「オテッロ」プロダクション・レポート

 

三澤洋史 

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「オテッロ」プロダクション・レポート
 「ルチア」が終わって、気が抜ける暇もなく、そのまま「オテッロ」の立ち稽古が始まった。こちらも「ルチア」に負けないほど充実したキャスティング。オテッロ役のカルロ・ヴェントレも登場からバシッとキメてくれるし、デズデーモナ役のセレーナ・ファルノッキアの清楚な表現が、いわれなき嫌疑をかけられていく無実なデズデーモナの悲劇性を煽り、同情と共感を得る。

 しかし、今回のプロダクションの白眉は、なんといってもイアーゴ役のウラディーミル・ストヤノフだ。彼の演じるイアーゴは、一見悪人には見えない。しかし、彼の眼の表現力が凄い。そのとぼけ方やけしかけ方、それが全て彼の眼から行われている。これこそ、まさにプロの表現者の技。
 イアーゴはスカルピアではない。絵に描いたような悪者ではなく、悪を隠し持ち、分からないように人を操作する蛇のように狡猾な人間。オテッロの心に、愛妻デズデーモナとカッシオとがデキてるという根も葉もない嫌疑をデッチ上げ、そのストーリーを周到に創作していく演出者。世の中に、有名なアリア「クレード」を強い声で歌い切って、悪のパワーを見せつける歌手は多いけれど、こうした心理描写を的確に行える歌手は希少価値だ。

 指揮者はパオロ・カリニャーニ。相変わらず、ジムに通ったり水泳をしたりしている。
「お前は泳いでいる?」
と訊くから、
「冬のシーズンの間は、むしろ空いている日は全てスキーに行っている」
と答え、
「パオロはスキーしないの?」
と訊いたら、彼はこう話し出した。
「スキーは大好きだった。でも俺はもう二度とスキーはしない」
「なんで?」
「2007年のことだ。滑っている最中に高い所からうつぶせに落ちた。その時、両手を前に突き出してひどい骨折をしてしまった。こんな時は反対に、両腕は内側に折り曲げて守らないといけないと教わっていたのに、理屈は何の役にも立たないんだね。
恐怖から来る無意識の行動で、腕から肩にかけての骨折。肩を何度も手術した。一所懸命リハビリしたけれど、結局約1年間、全く指揮をすることが出来なかった。その時は、俺はもう二度と指揮なんて出来ないのではないかと絶望したんだ。
その時に決心した。俺はもう人生において決してスキーだけはしない、とね」
 そうなんだ。辛い過去があったんだね。どうせ彼のことだから、普通のところで滑っているなんてまだるっこしくて、危ないところばっかり求めっていったんだろう。きっと、素晴らしく上手だったんだろう。残念、一緒に滑りたかったなあ。
 相変わらず指揮の技術はしっかりしているし、音楽の方向性はクリアーで、何の問題もない。ここのところ、劇場にやってくる指揮者も充実している。

「ルチア」のプロダクションは、素晴らしい出来に仕上がったけれど、それは作品のせいではなく、ひたすら演奏者達のレベルが高かった故。でも「オテッロ」のような不滅の大傑作では、作品の持つ充実した内容に、演奏者達がどこまで切り込んでいくかという興味がある。やっぱり凄い作品だ!

シーズン最後のスキー~雪山に感謝
 3月31日金曜日。新国立劇場は休日。ガーラ湯沢に行く。今シーズン最後のスキー。白馬のアルプス平よりは雪質は落ちるけれど、まあ春スキーだからね。こんなもんだろう。もう南エリアは閉じているので、コブ斜面は北エリアのスーパー・スワンのみ。

 コブを滑る前に、ウォーミングアップとして中央エリアのジジを2度ほど滑ったが、先日の角皆優人(つのかい まさひと)君のドリルを復習してみた。角皆君のドリルは、いつも親の小言か冷や酒か?後で効いてくるんだな。直接コブとは関係ないように見える片足滑走であったが、あのドリルのお陰で、切り替え後ただちにしっかり新しい外足に乗れるようになった。

 要するにこういうことなんだ。ストック突いて切り替えた時、新しい外足はまだ小指側に角付けしているのだ。それから板を雪面にフラットにしてニュートラルの状態を作ってから親指側に角付けしていく。山回りをこうしたプロセスを経て作ることによって、ターンの前半後半の弧のバランスを良くするわけだ。考えてみると、とても高級なレッスンであった。
 僕は、これは整地の大回りでは、弧を美しくするのにとても役に立つけれど、コブではどうなのかなあと思っていた。しかし、コブ斜面のスーパー・スワンで滑ってみたら、大いに役立っている。凄い!角皆君は予言者か?

