日本モーツァルト協会「後宮からの誘拐」

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

日本モーツァルト協会「後宮からの誘拐」
 5月20日午後1時。東京文化会館小ホールで、日本モーツァルト協会第589回例会として、モーツァルト作曲「後宮からの誘拐」K384演奏会形式の上演が行われた。

 この演奏会は、もともとは僕個人のところにモーツァルト協会から依頼が来て、これこれの総予算で、上演内容は全て任せるから、自分で任意にキャスト及びスタッフを集めてプロデュースしてくれというものであった。
 でも、いろいろ考えている内に、僕自身がばらばらにソリスト達に声を掛けて、スケジュール管理をし、稽古場を取るのも大変だし、もっと統一の取れた人選は出来ないだろうかと考えた末に、それならばいっそのこと新国立劇場というものを全面に打ち出して、ソリストも合唱も劇場から出そうかと思い至った。
 それをモーツァルト協会の理事達に話したところ、協会もかねてから新国立劇場との道筋を作りたかったので、それは大歓迎ですと言ってくれた。僕は早速劇場の事務局に話を伝え、出演者を決め、劇場内の稽古場も予約し、その他一切のマネージメントを劇場にお願いすることが出来てほっとした。

 僕は、著書の「オペラ座のお仕事」(早川書房)を出版し、さらに、昨年のJASRAC音楽文化賞を受賞してから、最近では、以前よりもずっと“新国立劇場合唱団の三澤”というレッテルで見られることが多くなった。それに、新国立劇場合唱団も、劇場の中だけでなく、折りあらば外に出て行って、いろんな人達の目に触れる機会を作るべきだと思っている。
 その趣旨からいっても、今回の小編成プロデュース公演は願ったり叶ったりであった。元来持っている新国立劇場合唱団のアンサンブル能力を充分に発揮しながら、合唱団員といえども、ソリストとしての個人的クォリティの高さをアピールすることも出来ると思ったからだ。
 それに加えて、新国立劇場合唱団のメンバー達の演技力も見せたいと思った。東京文化会館小ホールにおける演奏会形式といえども、ドイツ語オペラSingspielだから、最低限の演技はさせたい。衣装や舞台セットなどの予算はもとよりないけれど、彼等と一緒ならば、きっと楽しいものに仕上がるに違いない。


後宮からの誘拐ソリスト達

 そこで僕は台本を書いた。権威ある日本モーツァルト協会の例会だから歌われる歌詞は原語のドイツ語だとしても、物語がきちんと聴衆に伝わるように日本語で、かなり噛み砕いた表現を使いながら、台本を書き進めていった。

配役は以下の通り。
スペインの青年貴族ベルモンテ:寺田宗永(てらだ むねなが)テノール
その恋人コンスタンツェ:肥沼諒子(こいぬま りょうこ)ソプラノ
ベルモンテの召使いペドリッロ:岩本識(いわもと しき)テノール
コンスタンツェの小間使いブロンデ:岩本麻里(いわもと まり)ソプラノ
トルコの太守セリム:秋本健(あきもと けん)バリトンだが歌はなく台詞だけの役
セリムの後宮の番人オスミン:金子宏(かねこ ひろし)バス

指揮とおはなし:三澤洋史(みさわ ひろふみ)
ピアノ:三澤志保(みさわ しほ)
 合唱団は、ソプラノ3人、アルト3人、テノール2人、バス2人の10人。特に、女性陣には後宮に住む女官達としてセリムにはべらせた。男性陣には、海賊や後宮の衛兵など、重要な役どころを演じてもらった。
 合唱団員にとっては、同じ団員がソリストをやっている現場ではあるが、彼等はとても楽しそうに仲良く、しかもソリスト達を激励したりして公演をもり立ててくれた。人間的にもよいひとを人選したというのもあるけれど、それにしても彼等には本当に感謝している。

 それで、自画自賛のようになるが、ソリスト達のプロ根性には、恐れ入った。今だから言うけれど、数日前までまだあっちこっち覚えてなくて、
「暗譜間に合うかなあ?」
とか、
「セリフ、覚えらんねえ!」
とか言っていたので、ちょっとは心配していた。

 かくいう僕自身も人のことは言えなかった。最後の週に入った月曜日なんかは、前日の志木第九の会のハイドン作曲「四季」から意識が抜け出せなくて、頭がボーッとしていて、みんなに以前言っていた指示を自分で忘れたり、言ってることトンチンカンだったりしていたからね。

