「おにころ」無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

雰囲気捉えながら丸覚え
 先々週のこと。長女の志保が夜まで仕事で、妻も晩に出掛けなければならない時があった。僕は、その日の晩は仕事がなかったので、保育園から帰ってきた杏樹の面倒を見て、夕飯を一緒に食べて寝かしつけることになった。
 そこで、以前にも行った日帰り温泉の「湯楽(ゆら)の里」に連れて行った。そこにはレストランもあるので、湯上がりに食事をした。僕は生ビールを飲みながらカツ重を食べ、杏樹は大喜びでお子様ランチを食べて、ほろ酔い気分で自転車を漕ぎ、帰宅してそのまま杏樹を寝かしつけた。
 先週は、僕が群馬に来ていて「おにころ」の練習に明け暮れていたが、志保がオフの日に杏樹を「湯楽の里」に連れて行ったという。その時、杏樹は僕と一緒に夕飯を食べたレストランを指さして、こう言った。
「杏樹ねえ、ここでジージとおこさらまんち食べたんだよ」
あははははは!一字入れ替わっただけで、随分印象が違う。

 杏樹にはいくつか間違ったままの言葉がある。「汚れる」を「よぼれる」と言い、「言う」を「ゆぶ」と言う。「50分」を「ごんじゅっぷん」と言う。でも、僕が直そうとすると、母親の志保は、
「直さないで!可愛いから。いずれ時が来たら直るに決まっているけれど、あんまり早くお姉さんになって欲しくないんだ」
と言って、そのままにさせようとする。
 志保には、杏樹に成長して欲しいという気持ちと、いつまでも赤ちゃんでいて欲しいという気持ちが葛藤しているようだ。母親特有の感情なのだろうな。僕なんか、杏樹といつかお酒を酌み交わす日が来て欲しいから、こっちが歳取って死んでしまうといけないので、一刻も早く大人になって欲しいのに。

 杏樹は、一昨年に「おにころ」を観て大好きになり、その後毎日DVDを観ていた。保育園に行って踊りながら歌っていたというが、可哀想だね。誰も一緒に歌ってくれない。だって、誰も知らない曲なんだもの。
 その際、
「That's exciting(ザッツ エクサイティング) 鬼祭り」
という歌詞を、
「ガッテンくさい 鬼祭り」
と歌っていた。それは今でもそう。しかし、子どもって凄いね。雰囲気をとらえる能力はバツグン!

「おにころ」の朝
 7月30日日曜日早朝6時。窓を開けると霧雨が降っているが、僕は傘を持って散歩に出掛ける。まず、家から土手に向かって歩く。烏川の手前に流れる温井川(ぬくいがわ)には、虚空蔵橋(こくぞうはし)が架かり、その手前に虚空蔵様がある。


虚空蔵様

「おにころ」では春のお祭りをするところ。それから、温井川をすこしさかのぼって「赤城おろし」の歌詞に出てくる弁天様に行く。


弁天様

 そして、次のお稲荷様(於菊稲荷)に行くわけであるが、本当はその前に、僕の家が檀家となっている真言宗豊山派の宝勝寺(そこから毎回「おにころ」のいくさの場面の後の弔いの鐘を借りている)と、その隣の八幡神社にも寄る。


お稲荷様

 それから、おにころと桃花の逢い引きの場所である、諏訪神社の境内に行く。ここでは舞台に鳥居があるが、実際は石鳥居であった。

 どこの神社仏閣に行っても、お賽銭を入れて手を合わせ、お祈りをしていると、右側からスーッと風が吹いてきた。僕は「おにころ」の成功を確信した。


諏訪神社の境内

 最後に、僕が洗礼を受けたカトリック新町教会に行く。早朝だけれど不用心に空いていた。聖堂に入り、静かに座って、そこでボーっとしていた。そういえば、僕が教会に通っていた時、オルガンは足踏みオルガンだったなあ。まだあるのかなあ?と思って会衆席の後方にあるオルガンの方へ行く。現在、実際に使っているのは電気オルガンのようだが、その奥に・・・・おおっ!あったあった。


カトリック教会

 恐る恐る触ってみる。そして触ったらちょっと弾いてみたくなった。ストップを入れて、鍵盤を押す。おおっ!音が出る。しかも結構きれいな音。こうやってかつての日曜日、僕が練習していたら、今の妻が現れたんだ。そう、この角度。僕が右を向いたら彼女が立っていたのだ。僕が高校2年生、彼女が中学2年生の秋のこと。
 この新町で僕は生まれ育った。そして今、この新町から生まれた「おにころ」の第8回公演をする。神よ仏よ、僕を守り給え!


