「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプ申し込み開始

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプ申し込み開始
 いよいよ、キャンプの申し込みを、この「今日この頃」の更新と共に行う。このキャンプの概要は、先週の「今日この頃」及び、このホームページ内に設けられた申し込み欄に書いてあるので、ここで細かい説明は避けるが、ひとりでも多くの人に参加してもらいたい。これは、僕と親友の角皆優人君とのコラボ以外の誰も出来ない画期的な企画となるであろう。

 僕は、最近になって気が付いたのであるが、僕が数年前に角皆君との再会を果たし、彼との雑誌での対談を通して、彼から「ターン弧」という摩訶不思議な単語を聞き、それがきっかけとなってスキーにのめり込んで、彼との親交が一気に深まり、今日にまで至っているという一連の流れは、とどのつまりはこのキャンプに流れ着くように神様から仕込まれていたのではないかと思えるのだ。
 そしてさらに流れは続いていくのだ。それがどこへ向かうかはまだ分からない。けれども、神様は必ず僕の人生をもっとドラマチックに演出してくれる。僕にはそれが分かっている。聖書の中で、タラントのたとえとして、「多く与えられたものは多く求められる」ということをキリストが言っている。タラント(タレント~才能)は、神がその人を用いるために与えるものだ。
 このキャンプは、必ず何らかの結果を生み、何かを動かし、次の何かを導く。僕はそれを信じている。そして、信じる者は山をも動かすことが出来るのだ。あなたはそれを信じますか?いや、信じなくてもいい。でも、何かが生まれるその現場に立ち会う証人となりたいなら、どうかキャンプに参加して下さい。

僕は神に愛されている。
そしてそんな僕のそばにいると、いつも何かいいことが起こる。
みんな笑顔になる。
そう、白馬での懇親会で、一緒に笑顔でおいしいお酒を飲みましょう!

「変わった道を歩みたいあなたに」発刊
 8月に白馬に行った際、親友の角皆優人(つのかい まさひと)君と、画家の山下康一君と3人で行った対談本「変わった道を歩みたいあなたに~21世紀のリベラルアーツを求めて」(1200円)がついに刊行した。とはいえ、紙の本ではなく、電子書籍のKindle本である。

 Kindleを読むには、Kindleの端末機器をAmazonから購入して読むのが一番良い。Kindleのディスプレイは、一見スマートフォンやタブレットと変わらないように見えるが、造りが特殊で、長い間読んでも目が疲れない構造になっている。
 これを持っていると、WIFIにつないで好きな本を何冊でも購入出来るし、どんなに沢山持ち歩いても端末機器の重さが増えることはないしかさばることもない。また、驚くことに、古い日本の小説などだと、ただでダウンロードできるものも少なくない。

 Kindleのためにお金を出すのが嫌だという人は、普通のパソコンやスマホ、タブレットでも、アプリを無料ダウンロードすれば、端末機器と同じように閲覧することが出来る。勿論、そのコンテンツ(各書籍)は購入するのであるが。

 10月10日に発刊した「変わった道を歩みたいあなたに」という対談本を、是非皆さんに読んでいただきたい。というのは、手前味噌で言うけれど、これは画期的な本だ。あたかも、音楽にも絵画にもスポーツにも精通したひとりの哲学者あるいは宗教家が執筆したようなまとまった内容を持つもので、それは、すなわち21世紀に生きる僕たちが、これからの新しい人間の生き方や人間の歩むべき方向を問う時、その答えのヒントとなるであろう重要な事柄に沢山触れているのだ。

 音楽の達人は世の中にいる。同じように優れた画家、抜きんでたアスリートも少なからずいる。しかしながら、それぞれの領域での達人に留まるのが、細分化及び専門への深化をよしとした20世紀の価値観だとすると、21世紀ではそれの統合、すなわちそれぞれの専門領域をもっと深いいわゆる「悟り」の境地にまで落とし込み、それによって各専門領域の根底に流れる共通した認識に到達することで、全てをつなげようとする価値観を持つことが求められているような気がするのである。
 それをこの本では示唆している。だからこれは、単にそれぞれの専門家が集まって話をした本ではないのだ。僕は、この本が売れてKindle本だけに留まらず、さらに普通の書籍として出版され、もっと沢山の読者を獲得して、新しい世界の価値観をみんなではぐくんでいけるようになりたいと本気で願っている。自分が関わっているからということではなく、僕は無私なる想いでそれを祈念してやまない。

