沸き立ちうねる「ワルキューレ」

三澤洋史 

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沸き立ちうねる「ワルキューレ」
 5月27日土曜日と28日日曜日。10時から大府市役所内のホールで愛知祝祭管弦楽団の2日続きの練習。昨日午後に大阪から帰ってきたばかりだというのに、早朝6時に国立の家を出て、名古屋に向かう。最近は東京駅ではなく新横浜から乗る方が時間がかからないことが分かって、南武線から東横線、横浜線と乗り継いでいく。
 その電車の中、i-Podでカラヤンの「ワルキューレ」第1幕を聴く。冒頭はとても速い。速すぎる。また、ジークリンデのグンドゥラ・ヤノヴィッツは、清楚で叙情的過ぎて、ジークリンデの中に潜む熱い情熱を表現できていない。ベルリン・フィルは、上手なのは分かるが、コンサート・オケでワーグナーに慣れていないため、何の思い入れもない。カラヤンもきれいに流れるだけ。カラヤンの悪いところが全部出た演奏。要するに、この演奏には愛がない。無性に腹が立って聴くのをやめた。

 午前10時。オケの練習が始まった。ヴォータン役の青山貴君とブリュンヒルデ役の基村昌代さんで第3幕3場。僕は、練習をつけながら、後の章でまた触れるが、村上春樹氏のインタビュー本の中の言葉を思い出していた。

僕が「古代的スペース」ということでいつも思い浮かべるのは。洞窟の奥でストーリーテリングをしている語り部です。(中略)
すごく話が面白い人で、みんなその話に引き込まれて、悲しくなったり、わくわくしたり、むらむらしたり、おかしくて声を上げて笑ってしまったりして、ひもじさとか恐怖とか寒さとかをつい忘れてしまいます。

僕に前世があるのかどうか知らないけれど、たぶん大昔は「村上、おまえちょっと話してみろよ」って言われて、「じゃ、話します」みたいな(笑)。
きっと話していてウケて、「続きどうなるんだよ」「続き明日話します」といった感じでやってたんじゃないかなというイメージが、僕の中にあるんです。
 きっとワーグナーも全く同じことを考えて「ニーベルングの指環」(リング)というものを創り出したのだと思う。彼の楽劇はみんなそうだけれど、特にリングでは、北方神話の世界を丁寧に語り尽くすことが目的だったのだと思う。それが、練習をつけながらしみじみと感じられたのだ。だから、美しい音楽を奏でることではなく、描く音楽が目的なのだと気付いたのだ。さっき、どうしてカラヤンの演奏にあんなに腹が立ったのか、その理由もよく分かった。
 言われたセリフに対する受け手の新しい感情の動き。それがリアクションを生み、また言葉となって相手に投げかけられる。そしてまた新しい感情が生まれて発展していく。どうにもならない対立。行き場のない怒り。苦悩。絶望。しかしながら、そこから染み出してくるような愛情。別離のつらさ。
 それらはワーグナーによって痒いところに手が届くように音楽化され描かれている。それを的確に演奏するためには、テンポも揺らさないといけないし、強弱もきちんとつけて管弦楽のバランスに気をつけて、細かいニュアンスに至るまで表現し尽くさなければならない。それが優れた語り部の使命である。

 オケのメンバーは盛り上がってきている。先日の練習とは大違いだ。もうみんな本番に向かってラスト・スパートが始まっている。大きな情感がうねるところでは大波のように沸き立ってきている。うねるオーケストラ。ワーグナーはこれがないとね。青山君と基村さんは2人とも圧倒的な声量を持ち、ヴォータンとブリュンヒルデの双方の愛情と苦悩をあますことなく表現している。
 こういう場面はいい。これだけでも聴衆を納得させることは出来るかも知れない。でも、「ワルキューレ」演奏会そのものが語り部となるべきならば、静かな場面や地味な場面も、もっともっと的確に画き切らないといけない。それがあって、初めてクライマックスが生きてくるのだ。
 聴衆が期待している場面に焦点を当てるのではなく、むしろ僕たちの演奏によって、聴衆が「ワルキューレ」の新しい楽しみ方に目覚めていけるよう、もっと丁寧に作り込まないといけない。

 ストーリーテリングとしての精度をあげること。これが、本番までに僕たちが成すべきことだ。そうすれば、この演奏会の大成功は間違いなしだ。だって、すでにみんな、こんなに熱いんだもの!

