「おにころ」は感動的な舞台になる!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「おにころ」は感動的な舞台になる!
 下村博文君は、「おにころ」に必ず来るよと約束してくれたし、彼は親友の角皆優人君にもメールで、
「三澤の『おにころ』に行って3人で会おうな」
と書いてきたというから、来てくれると信じているのだが、どうも最近、彼はいろいろ忙しくて大変そうだから、ちょっと心配している。
 でも来て欲しいなあ。僕が、これまで何を大切にして生きてきたか、それが作品にどう現れているか、彼に見て欲しいんだ。60歳を越えても、こんな、愛だ、命の輝きだ、光だ、などということを本気で表現しようとする姿を見て欲しいんだ。
 そして、そうした子供じみた理想で、角皆君とだけでなく、下村君ともつながっていたいと希望している。政治の世界って、いろいろな策略や駆け引きや裏工作に満ちているようだけど、下村君だけは、真摯な志を持って直球勝負の潔い生き方をしてきたと僕は信じているし、これからもそうあって欲しいから、生意気なようだけど、是非「おにころ」を観て欲しいのだ。

 先週は、国立のスタジオで、妖精役の4人のダンサーも交えて、ずっと「おにころ」ソロ練習に明け暮れていたが、週末は高崎でソリスト及び合唱団合同の通し稽古。そして、今週に入って、いよいよ明日7月25日火曜日から群馬交響楽団のオーケストラ練習が始まる。26日水曜日からは、群馬音楽センターの舞台上での練習になる。
 「おにころ」は、超忙しかった僕の2017年上半期の最後の本番。それが今、佳境に入ってきた。でも、まだ気が抜けない。これから30日に向かっては、身も心も引き締めてかからなければならない。この作品に関して僕は、脚本家、作曲家、演出家、そして指揮者なのだ。僕が全ての責任を負っており、僕がみんなを牽引していかなければならない。僕の代わりは誰もいない。
 これからも、照明の打ち合わせや、小道具大道具、衣装のチェック、ソリスト及び合唱団の演技やタイミングなど、フル編成のオーケストラの指揮をしながら気を配らなければならないことが山ほどある。体調が絶好調でないとつとまらない。

でも、僕はやり遂げてみせる。
きっと感動的な舞台になる!
絶対に素晴らしい公演にしてみせる!
それが天の意思であるから!
神よ、僕を守り給え!

山下康一君の絵
 3月に白馬で知り合った、母校高崎高校の後輩の画家、山下康一君から額縁付きの絵が届いた。それは、ドイツのバッハラッハBacharachという小さい街の風景で、のどかな田舎町の家並みの背景に丘があり、その頂上にお城がそびえ立っている。柔らかい緑の色調がとても心地よく、何度観ても心和む絵なので、家に飾って毎日眺めているにはぴったり。
 なので、早速、二階に行く階段の踊り場、すなわち毎日何度となく行き来するところに飾らせてもらった。窓枠の緑と彼の絵の緑とが調和している。


山下君の絵


次の文章は、山下君がその街に絵を描きに行った時のことをブログに書いたものだ。
(以下引用)
 ドイツ・フランクフルトから電車で1時間半くらいの所、
ワインで有名なバッハラッハのライン川を見下ろす丘の上に、
この古城シュタールエック・ユースホステルは建っている。
バッハラッハは英語のバッカス、
ローマ神話のワインの神様の意味だ。

 かつてこの地方にスケッチに来た時は、
必ずここに3~4泊した。
中はもちろん改装してあるが、
構造はお城そのままだ。
 例えば私のような一人客は、
大抵門の上にまたがった部屋に泊まる。
多分かつては見張り番の詰め所か何かだったのだろう。
一度は地下牢のような所に泊まった事もある。
螺旋階段を一番下まで降りたどん底。
明かり取り用の小さな窓が遥か上に光っていた。
各部屋や廊下や便所の壁には極端に細長い窓があり、
明かり取りになっている。
かつてはここから矢を射ったのだろう。