妻と出会った場所


「おにころ」無事終了
 先々週の7月21日金曜日午後、国立芸術小ホール地下の音楽練習室。うめ役の黒澤明子さん、きすけ役の田中誠さんが集まっているところに、振り付け師の佐藤ひろみさんが、妖精を演じる4人のダンサー達を連れて練習場に現れ、うめときすけがおにころに追いかけられるシーンを作っていた。ラインダンスがあったりして、結構激しいダンス・シーンである。そこに、前のスケジュールの関係で、ちょっと遅刻したおにころ役の萩原潤さんが飛び込んできた。そそくさと稽古着に着替え、ストレッチもしないで「追いかけ」のシーンに加わった。
 その後、黒澤さんと田中さんは一休みして、萩原さんと妖精達だけのシーンの振り付け稽古になった。ここでは、「白鳥の湖」の「4羽の白鳥の踊り」をパクったような踊りがある。
ひととり振り付けがつけ終わって、
「では、通してみましょう」
と通してみた。するとその直後、萩原さんが足を引きづっていて、
「済みません、誰か僕の足を後ろから強く蹴りましたか?」
と聞いている。佐藤ひろみさんは、さすがこの世界に生きている人だけあって、ピンときて、
「あっ!これは肉離れですよ」
と言った。その時、僕の背筋がゾクッとした。
「来た!」
と思った。

 「おにころ」の準備をしている時には、必ず何かしらの邪魔が入る。この「邪魔」という言葉は、本当にピッタリの言葉だ。つまりそれは邪悪な魔であって、闇の勢力だ。「おにころ」が成功しては困る闇の亡者達がいるのである。何故なら、この作品はまっすぐな“光の作品”であり、愛と赦しと喜びの表現が純粋な形で結晶されているからである。
 しかし、以前にも言ったとおり、何故かその魔達は、本丸に入ることは許されていないようだ。つまり、直接公演を阻止したりすることは出来ない。彼等に出来ることは、何かアクシデントを起こして、関わっている者達のモチベーションを落とすこと。
 以前は、僕という人間の弱さのところに魔はつけこんできていた。しかし、最近は僕が歳をとってきたこともあり、心があまり煩悩でブレなくなったので、ガードが堅くなってはいる。でも、魔は巧妙で、あらゆる手を尽くして「おにころ」の公演を邪魔しようとする。

 今回の2つ前の2012年の新町文化ホールによる公演は本当に辛かった。まず、約1ヶ月前、主役の泉良平さんが骨折して降板せざるを得なくなった。そこに輪をかけるようにして、若手団員ナンバー・ワンのソプラノのTちゃんが急逝した。若い団員達はみんな、東京音大声楽科に在籍していたTちゃんにあこがれ、彼女の背中を追いかけていたのに・・・。
 団員一同は意気消沈し、公演を行うことは不可能、というところまでいったが、おにころ役には、庄屋役の大森いちえいさんが急遽代わってくれて、初演時からおにころ役をやってくれていた松本進さんに庄屋役を頼んだ。団員達には、
「こんな時だからこそ、なんとしてでも公演にこぎ着けよう!」
と呼びかけて、必死で乗り切った。

 しかしながら、この公演は、これまでの「おにころ」上演史におけるターニングポイントとなった。僕は指揮をしながら自分の背中で感じていた。聴衆の反応がこれまでとまるで違うのだ。「おにころ」で表現された真実を、聴衆がまるで砂漠の砂が水を飲み込んでいくように、むさぼるように享受していくのだ。
 何が変わったのだろうか?恐らく3.11などを通して、みんなの意識や価値観が変わってきたのだと思う。そして、この公演をきっかけに、ある大きなうねりが生まれ、それが次の群馬音楽センターでの群馬交響楽団伴奏による2015年の大規模な公演に直接つながっていったのである。恐らく魔はそれを知っていた。だからこそ、2012年の公演は、なんとしてでも阻止したかったのだ。
 そして2015年の公演があったからこそ、今回の公演がある。それはまた次の公演につながっていくのだ。

