演奏会「バッハとルター」無事終了

三澤洋史 

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演奏会「バッハとルター」無事終了
 結構晴れ男なのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。大雨の中での演奏会になってしまった。幸い、大型台風21号が関東を通過したのは晩から明け方にかけてだったので、演奏会自体の存続に関わるほどではなかったけれど・・・。それと、川口リリア・ホールがほぼ駅に直結した位置にあったのも不幸中の幸い。これが駅から徒歩10分とかだったらかなり客足に影響したであろう。
 ともあれ、こんな天候の中、わざわざ演奏会に足を運んで下さった方達には本当に感謝します。その中には、最近親しくさせていただいている竹下節子さんや、オリエンス宗教研究所の黒川京子さん、アルト歌手の加納悦子さん、それに親友の角皆優人君夫妻などもいる。

 プログラムに書いた通り、この演奏会を僕はどうしてもやりたかった。宗教改革500年を世界中が祝っているこの時期に、僕は自分のマルティン・ルターへの愛をどうしても表明したかったのである。そして、ルターのコラールに秘められた彼の過酷な人生の軌跡と、そこからふつふつと湧き上がる信仰への情熱を皆さんに知ってもらい、さらにそれに強く共感したバッハの想いを理解し、その音楽を味わっていただきたかったのである。

 その想いは伝わったと信じている。と、同時に、先週の「今日この頃」でも書いた通り、なにか変にねじりはちまきした悲壮な押しつけがましいものにもしたくなかったが、その点でも、ほぼ自分の思い通りな演奏会に仕上がったと、手前味噌ながら思っている。

 ワーグナーの楽劇を指揮するのと違って、バッハの指揮は肉体的には大きな疲労を伴うものではない。ただ暗譜で振っているので、意識は覚醒していないといけない。その点では、多分合唱団の人達は気付いているだろうが、カンタータ38番の冒頭で、瞑想モードに入りながら指揮していたら、普段合唱団に出していたいくつかのアインザッツが飛んだ。バッハは過度に瞑想モードに入ってはいけないのだと気が付き、すぐに軌道修正した。つまり、アドレナリンも出さないといけないのだ。ややこしいな。
 勿論、音楽は自然に流れていたし、アインザッツを出さないからといって、それぞれのパートが出ないということはない。合宿などの小アンサンブル練習でひとりずつ歌わせて、徹底的に合唱団員をシゴいていたから、演奏には全く支障はなかった。
 でも、面白いものだね。祈りの音楽には違いないのだが、バッハの音楽では、理知的な部分を決して捨ててはいけないのだ。つまり、何かが降りてくるのを最初から期待してはいけないのだ。
 ただね、全部左手でこれみよがしにアインザッツを出して、
「ほらね、僕こんなに暗譜してるんだよ、凄いでしょ!」
みたいにあざとくやるのは好きじゃない。暗譜は見世物じゃない。僕が暗譜するのはそんなためではない。

 レシタティーヴォでは、歌詞が頭に入っていたので、ソリスト達の表情に寄り添い、ドイツ語の歌詞を日本語に変換することなくあたかもネイティブのように味わい、楽しみながら指揮することが出来た。
 セッコ・レシタティーヴォなんて、チェロの西沢央子さんとチェンバロの山縣万里さんの2人だけで伴奏するので、本当は指揮なんていらないんだけどね。それでも、歌詞の強調の仕方とか、フレーズのテンポ感など、ソリスト達と丁寧に何度も稽古をしたから、やっぱり僕としたら放置しっぱなしというわけにもいかない。

 だって、僕自身ね、自慢じゃないけれど、かなりの時間をレシタティーヴォの歌詞に割いているのだ。僕は、中学校の英語を覚える時から、必ずノートに書いて覚える習慣を続けていた。それが今でも続いている。
 僕のノートをちょっと覗いてみるかい。最初はカンタータ第14番の冒頭合唱の歌詞。Wirが丸で囲んであり、次の行のDieに矢印でつないであるだろう。これはdieという関係代名詞がwirを指しているということ。別に書かなくてもいいんだけど、ドイツ語のまんまで頭に入れるので、あえて書くのだ。書いた時は、こうして皆さんに見せるなんて全く考えてないから、自分が自分だけのために書いているのだ。