 ここのユース・ホステルの特徴は、
食堂が夜にはおしゃれなワイン・バーになる事だ。
この地方の様々なワインを、
グラス単位で注文出来る。
値段は当時のレートで100円から500円位。
宿泊費は朝食付きで1,800円位。
 ここで働いている若者と話していたら、
なんと彼等はボランティアだった。
ドイツでは若者は1年間の兵役か、
1年半の社会奉仕が義務づけられているのだそうだ。
彼は兵役は嫌なのでここで働いていると言う。

 酒が入れば旅行者同士話は弾む。
ついついワインを飲み過ぎて、
酔い覚ましにふらふらと中庭に出ると、
尖塔の上に満月が出ていた。
一瞬自分がいつの時代にいるのか分からなくなった。
 絵を眺めながらこの文章を読んでいたら、こんなドイツの田舎町にあてもなく行ってみたくなってしまった。馥郁としたブドウの香りに満ちたドイツのライン・ワイン。おいしんだろうなあ。
 それに黒パン、ハムやチーズのコンビネーション・・・あるいはザウワクラウトとソーセージのコンビネーション・・・いやいや、鱒とかの魚料理と合わせた方がいいかな・・・ああ、たまらない!
 って、ゆーか、この絵を見ても食べることばかりに意識がいってしまうって、どーよ!

 古城のユース・ホステルに泊まるのか・・・ちょっとひんやりとして怖い感じもするなあ。真夜中に何か出てきそうじゃないの。鎧の音をカチャカチャさせながら。でも、最後の「一瞬自分がいつの時代にいるのか分からなくなった」という文章はいいなあ。古城の尖塔の上にかかる満月か・・なんてロマンチック!
 昔、僕の洗礼名の聖フランシスコの故郷アッシジの街に泊まった時、そんな気分を味わったなあ。中世の街並みがそっくり残っている街のたたずまいに、僕の心は遙かな昔にトリップしていた。実は、僕はかつてここに住んでいて、フランシスコと一緒に修道生活を送っていたのではないか、などという前世の記憶が蘇ってきたとすら感じた。


アッシジ


 Bacharach(バッハラッハ)という街の名前が、バッカス(酒の神)に由来すると山下君も書いていたが、ちなみにBacharachのサイトを見ようとしてネットで索引したら、真っ先にBurt Bacharachと出てきたので、BurtをBurgと間違えて、
「あっ、バッハラッハ城のことか」
と勘違いしたけれど、よく見たら、なんと有名なシンガーソングライターのバート・バカラックのことでした。さては、このバカラックという名前も酒の神に由来するのか?

 また、この絵を見ていると、背後にヴァルトブルク城をたたえたアイゼナハを思い出す。もちろんヴァルトブルク城の方がずっと大きく、アイゼナハの街からは遠くに見えるが、のどかな田舎町の風景はとても似ているのだ。
 アイゼナッハには妻と二泊滞在した。かつて、マルティン・ルターが追っ手からかくまわれながら、聖書のドイツ語訳を成し遂げた城と、そのふもとの、バッハが生まれ育った街・・・。


アイゼナハ


 こんな風に、この絵を眺めているだけで、僕の想像力は大いにふくらみ、心はどこまでも飛翔していく。僕は、これからずっとこの絵と共に暮らせるかと思うと、それだけで嬉しいし、生活が豊かになったような気がする。ありがとう、山下君!
 
 この山下康一君とは、8月の白馬滞在の時にお会いして、角皆優人君も交えて対談をし、それをKindle本にして出す予定だ。
 前にも書いたけれど、彼は宗教的なテーマも常日頃深く考えている人で、どのような対談になるのかとても楽しみだけれど、お互い構えすぎたら、テーマが深いだけに双方堅くなってしまうかも知れないから、たとえば、この絵に関することから話しに入っていったら、リラックスして良いものに仕上がるかも知れない。



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