バリトン歌手ルチンスキーを科学する

 

三澤洋史 

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バリトン歌手ルチンスキーを科学する
 新国立劇場の「ルチア」は、ゲネプロ(総練習)が終わって、3月14日火曜日の初日を待つだけになった。指揮者のジャンパオロ・ビザンティの棒は冴え、すでに述べたように、オルガ・ペレチャッコのルチアと、アルトゥール・ルチンスキーのエンリーコなどによって、稀有な仕上がりとなっている。楽屋でのオルガはお茶目でチャーミングな面を見せる。あんな超絶技巧を毎回披露するのだから、もっとナーバスになったりしても不思議はないのに、まあ・・・あのくらい平常心になれないと、喉ひとつで世界を股に掛けての活動なんて出来ないのかもな。

 さて、稀有なるバリトン、ルチンスキーの歌唱を、今日は科学してみようと思う。どうしてあのようにバリトンらしい重量感のある音色を持ちながら、高音に至るまで安定度をもって歌えるのか、未だに不思議な部分は残るのだが、そばでずっと聴いていると、いくつかのことが分かってきた。

 彼は、スキーでいえば、スラロームなどのレーシングの世界に生きるタイプだ。小細工は一切行わず、大きな道路を敷いて突っ走るタイプ。勿論、弱音が使えないわけではない。しかしながら、なんといってもその魅力は、彼の健康的なフォルテにある。

 言ってしまうと、とっても当たり前のことで、なあんだという感じなのだが、まず支えが信じられないほど強固なのだ。具体的に言うと横隔膜を下に引っ張って、下腹部の圧が最大限に高い。そして上半身は完全に脱力している。この二つは、これまで耳にタコができるほど聞かされていたことだ。でも、長野冬季オリンピックのモーグルで金メダルを取ったジョニー・モズレーだって、コーチのクーパー・シェルに、最後の最後まで、
「外足加重を忘れるなよ」
などという超初歩的なことを言われている。王道は、やることは当たり前なのだけれど、問題はそれがどのレベルでどのくらい徹底して出来るかなのだ。

 そして、その強固な支えの土台の上に立って、並外れているのは声帯の引っ張りだ。また、ちょっと抽象的になるけれど、声帯をかなり厚く使っている。たとえば、その対極にあるのが、今回のエドガルド役のイスマエル・ジョルディだ。彼は、中音域から高音域まで最強音から最弱音に至るまで自由自在で、ドニゼッティよりはバッハなんかの方が適しているのではないかというテクニシャンだが、そのために声帯をとても薄く使っているので、ドニゼッティに初期ヴェルディの方向性を期待する聴衆には、物足りなく感じる人もいるかも知れない。
 ルチンスキーは、そのままで後期ヴェルディのイヤーゴまで歌えるハードな声だ。通常だと、あんなに声帯を厚く使えば、声量は出るがしんどくなってくる。しかしながら彼の場合、必要な筋肉以外が信じられないくらい脱力しているのだ。ここが注目!声帯の近くの筋肉だけが集中して働いている。そして、その筋肉がもの凄く鍛えられ発達しているのだ。
 ヴァイオリンで言えば、結構弓に圧力をかけて弾いているが、ギリギリのところで、弦が一番良く鳴る弓の圧力と走るスピードのポイントを押さえている。押しと引きのバランスだ。

 アリアの終わりのハイG音が、あれだけ長く伸ばせて、しかも少しのブレも感じられないのは、先ほどの横隔膜の状態の良さと合わせて、いわゆるブレスの安定があげられる。つまり、息を吐き始めた瞬間から完全になくなるまで、よどみなく流れるように訓練されているからだ。そして、その最後の瞬間まで横隔膜は下がったままで、圧が全く変化しないのだろう。

 ルチンスキーの中にベルカント唱法の理想の形が見られる。現代最高峰のテクニック。これを味わいたければ、新国立劇場の「ルチア」に来るべし。

 