バンク・ターンが結構安定して滑れるようになってきた。とはいえ、油断してスピード・コントロールをきちんとしないと、深く細かいバンクでは体が置いていかれてコブにハジかれてしまう。転ぶまでいかなくても、つまりコブの外に出てしまう。こんな所を高速で駆け抜けるモーグル・スキーヤー達の運動量はいかばかりか!
 吸収動作をしてコブを越えた直後に、必死に膝を引くと、スキー板の先端からコブの窪みに入る。これがブレーキの役割をすることを体感した。なあるほど・・・と思った。つまり、僕には全く縁遠いと思っていたニューラインと呼ばれる滑り方の片鱗を垣間見た気がしたのだ。
 ニューラインとは、現代において男子モーグルの世界で常識となっている直線的な滑り方だ。スキー板のトップからコブの窪みに突っ込むことで、板がしなってブレーキがかかるわけだが、これのみをブレーキ要素に用い、あとはズラしてブレーキをかけることなど全くなく、あくまでカーヴィングで攻撃的に直線的に滑っていくのである。
 当然、超高速になるし、板のしなりでブレーキがかかるといっても、膝や腰にかかる衝撃にはハンパでないものがあるため、僕のような年寄りには全く関係ない滑りだと今でも思っているが、しかし板の先端からコブに入ることで減速できるということを体感できたのは良かった。逆に、それをやらないと、ジャンプしてしまって、ドッシーンと着地してしまうので、膝や腰を痛めてしまうからね。

 さて、シーズン最後の日は、瞬く間に過ぎて行った。最後に下山コースを一気に駆け抜けて、一番下に降り立った時、淋しさよりも感謝の気持ちが胸一杯に込み上げてきて、雪山にお礼を言わずには済まない気になった。
 そこで、今滑り降りてきた下山コースの下部に向かって手を合わせ、
「ありがとうございます!」
とお礼を言いながら深くおじぎをした。
 その時、一人のスノー・ボーダーがたまたま滑り降りてきて、僕のことを変な顔で見た。言っとくけど、あんたにお辞儀したんじゃないよ。


ガーラ湯沢下山コース

 さて、心を入れ替えて、これから夏に向かってのスケジュールを乗り切っていこう!ざっと心に浮かんだだけでも、5月4日に、東京バロック・スコラーズ「メサイア」演奏会、5月14日に、志木第九の会のハイドン作曲オラトリオ「四季」演奏会、5月20日に、日本モーツァルト協会、モーツァルト作曲「後宮からの誘拐」演奏会、6月11日に、愛知祝祭管弦楽団によるワーグナー作曲楽劇「ワルキューレ」演奏会、7月前半は、新国立劇場高校生のための鑑賞教室、プッチーニ作曲「蝶々夫人」6回公演の指揮、そして7月30日の「おにころ」公演と・・・ふうっ!なんともはや・・・だからホントはスキーなんかしている場合ではなかったのだ。
 それらを、新国立劇場「オテッロ」や「フィガロの結婚」の合唱指揮者という通常業務や、文化庁のスクール・コンサートと共にこなさなければならないし、なんといっても、それらの演奏会のためにソリスト達のコレペティ稽古をしてあげなくてはならない。要するに、コレペティ稽古を出来るほどにピアノが弾けていなくてはならないのだが、その練習をいつやるんだよう!・・・と一体誰に逆ギレすればいいのか・・・いやいや・・・いつもだと休日に集中的にやるんだが、休日は全てスキーに行っていたからね。すべて自業自得です・・・はい・・・申し訳ありませんでした・・・トホホ!

