素晴らしい「ルチア」になる予感

 

三澤洋史 

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素晴らしい「ルチア」になる予感
 新国立劇場では、ドニゼッティ作曲「ルチア」の立ち稽古が始まっている。指揮者の、若きジャンパオロ・ビザンティは、ミラノで生まれミラノで育った純粋なミラネーゼ。僕とはミラノの話でただちに打ち解けた。彼は、オペラのことを隅々まで良く知っており、とても優秀な指揮者だ。指揮のテクニックもあるので、どういう公演になるか、音楽的な青写真がすでに僕には見える。
 演出家のジャン=ルイ・グリンダは、読み替えもない保守的なアプローチだが、舞台はとてもきれい。海の見える風景。岩場が回り舞台を使って緑の丘に変わったり、効率的な使用。イタリア・オペラなんて、これでいいんだよね。何も変わったことをやる必要はないね。
 エンリーコ役のバリトンのアルトゥール・ルチンスキーが、立ち稽古で初めて歌った時の興奮を忘れない。豊かな声量。安定した支え。そして適切なフレージング。彼はただの立ち稽古の稽古場なのに本番さながらの全力投球で、アリアの最高音を見事に決めた。合唱団の連中など、みんなここが稽古場であることを忘れて、ブラボーの嵐。しばらく練習が中断。
 いいなあ。こういうのがあるから、オペラの稽古場って楽しい。昔、ジャコミーニが来て「道化師」をやった時も、Ventitre ore(23時)というところをいきなり高いシの音を使って、長く引き延ばしたが、その時もこんな感じだった。
 みんな気合いが入って、その後の、立ち稽古が素晴らしく進んだことは言うまでもない。これで、噂のディーヴァであるルチア役のオルガ・ペレチャッコさえ来れば、もう言うことない。

胸キュンな午後
 ずっと忙しくて、3歳3ヶ月になろうとする孫の杏樹と遊んであげる時間が全然持てなかった。毎朝8時半過ぎに保育園に出掛けていくと、僕は毎日午後から夜にかけて仕事だから、帰ってきても起きてる杏樹には会えない。
 だから、朝起きてから保育園に行くまでの1時間半くらいが、唯一接点のある時間。でも、朝はせわしないんだ。まだ寝ぼけまなこの杏樹に、お着替えをさせ、朝食を食べさせ、髪の毛を結んで、自転車に乗せるまでがいちいち大変。とても、のんびり遊ぶ暇なんてない。
 日曜日は、保育園が休みだが、僕は浜松バッハ研究会で合宿したり、愛知祝祭管弦楽団の練習にいったりで、朝からいない。本当に淋しかった。

 2月25日土曜日は、晩に志木第九の会の練習があるだけ。志保と杏樹は、午前中は保護者懇談会で出掛けていたが、午後は、志保がピアノの仕事をいっぱい抱えているので、練習したがっている。それなので、僕は午前中仕事をし、午後に杏樹と遊ぶことにした。
 お昼を食べてから、いつもの公園に連れて行った。杏樹は、ちょっと見ない間に、とても成長していた。僕が自転車に乗せて行こうとしたら、三輪車に乗って行きたいという。
「ええっ?遠いじゃない。無理だよ。途中で三輪車を放り出して、抱っこって言うに決まっているよ」
「大丈夫、杏樹お姉さんになったから」
「じゃあ、いいけど、抱っこはしないからね。疲れたらお手々つないで杏樹は歩くんだよ」
「うん、いいよ」
ところが、きちんと三輪車を漕いで公園まで着いた。
「ほらね、お姉さんになったでしょ」
「凄い!」
それから、滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶのだけれど、滑り台はうつぶせになって滑るし、ブランコは独りで乗って僕にビュンビュン揺らしてって言うし、つかの間の成長に目を丸くすることばかり。