シューベルトのピアノ・ソナタ21番を聴いて「くーーー、いい!」
 小関芳宏さんという耳鼻咽喉科の医師がいる。もともとは、僕が東響コーラスの指導に足繁く通っていた時代に団員として知り合ったのだが、大変な音楽愛好家で、バイロイトで働いていた時にも、わざわざ観に来たほどだ。マルタ・アルゲリッチと個人的に知り合いだったりもする。
 小関さんが院長をしている神宮前耳鼻科クリニックは、歌手達の間でも有名で、新国立劇場に登場する外国人歌手達も、来日中に喉の調子が悪いと、小関さんのところに行くのだ。

 その小関さんが、僕の「今日この頃」を読んでいて、僕が「シューベルトのピアノ・ソナタはちょっと苦手」みたいに書いていたので、僕にシューベルトのピアノ・ソナタを開眼させたい一心で、クラウディオ・アラウが弾くソナタ第21番変ロ長調のCDを送ってきてくれた。なんと奇特な方であろう!
 角皆君でもそうだけれど、なんでみんな僕にシューベルトを薦めるの?しかも、そういうのってシューベルトだけだよね。シューベルトが好きな人って、とっても個人的に、
「くーーー、いい!」
て思っているのだけれど、そうでもない人は、僕みたいに構造がないだの平面的だのって言いながら軽く見てしまうから、いたたまれないんだろうね。まあ、仕方ないので(ごめんね小関さん)、i-Podに入れて、次の項で書く3月10日のガーラ湯沢への行き帰りの電車の中で聴いてみた。

 ところが・・・ところが、である!僕は、これにハマッてしまったのだ!気がついたら2回通して聴いていた。驚き!これまでにも、このソナタは聴いていたんだよ。だって角皆君が聴け聴けっていうんだもの。でも、今までの僕には、どういうわけか心に入ってこなかったんだね。それが、今の心境にバチッとフィットして、さっきも言ったように、
「くーーー、いい!!!」
ってなってしまった。アラウの弾き方も音が美しく繊細でニュアンスに富んでいる。

 このソナタは、ひとことで言うと「しみじみ」という感じ。しかも清らかで透明で哀しい。第1楽章の冒頭の主題から「しみじみ」だね。第2楽章は、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の第3楽章を想起させるメロディーが出てきて、どこまでも内省的。でも第3楽章になると、シューベルトらしい天真爛漫な透明感があり、第4楽章も快活ながらいいようのない美しさに満ちている。
 構造的に弱いと言えばそうなのだが、今回は気にならなかったなあ。まあ、うんと悪口っぽく言えば、ピアノで語られた歌曲集のような面もないわけではないけれど、もともとソナタ形式などというものは、大雑把な形式だからね。ブルックナーの交響曲などもそうでけど、第2主題、第3主題と、いくらでも並列的に引き延ばせるもの。このソナタも、第1楽章などは、アラウが前半リピートしていることにもよるけれど、20分以上かかっている。

 さて、僕は思った。どんなに若くして亡くなっても、その人なりに晩年というものはあるのだと。だってシューベルトって31歳で亡くなったんだよ。自分のことを思い出してみたら、31歳なんて、まだまだ駆け出しのペーペーだよ。そのペーペーの年代に、こんな深い内容の音楽が書けるっていうのが不思議だ。やはり彼も天才だね。
 また、こうも思った。シューベルトのピアノ・ソナタって、ベートーヴェンの晩年のソナタを模範にしているのかも知れないけれど、ベートーヴェンと違うのは、恐らくベートーヴェンとは比べものにならないほど「いいひと」だったのだろうな、と。それだけに、とっても傷つきやすかったのだろうな、と。
 だから、こんな風に聴く人を「くーーー、いい!」という風にのめり込ませ、なんとしてでも人に薦めたがるようにさせるのだろうな。それに、シューベルトの音楽って、聴く人をもっと「いいひと」にさせる力を持っているんだね。僕も、聴いた後、ちょっとだけ「いいひと」になったよ。

だからさあ、みんなも聴いて「いいひと」になってごらん!