予感の神秘と出遭いの神秘
 人は、心で「これは出来る!」と思ったことは必ず出来るようになる。これは、僕にとって確信とかいうより、経験された事実である。あるいは、これこそが宇宙の真実であるといってもいい。

 数年前、上村愛子のモーグルの滑りを見た時、思わず、
「あれをやりたい!」
と思ったが、本当は違うんだ。むしろ、
「自分は、あれが出来るようになる!」
と予感したというのが真相だ。
 その時すでに、重力と遠心力の狭間で、えも言われぬ浮遊感の中に酔い痴れている自分を僕はイメージ出来ていたのだと思う。それどころか、自分はこれを出来るようにならなければいけない、という義務感のようなものを感じていたのだ。

 思い返してみると、僕の人生の中では、すでにこれと同じようなことが起きている。自分の著書「オペラ座のお仕事」でも述べているが、僕が正式にピアノを習ったのは、高校一年の夏休みからである。でも、その時すでに、
「自分は両手を使って自由にピアノが弾けるようになる」
という予感を持っていた。しかも、譜面を見ながら手や鍵盤を見ないで、腕を開いて弾いているという、かなり具体的なイメージを伴って。

 そんなことを考えていたら、ある大事なことに気がついた。予感を持つ体験は、僕の場合結構多いけれど、始める前から、スキーやピアノのような具体的な確信ともいえる予感を持つような体験は、長い人生を見渡しても、この二度だけであること。恐らく、大きな転換期であることに限られているらしい。
 そして、その時には、必ず自分にとって大切なある人物がそばにいたのである。それは、親友の角皆優人君その人である。
 彼は、おそらく僕にとっては、一種の“触媒”のような役目を果たしてくれているに違いない。勿論彼とは、ずっと親友であり続けているが、よく考えてみると、ここまで近い存在になった時というのは、僕が音楽の道に方向転換した高校の時と今しかない。その間には、何年も会わなかったことはザラにあったからね。
 僕がスキーにこんなにのめり込んでいくこと自体が、もしかしたら、すでに僕の人生において計画されていたことかも知れない。そんな時に、新しい人と出遭うのではなく、すでに僕の人生において登場しているコマとして彼が再び使われているというのは何故か?
 それは、きっとこういうことを神様が言いたいからではないか。すなわち、我々はみんな、そばにいる人と“本当に出遭っているかどうか分からない”ということなんだ。出遭いはいつも神秘なのだ。彼がスノー・バレエというフリースタイルの競技に出るための音楽を僕が作曲していた時だって、僕はスキーに全く興味を持たなかったし、スキーする彼に将来習うなどということは、考えもしなかったからね。

 3月31日にガーラ湯沢に行って、コブ斜面をガシガシ滑った次の日の4月1日は、東京バロック・スコラーズの練習日。今回はバッハではなくヘンデルだが、僕の感覚はとても研ぎ澄まされていて、音楽の運動性が、まるで目に見えるように感じられる。それと、自分の指揮の運動ラインも細かく感じられ、それを吟味し矯正している自分がいる。笑ってしまうのは、曲調により僕の両足はウエイト・シフトを行っている。
 明らかなのは、特にバロック音楽において、スキーは僕の音楽の眼を開いてくれる。その物理性において、同時に、その物理性の真っ只中にある精神性において。それ故、今後の僕の創作活動とスキーとは決して切り離せないのだ。

新しい出遭い
 さて、出遭いといえば、角皆君を通して、僕はこれまで、何人かの重要な人達と出遭った。その中には先日亡くなってしまった教育者の平光雄さんもいる。平さんとは、実際に長い時間語り合ったとかいう体験はないのであるが(お互いそれを望んではいたけれど、残念ながら果たせなかった)、僕は彼の著書を読んで、大いに影響を受けた。

 今回の白馬行きでは、高崎高校後輩の画家である山下康一君との出遭いがある。
彼は水墨画を描いている。しかしそれは、我々が想像している幽玄な水墨画とはまるで違っている。もっと力強く、強烈に何かを訴えかけてくる絵だ。角皆君は、実物を絶対見なくてはいけないと言う。残念ながらまだ見ていない。でも、写真だけでも予想は出来る。
 山下君とは、一緒にお昼を食べただけなのだけれど、そのわずかの時間の中で、僕は彼の魂がかなり宗教的というか霊的であることが分かった。しかも、僕の宗教的アプローチととても似ている。そして、それが彼の絵の中に表現されていることが理解できた。声楽を習っていたという彼の奥さんは、東京カテドラルの聖マリア大聖堂という空間が大好きで、東京に行くと必ず立ち寄るそうだ。そんな風に、会ってみたらいろいろ共通点があった。