 遊具ではないのだが、坂になっているコンクリートの柵みたいなところに、下から登っていって一番高い所から飛び降りることをやりたがった。最初は恐がっていたので、僕が手をつないであげる。コンクリートの幅は15センチくらい。平均台を進むように歩きながら登る。登りはじめは地面の高さだが、飛び降りる所は僕の肩くらい高い。そこから、僕が手で支えながら飛び降りさせる。
 これを何度も何度もやる。やっていく内に、つなぐ手が片手だけになり、登って行く歩みがだんだん駆け足のようになり、ジャンプもそのまま片手だけつないだ状態になっていく。危ないといえば危ない。
 しかし、僕も、コブ斜面を滑る時は、おんなじように本当に時間を忘れて何度も何度も飽きずに練習するから、杏樹の気持ちがよーく分かる。それに、危ないくらいの方が楽しい気持ちもよーく分かる。きっと他の大人だったら、
「まだやるの?もう危ないからやめようよ。他の安全な遊具の方に行こうよ」
と言うだろうが、僕は、とことんやった方がいいと思う。そしたら集中して果てしなくやっていたが、ある瞬間、
「ブランコに行こうっと」
と言って、向こうへ走り出した。
それを追いかけて行って、ブランコで追いついたが、その瞬間、杏樹は僕の顔をうるんだ瞳でじっと見て、
「杏樹・・・じーじのこと好き・・・」
と言った。じーーーん。僕は思わず涙が出そうになった。くーーーー、可愛くてたまらん!

 他のお姉ちゃん達がボールで遊んでいる。
「杏樹もボールでじーじと遊びたい」
「よし、じゃあ、おうちにボールあるから、帰って家の近くの空き地で一緒にボールで遊ぼう」
「うん」
「さあ、行こう」
「もう少しここで遊ぶ。それからボール」
「・・・・・」

 ロッククライミングの練習のようなところでまた果てしなく遊び始めた。
「右足をここに掛けて、体を引き上げながら、左足はこの出っ張りに乗せるんだよ。ほら、出来た!」
そうこうしている内に、だんだん志木第九の会に出掛けなければならない時間が近づいてくる。
「杏樹、そろそろおうちに帰ろうよ。ボールで遊ぶ時間がなくなってくるよ」
「やだ!もっと遊ぶ!それからボールで遊んで、一緒にお風呂に入ろうね」
「あ・・・あのね、じーじね、今日はもう少し経ったら、お仕事に行かなくちゃならないんだ。だからね、今帰らないと、もうボールで・・・・」
 その瞬間、杏樹の顔から血の気が引いたように見えた。言葉では言わなかったが、
「なんだって・・・?仕事・・・?」
って目をした。

 急に杏樹は、向こうに全速力で駆け出した。走りながら大声で、
「杏樹じーじとボールで遊ばない!杏樹ひとりでボールで遊ぶ!」
と叫んでる。げ、怒ってる。裏切られたって感じなんだろう。言ってること、めちゃくちゃだけれど。
「杏樹ひとりでボールで遊ぶ!」
と何度も言う。なだめても何してもきかない。一度だけ、
「分かった、じゃあひとりで遊んだら」
と、ちょっと意地悪に言ったら、
「やだ、やだあああ、じーじとボールで遊びたい!じーじと遊びたい!お仕事行かないで!」
「杏樹・・・」
 この瞬間、気がついたら、杏樹をぎゅっと抱きしめていた。僕は杏樹に恋しているんだ!と、世界の中心で叫びたかった。なんて可愛いんだ!もう、じーじダメ!志木第九の会の練習を仮病を使って休んじゃおうかな・・・いやいや、何を言ってるんだ!
「じーじも杏樹と遊んでいたい!」
「じーじ!」
「あんじゅううううう!」
と言っていてもらちがあかないので、仕方なく僕は志保を電話で呼んだ。志保はすぐに自転車で駆けつけてくれた。それから志保とふたりでなだめすかしながら家に帰り、ピアノの練習が終わった志保が、僕に代わって遊んでくれることになった。僕は、すきを見計らって、こっそりと家を出てマウンテンバイクに乗り、武蔵野線の始発駅である府中本町に向かった。