この一週間
 先週は、月曜日から金曜日まで和歌山及び大阪にいた。文化庁主催のスクール・コンサートに先駆けてのワークショップをするためだ。ソプラノ、アルト、テノール、バスの4人の歌手と一緒に学校を回り、僕はピアノを弾く。
 月火とJR和歌山駅前のホテルに泊まり、水木は大阪のど真ん中、心斎橋のホテルに泊まった。今回行った学校は3校。ちょうど中日(なかび)の木曜日は、それぞれの学校の都合で1日オフになってしまった。どこかに行きたい気持ちもないわけではないが、今の僕はいろいろ抱えていて、むしろパニック状態。

 何故かというと、ひとつは、6月12日から始まるコンサートのための校歌の編曲が間に合っていないのだ。僕の担当する5つの学校の内、3曲はこの旅の前に仕上がっていたのだが、あとの2曲は、志木第九の会のハイドン「四季」演奏会や、モーツァルト協会の「後宮からの誘拐」公演の準備で忙しくて間に合わなかった。
 この校歌は、スクール・コンサートの冒頭で演奏するもので、新国立劇場合唱団の能力に合わせて書かれている。生徒にしてみると、普段自分達が何気なく歌っている校歌が、こんなにも輝かしく素晴らしくなるのだと驚き、コンサートの最初から一気にモチベーションが上がるし、第2部での校歌の指導も、とてもし易くなるのである。
 それ故に、編曲は調性を上げたり、和声を複雑にして味わい深くしたり、ピアノ伴奏の部分をちょっと凝ったりする。時間さえあれば、編曲する作業はやり甲斐があるし結構楽しいのだ。
 このコンサートでは、さらに、それぞれの地方にちなんだ民謡やご当地ソングを演奏するが、それも新国立劇場合唱団用に凝った編曲となる。練習時には「難しい、難しい!」と嘆く団員達も、いざ仕上がってみると、
「これ出版したらいいのに!」
と言ってきてくれる。
 でもね、おそらく出版しても出来る合唱団はかなり限られてくるから、売れ筋には乗らないだろうし、出版社に、
「もっと易しくしてくれませんか?」
と頼まれるのがオチであろう。それでは意味ないのだ。だからこの編曲は門外不出。

 もう6月5日月曜日から練習が始まるというのに、校歌2曲と大阪府にちなんだ曲の編曲がまだ出来ていない。滋賀県のためには、以前びわ湖ホール声楽アンサンブルのために編曲した「びわ湖周航の歌」があり、奈良県は「平城山(ならやま)」、和歌山県は「根来(ねごろ)の子守唄」、三重県は「桑名の殿様」をすでに編曲済み。ところが、大阪って河内音頭くらいしかない。あれも、歌詞は即興みたいなものだし、第一、ハーモニーをつけてピアノ伴奏の合唱曲にする曲ではない。
 だからといって、小学生相手に欧陽菲菲(おうやん ふぃふぃ)の「雨の御堂筋」ってわけにもいかないだろう。そこでJポップまで範囲を広げたら、関ジャニ∞というグループの「浪花いろは節」という曲があった。これはいける。しかも合唱曲にもなり得る。即座に僕の頭の中では編曲のアウトラインが浮かんだ。とはいえ、ここのところ家にあまりいないで移動してばっかりいるので、実際には何も手をつけていない。だから実際には影も形もない。ヤバイね。モーツァルトのようなことを言っているけれど、間に合うのかなあ?