 角皆君は、僕たち三人で対談をし、それを本にすることを考えていて、当初、音楽、絵画、文学あるいは芸術全般的な話題で語り合おうと言っていたが、僕たちの会話を聞いていて、やや考えが変わって、それに宗教的な話題を加えようということになった。
 それで、8月の前半に僕が白馬に行くことになった。知り合いの別荘があるので、そこに長期滞在することが出来るよ、と角皆君が提案してくれたら、妻が乗り気になった。実は僕も、ずっと依頼を受けていたまま伸ばし伸ばしになっているミサ曲の作曲を、そろそろ本腰入れて行わないと本当に出来上がらないぞ、と自分に危機感を持っているので、作曲のための一式を持って山にこもろうかと考えている。
 まだ分からないけれど、夏の白馬も素敵だ。山下君達と対談し、空いている時間をトレッキングし、杏樹が来ていたら一緒に遊び・・・・ふふふ・・・夏も楽しみになってきた!

先週の事件
 先週の話になるが、3月22日水曜日の午後。妻と一緒に滑った後、僕は、
「あと一回だけ上から滑ってくるね」
と言ってゲレンデ下で彼女と別れ、ゴンドラのテレキャビンに乗り、アルプス平ゲレンデに登った。
 3時には滑り終わって集合し、4時には遅くても白馬を出発して、今晩中に東京に戻ろうねとみんなで約束していたが、その割には、妻と一緒に滑った時間が長かったので、急がないと予定集合時刻を過ぎてしまう。
 僕は、グランプリ・コースから、急斜面のチャンピオン・ダイナミック・コースをすっ飛ばした。雪は結構荒れていて、コブとも言えないような細かいデコボコが無数に出来ていた。それらを蹴散らし、時々ドルフィン・ターンで軽いジャンプしながら、僕は波間を走るイルカになった。

 人の多いとおみゲレンデを周到に滑り降りて、スキー・センターであるエスカル・プラザに戻ってきてみると、なにやら妻の様子が変だ。志保のiPhoneを借りて電話を掛けている。どうやら自分のiPhoneをなくしたらしい。さてはゲレンデで何度か転んだのでその時か。
 それで僕の頭にとっさに浮かんだのは、自分のiPhoneで「友達を探す」というアプリを起動すること。普段、自分からはあまり使わないのだが、最近妻が、名古屋とかの地方から帰ってくる僕が今どの辺にいるか勝手に調べて、夕飯を暖めたりするのに使っているアプリ。僕にとっては、悪いことが出来ない居心地の悪いアプリだが、こんな時は役に立つものだ。

 ええと・・・あった、あった!でも妻のiPhoneがあるのはゲレンデではない。むしろスキー場下。エスカル・プラザ近辺・・・ううん・・・もっと向こう。みんなが最初に必ず乗るスカイフォー・リフトの乗り場あたりにあるぞ。
 これ、どのくらいの精度なのかな?もしかしたら、先ほど画家の山下康一君達と一緒に食事したあたりかもしれない。それでフードコートのようになっているレストラン・ハルに探しに行ったのだが、ない。それで店に残っている店員に訊いたが、やっぱり届いてないという。
「届いた落とし物は全て真ん中のインフォメーション・カウンターに届けられます」
妻は、最初そこに尋ねにいったそうだが、念のためもう一度妻と二人で行った。
「やっぱり届いてないですか」
「ええ、まだですねえ」

 僕は少しこの近くで待つことにした。何故なら、なんとなく予感があった。ここで待っている方が良いような気がしたのだ。僕のこうした予感は、結構当たるのであるが、家族はそんな僕の言葉なんか信じていない。
 見ると、インフォメーション・カウンターのちょうど向かい側に、ヨゴリーノという、とってもおいしいヨーグルト・アイスの店がある。
みんな白馬に来てから食べたのだが、そういえば僕だけ食べていなかった。まあ、ここでジタバタしたって始まらないから、
「ちょっとヨゴリーノ食べたくなった」
と言ったら、携帯をなくした張本人である妻は、あきれ軽蔑したような表情で僕を見た。
「ハア?こんな時に、なに呑気にそんなもの食べるのよ!」
と目が語っていた。
それから彼女は僕を置き去りにして、何も言わずに志保達のところに戻っていった。

