僕がよくプールに行く理由
京都に来ている。といっても、昨日(10月29日日曜日)まで、台風のお陰で天気悪かったので、旅を満喫しているという感じではなかった。それに、仮に天気が良かったとしても、午後から連日ローム・シアターで高校生の為の鑑賞教室「蝶々夫人」の稽古があったので、やっぱりそんなに出歩けなかっただろう。
その代わりプールにはよく行っている。嵐だって関係ないからね。どうせ水の中。どしゃぶりになったら水着のまま帰って来てもいい(なわけないだろ)。京都に着いた27日金曜日は、午後にオケ合わせ、夜に舞台上で場当たり稽古があったので行けなかったが、28日土曜日は朝の9時から泳いだ。29日日曜日は、午前中教会に行ったので、オケ付き舞台稽古の終わった夕方から、そして今朝(10月30日月曜日)も朝イチで行って9時から泳いだ。
宿泊している四条烏丸(しじょうからすま)のホテルから阪急電車で3つ目の西京極にあるアクアリーナが大好き。広々としていてジャグジーもある。この時期は泳いだ後冷えるので、ジャグジーはありがたい。
せっかく京都に行ったのに、プールしか行かなかったのですか?と思うよね。でも、こんなに一生懸命泳いでいるのには理由があるんだ。実は大会に出ることになったのです。嘘です。そんな冗談信じないでください。
そうではなくて、聞いてよ!ちょっとしたストーリー。コンガを叩きすぎて右手の中指を痛めたことがあったろ。あの時に整形外科の先生は、レントゲンを撮って見ながら、
「この炎症の原因は恐らく急な打撲によるものでしょうが、あなたくらいの歳なら痛風の可能性も捨てきれませんので、念のため血を採ります」
と言った。コンガ叩きすぎだって言ってるのに・・・。
それで採血する時に、
「あ、ついでにヘモグロビンA1Cも調べておきましょうか?」
え?あ、その・・・・「いえ結構です」の言葉を呑み込んでしまった。あれって、絶対お医者さんったら、治療代を稼ぐためだよな。
それで、先日結果を見に行ったら・・・ヤベエ・・・つまりここのところ油断していたので血糖値が再び上昇していたんだ。先生ったらニヤニヤ笑いながら、
「まあ薬飲むほどじゃないでしょう。ちょっとお酒飲むのを控えて、適当に運動をしていれば下がりますよ」
と人ごとのように言う。そりゃ人ごとだろう。整形外科の先生だもの。
ということなので、こんな旅先でまた浮かれて暴飲暴食をするわけにはいかないんだ。これまでの不摂生を悔い改めて結構ストイックな旅となっている。あまりみんなと飲みにいったりしないで、夕食もシンプルに済ませて、後で部屋飲みしている。
阿弥陀如来とイエス
そうでなくても、京都に来ると、精神的にも、ちょっとストイックになる。28日土曜日の朝は6時に起きて、雨の中をまず東本願寺に行くが、読経をやっていないので、西本願寺に移る。ここでの御講話が見事だった。有名な一休さんの話。一休さんと浄土真宗の当時の長の人(なんていうの?)とは、今で言うメル友だったという。勿論昔だから使いの者を使っての手紙のやり取り。
ある時、一休さんが聞いてきた。
「阿弥陀如来は西方十万億土に住んでいるというが、そんなに遠かったら足腰立たぬ年寄りは行けないじゃないか」
それに対する答え。
「そう、その通り遠い。けれども近道がある。南無阿弥陀仏と唱えるならば、すぐに行けるんだよ」
そこから具体的な説教になっていった。興味深い事柄で聞く者達の心をキャッチしてから本題に入っていく。さすが。
後で調べてみたら、一休さんはもともと禅宗であったのに、その後浄土真宗に改宗したんだそうだ。その時に、
「今まで禅宗だったけど、間違いでした」
と言っているそうだ。正直な人だ。
でも、カトリック教会も負けてはいない。29日日曜日に、土砂降り雨の中行った河原町教会(京都教区のカテドラル)10時半のミサでの若き司祭の説教。
「福音朗読の箇所は、10月になってからずっと同じ日に起こった出来事を扱っています。それは教会歴の最後、つまり11月終わりまでなんと9週間続きます(マタイによる福音書第21章から第25章)。
これは聖週間の火曜日の出来事。俗に『論争の火曜日』と呼ばれる日です。イエスは日曜日にエルサレムに入城し、月曜日に神殿の前の屋台をひっくり返し、水曜日にはサマリアに行ってひとりの女性から香油を注いでもらいます。その間の火曜日です」
知らなかった。そんな「論争の火曜日」なんていう言葉。
「当時のサンへドリン(ユダヤの最高議会)では、サドカイ派が与党、パリサイ派は野党で、互いにいがみあっていましたが、イエスに敵対し彼をおとしめようという点では意見を一致させていました」
なるほど。
「それで律法の中でどの掟が一番重要か聞いて、イエスが何か変なことを言ったら、ただちにその言葉尻を捕らえてつかまえようとしていたのです。ところがイエスは最も根本的なことを言った。それは『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』ということです」
うわあ、凄いなあ!愛が一番大事か・・・って、すでに福音朗読で一回読んでるんだよね。とにかく、そこであまりに感激してしまって、その後神父さんが何言ったか正直よく覚えていないのだけれど、でも・・・・まあ、要するに、掟じゃなくて愛が大切なんだよ。「愛こそすべて」「愛を取り戻せ」「愛はてしなく」あれれ、どこかで聞いたことあるぞ。