 最近、作曲や編曲をするのにはパソコンを使っているので、今回の旅にあたって、譜面作成ソフトの入っている重たい方のノート・パソコンと、音源モジュール及びキーボードを持参しようとした。ところが、どういうわけか、出掛けにテストしてみたら、パソコンに音源モジュールとキーボードがうまく接続してくれない。
 まったく、パソコンって何なのでしょうね。時間がない中であせってテストしている時に限って、こういう不具合が起こるんだ。譜面作成ソフトをインストールし直したり、ドライバを更新したりいろいろしている内にタイムアウトになって出掛けなければならなくなってしまった。そこで、そのパソコンとキーボードはあきらめて、今原稿を打っている小さくて軽いパソコンだけ持ってきた。でも、これでは譜面が書けない。
 この旅の間に仕上がらないとしたら、6月5日の練習初回までに間に合わせるためには、来週中(つまり今週中)になんとしてでも仕上げなければならない。さらに来週末にはふたつの講演会を抱えている。このままでいくと、来週は本当に寝る時間もない計算となる。もう不安でパニックに陥った。

 でもね、よーく考えてみたら、なにもパソコンを使わなくてもいいことに気が付いた。あのさあ、五線紙買って手書きで編曲すればいいんじゃない。何でこんなことに気が付かなかったのだろう。僕ってアホか?
 そこで、5月23日水曜日、ワークショップを終えて心斎橋のホテルにチェックインした後、早速、難波のヤマハに行って12段の五線紙を買ってきた。それから、ホテル近くにコメダ珈琲店があったので、そこに入って、たっぷりコーヒーを飲み、ミニ・シロノワールを食べながら、約2時間半かかって校歌1曲を編曲する。
 パソコンとキーボードがあると、ヘッドフォンで音を確かめながら編曲したり、プレイバックで全体を流して確認しながら出来るけれど、五線紙に鉛筆だとそうもいかない。でも、昔はこれが普通だったし、和声学をやっていたから、ピアノとかの音源がなくても、頭の中で音を響かせながら編曲は出来る。コメダの店内に流れる音楽がちょっとうるさいが、これも不思議と、和声構造と結びついた頭の中の音楽の響きをあまり妨げない。

 ということで、意外にスラスラと編曲がはかどった。翌24日木曜日の朝は、ホテルの部屋でもう1曲を仕上げた。合唱の部分の4声体は、完全に和声学のソプラノ課題と同じだが、ピアノの部分は、もっと豊かな音のパレットを持っている。これも、だいたい頭の中で音をイメージ出来るのであるが、細かいところでのバランス感というか、ジャズで言うところのヴォイシングのセンスなどの意味では、もしかしたら、もっとふさわしい和声配置があるのではないかとも思った。

 午前中に2曲目が仕上がった後、僕はまず近くの浪速スポーツ・センターの屋内プールに行き、1300メートルくらい泳いだ。密かな達成感を感じながら泳ぐのって気持ち良い。お昼を食べて一度ホテルに帰る。水着を乾かして荷物を取り替え、今度は御堂筋をお散歩しながらのんびり北上して、梅田にある貸しスタジオに辿り着いた。
 そこでピアノの部屋を借り、「ワルキューレ」の勉強をしたのだが、そのついでに、編曲した校歌を弾いてみた。合唱の声部は、結構複雑な準固有和音を多用していたにもかかわらず、ほぼイメージ通りであったが、ピアノの部分に関して言えば、何カ所かやや音が多すぎたり和音が厚すぎた。
 しっかり音で埋めないと貧弱ではないかといらぬ心配をするのは、作曲家の陥りやすい欠点である。ブラームスなんか、完全に「空白恐怖症」である。まあ、それはいいとして、あえて勇気を出して音を削る。家を建てる時は頑丈な方がいいけれど、音楽は、倒れそうなギリギリくらいの必要最小限の音符で構築するべし。こんな時、マーラーから勇気をもらうんだ。あんな薄いオーケストレーションで、あんな効果的で色彩感溢れる音楽になるんだからね。
 こういう風に、たまにはピアノを使わないで作り、出来上がってから初めて弾いて確かめるのも、勉強になっていいなあとあらためて思った。人生、いくつになっても勉強だね。