 ヨゴリーノのお姉さんが僕にヨゴリーノを渡そうとするその時、僕の携帯が鳴った。急いで出ると杏奈だった。彼女は僕に訊く。
「ねえ、パパ、今何してんの?」
何してんの、と訊くから僕は正直答えた。
「今?ヨゴリーノ買ってるとこ」
「ハア?ヨゴリーノ?あのね、杏奈、ゲレンデでママの携帯探しているんだよ?」
超非難めいた口調。
「え?あ、そうなんだ・・・」
見るとカウンターではお姉さんが僕にヨゴリーノを渡せなくて困っている。
「ちょ・・・ちょっと待ってね、今受け取るところ・・・」
おっとっと、慌てたので操作を間違えて、杏奈の電話を切ってしまった。まあ、いいや。ヨゴリーノを受け取ったらすぐに杏奈に電話をかけ直そうっと・・・その時だ。向かい側のインフォメーションのお姉さんが、
「あのう・・・すみません!」
と僕を呼ぶ。僕の右手にはヨゴリーノ。左手にはiPhone。
「はい!」
「もしかして、これでしょうか?」
お姉さんは、携帯電話を手に掲げている。僕は向かい側のカウンターに走る。ヨゴリーノが垂れそう。見ると間違いなく妻のiPhone。待ち受け画面にはかつての愛犬タンタンの写真。
「ああ、そうです。これです」
「スカイフォーの登り口の事務所に誰かが届けてくれたそうです。それが今、ここに届けられました」
あ、そういうことだったのか。だからスカイフォーのところにあったのか。おお!やるなあ、「友達を探す」アプリ。結構正確じゃないか。
「あのう・・これをお渡しするための何かの証明を・・・」
とお姉さんが言ったその時、そのiPhoneが鳴った。見ると表に「志保」の文字。
「あ、これ娘からです。いいですか?出て?」
「どうぞ」
「あ、志保?パパだよ。今、インフォメーション・カウンターに届いたのを受け取るところ」
志保は、どこかに落ちているであろう妻の電話に直接掛けて、誰でも良いから出てくれた人に届けてくれるように頼むつもりだったのだが、僕が出てきてびっくりしている。一方、そのやり取りを聞いていたカウンターのお姉さんは、それが何よりの証明になって、
「いいですよ。そのまま持っていって下さい」
「ありがとう!」

 さあ、こうなったら一刻も早く妻の所に届けなければ・・・見ると、僕の左手には僕のと妻のと二つの携帯。右手に持ったヨゴリーノは、もう溶けかかって、ポタポタ下に垂れ始めている。
 僕は走った。右手のヨゴリーノをこれ以上落ちないように舐めながら。62歳のおじさんのする格好ではない。するとキッズ・コーナーから、志保の声が聞こえてきた。どうやら杏奈としゃべっている。
「ママの携帯、あったって!」
それを聞いて僕は安心した。とにかく、杏奈にも妻の携帯が見つかったことが知らされたわけだ。

 ところが、これら覆い被さるように起きた一連のことは、いちいち杏奈の激しい怒りを買っていた。わずか2分くらいの間にバタバタと起こって、僕としたらこれ以外に方法がなかったのであるが・・・。
 杏奈の言い分はこう。
「ママが、パパと別れて帰って来るなり、携帯をなくしたというので、杏奈はゲレンデに出て、たったひとりで探し始めたんだ。とおみゲレンデの上の方から、パパが滑り降りて来るのが見えたので、大きな声でパパを呼んだんだけれど、パパは気がつかないで通り過ぎて行った。
でも、杏奈は信じていたんだ。パパのことだから、必ず一緒に探しに来てくれるって・・・。
でもさあ、電話したら、ゲレンデに来るどころか、お気楽に今からヨゴリーノ食べるって言うじゃない。めっちゃ失望した。しかも、まだ話しているのに切ってしまって、その後すぐかけ直してくれるかと思ったらそれもなし。
それで仕方ないからお姉ちゃん(志保)に電話したら、
『ママの携帯あったよ!』
っていとも簡単に言われた。その間ずっとひとりで探していたのに・・・。
結局あたしはなんだったのよ!冗談じゃないわよ!」

 気の毒な杏奈には大事な情報が知らされていなかった。つまり、僕が「友達を探す」アプリを起動して、妻のiPhoneがすでにゲレンデにはなかったのを知っていたこと。でも、僕だって、杏奈が妻の携帯を探しにゲレンデに出ていたことは知らされていなかった。そこに杏奈から電話で、
「何している?」
て訊かれたから、正直にヨゴリーノって答えたのが間が悪かったよな。

 その後、一所懸命丁寧に説明したから、最後には杏奈は分かってくれたけれど、いやあ、ゲレンデから降りてきた直後の杏奈の顔は怖かったなあ!



Cafe MDR HOME


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