甘酸っぱい土曜日の午後の話。
 

またまたスキーの話
 2月22日水曜日。ガーラ湯沢スキー場。前回は2月1日水曜日だったから、まる3週間行ってなかったことになる。スキー・シーズンの間は、全ての休日はスキーに捧げられているとはいえ、新国立劇場の休日が週末になる時は地方に行くため、“スキーに行ける休日”というのは、ウィークデイに限られている。
 先ほども杏樹のところで言ったが、2月に入ってから忙しくて、どうやりくりしてもスキー行くどこではなかった。毎日自分が滑る姿を夢に見ていたが無理だった。22日もオフではないのだが、「ルチア」の立ち稽古が夜だけになった。それで、6時までに劇場に入るつもりで、早朝から出掛けた。帰りは慌ただしかったけどね。
 2月1日の時に、スノー・ボーダーとの衝突で痛めた肋骨は、最近になってやっと治ってきた。お医者さんが言った通り、こんなにかかるんだね。そのことを考えると、忙しくて行けなかったのはかえって良かったのかも知れない。

 さて、南エリアのブロンコなどのコブ斜面は、2月1日の時のようにコブの上に荒れ果てた新雪が積もっているという状態で、やっぱり今日も難しかった。先日衝突した後、さっぱり冴えない滑りだった事がトラウマのように心に残っていたので、滑り始める前は、いつもの自分らしくなく気が重かった。でも、滑り始めてみたら、先日よりずっとうまく滑れていることに気がついた。
 スキーってね、気持ちがアクティブにならないと、冴えない「駄目滑り」になって、それと共にどんどん気後れがして、負のスパイラルに陥ってしまう。あの時は、衝突で心が折れたこともあるけれど、本当は体が傷を庇っていたんだね。衝突直後はアドレナリンが出ているので、痛みにすら気がつかなかった。でも、ダメージは確実に負っていたのだ。それが、
「自分のメンタルが弱いんだ」
と、恐らく僕は自分を責めながら滑っていたのだと思う。自分で言うのもなんだけど、スキーに向かう自分は、とってもストイック。

使い分け~超能力スキーをめざせ!
 さて、大事なことに気がついた。外足加重は大事なのだが、このような荒れた新雪コブ斜面の場合、極端に外足加重で内足はゼロだと、様々な方向に筋がついた悪雪に翻弄され、内足がブラブラしてしまう。
 メインが外足なのは変わらないが、適当に内足にも体重をかけ、両方の板で雪を押さえ沈ませながら滑る方が安定する。中途半端なデコボコは、
「おりゃおりゃ!」
と蹴散らしていけばいい。蹴散らす勇気も必要。こういうのが、気弱な時には出来ないんだなあ。
 ほぼ完全な新雪のところも通るので、後傾ではないが、トップから突っ込み過ぎないようにすること、全体的に少し縦長のSを描きながら進む。これって、ちょっと怖いんだけど、下手に板を回し過ぎてしまうと、トップから入り過ぎるのと同様失速してしまうからね。新雪で一番気をつけなければならないのは失速なのだ。