 25日金曜日。春日出小学校でワークショップをやり、そのまま新幹線で東京まで帰った。夕方、久し振りに孫の杏樹に再会。会うなり飛びついてきた。すぐにストライダーを出して、近くに遊びに行く。杏樹はもう縦横にストライダーを乗りこなしていて、ハンドルを右左に揺らし、スキーでいえばウェーデルンのようなことをやっている。スピードがどんどん出るので、僕も彼女を追いかけてほぼ全力疾走。ふうふうふう・・・。
 時々振り返って、うるんだ瞳で、
「杏樹、ジージのこと大好き!」
くー!たまらん!それから一緒にお風呂に入った。
 実は、このひとときを味わうために、わざわざ東京まで帰ってきた。というのも、次の日の26日土曜日と27日日曜日は、朝10時から名古屋近郊の大府市で愛知祝祭管弦楽団の「ワルキューレ」の集中練習がある。体力保存を考えたら、常識的にはどう考えても名古屋滞在でしょう。僕ってアホでしょう。
 でもね、人生、アホなところをひとつくらい持っていないといけない、というのが僕のモットー。意外に、これが元気な秘密かも知れないんだよ。

村上春樹の対談本
 5月22日月曜日、ワークショップに旅立つための東京駅構内の書店で、「みみずくは黄昏に飛びたつ~川上未映子訊く・村上春樹語る」(新潮社)を買い、新大阪に向かう新幹線の中で読み始めた。そしてワークショップのかたわら、JR和歌山駅のドトールなどで読み進めた。

 なんて刺激的なインタビュー本なんだろう!まず驚いたのは、聞き手の川上未映子さんの知的レベルの高さだ。それ故に、恐らく彼女でなければ決して聞き出せないような村上春樹氏の真実が描き出されている。それに、作家同士ということもあって、普通のインタビューアーではとても辿り着けないような、執筆の具体的な過程などにも踏み込んでいる。
 この本の第1章は、2015年に「職業としての小説家」刊行を記念してインタビューが行われ、文芸誌MONKEYに掲載されたもので、第2章以降は、最新刊の長編「騎士団長殺し」刊行を記念して、その創作過程や内容について村上氏が川上さんの質問に答えたものである。

大切なのはうんと時間をかけること、そして「今がその時」を見極めること。村上さんはくりかえしそれを伝えてくれたように思う。ミネルヴァの梟(ふくろう)がそうであるように、物語の中のみみずくが飛び立つのはいつだって黄昏、その時なのだ。
この川上さんのまえがきを読んだだけでも、彼女がどれだけ村上文学の本質を深く理解しているかが分かるというもの。

 「職業としての小説家」を読んだ時にも同じ事を感じたが、村上さんの創作生活と個人としての生活のあり方は、我々が作家という人種について描くステレオタイプなものとは大きく異なっている。
 彼は、自分の事を、
「ごく普通の人間ですよ」
と繰り返し言っている。新しいものを書いている時は、頭に浮かんできた時のみに書くといういきあたりばったりなものではなく、1日十枚と決めてとにかく書くという。まるでサラリーマンがデスクワークをしているようである。
 彼は、昔の小説家のように、温泉宿に泊まり込んだり、お酒を飲んで誰かをぶん殴ったり、女性に溺れて情感でドロドロになったり、肺病を病んだりといった極限の状態の中で私小説を書くというタイプとは真逆である。小説家に、非日常的生き方から来る非日常的感性や見識を求める人には、とても物足りなく感じ入られるかも知れない。しかし、村上氏の小説は、そうしたありがちな作家の姿と一線を画すからこそ、独創的なのである。
僕は例えば、いわゆる私小説作家が書いているような、日常的な自我の葛藤みたいなのを読むのが好きじゃないんです・・・・だから日本の私小説的なものを読んでると、全然意味が分からない。
 彼は、彼の小説を書くことを説明する時に、よく一軒の家にたとえるという。一階はみんながいる団らんの場所。楽しくて社会的で共通の言葉でしゃべっている。二階に上がると、自分の本とかがあって、ちょっとプライベートな部屋がある。この家には地下があって、地下一階には暗い部屋があるが、いわゆる日本の私小説が扱っているのはこのあたり。さらにもっと深い地下二階がある。村上氏が小説の中で行きたい場所は、この地下二階だという。

