“究極のお祭り女”杏樹ついにデビュー!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

“究極のお祭り女”杏樹ついにデビュー!
 3歳の孫娘の杏樹は、赤ちゃんの時代から祭りが大好き。特にお囃子が好きで、山車(だし)に乗っているひょっとこやおかめの踊りを見ては、うっとりとしていた。家にはひょっとことおかめのお面があり、杏樹は専用の衣装を着てからお面を顔に付け、僕にカホンなどでお囃子のリズムを叩かせて踊っていた。
 それが今回、なんと祭りデビューすることになった。僕の家のはす向かいには公会堂があり、その隣に小さな神社と山車をしまってある物置がある。祭りの前には、その公会堂でお囃子の練習をし、祭りの時には、公会堂と神社にみんなで集まり、生ビールに焼きそばや焼き鳥などが振る舞われ、そこから山車が町内に出発していくのだ。

 祭りが近づいてきて、週に二度公会堂で夜にお囃子の練習が始まると、杏樹はいても立ってもいられなくなり、見せてもらいに行っていた。近所に、おかめを踊り、太鼓を叩く小学校3年生のお姉さんがいる。そのお姉さんは杏樹の憧れの的。その子のお母さんが責任者のおじさんに言ってくれて、おかめの踊りを教えてもらえることになった。杏樹は毎週の練習に欠かさず通っている。しかし、まさか、こんなに早く山車に乗って踊らせてもらえるようになるとは夢にも思わなかった。

 さて、「谷保天満宮 秋の例大祭」が始まった。9月22日金曜日の夜から山車の巡行が始まるはずであったが、残念ながら雨天。僕は、「神々の黄昏」のオケ付き舞台稽古が思いの外早く終わったので、幡ヶ谷にある渋谷区スポーツセンターで1300メートルほど泳いでから家に帰る。家には妻がひとりでいた。杏樹の母親である長女の志保は夜まで仕事。
「杏樹は?」
「杏奈(次女)が来ていて、ふたりで山車のところに行ってるけど、雨だから巡行は中止じゃない?」
という会話をしていたら、突然お囃子が始まった。


お祭りデビュー1

 駆けつけてみると、山車は公会堂の前で止まったままだが、お囃子自体は行われている。見ると、なんと杏樹がおかめの面をつけて山車の上で踊っているではないか!隣には、あこがれのお姉さんが一緒におかめを踊っている。ええっ?やらせてもらえたんだ!いいんか、こんな3歳のチビが踊って?


お祭りデビュー2


 23日土曜日も晩から巡行がある。この日は雨が降らなかったので、杏樹を乗せた山車は、神社を出発して町内を巡った。僕も晩は家にいたので、山車と共に町内を歩く。やはり山車が走り出すと、止まったままの時とは勝手が違って、体勢が不安定になる。杏樹は曲がり道の時などは、踊りが止まったり座ったり横の柱につかまったりしていたが、余裕のある時は、踊りにいくつかのバリエーションが見られるようになってきた。


お祭りデビュー3

 責任者のおじさんは、
「いやあ、50年もお祭りやってるけど、こんな子は初めてだ。3歳なんて、手を交互に交える基本的な踊りひとつ出来れば充分なのに、この子ったら教えたことを全部やっているよ!」
とニコニコしながら言っている。


休憩時間


 24日日曜日。朝、山車は公会堂を出て谷保天満宮まで行く。それから天満宮近くの所定の場所で、数回に分けてお囃子の披露。4時前に再び公会堂に戻ってきて、一度休憩し、晩にまた町内の巡行があって、お開きになった。お囃子がある間、杏樹は基本的にはずっと山車の上でおかめを踊っていた。


お祭りデビュー4

 僕は、その日は日曜日だったので、早朝家を出て、関口教会(東京カテドラル)の10時のミサを指揮し、その後聖歌隊の練習をつけてから、のんびり昼食を取って帰宅したので、午前中の杏樹の様子は知らない。志保も仕事で出掛けている。でも、杏奈がずっと杏樹に付き合ってくれている。杏奈は、名前も似ている姪の杏樹を我が子のように可愛がっている。杏樹も杏奈になついている。その姿を見ているだけで、こちらも癒やされてしあわせな気持ちになる。


お祭りデビュー5


 帰宅した僕は、杏樹がいない内に仕事しちゃおうとパソコンをつけたら間もなく、
「あれっ?あれは・・・」
最初は気のせいかと思ったが、風に乗って遠くからかすかに太鼓の音が響いてきた。谷保天満宮から戻ってくる山車のお囃子だ。少しずつ少しずつ近づいてきた。
「ゲ!帰ってきちゃった。仕方ねえな」
と思いながらパソコンを消して行ってみる。
 杏樹は、さすがの長丁場に疲れたと見えて、時々山車の裏側に引っ込んでお面を外して休んでは、また山車の前舞台に戻ってくるし、踊りにもONとOFFがあって、OFFの時は惰性で手を動かしているだけだったりもするが、ONとなった時のノリは凄い!


どや顔

 杏樹がまだお囃子を見ているだけだった幼い頃は、踊っているおかめに握手をしに行くのがなによりの楽しみだったので、僕は杏樹に握手を求めに行った。それが僕だと分かった杏樹は、ぷにゅっと柔らかい手で僕に握手してから、急激にテンションが上がって、大きく踊り出した。す、凄い!昨晩から格段に進歩している。隣で代わりばんこに踊っているお姉さんやひょっとこのお兄さんの踊りに刺激され、彼等の踊り方から学習していると、杏奈から聞かされた。

 いやあ、ジジ馬鹿と言われるのを承知の上で言わせてもらえば、この子は天才かも知れない!踊りにリズム感があるし、メリハリがあるし、おかめの仕草に色っぽさがある。ぬあんちゃって!
 でも、お囃子なんて、笛にはバリエーションがあるが、太鼓とかずっとおんなじ感じだし、踊りも、ずう~~~っと同じ調子だと飽きちゃうじゃない。あれだけ好きで山車に乗せてもらっても、こんなに一日中踊っていたら、ホトホト嫌になっちゃって、もう気が済んだから二度とやらない、なんて言い出すのではないかと心配していたら、とんでもない!11月初めには、国立では天下市のお祭りがある。国立中の山車が大学通りに大集合する。もうそれに出るんだと張り切っている。
 これを書いている25日の朝8時半、長女の志保が自転車で杏樹を保育園に送っていく時、まだしまっていない山車を見に行くんだと言って、志保に保育園とは反対に遠回りして山車を眺めてから行った。僕も山車のところまで付いて行ったが、その達成感に満ちた満足げな表情が忘れられない。

 究極的な「お祭り女」杏樹が、ついにお祭りデビューを果たした。この時から、杏樹の人生において、ある歯車が回り出し、もしかしたらとんでもない方向に突き進んで行くのではないかと、危惧しているのは僕だけであろうか・・・・。

 なんちゃって、これを見直しのために読み返してみたら、まあ、あまりのジジ馬鹿ぶりに笑ってしまった。娘達も時々言うよ。
「これで、仕事場に行ったら、マエストロとか三澤先生とか呼ばれて、偉そうに人に指図したりしているんだからね。杏樹に『ジージ、おいで!』ってまるで犬のように呼ばれて、『はいはい!』って二つ返事で飛んで行くタダのじーさんと同一人物だからね」

杏樹の踊りの様子を動画で見たい方は、妻のFacebookでご覧下さい。Chiharu Misawaで検索出来ると思います。



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