僕のノート

 その後に、カンタータ第80番の藤井雄介さんが歌ったテノールのレシタティーヴォの歌詞が3回も書いてあるだろう。それで、ところどころ直してあるだろう。これは覚える練習の最中。つまり、この3回は何も見ないで書いている。だから、なんとなく意味は分かっているのだけれど、ちょっと単語が違っていたりする。それで正解合わせをして、また見ないで書く。恥ずかしいんだけど、馬鹿だから何度も間違えるんだ。でもね、別に急がないんだよ。その代わり何度も何度もやる。そうやって無理なく、いつしか頭の中でその文章が自分のものになってくるのを待つ。気の長い作業。
 また、こうしたことの間に、何度も何度も辞書を引く。分かっている言葉でも、違うニュアンスがあるかなと思ってあえて辞書を広げるんだ。するとね、そこは思った通りの言葉しか出ていないのだけれど、その隣やすぐ下に興味深いことが書いてあったりする。
「へえ、この単語ってこんな意味もあるんだ!」
って驚いて、そこで横道に逸れて時間を潰してしまう、なんていうことがしょっちゅうある。でも、そうした時間が僕は大好きなのだ。

 で、とどのつまりは、僕はバッハをオカズにして、自分の“お楽しみの生活”を作っているというわけ。この演奏会のためにも9月の最初ぐらいからこうした事を始めた。ソリストとの合わせもその頃から始めたから、その間、バッハと向き合った時間を過ごすわけである。さらに、ルターのこともいろいろ調べたり、宮谷尚実さんのカップリング講演会もあったりしたので、今回はバッハとルターで2倍楽しめたわけである。

 打ち上げでオーボエの小林祐さんが嬉しいことを言ってくれた。それはこういうことだ。
「いつも一ヶ月前くらいに譜面が送られてくるけれど、そこに三澤さんのフレーズやアーティキュレーションの書き込みがあるんですよ。その書き込みの内容がどんどん進化しているんだ。普通は、三澤さんくらいの歳になると、もう過去の貯金で食っている人が多いのに、この人はまだまだ進化しているというわけ」
 東京バロック・スコラーズをやっていて良かったと思うことは、共演してくれるプロの演奏家達が、当団のプロジェクトに対して特別な想いを持って関わってくれていることだ。そして、プロだから当然なのかも知れないけれど、その想いを想いだけにとどまらずに結果として表現してくれることだ。
 ファゴットの鈴木一志さんも、とっても素敵なことを言ってくれた。
「カンタータ第80番の最後から2番目のアルトとテノールの2重唱を聴いている内に、なんだか泣けてきてしまったのです。それでね、その泣いている顔を隣で(2番ファゴットを)吹いている妻に見られたら恥ずかしいと思ったら、なんと妻も泣いていたのです」
 こんな風にプロの音楽家が泣いてくれるなんて、普通ないじゃない。本当にありがたいと思う。その他、コンサート・ミストレスの伊藤文乃さんも、チェロの西沢央子さんも、コントラバスの高山健児さんも、みんな温かいスピーチをしてくれた。こうした人達を有している事こそが、他の団体では決して得られない東京バロック・スコラーズの宝であり、団員達はみんな誇りに思うべきである。

 僕自身、プロの指揮者として、今回のプログラムぐらいのレベルの楽曲だったら、急に頼まれれば初見でも指揮出来るし、少なくとも1日もらえれば、レシタティーヴォも含む全ての曲を、昨日の演奏会とほぼ変わらないレベルで演奏できる自信はある。
 一般的には、プロの演奏家の場合、ソリストとの合わせも、協奏曲の独奏者との合わせも、演奏会前日とかのオケ合わせで「始めまして!」という感じで相手がどう出てくるのかも分からない状態でやるのが普通だ。だってみんなプロだもの。音楽をお仕事にしているんだもの。それが世の常識。でも、そういうことはバッハではやりたくないのだ。
 プロがプロを超える時。プロがお仕事を超える時。それは稀にしか起きないんだけど、何かが起こる。そんな時、プロの演奏家はとってもハッピーになる。勿論、アマチュアの合唱団も、そんなプロに支えられて演奏会がうまくいったらハッピー。僕は、彼等のハッピーな顔が見たいのさ。それを見て自分もハッピーになりたい。そんなハッピー・スパイラルの発信元になりたいのだ。

 蝉は、約1週間しか生きない地上での生活のために、7年間も地下で生活していると言われる。でも、僕は7年間の地下での生活は、蝉にとって決して暗く寂しく辛いものではないのだと信じている。
 それは、僕が自分のノートに歌詞を書き連ねながら、テキストを味わい、ひとつひとつの音を頭に入れながら、バッハの音楽を少しでも自分の体に入れようとする地道な行為と一緒だから。それは静かな楽しみに満ちた自分だけの時間だから。演奏会はその結果にしか過ぎないのだ。ワインだってウィスキーだって寝かせるからうまくなるように、寝かせた演奏会には、それでないと絶対出ない味わいが宿るのだ。

