下村博文君に会いました
2月10日金曜日。新国立劇場に下村博文議員から電話が入った。職員が対応した。僕と話がしたいと言うが、僕はドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」の合唱練習中。それで、練習終了後こちらから電話を入れた。
彼は、翌日の「蝶々夫人」公演を観に来るので、終演後僕に会いたいと言う。ああよかった、と思った。いつもだったら、昼公演の後なんて、だいたい志木第九の会とか、別の仕事場に出掛けて行くので、終演後会いたいと言われても対応出来ないのだ。11日土曜日終演後は、12日の朝から始まる愛知祝祭管弦楽団の「ワルキューレ」のために、その晩の内に名古屋に行けばいい。新幹線の時間も決めてないので、どうとでもなる。
「大歓迎だよ。やっと会えるね」
と言って電話を切った。
下村博文君は僕の高崎高校の同級生で同じクラスだった。クラスには大親友のプロスキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君もいた。文部科学大臣の時に、一度彼から新国立劇場を通してアクセスがあり、電話で話をした。ちょうど僕の著書「オペラ座のお仕事」が発刊されたばかりで、それを読んでくれた彼は、一度僕と角皆君との3人で、食事でもしながら顔をつきあわせて話をしたいと言ってきたのだ。
その時の彼は、文科大臣として教育改革に燃えていた。僕や角皆君のように特殊技能を持つ者を今の教育システムの枠組みに取り込むのは難しい。むしろ現代では、共通一次試験など、それに逆行し、みんなを平均的にするようなシステムの中にある。それをどうやったら変えていけるか、一緒に話し合おうという内容だった。
しかし、その後彼は、東京オリンピックをめぐるゴタゴタのとばっちりを受け、責任を取らされて、大臣を辞めることになってしまった。それに伴って、その会合も実現しないままに終わってしまった。
当日、劇場に行ってみると、職員達が緊張した面持ちで僕を出迎えた。
「下村先生をお迎えするにあたって、貴賓室をご用意しております。オペラ終演後三澤さんもお連れしますので、楽屋でお待ちになってください」
「し、下村せんせい・・・・」
新国立劇場は文化庁の下部団体だから、元文部科学省の大臣だった下村君は、ある意味雲の上の人なのか。おっと、これでは気軽に下村君なんて呼べる雰囲気ではないなあ。
しかし、「蝶々夫人」公演終了後、舞台袖から帰って来てみたら、勿論歳はそれなりにとっているが、高校の時そのままの下村君が楽屋エリアにいた。それから部屋を移して、貴賓室に僕と下村君、それに彼の美人の奥様と3人で入る。職員には外に出てもらって、僕たちだけになった。
あははは、何のことはない。まあ、さすがに下村!三澤!でもないが、少なくとも僕たちだけになった途端、下村君、三澤君の間柄に戻った。卒業してから40年以上一度も会っていないけれど、同級生というのはなんだね、どんなに社会的立場とか変わっても、こんな風に時空を越えてわかり合えるもんなんだね。
で、何を話たかって?そうねえ・・・大部分は、タメ同士のたわいない話。
「指揮というのは、大変な運動量だろう」
と言うから、
「そう思うだろう。でも、上半身だけだと残念ながらカロリー的にはそうでもないんだ。それなのに腹はへる。だから良くない。やはり下半身。足を使うのが一番なんだ。僕はね、毎朝1時間散歩をしてから一日を始めるんだ」
と言うと、彼も、
「僕もなるべく歩くようにしているんだ。国会のあたりもよく散歩しているよ」
と言う。
それから、角皆君との友情の話やスキーの話、勿論音楽の話などあらゆる話題を巡って、最後にやっぱり教育論に落ち着いた。
「下村君の教育にかける情熱に、あの時電話しながら感動していたんだけれど、文科大臣時代に実現しなくて残念だったね」
と言ったら、
「僕は、いろいろ本を書いているんだけれど、三澤君と角皆君と3人で対談して、それを本にするっていうのはどうだい?」
「なるほど・・・いいね!」
という感じに落ち着いた。
なんだかんだで1時間以上しゃべっていた。この貴賓室で二人の写真を撮ったが、バックになっているのは、藤島博文という著名な日本画家が描いた奉祝画「平成鳳凰天来之図」というもので、下村君が新国立劇場に寄贈したものだという。
下村君とは、これから再び本当の関係が始まるという予感がする。神様は、こうしてこの時期に僕たちを結びつけてくれた。僕は、ベツレヘムに行けと言われる羊飼いのように、神様が僕たちに何を期待しているんだろうとワクワクしながら、次の命令を待っている。
下村博文君と
神ってる「ワルキューレ」
その下村君との会合を終えて、新国立劇場を出た僕は名古屋に向かった。明日12日日曜日の愛知祝祭管弦楽団の「ワルキューレ」練習は第2幕なので、のぞみの中では、スコアをぼんやり見ながら、i-Podでカラヤン指揮ベルリンフィルの演奏を聴いた。ちょうど東京名古屋間で第2幕を聴き終わった。今、僕のi-Podの中には、カラヤン、ショルティ、ベームの「ワルキューレ」が入っている。個人的にはショルティが一番しっくりくる。
次の早朝。練習会場のある大府駅前のホテルから東海市方面に向かって散歩した。途中で森岡八幡という神社があったので、宗教オタクの僕は、散歩を中断してお参りした。
「はらいたまえ、きよめたまえ、神(かむ)ながら守りたまえ、幸(さきわ)えたまえ!」
という言葉を3回唱え、パンパンと手を打つ。
その瞬間、胸の中にスーッと温かいものが入ってくる。本当なんだってば!僕は、最近確信しているんだ。神社ってね、カトリック教会やお寺のようには像というものがないだろう。それだけダイレクトに大宇宙に満ち充てる創造主のような存在に魂が直結するような気がする。これを父なる神と言ってもいいし、エホバと言ってもアラーと言ってもいいのさ。
特にパンパンの拍手がいい。本当は教会でもやりたいところなんだけど、そんなことすると追い出されそうだから、やめとく。この温かいものが感じられる時は、その日やる事がうまくいく。だから今日の愛知祝祭管弦楽団の練習もきっとうまくいくだろう。
森岡八幡