 一方、新雪に隠れた硬いコブでは、真逆のスタンスを取らないといけない。ヘタに後傾っぽい体勢でいると、いきなりハジかれて、板に完全に置いておかれる。そこを見極めなければいけないんだけど、前もって見分けるのは難しいなあ。
 でも、気がついた。後からでもいいんだ。新雪かとおもって硬いコブに出会ったら、即座に「よいしょ!」と前に重心移動し前傾になって板のトップを落とせばいいのだ。逆にコブだと思って入ったけれど「あ、新雪だ」と思ったら、とりあえずトップが潜らないようにカカトに重心を持って行く。要するに「コブ・モード」でも「新雪モード」でも、どっちに軸足を置いてもいいのだけれど、状況に応じて素早く別のモードにスイッチ出来ればいいのだ。
 バイオリンの名手がハイポジションで高音を弾く時、わずかな位置のズレが音程を大きく作用する。勿論理想はドンピシャリでその音程の位置を指で押さえることだが、仮にズレたとしても、奏者はただちに指を動かして修正するのだ。それは、皮膚感覚のような超高速で行われるため、一般聴衆にはほとんど感知されない。それと同じような感覚で「コブ・モード」「新雪モード」の修正も行えばいいのだ。そう思ったら気が楽になった。
 まあ、僕の場合はまだ経験値が低いので、「見込み外れ」の確率が高いのだが、恐らくもっと精通してくると、着地する瞬間に修正すら必要ないほど「こっちだな」と分かるのだろう。もっと言うと、一種の超能力に近い状態で知覚することすら可能かも知れない。
 実際、僕は音楽の世界では、その感覚を知っている。たとえば、指揮をしていて(それは演奏会の本番に限る)、2小節後にオーボエ奏者が出トチるなと、何故か思う。すると、それが当たる。あるいは、次のアインザッツはズレるな、というのが前もって分かる。
 スキーでもこの境地になるくらい経験値を高めれば、僕の滑りは見違えるようになるだろうが、経験値というくらいだから、たまにスキー場に行くくらいでは話にならないなあ。ああ、少なくとも、一ヶ月くらい山にこもってスキー三昧の日々を送りたい!そうしたら超能力スキーが可能かなあ(笑)?

カーヴィング・ターン
 一方、整地はよく圧雪が行き届いていて、スピードを出すのが楽しくてしょうがない。それで、いろいろ試してみたんだけど、根本的な疑問が生まれた。それは、一体カーヴィング・ターンってなんなのか?ということ。
 つまりこういうことだ。たとえば僕のK2社のVelocityの場合、板に入っているカーブの弧は半径15メートルくら。つまりフル・カーヴィングで滑った場合、半径15メートルくらいの円形のカーブを描くわけだ。板をたわませればもっと半径は短くなるのだが、要するに、その軌道上を滑ることを強要されるわけ。しかも、カーブが円形なので、Cの字のように反対側に切れ上がってきてしまうのだ。
 走っている本人にとっては、スピードは最大限に出て(その軌道上に限って言えば直滑降よりも速い)楽しいし、切れ上がる感覚がまた楽しい。特にVelocityは、テールの切れ上がり感が良くてキュイーンと気持ちの良い浮遊感が得られる。でもね、切れ上がってしまっては、結局ゲレンデを下に降りる速さとしては最速ではないのだ。

 実際僕は、カーヴィング・ターンで、下山コースをスピード出しながらCの字に滑って喜んでいたら、ストレートに駆け下りていくスノー・ボーダーに軽く追い越された。ショックで、しかも癪だった。そこで即座にカーヴィング・ターンなんかやめて、従来通りの滑り方に変え、しかも直滑降に毛が生えたくらいの縦長のSを描きながら滑り降りて、そのボーダーを追い越してやった。
「へ、ざまー見ろ!」
ってね。こっちの方が全然速いじゃないか。
 じゃあ、大回転などレーシングではどうしてフル・カーヴィングで滑っているかというと、ただ下に滑り降りていくだけじゃないから。ポールがあるじゃない。あれを曲がるために、カーヴィング・ターンの円運動を部分的に利用しているというわけだ。つまり、何を言いたいのかというと、カーヴィング・ターンって、本当はレーシングとかの人以外には、あんまり役に立たないわけ。