大事なお知らせ
 一緒に対談した山下康一君の個展が、なんと明日10月17日火曜日から、豊島区にある熊谷守一美術館で開催されます。僕は彼を東京バロック・スコラーズの演奏会に招待しようと思ったのだけれど、個展がまさに演奏会当日の10月22日までやっているので、せっかく彼が東京にいるのに無理でした。その代わりに僕は妻とどこかの時間で行くつもりです。
 みなさんも山下君の絵に触れてみて下さい。彼の水彩画は、やさしく温かく、見ているだけで癒やされるけれど、水墨画になると、一転して近寄りがたいような厳しさをたたえています。いずれも語るものを強烈に持っている素晴らしい絵です。

「バッハとルター」演奏会のオケ合わせ
 昨日すなわち10月15日日曜日は、東京バロック・スコラーズ主催の宗教改革500年記念演奏会「バッハとルター」のためのオーケストラ合わせであった。僕は、その前に10時からの東京カテドラル関口教会のミサに出てからオケ合わせ会場に行ったので、ちょっと朝からあわただしかったが、先日「おにころ」で群馬交響楽団のコンサート・ミストレスを務めてくれたヴァイオリンの伊藤文乃さんや、いつものオーボエの小林祐さん、ファゴットの鈴木一志さんとその奥様、チェロの西沢央子さん、コントラバスの髙山健児さん、オルガンとチェンバロを掛け持ってくれる山縣万里さんなどの顔ぶれに会うと、一気に体の隅々からエネルギーが湧き起こってきた。
 練習は、少人数でのアリアから始まり、だんだんオケの人数が増えてきて、合唱は夜から参加という進行で行われた。ソロ歌手達とは、すでに何度かの合わせをしているので、オケとの間でテンポの擦り合わせ等をするだけでよかったから、予想以上にスイスイと練習がはかどっていった。
 カンタータ38番の3重唱などは、特にソプラノの岩本麻里さん、アルトの吉成文乃さん、バスの大森いちえいさんの全員が新国立劇場合唱団のメンバーなので、アンサンブルが抜群!これは今回の演奏会の聞き所となるであろう。またテノールの藤井雄介さんは、今回初共演なのだけれど、惚れ惚れするような美声で、きっと聴衆を魅了するに違いない。
 今回は、それぞれのカンタータで、終曲のコラールをソリストにも歌っていただくことになったので、ソリストには夜まで残っていただくことになったが、このソリストも混じったコラールの響きはとっても豊かで、聴衆が至福の想いに浸るのは必至だ。

 僕はこの演奏会の冒頭に管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066を配置したが、これは意図的である。それはこういうことなのだ。宗教改革は、どことなくフランス革命に似ている。すなわち、ルターの教会への反抗には、教会の豪奢なむさぼりと民衆の愚かさを利用した搾取への反抗という意味もあった。つまりルターの宗教改革の発想には、民衆に寄り添うという面があった。
 しかしながら、“文化は豊かさの中で養われる”という一面も世の中にはある。ルターのコラールは、バッハが編曲したからあのような豊かな芸術性を持つものに仕上がったけれど、コラールの元のメロディーは単純で、民衆には歌いやすいが、そのままでは芸術的価値は決して高くない。同じように、フランス革命の時に歌われた様々な革命歌も、「サ、イラ」のように単純なものが多く、コラールに似て芸術的価値が高いとは言い難い。

「大衆性は単純なものを志向するが、芸術はある意味非大衆的なものである。しかしながら、芸術は大衆に向かって語られる」
というようなことを言ったのは、かのフルトヴェングラーだったような気がする。人の聴かないものを聴き、人の見えないものを見る芸術家は、その存在自体が非大衆的でありながら、同時に偉大な芸術家は常に意識が大衆に向かっているのも事実である。
 ベートーヴェンは第九で大衆の歌として「歓喜の歌」を創り出したが、だからといってシンフォニーの中では、あんな高いメロディを普通の人が一緒に口ずさむことは出来ない。こんな風に芸術家は常に大衆性と非大衆性との矛盾の中にある。

 なので、何が言いたいかというと、僕はバッハの音楽の中に、質実剛健ともいえるルター派信仰の極みを見るが、同時に、それだけではないバッハの姿をも愛しているのだ。なので、あえて貴族的で優雅な古典舞踏の世界を取り入れてみたわけである。

