
たかがボーゲン、されどボーゲンである。ボーゲンだけのレッスンなんて、今さら面白くないと思うだろう。しかし、角皆君の一日レッスンが終わった時、志保の滑りが見違えるようになっていたのは、ボーゲンのレッスンによって重心移動を完全に理解したからだ。僕自身も、レッスンを受けた時点でまだコブは滑っていなかったが、どんなコブでも安定して滑れるイメージが、その間にいつしか出来上がっていたのを自覚した。
以前も書いたが、普通の人はボーゲンのことを、パラレルに至るまでの初心者用のフォームであって、一度パラレルを習得したらもう忘れてもいいくらいに思っているだろう。しかしながら、パラレルとは、実はパラレル(平行)スタンスのボーゲンなのであり、スキーはボーゲンに始まりボーゲンに終わるのである。そして、スキーが加重や抜重、あるいは重心移動のスポーツであるならば、ゆっくり落ち着いてそれらを確認するためには、ボーゲンで行うのが最適なのである。
というか、ボーゲンで確認すると、特に上級者になるほど、それらのことがいかにテキトーに行われていたかを思い知ることになるのだ。だからアメリカ中から集まった優秀な選手達が4日間もボーゲンを続けるような事態が起こるわけである。要するに、ボーゲンすら、完璧に出来る人はいないのである。声楽家が、自分の発声法をシビアに見つめた時、イタリア古典歌曲すら、完璧な発声で歌い切る人がいないように。
様々なドリル
たとえばこんなレッスンをする。ボーゲンで真下を向いて直滑降で滑り始め、それから完全に停まる練習をする。ボーゲンは後傾しながらすることも可能なので、初心者は恐怖感も手伝って、やや仰向けに反りながら滑ったりもする。小学生なんか、後傾の体勢で急斜面を猛スピードで滑ったりもするが、そのままでは、決してパラレルに発展することは出来ない。
ボーゲンで完全にスピードを制御するための理想的な体勢とは、足のスネでブーツのベロを押すくらい前傾した姿勢。つまり、スキー板の先の部分に圧がかかっていなければ、急斜面で意のままに停まることは難しい。
また、その体勢を作っただけで、人それぞれの癖が出る。僕の場合には、ハの字が左右シンメトリーではなかった。右足の方が微妙に加重が大きく、両スキーの角度に差が出てしまった。こういうのは自分では気がつかないので、人に指摘されて初めて分かる。こうした基本体勢の癖や過ちを矯正するのにボーゲンは最適。左右差は、パラレル・ターンでの左右差にそのまま反映されるから、あなどれない。
次のドリル。緩斜面で、ボーゲンの形をしたまま、ピョンピョンと後ろにジャンプする練習。これだけのことであるが、これは上記の前傾姿勢が完全に出来ていないと不可能なのだ。実際、僕はしばらく出来なかった。
でも、ある時、あっ、ここだな、と分かる位置があって、それを掴んだら難なく出来るようになった。そこがまさに、前過ぎでも後ろ過ぎでもない“スキーにおける理想的重心位置”なのである。この位置を基本にして、大回転の選手もモーグル選手も滑るのである。
次に、ターン中の外向傾を徹底させるためのドリル。切り替えが終わって、新しいターンの外足に乗ったら、逆側の内スキーの先端を持ち上げて、外スキーにクロスする。つまり外スキーだけの片足滑走。
この練習はパラレルでも出来るが、ボーゲンでは、内スキーの先端がそのまま上半身を向ける外向傾の角度を示しているので、要領をつかみやすい。
この徹底的な外足加重は、コブをはじめとする不整地を滑る人には必要不可欠。不整地を滑る時に両足に加重していると、雪面の状態がバラバラなのを受けて、両方の板があっちこっちにバラけてしまって必ずバランスを崩し、極端な場合は転倒に至る。
中井さんとの出遭い
午前中のレッスンが終了すると、志保は杏樹達とお昼を食べるためにスキー・センターのエスカル・プラザに戻り、僕と角皆夫妻は、とおみゲレンデの中腹にあるレストラン風舎(ふうしゃ)に向かった。ここで、僕たちはあるスキーヤーと出会って、一緒に食事をすることになっている。
その人は、キンドル本「アルペンスキー・ターンテクニック」の著者である中井浩二さんである。中井さんは、京都大学大学院工学研究科で修士を取ったインテリで、1996年SAJの1級を取得。現在は自動車関係の会社に勤め、自動車の運動力学をベースとしたアルペンスキーにおけるターンの仕組みを研究している。
僕は、ある時中井さんの「アルペンスキー・ターンテクニック」を読んで感動し、その感想文を「今日この頃」に掲載した。すると、それを著者である中井さんが読んで、わざわざ僕のホームページのメルアドにアクセスしてくれて、僕と中井さんとのメールによる文通が始まったというわけだ。
同時に僕は角皆君にも彼のキンドル本を薦めた。すると、角皆君もそれを読んで大いに賛同してくれて、3人の文通となり、ではそのうち会いましょうねと言っていたのだ。でも、僕は東京、中井さんは静岡県裾野市、角皆君は白馬に住んでいて、とうてい3人一緒に会えるなどとは思えなかった。
ところが、僕が年末に白馬に行くことをメールやホームページから知っていた中井さんが、自分が白馬に来れる日を決めて連絡してきたら、なんとその日は僕が角皆君から1日レッスンを受ける日だった。こうして僕たち3人は、ついに出遭うことが出来たというわけである。
前にも書いたが、中井さんの理論はこうだ。みんなスキーのフォームのことばかり言い、静止した形から入っていこうとするが、スキーの本質とは(以下中井さん本人の文章)、「雪面を移動するスキー板の運動の原理のことであり、それはつまり雪とスキーはどのように力をやり取りしてターン運動を行うのか」ということなのだ。別のところでは、こうも言っている。
「スキーヤーがスキーを介して雪に力を加えるのではなく、あくまで雪からの抵抗力のバランスを変えることで、体の方向や移動する方向を変える」
こうやって書いてみると、なんだか当たり前のようであるが、これは画期的なことなのである。
中井理論の成果!
さて、中井さんと風舎で出遭い、楽しい語らいをした。彼は、寡黙な人ではないが、気がついたら僕と角皆君ばかりがしゃべっていた。でも、そのくだらない話を楽しそうに(辛抱強く?)聞いていた。
午後のレッスンには、その中井さんも加わって、受講生は僕と志保と彼との3人になった。午前中と違ってパラレル中心のレッスンとなったが、ここで角皆君は中井さんの理論をレッスンに取り入れたので、実質的には中井理論実践レッスンとなった。
時々角皆君は、中井さんの方を振り向いて、
「こういう理解でいい?」
と尋ねるのがウケた。中井さんは、いきなり振られて、
「は、はい・・・」
と戸惑いながら答えていた。しかし僕にとっては、このレッスンは、自分のターンを一変する画期的なレッスンとなったのである。
角皆君の一日レッスン
だるま市のぬいぐるみ