 僕にはとてもよく分かる。地下一階というのは、おそらく我々の感情の延長の世界。嬉しいとか淋しいとかいう個別的な世界で、音楽で言えば、たとえばショパンとかシューマンなどによって表現されている情感に満ちた世界。オペラで言えば、父親によって運命を引き裂かれた「椿姫」の悲劇だとか、嫉妬に狂って恋人を刺し殺した「カルメン」のホセとかである。よく「道化師」で、妻を寝取られたカニオが歌う「笑え、お前は道化師だ、衣裳を着けろ」が大好きで、
「くー、泣けるねえ!最高だね!」
という奴がいるけれど、いや、このアリアは好きだけれど、これだけが最高ではないよね、とよく思う。

 村上氏は自分の小説の中で、こうした要素をむしろ周到に避けているともいえる。そして、なるべく地下一階を素通りして地下二階に辿り着きたいのだろう。ここのところが、まさに、村上文学を否定するか肯定するかの境目なのだろうな。
 村上文学とは、すなわち、人がそれぞれの人生で抱えている悩みやトラウマや迷いや苦しみに寄り添うことをあえて避けて、もっと深い潜在意識の世界を描こうとしているわけだ。だから村上文学に対して、
「文学なのにどうして感動させてくれない?涙を流させてくれない?」
と不満を持つ人がいるわけだ。

 その一方で、そこを突き抜けてしまっている、たとえばバッハやワーグナーなどをこよなく愛する人は、比較的村上文学に対して抵抗がないのではないかと僕は想像する。少なくとも僕自身がそうだから。このインタビューで川上さんが指摘する、いわゆる「壁抜け」、すなわちリアルな世界をとても精緻に描いていたかと思うと、そのまま何の抵抗もなくシュールな世界に壁抜けしていってしまう村上氏の手法は、潜在意識や覚醒とか悟りの世界を描いて、僕たちの魂をゆさぶるためなのである。

 ダリの絵がそうであるように、シュール・レアリズムの世界を描こうと思ったら、個々の描写は徹底的にリアルでなければならない。村上氏の文章は本当に素晴らしく、平易な言葉でありながら、あらゆるものを的確に表現し尽くす。
 それは僕が文章を書く時にめざしていることと一緒だ。やさしい言葉で語ることが一番難しい。その村上氏の文章の秘密に川上さんが迫る。すると、彼から出てくる言葉はこうだ。
結局、そういうことって、まずはボイスの問題だと思うわけ。僕のボイスがうまくほかの人のボイスと響き合えば、あるいは倍音と倍音が一致すれば、人は必ず興味を持って読んでくれるんです。
 このボイスという言葉は、ジャズでいうところのボイシングと似ている。ボイシングとは「メロディーにつけられるハーモニー」が基本なのだけれど、メロディーに対するハーモニーのセンスだったり、メロディーとハーモニーの音配置のバランス感覚だったり、果ては、そのミュージシャンが創り出すサウンド全体の方向性を指す。またこうも言う。
リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない。それはすごく大事なことです。
 うーん、とても深いものがあるなあ。要するに定番に落ち着いてしまうと、失敗はしないのだけれど、つまらないのだ。本当に面白いものの創造は、何かを意図的に壊すことから始まるのかも知れない。

 興味深いのは、村上氏は若い時には、上の世代の人達への一種の反抗心のようなものがあったという。それが、歳を取ってくるにつれて、もう人のことは全然気にしなくなったという。まあ、僕もそうだな。自分の上に、自分にとって脅威の対象になるような人はもういない。少なくとも、この人に頼らないとこの世界生きていけない、と思うような人はもういない。
 要は、そうなってから何を創るかだな。反抗したいような威圧的存在はいない代わりに、今度は自分が、誰かさんから見て反抗したい反面教師になっているかも知れないからね。おおコワ!今こそ襟を正して生きていくべきなのだろう。

 とにかく、こんな知的興味を掻き立てられる本はない。やはり村上春樹はタダモノではない!



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