イルカのように優雅に??
 3月に入って、あたりがだんだん春めいてくると、もう今シーズンのスキーも先が見えてきて、今から淋しい。昔は、陽ざしの明るい春が来るのが楽しみだったんだけど・・・。来週3月20日月曜日の「ルチア」昼公演終了後、僕は白馬に行き、親友の角皆優人君からまたレッスンを受けながら21日22日と滑るが、その後は、恐らく31日にガーラ湯沢に行けば、今シーズンは終わる。あんなに夏の間、首を長くして待ちわびていた僕のスキー・シーズンがもうおしまいなんだ。
 勿論、4月に入っても行こうと思えば行けないことはない。今シーズンは年が明けてからかなり降雪があったから、ゲレンデにはいつまでも雪が残っているだろう。でもね、そういうことじゃないんだ。僕自身が心を鬼にしてキリをつけないといけないんだ。
 通常は、休日に、普段出来ないまとまった練習や、後になって役に立つ“仕込み的”な仕事をするのだが、冬の間は休日を全部スキーに取られているだろう。もう見切りをつけないといけないんだ。こんなことをやっていてはいけないんだ。こんなこと・・・・ううう!

 さて、3月10日金曜日。ガーラ湯沢。東京では日が延びて、出てくる早朝から春の香りがあたりに漂っていたけれど、トンネルを抜けると、湯沢の空はどんよりとした雲に覆われ、雪が吹雪のように勢いよく舞っていた。川端康成の「雪国」ではないけれど、やはりトンネルは関東と越後の国とを厳しく隔てている。ここはやはり別世界。
 雪は昨夜から降っていたのであろう。ゲレンデでは早朝の圧雪が出来なくて、整地でも新雪状態で放置されていた。そうなると圧雪したゲレンデとは全く違うコンディションとなる。しかも沢山のスキーヤーとスノーボーダーによってたちまち荒らされ、午後には普通のゲレンデでも沢山のコブが出来てきた。

 こんな状態のゲレンデでは、カーヴィング・ターンしか出来ない人はお手上げ状態だろう。僕も勿論フル・カーヴィングでビュンビュン滑ろうという気持ちはない。滑れば滑れないことはないが、両方の板を開いて滑ると、右足と左足が双方のデコボコを受けて、バタバタするので嫌だし、第一スマートではない。
 デモ・ビデオなどでは、格好良さそうに撮っているので、以前はこれをカッコ良いと思わなければいけないのかなあ、と思っていたが、今はもう開き直っている。こんなのカッコ良くない!それに、これが出来るためには、すごく上手でないといけないのだ。それはやはり従来の外向傾&外足加重の技術がベーシックにないといけない。それで、その技術がベーシックにあれば、逆にそのまんま滑ればいいじゃない、と今では思っている。いや、みんなもそう思わないといけない。そうじゃないと“失われた10年間”はまだ終わっていないことになる。
 こんな不整地では、従来の滑り方の方が絶対的に安定しているから、逆にスピードも不安なく出せる。外足にしっかり乗って内足を揃えて滑ると、吹きだまりになった中途半端な雪はバンバン蹴散らしていけるし、コブだと思ったら吸収動作をすればいい。
 小さいコブなら、あえて吸収動作をしないで、ジャンプしちゃうのも楽しい。ジャンプをするとね、いつも言っているけれど、バロック音楽のタイでつないだ音楽の処理が体感できるんだ。テールから飛び出すが、飛んでいる間にスキー板のトップを落として、トップから接雪すれば衝撃も少ない。いるかになった気分でドルフィン・ターンだ。
「ぼーくーの、フリッパー~~、おさかなーとー、波間で-、かくれんぼ~~」
あ・・・あのう・・・誰も知らないですかあ?いるかと少年の物語。僕が子どもの頃流行ったんだけど・・・・。「みんなの歌」でもやってたし・・・まあ、いいです。忘れて下さい。