 それがどうだい!本番になったら、みんな持てる力を最大限に発揮して、声はポンポン飛ぶわ、セリフは間違えないで完璧に語りながら、ドラマの流れを素晴らしくつないでくれるわ、表情もいきいきしているわで、びっくりした。
 この作品の配役はとても変わっている。超高音のハイ・ソプラノが2人、ハイ・テノールが2人。通常のオペラで大活躍するはずのメゾ・ソプラノやバリトンがいなくて、いきなり極端から極端に下のD音まで出るバスがいる。
 新国立劇場でなくても、これらのキャストを探すのはとても大変だが、超絶技巧の肥沼諒子さんをはじめ、まるでサーカスかと思うほどの配役を、新国立劇場合唱団員の中から探せたのである!
 公演の中でソリスト達の4重唱やフィナーレの5重唱、それに合唱団の場面が、同じ音色で統一出来るのは、新国立劇場合唱団ならではのもの。外部からひとりひとり配役を集めてきたら、決してこんな密なアンサンブルは望めない。そのことが、作品に対する演奏の統一感を創り出す。こんな風に仕上がるのは、決して当たり前ではないのだよ。

 セリフだけの役の秋本健さんのセリムは、もともとの僕の台本がニングルマーチを意識して作られていることもあって、彼にぴったり。原作にはないコミカルなキャラクターではあるが、セリムという役を強調してみたかったのだ。

セリム はっはっは・・・・はははははは!
勘違いすんな。よーく聞け!
確かにわしは、お前の父親が憎い。憎くて憎くてたまらん。しかし、あんまり憎いので、わしはあいつと同じような卑劣な真似をすることはやめた!それだと、あいつと同じレベルだからな。
むしろ、わしは、あいつとは違って、寛容でいいひとになることによって、あいつに復讐したいと決心した。
さあ、コンスタンツェを手に入れよ!そして、どこでも好きな所に行くがよい!わしの目の届かない所にな。
いいか、お前は、父親よりいいひとになれ!人間らしく生きよ!そのことによってお前は、わしの復讐を自ら完了してくれ。
オスミン ご主人様、そんな慈悲などナンセンスです。それに、あいつは俺のブロンデも連れて行こうとしているんですぜ。
セリム まあまあ、落ち着け!親切によっても手に入れられないものは、追い払うに限るんだ。ブロンデもあきらめることだな。
オスミン そ、そんなあ・・・・。
(コンスタンツェ、前に進み出て)
コンスタンツェ 太守様!やっぱり、あなたは優しくていいひとです。あなたのことは大好きです。ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。
(コンスタンツェはセリムの前に跪く。セリム、思わずコンスタンツェの手を取る)
セリム くーっ!可愛い!たまらん!しかし・・・早く、わしの目の届かないところに行け!二度と姿を見せるな!

 この終幕のセリムの人徳によって、「後宮からの誘拐」というドラマに味わいが生まれるのだ。僕は、第1部も第2部も、幕切れにセリムひとりを舞台上に残した。常に聴衆の笑いを誘うセリムであるが、最後にちょっとだけセリムの孤独を表現してみたかったのである。

 「後宮からの誘拐」の原題はDie Entführung aus dem Serailだが、この作品のタイトルは、今日においても「後宮からの逃走」、「後宮からの奪還」など様々だ。何故かというと、後宮に捕らえられているコンスタンツェ達3人を、ベルモンテが救い出しに来る物語なので、後宮から誘拐と言ってしまうと、反対に感じられるからだ。
 ところがドイツ語のEntführungは、どうみても「誘拐」や「乗っ取り」という意味で、欧米の各言語への訳もThe Abduction from the Halem(英語)、Il Ratto dal serraglio(イタリア語)、L‘Enlévement au sérail(フランス語)と全部「誘拐」の意味だ。
 特に英語のAbductionには笑ってしまう。アブダクションというと、宇宙人に連れ去られてUFOの中に入れられ、人体実験させられたり、体に通信機の役目をする金属片を埋め込まれたりされるようなことを連想するので、どう見ても「後宮からのアブダクション」は違うだろうと思うんだが、モーツァルト協会では、原題を尊重して「誘拐」という言葉を使っている。僕だったらどうするだろうか?逃げ去るわけではなくて堂々と帰るわけだから「後宮からの帰還」とかにするのではないかな。

この公演に関わった新国立劇場合唱団のみんな、本当にありがとう!君たちは、僕の宝だ!
こういう小ホール用の演奏会を、新国立劇場はアピールして今後売り出していこうよ!