昨日も演奏中に天使が舞い降りました。
鈴木さん夫妻は、それに気付いたんだね。心のきれいな人だから。

「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプ募集中
 僕があまり情熱的に書き過ぎたら、なんだかみんな引いちゃったみたいで、思ったほど募集が殺到しなかったので、東京バロック・スコラーズのオケ練習の時に、
「すみません、例のスキーのキャンプですが、僕のホームページでの宣言を読んで気後れしてしてしまった人がもしいたら、そんなことないですからね、もうすでにコブをバンバン滑れるくらいじゃないと参加資格ないなんて思わないで下さい。メインキャンプは、最終的にはコブにも行ってみますが、コブ未経験でも全然いいのです。また、超初心者でもサブキャンプにどうかどんどん申し込んで下さい」
と言ったら、ようやくみんな申し込み始めた。オーケストラのメンバーに、
「私、参加します!」
と言ってきた人がいたのは嬉しかったね。

 ということで、まだメインキャンプも定員に達していないので、どうか躊躇しないでどんどん応募してきて下さい。パラレルさえだいたい出来ればいいので、そんなにハードルは高くないですよ。また、サブキャンプは定員がないので、むしろ沢山応募してもらって、懇親会も賑やかにやりましょうよ。さらに、キャンプに参加しないで講演会及び懇親会にのみ申し込みしたい方も、一応申し込んで下さい。
 出来れば、この一ヶ月くらいの間に、ある程度の目星をつけたいので、他のキャンプのように直前までに申し込めばいいやとのんびり思っていると締め切ってしまうことがありますので、どうかお早く。また、キャンセルは、仮に直前になってしまっても、仕方ない場合認めますから、そちらの意味でも躊躇しなくていいからね。

では、申し込みを待ってます!

オー シャンゼリゼ!
 先週この「今日この頃」で紹介したシンガーソングライターのZAZ(ザーズ)のCD&DVDを聴きながら、
「ブックレットの歌詞をフランス語で読んでみようかな、日本語の訳詞も別のブックレットに乗っているけれど、何も見ないでも意味分かるかな?」
と思って小冊子を開いた。すると目に飛び込んできた文章に驚いた。しかしながらすぐに、
「あっ、そうか・・・そうだよね。なんで今まで気が付かなかったのだろう」
と思ってひとりで笑ってしまった。

 曲は「オー シャンゼリゼ」なのだが、歌詞はOh! Champs Elyséesではなくて、Aux Champs Elyséesだったのだ。それをパリに7年以上も住んでいた長女の志保に言ったら、
「そうだよ。当たり前じゃない。だって普通に、シャンゼリゼではさあ、とか、シャンゼリゼでね、とか言う時に使っているから、ごくごく当然にそう思っていたよ」
だって。
 でも、逆に僕たちの世代は、日本語に訳されたカンツォーネやシャンソンを中尾ミエとか佐良直美とか布施明とかで聴いていたから、

街を 歩く 心軽く 誰かに会える この道で
素敵な あなたに 声を かけて こんにちは僕と行きましょう
オー シャンゼリゼ オー シャンゼリゼ
いつも 何か 素敵な ことが あなたをまつよ オー シャンゼリゼ
のオーを感嘆詞以外のものだと思って聴いていた人は、よっぽどフランス語に詳しい人以外、当時は誰もいなかったんじゃないかな。auxとはaと名詞複数形につく定冠詞lesがくっついたもので、長女が言うように「シャンゼリゼでは」とか「シャンゼリゼで」という意味だ。しかし、なんでシャンゼリゼって複数なんだろうね。

 ちなみに、このフランス語を自分なりに訳してみた。

Aux Champs-Elysées  シャンゼリゼでは 
 Je m'baladais sur l'avenue le cœur ouvert à l'inconnu
僕は大通りをブラついていた
知らない人に心を開いて 
 J'avais envie de dire bonjour à n'importe qui
誰でもいいから「こんにちは」って言いたかったんだ
 N'importe qui et ce fut toi, je t'ai dit n'importe quoi
誰でもよかった、で、それが君だったってわけ
僕は君に話しかけた 別にどんな話題でもよかった
 Il suffisait de te parler, pour t'apprivoiser
話しかけるだけで充分だった
君と仲良くなれるなら