 萩原さんの肉離れは、予想をはるかに越えて重かった。みんな奇跡を祈ったけれど、そうはならないような気はしていた。本番でも足を引きずるのは避けられないと思った。そこで、いろいろ考えた末、僕は演出を変えて、おにころが御荷鉾山から神流川に流される前に、鬼達にいじめられて怪我を負うという設定にした。
 その一方で、舞台稽古に入ってから本番ギリギリまで、車椅子を用意してもらって、車椅子での演技を萩原さんにお願いした。
「格好を気にしないで、いろんな人に何と思われても車椅子で位置関係を確認しながら、きっちり自分の演技を詰めて、本番の日だけ車椅子をはずそう。大丈夫だからと思って無理して、万が一傷が後戻りしたら元も子もないので、割り切って欲しい」
 その後の萩原さんの役者魂を僕は心から尊敬する。彼は、僕の言うことを完璧に守り、しかも車椅子の扱いがめちゃめちゃ上手になって、方向転換も自由自在なら、スピードも出るようになった。見ている人達がみんな、
「このままテニスでも出来るんじゃね?」
と思うほど。
「車椅子で本番もやったら?」
と言う人もいた。
 しかし、萩原さんは、その間ずっと無念な想いを抱えながら、本番で車椅子なしで立つイメージトレーニングを重ねていたに違いない。よく耐えた!しかも、足以外は、歌も音楽的で説得力があり、演技も完璧であった。この萩原さんの態度を見ていて、僕は、
「この公演は間違いなく大成功する。魔に勝った!」
と確信した。

 これからはみんな手前味噌になるけれど、うめ役の黒澤明子さんの美しいリリコ・ソプラノの声と心のこもった歌唱。そして終幕での涙を誘う迫真の演技。その相手役の田中誠さんの言霊(ことだま)の入った感動的な歌唱。3歳児の杏樹でさえ、
「きすけさんカッコいい!」
と、アリアを聴きながら言った。
 桃花の前川依子さんは、前回から歌もセリフもバージョン・アップして、全てが自然になり、僕のイメージしていた桃花そのものになった。彼女も、今回台本をよく読み直し、この物語において求められる桃花像って一体どういうものなのだろうか、と、ずっと模索していたという。そうした真摯な態度って舞台に如実に現れるよね。もとより、その透明な歌唱は桃花にピッタリなのだけれどね。
 國光ともこさんの妖精メタモルフォーゼには鳥肌が立った。彼女は、いつも役を掴むのに時間がかかるのだが、一端掴むと、今度は本番に向けてどんどん進化してきて、最後は僕が望むレベルをはるかに超えて、どこまでも上り詰めていく。
 特に衣装をつけてからの彼女は特別で、究極のコスプレなのだね。今回の公演では、次女の杏奈がヘヤ&メイクを担当したのだが、彼女も驚いていた。いじめられ、絶望で自暴自棄になっているおにころに希望を与えるシーンでは、その凜とした佇まいがあまりに神々しく、手を合わせて拝みたくなった。それに彼女の声は、まるでこの世のものとは思えなかった。その存在そのものが天から使わされた者のようで、アリアの後、そのまま宙に飛翔しながら消えていったとしても僕は驚かなかったであろう。國光ともことは、こういうアーチストなのである。
 僕が残念に思うのは、何故我が国では、こういう人をもっと起用しないのか?何でもすぐにパッと出来る人ばかりを重宝がって使うけれど、大抵の人はうわべばかりで、そこから役作りが発展しないではないか。こういう人こそ、きちんと評価される世の中にならないと、本当に成熟した文化は花開かないのだ。