 今日も三山共通リフトを持っていたので、中央エリアの中級斜面のジジでフリッパーしながらウォーミングアップし、それから北エリアに渡って、スーパー・スワンのコブ斜面を冷やかし半分に滑った後、すぐに連絡路を通って石打丸山スキー場に行った。
 ここでは、広大なゲレンデに完全な新雪の箇所が沢山ある。それに滑走区域と滑走禁止区域の境がユルいので、いろんなところに乗り上げては、つるんとした処女雪に自分の一番乗りのシュプールを刻んだ。まさに、オ・ト・コの征服欲を掻き立てるって感じ・・・なんかヤらしくね?その言い方・・・いい爺さんが何を言ってる?
 ただ、途中で、いつもより足が疲れるのを感じた。考えてみると、石打丸山スキー場は、頂上がガーラ湯沢の一番下と同じ標高なので、雪質は決して良いとはいえない。だから新雪も雪が重い。重いとどうなるかというと、操作する足が疲れる。それから比べるとニセコの新雪はフワフワッと軽かったなあ・・・なんて言ってみても仕方ない。

 午後はガーラ湯沢に戻って、南エリアと北エリアのコブ斜面スーパー・スワンで練習。普通のコブは、結構ターンがスムーズにつながって、スピードを出し過ぎなければ下までノンストップで楽々降りられるようになった。最初からのマイ・バンプスではないけれど、何回も行く内に、どんどん自分流に変形していったからやり易い。
 だが、北エリアのスーパー・スワンの反対側に、しっかり作られたモーグルバーンがあることに気がついていた。うーん・・・厳しそう・・・と避けていたけれど、そろそろ上がろうかなあと思った頃に、一回くらい入ってみるかと思って、恐る恐る近づいていった。
 しかし、そばにいくと、くぼんだところと盛り上がったところの高低差がハンパでない。うーん・・・やめよっか、と思ったけれど、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、飛び込んだ。

 それでも、最初のいくつかのコブは頑張って出来たんだよ。バンクターンで、くぼみのところで足を伸ばし、盛り上がったところでは体をかがめて吸収動作をする。だけど、こんなに高低差があるとね、要するに、ずっと“ウサギ跳び”をするような運動量なんだ。伸びきったと思うと次の瞬間には膝があごにくっつくくらい体を曲げる。
 だんだんくたびれてきたよう。しかしウサギ跳びを少しでも怠ると、盛り上がったところで飛ばされ、くぼんだところにガクンと落とされる。いやはや・・・やはり年寄りにはモーグルはきついですなあ。これ終わりまでノンストップでなんて、とても行けない。途中で一休み。
 うーん、くそう・・・・飛ばされても必死でコブを越えたところでトップを落とす。こうすると最悪でも溝で腰を痛めることはない。これってね、要するにさっき通常のゲレンデで楽しくやっていたドルフィン・ターンじゃん。テール・ジャンプし、空中でエイヤッと重心移動し、トップから着地。さっきは楽しかったけどさ、「ぼーくーのフリッパー」なんて歌ってるどころじゃない。めっちゃキツい!ウサギ跳び&ドルフィン・ジャンプ&ウサギ跳び&ドルフィン・ジャンプ、はあはあはあ!

 滑り終わって、いつものようにガーラの湯に入る。サウナ&水風呂&サウナ&水風呂。頭と体を洗って、最後に湯船にのんびり浸かりながら足を揉む・・・今日は特別に膝が疲れている。必死コイてドルフィン・ジャンプしたお陰で、腰はなんとか大丈夫。

 しっかし・・・自分で思う。なんで、この歳になってわざわざモーグルバーンなんか滑っているんだろうね。60歳過ぎてウサギ飛びなんてしなくていいだろうが・・・・。
僕ってアホか?



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