後宮からの誘拐全員集合


祈りの音楽
 5月21日日曜日。久し振りに東京カテドラル関口教会に行き、8時のミサを指揮する。この日は浜松バッハ研究会の練習が午後からあるが、11時03分東京駅発のひかりに乗ればいいので、ミサの後、事務局に行って、今日までで事務局を辞めるOさんに会って話をし、彼に教会維持費を渡した。彼に渡すのはこれで最後かと思うと悲しくなった。

 Oさんは、もともと僕と同じ立川教会に所属しているので、昔からよく知っている。普段あまり教会に行かなかった僕ではあったが、クリスマス・イヴの時だけ立川教会聖歌隊の指揮を任せられてミニ・コンサートを毎年やっていた。その責任者がOさんだったのだ。
 ところが、僕が関口教会聖歌隊指揮者に就任するちょっと前に、山本量太郎神父に呼ばれ、ここの事務局を任せられることになった。それなので、僕が、超アウエイな感じで初めてこの教会に来た時から、いろいろ実質的にも精神的にも助けてくれた。とても心強かった。でもいろいろあって急に辞めることになってしまったのだ。残念!でも本当にお世話になりました。

 それから僕は、別の信者さんと、Oさんが辞めた後の聖歌隊と事務局との引き継ぎの話など、細々とした打ち合わせをした。そして次のミサが始まる10時頃に教会を後にし、浜松に向かった。

 この聖マリア大聖堂に足を踏み入れる時の、肌に感じる空気の温度がフッと下がる感覚がなつかしい。そして聖堂内の、コンクリート打ちっ放しの一見無機質で(矛盾するようだが)あたたかい空間。聖週間と復活祭の頃にはずっと通い詰めていたのだが、5月に入ってからは毎週名古屋に行ったり演奏会をしたりで、全然来れなかった。
 ああ、やっと来られた!この場所こそ自分の家!ミサを指揮していながら僕は、ここを魂の根拠地として音楽活動をしていられる今の自分の状況をこの上なくしあわせに感じていた。ここに来るようになってから、祈りが自分の生活の中にないことは考えられなくなったし、至高なるものをあこがれる心が一瞬たりとも自分の生活から失せたことがない。

 思い返してみると、僕は、子どもの時から心のどこかで崇高なものを求めている自分を意識していた。のちにそこの信徒となる郷里のカトリック新町教会には、小学生の頃から強いあこがれのような気持ちを抱いていた。毎日学校に行く途中に通るのだが、庭に飾ってあったルルドの聖母のレプリカの白さに、きよらかなもの、けがれなき原型をすでに見ていたように思う。
 でも、同級生達の中に同じような気持ちを持っていた奴はひとりもいなかった。あたりの友達の周囲には、ただのろくでもない日常が果てしなくころがっているだけで、けだかさを求めることなど皆無。世界はいきあたりばったりの混沌に満ちた猥雑なもの。そんな中で生きている内に、僕の密かなあこがれも吸い込まれていってしまった。

 中学校になって音楽に惹かれたのは、その中に忘れ去っていた高きものへのあこがれの感情を再発見したからかも知れない。吹奏楽でトランペットを吹き、高校で合唱の世界にハマり、それから音楽大学に進んで・・・・気が遠くなるような時が過ぎ、今の自分は、このカテドラルで聖歌隊の指揮をしている。

 何気ない時にふと思うことがある。
「ああ、自分って、音楽家になったんだなあ・・・」
しかも、今の僕は、音楽と祈りが出会う瞬間を強く追い求めている。だから「メサイア」を指揮し、ハイドンのオラトリオを指揮し、浜松では6月の演奏会のために、モーツァルトのレクィエムのオケ合わせをする、などという生活をしているのだ。
 祈りの音楽を奏でている時、僕の魂は限りない満足と安堵感を得ている。音楽の真っ只中に至高なるものがあるから。でも、僕はもっともっとこの音楽化された祈りを純化しなければならないと感じている。特にミサの中で典礼音楽を奏でることにもっと精通していきたい。そしてある境地に辿り着きたい。

 きっと僕は、この歳になってからこの教会に来る運命であったに違いない。もう特に指揮者として地位も名誉もいらないのだが、自分らしい音楽を奏でる環境は欲しいし、そしてなにより、祈りの音楽を極めたい。命尽きるまで・・・・。



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