 この管弦楽組曲のそれぞれの舞曲を、僕は今度の演奏会で思いっ切りおしゃれに、しかも聴衆のみなさんが思わず踊り出してしまいそうなリズム感で演奏してみせましょう。そして、
「これもバッハなのです」
と示したいのである。
 なんだろうな、僕は決して信仰深くないわけではないのだが、この演奏会をただ真面目なしかめっつらしたお勉強会で終わらせたくないのだろう。とにかく、この冒頭の管弦楽組曲で、皆さんを思いっ切りハッピーにさせてから、本題に入っていきたいと考えている。しかも、カンタータの演奏も、僕のバイアスがかかると、きっと楽しいものに仕上がると確信している。

 要するに堅苦しいのが嫌いなので、みなさんも、ねじりはちまきをして演奏会に来ないで下さい!そして、
「ああ楽しかった!」
と言いながら川口リリアホールを後にして下さいね。

ZAZという驚くべき歌手
 ふとしたことから、シャンソンの「パリの空の下」Sous le ciel de Parisを聴きたくなって、Youtubeを観ていたら、ZAZという歌手の歌唱が飛び込んできた。往年のエディット・ピアフの名曲だが、これを現代的な感覚で、しかも驚くべき感性とテクニックで自由自在に歌っている。一度聴いただけで吸い寄せられ、魅せられ、胸にグッと来て、そして気が付いたらすっかり虜になってしまった。


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 ZAZはザーズと読むらしい。Wikipediaによると、フランスのシンガーソングライターZAZの本名は、イザベル・ジュフロワ(フランス語: Isabelle Geffroy, 1980年5月1日トゥール生まれ)。5歳の時、地元トゥールの音楽学校に入学、在学中はバイオリン、音楽理論、合唱、ピアノ、ギターなどを学んだ。
 2000年、地域協議会から奨学金を受けボルドーにあるCIAM音楽学校に入学した。在学中はジャズ、バスク音楽、キューバ音楽、ラテン音楽、アフロ音楽、クラシック音楽などの影響を受け、同時にアンサンブル活動を行っていた。2006年パリに渡る。
 2010年5月10日、シングル「私の欲しいもの」を含むファーストアルバム『モンマルトルからのラブレター』をリリースした。このアルバムは、フランス国内でただちに第1位となり、ドイツ、スイス、ベルギー、ギリシャ、ロシア、クロアチアなどでトップ10内に入り、一気に国際的歌手として認められる。
 ファーストアルバム及び、2013年に発売されたセカンドアルバム「RECTO VERSO」は世界50ヶ国で、4年間に計300万枚以上の売り上げを記録。 ヨーロッパ・ボーダー・ブレーカーズ賞、リベレーション・ソング賞、カナダのフェリックス賞、フランスの歌謡大賞「Victoire de la Musique」、フランスの新人賞「Prix Constantin」など、数多くの国際的な賞を受賞している。
 大物プロデューサー、クインシー・ジョーンズを迎えて制作されたサードアルバム「Paris」は、パリ、そしてエディット・ピアフ、エラ・フィッツジェラルドやフランク・シナトラなどの偉大なミュージシャンへのオマージュが込められており、 シャルル・アズナヴールをはじめとする豪華アーティストとの共演も実現したシャンソン・トリビュートアルバムとなっている。

 このParisに収められているSous le ciel de Parisをたまたま聴いて驚愕したわけである。一瞬でもの凄い才能であることが分かった。同時に、久し振りに“うた”っていいなと思った。バッハの音楽の構築性も大好きだし、ワーグナーの楽劇のドラマと音楽との融合にも惹かれる。
 でも、やっぱり僕のもうひとつの原点には、シンプルな“うた”と”うたごころ”を求める、というのがある。それは、“人間が大好き”というのとも共通する、僕の魂の奥底に常にとどまることなく流れている通奏低音である。

 と、ここまで書いて、そういえばこのサードアルバムParisのDVD付きスペシャルバージョンをAmazon Primeで注文していたんだ、と思い出した。それで妻に聞いてみると、届いていた。昨晩は、東京バロック・スコラーズのオケ合わせだったので、帰ってきてビールとワインを飲んで何も考えずに寝てしまったのである。
 で、ちょっとだけ聴いてみようとDVDの方を取り出し、今原稿を書いているパソコンのDVDドライブに入れてかけてみたら楽しくてしばらく見入ってしまった。おっと、いけない、原稿を仕上げなければ・・・ということで、再び戻ってきたけれど、いやあ、断言するけど彼女は天才です!

 ふうっ、やっと原稿が書けた。では再びZAZを聴こう・・・いやいや・・・カンタータの勉強がまだ足りてないでしょ。1音1音をあたかも自分が紡ぎ出したかのように感じられるまで覚えて自分のものにするのだ。いや、そうしなければならないわけではないのだよ。
バッハを愛しているからそうしたいの。



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