 それなのに、基礎スキーのデモンストレーションなんかで、
「整地における理想の滑りはカーヴィングだぜ」
みたいに見せるものだから、初級者であろうが誰であろうが、みんながそれに追従するような状況って、ちょっとおかしい。
 特に、外足を突っ張りながら伸ばして、内足は畳みながら内傾角を作るレーシングの滑りを一般の人もやるように促すのはどうかと思う。何故なら、その滑りは、従来通りの外向傾、外足加重のテクニックがきちんと出来ないと決して到達出来ない高等技術だから。
 これをきちんと習得していない初心者が内足を畳んで滑ったりしてるから、ゲレンデに暴走スキーヤーが溢れていて、危なくて見てられない。大回転などの映像を見てごらんよ。彼等はフル・カーヴィング・ターンをやりながら、しっかり外向傾のくの字で滑っている。やはり外向傾は決して捨ててはいけないのだ。
 さすがにSAJ(全日本スキー連盟)のスキー教程でも、初級ボーゲンから内足を折って内傾を教えるような誤った時代は過ぎ去ったが、カーヴィングと内傾がまだ中途半端に結びついている。そんなことは即座にやめて、基本に戻って、整地も荒れ地も新雪もコブも同じように滑れるメソードを基礎スキーの基本に据えるべきだ。極端に言えば、カーヴィング・ターンなんか、一級の上のテクニカルくらいから審査基準に入れたっていいくらいだ。

カーヴィングとモダン楽器におけるバッハ演奏
 とは言いながら、僕自身はというと、あえてカーヴィング・ターンを捨てない。何故かというと、誤っているのは指導の仕方なのであって、上に書いたように外側加重及び外向傾の土台の上に滑れば、やはりカーヴィング・スキーそのものは、スキーの進歩の証であり、カーヴィング・ターンではないと得られないものが確かにあるからだ。
 楽しいというのもその要素の内のひとつだ。どうしていけない?レーシングの世界でカーヴィングの要素を“必要に応じて”取り入れているように、我々も必要に応じて取り入れればいいのだ。その使用する円周の一部に限って言えば、確実にスピードを得られという事実は否定できないのだから。

 このアプローチの仕方は、そっくりそのまま、モダン楽器を使用しながらの僕の“バロック音楽へのアプローチ”と一致する。オーケストラで使用する全ての楽器は、ロマン派期にロマン派的表現を濃厚にするために発展し完成したので、モダン楽器は、放っておくと自然にロマン的になってしまう傾向性を持つ。
 だから、モダン楽器でバッハを演奏する場合は、その性能を一度全部忘れ、弦楽器で言えば完全にバロック的な弓の運び方を習得し、全ての楽器奏者は、バロック的音符処理やフレーズ感を習得しなければならない。
 そうやって、ある意味オールマイティなモダン楽器の性能を、“バロック様式の枠に閉じ込める”という作業をするのであるが、それでもモダン楽器を使用するメリットはあるのだ。それは、バッハなどの偉大な作曲家には、その時代の楽器の制約を超える音楽的イメージがあるからだ。それを具体化するのは、時代の制約の中でしか動けないオリジナル楽器では絶対に出来ないのだ。
 つまり、モダン楽器では、“バッハ時代特有の美学”のみならず、“時代を超えたバッハ個別の美学”で演奏することが可能なわけだ。「マタイ受難曲」の群衆合唱をドラマチックに演奏することだって、「ロ短調ミサ曲」の「アニュス・デイ」で、深い情感をたたえることだって、モダン楽器の方が向いている。
 楽器に引っ張られている内は、どちらの楽器で演奏したって、最良の演奏は望めない。大切なのは、個々のあり方を決定する明晰なる判断力。時代様式と作曲家の個別性とのはざまで、最善の道を選び取っていけば、バロック音楽における表現の自由を最大限に獲得できると僕は信じている。

 どう?これって、カーヴィング・スキーを使いながら、外足加重と外向傾を基本においてコブや不整地を滑走し、整地では状況を見ながらカーヴィング・ターンの要素を取り入れていく今の僕の滑り方にそっくりでしょ。



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