 [Refrain]:リフレイン
 Aux Champs-Elysées, aux Champs-Elysées
シャンゼリゼでは シャンゼリゼでは
 Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
太陽のもとでも 雨の下でも 真昼でも真夜中でも
 Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysées
望むものは何だってあるんだ シャンゼリゼではね

 Tu m'as dit "J'ai rendez-vous dans un sous-sol avec des fous
君は言った
「地下でちょっとおかしい人達と会う約束をしているの」
 Qui vivent la guitare à la main, du soir au matin"
「ギターを手に夕方から朝まで暮らしている人達よ」
 Alors je t'ai accompagnée, on a chanté, on a dansé
だから僕は君をエスコートした
みんなで歌って 踊って
 Et l'on n'a même pas pensé à s'embrasser
キスをしようなんて考えは ちっともなかった

 [Refrain]

 Hier soir deux inconnus et ce matin sur l'avenue
昨日の夜までは見知らぬ同士 今朝は大通りで
 Deux amoureux tout étourdis par la longue nuit
恋人同士 長い夜を一緒に過ごしたせいで
頭がぼーっとしているよ
 Et de l'Étoile à la Concorde, un orchestre à mille cordes
凱旋門広場からコンコルド広場まで
千の弦楽器のオーケストラのように
 Tous les oiseaux du point du jour chantent l'amour.
夜明けの鳥たちが みんなで愛を歌うのさ

 [Refrain]

 最初の方でapprivoiserという言葉があるだろう。これは「星の王子様」できつねが言っていた言葉で、「飼い慣らす」「手なずける」という意味だ。つまり、その人が自分にとってただの他人ではなく特別な存在となることを意味する。そうか、こんなところでも使うんだね。僕は「君と仲良くなれるなら」と訳したけれど、本当は「君と特別な関係になれるなら」くらい踏み込んでもよかったのかも知れない。でもね、そこまでいくと、日本語の文章の流れからしたらちょっとあざとい。だから「仲良く」で止めておいた。

 さて、前に掲げたような僕たちが親しんでいる日本語訳は、ダニエル・ビダル(Danièle Vidal)が歌ったもの。彼女は、1952年モロッコ生まれのフランス人で、1970年代前半に歌手としての活動の拠点を日本に置いており、テレビに出ていたというが、いろんな人が歌っていたので、僕にとっては彼女の印象は薄い。
 そのちょっと前の時代には、越路吹雪が歌っていたという。この印象はもっと薄い。というか、僕はどうも越路吹雪という存在も歌も、子供心になんかおどろおどろしくて気持ち悪かった。しかし、その岩谷時子さんの訳詞を今見てみると、かなりフランス語を正確に訳している。
ひとりで街を ブラブラしながら
話しかけたいな こんにちは
相手は誰でも あなたでもいい
私のとりこにしてみたいな

オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ
欲しいものが昼も夜も
ここにはあるよ オー・シャンゼリゼ
 apprivoiserを「とりこ」か、うまく訳したな。僕はここのところ「バッハとルター」演奏会の準備のために、ずっとドイツ語に漬かっていたろう。だからZAZが歌うフランス語を味わいたかったのだけれど、おあずけになっていた。
さて、演奏会が終わったので、これからちょっとフランス語を勉強し直してみよう。カンタータで使っていたノートの後ろ半分は、今度はフランス語で埋まるのさ。ま、今度は覚える必要はないので、ずっとお気楽。ゆっくりと文法から解明していく。僕は語学をやっていると、とっても心が安らぐのだ。

高関健ちゃんとの再会
 今週末には、ローム・シアターでの高校生のための鑑賞教室「蝶々夫人」公演のために京都に行く。夏の新国立劇場での鑑賞教室は僕が指揮したけれど、今回はかつてベルリン留学時代に一緒だった高関健ちゃんが指揮。
 もう立ち稽古が始まっていて、久し振りの再会を果たした。彼の指揮は、なんだかとても僕に似ている。というか、桐朋学園の斉藤秀雄メソード出身なのに、先入といわれる技法を乱用しないので、指揮がすっきりして見易い。指揮とは、とどのつまりは、放物線を見せることによって、次の音楽を予感させる運動だから、そのラインはきれいなほうが良いのだ。
「健ちゃん、先入をあまりやらないから棒が見易いね」
と言ったら、
「先入使うのやめたんだ」
「うん、僕も同じ」
ということで超意気投合。彼はとても良い指揮者だと思う。

来週は京都から「今日この頃」をお送りします。



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