 大森いちえいさんも、もはや何度もやっていながら、新たな役作りに挑戦している。それに、彼は高崎の稽古場にも現れてくれているので、団員達からの信頼も厚い。桃花の父親としての葛藤を、これまでにも増して明確に描き出している。歌手だけでなく表現者として一流だ。
 そして、伝平役の初谷敬史君の功績は、振り付け師の佐藤ひろみさん同様、高く称えられるべきである。彼は、合唱団の練習日である月曜日、よく通ってくれて、合唱団のレベルアップを目指して、妥協せずしかも根気よく丁寧に指導をしてくれた。
「これ、やっといてね」
と僕が言い残して、次の練習に来ると、必ず期待したよりもずっと良くなっていた。それから、本番の日も、自分の伝平役に集中したいだろうに、合唱団の発声練習をやってくれたり、何かと気を配ってくれた。本当に感謝している。
 そして伝平役そのものの役作りにも、さらに磨きがかかった。僕は、終景でみんなが宇宙の川を見る場面を見ていてふと気付いた。
「伝平って、こんなに簡単に宇宙の川を見れちゃっていいのかな?庄屋は、ところどころで葛藤の跡があるけれど、伝平は徹頭徹尾ワルだったからな・・・・」
それで初谷君に、
「出てきてからもうちょっと反省して、きすけに許しを請うことにしよう」
と言ったら、本番で見事にそれを演じてくれた。

 おにころが川に入っていくシーンは圧巻!萩原さんの顔の表情と全身での演技に涙しない者はいない。彼の後ろ姿には、自己犠牲する者の哀しみが漂っていた。桃花との愛を断ち切り、母親の慈しみに逆らわなければならない運命。でも、自分はやらなければならない。これまでの自分の人生はまさにこの時のためにあった。今こそ、さなぎが蝶になるように輝き、飛翔していくのだ!
 桃花が下手花道、メタモルフォーゼが上手花道で高音のオブリガートを歌い、一緒に川に飛び込んでいこうとするうめを、きすけが必死で止める。おにころが去って行った後、追いかけて行って倒れ込むうめを桃花が支える。指揮をしている僕も、放っておくとワンワン泣いてしまいそうになるのをこらえながら腕を動かしていた。
 萩原さんの足が本当に悪かったと気がつかないで見終わった人も少なくなかったと思う。それほど彼の演技は素晴らしく、痛めつけられた鬼という演出設定に見事にハマってくれた。スポーツをやっている人は、あの足の引きずり方を見て気がつくだろうが、それでもドラマに没頭する妨げにはならなかったのではと信じている。

 群馬交響楽団は、2度目の公演で、一度目よりもっと着実に、「おにころ」のドラマを描き出してくれた。僕の音楽は、一見簡単に見えても、リズムや和音に仕掛けがあり、変拍子もあって結構難しい。前回は、自分が書いたスコアが果たしてどういう風に鳴るのだろうかと不安だったし、オーケストラ練習に入ってからは、もう実際にオケの音で鳴っただけでもう満足してしまったところがあるが、今回はもっと冷静になって、様々なバランスや細かい音符の処理などにこだわり、きっちり練習した。
だから、もしかしたら、
「しつこいなあ」
と思った団員もいたかも知れない。
 でも、その成果あって、本番での精度や集中力がとても高く、舞台上と相まって素晴らしい出来に仕上がったと思う。本当に感謝しています。

 終演後、沢山の知人に会った。みんな前回よりも沢山泣いたと言ってくれた。親友の角皆優人(つのかい まさひと)君夫妻と彼の両親、それに先日僕に絵を送ってくれた画家の山下康一君夫妻も、公演に触れてとても喜んでくれた。
 名古屋から愛知祝祭管弦楽団のコンサートマスターの高橋広君が駆けつけてくれたが、ちょうどそこに群馬交響楽団のコンサートマスターで東京バロック・スコラーズでもコンマスをやってくれている伊藤文乃さんが通りかかったので、お互い紹介することが出来た。
 全くタイプの違う2人のコンマスであるが、今の僕にとって最重要な2人である。かたや「おにころ」とバッハ、かたやワーグナーやマーラーと、この2人で僕のレパートリーのかなりの部分をカバーするのだ。
 写真は、左から群響コンマスの伊藤文乃さん、山下康一夫妻、角皆夫人の美穂さん、角皆君のお母さん、僕、角皆君のお父さん、桃花役の前川依子さん、角皆君、愛知管弦楽団コンマスの高橋広君。

 ふうっ!僕の超忙しい上半期が終了した。よくまあ、みんな達成できたなあ。信じられないなあ。これもみんな神様からのエネルギーのお陰。
さあて、明日から白馬だ!手帳になんにも書いていないんだぜ。信じられる?大自然の中でたっぷり充電してきます。来週は白馬からレポートをお届けします。では、行ってきまーす!


終演後




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