よーく考えてみると、キリスト教と親鸞の考えていることってよく似ている。仏教も自力系では、どんどん自己に向かって行くし、自力に耐えられる人を選び取って、少数化あるいはエリート化していくようなところがあるけれど、他力は大衆に向かうだけではなく、阿弥陀如来のような至高なる存在の“慈愛”に焦点を当てていくのだ。
キリストも一緒だ。
「主の定めた掟を守りなさい」
よりも、
「主を愛しなさい」
を優先させるのだ。
そのことによって、結果的に「守りなさい」よりももっと多くの美徳を獲得することが出来る。しかもそれを強制されてではなく、「愛することによって」自ら進んで歓びを持って成し遂げていくことが出来るのである。
掟は、守りさえすればもうそれ以上要らないが、愛する故に行っていることには果てがない。愛している限り奉仕し続ける。だから愛は律法を完成させるのだ。
一休さんが禅宗をやめて浄土真宗へ行ったのも、「悟りよりも愛」ということに目覚めたからか?僕には、この土曜日の西本願寺での講話と日曜日の河原町教会での説教が、ひとつにつながっているように思える。
もしかしたら、釈迦が言っていた、西方へ十万億土離れたところに住む慈悲の権化である阿弥陀如来というのは、釈迦の後に、イスラエル上空で受肉する準備を進めていた、救世主イエスのことではなかったか、とも思えるのだよ。まあ、これはどっちでもいい話。
河原町教会では、2階後方のオルガン台に聖歌隊がいて、一生懸命歌っていた。それにつられて一般会衆も歌うが、やっぱり僕は関口教会のやり方に慣れてしまっているので、会衆が微妙に遅れるのが気になるし、上から降り注いでくる歌声が心地よいので、つい横着して、あんまり自分から歌わなくなるのに気付いた。
聖歌って、自分で積極的に参加して歌うことで、自らの信仰心を鼓舞することが出来るのだ。だから個人的には指揮者は1階に欲しいな。でも、河原町教会の聖歌隊は頑張っていたよ。それに、ミサが始まる直前のオルガニストによる「新垣氏のミサ曲の『憐れみの賛歌』のメロディーによるパラフレーズ」が良かった。これって誰が作ったのだろう?ミサの前に長くない静かなオルガン曲を弾くのも導入になっていいね。
やっと散策が始まった
さて、今日はいよいよ高関健ちゃんの明快な棒のもと、「蝶々夫人」の初日の幕が開いた。台風が過ぎ去ってやっと天気になったし、高校生のための公演は13時から始まったので、早く終わった。それで、ロームシアターがある平安神宮のところから歩き始め、哲学の道をぶらぶら散策した末に、銀閣寺に寄って帰って来た。
哲学の道と銀閣寺の参道
銀閣寺
フランス語!(興味のない人は読まなくていいです)
京都では一日中仕事しているわけではないから、いろいろ時間を有効に使っている。それに、晩になってもすぐ飲まないから、いろいろが出来る。やっぱり飲んべえは良くないや。
特に、ZAZの演奏を聴いてからは、フランス語に触れてみたくなったので、いくつかのシャンソンのフランス語を自分なりに訳している。まあ、なにも僕が訳さなくても、世の中にはいろんな訳詞が出ていて、ネットで簡単に入手出来るが、そうではなくて、原詩の韻の踏み方や語感を味わいたいし、直訳のニュアンスを大切にしながら、どうやったら日本語として違和感なく表現出来るのかをいろいろ試すのが楽しいのである。つまり趣味の世界。
いつも思うのだが、語学の出来る者であれば、原詩を理解するのは困難ではない。でも、難しいのはその先で、日本語の文章に翻訳するとなると、たちまちヨーロッパ言語と日本語との表現形態の断層の深さに突き当たり、それを無理矢理こなれた日本語にするためには、時にかなり大胆な意訳を試みなければならない。でもそうすると、誤解が生まれるリスクが高まり、時には、正反対の意味にとられてしまう危険性もある。日本語は難しい。
それで、試しにSous le ciel de Paris(パリの空の下)を、いきなり日本語に訳す前に、まずイタリア語に訳してみた。そしたら笑ってしまうくらい簡単だった。ほとんど単語を置き換えるだけでいいからだ。タイトルだってSotto il cielo di Parigi だもの。そのまんまやん。いいよねえ。ラテン系言語同士。そりゃあわかり合えるさ。
ただ、勿論そのままでいかないところもある。
marchent des amoureux(恋人達が歩く)をmarciano gli amantiと訳しても間違いではないのだけれど、フランス語のmarcherに比べてイタリア語のmarciareの方が元気よく行進する意味が強いし、イタリア語のamanteは「愛人、情夫、情婦」と不倫の色が強いので、一般的な恋人同士の意味では、あまり使わない方がベターだ。
ということでcamminano gli innamorati と訳した方がふさわしい。こんな風に、同じルーツを持つ単語を双方で共有出来ないことはないのだけれど、長い間にそれぞれの言語で、意味のすりかえやニュアンスの変化が起こってきているのだ。
だから似た言語間で訳を試みると、その違いが分かって勉強になる。このイタリア語訳は、京都から帰ってイタリア語の先生のところに持って行って、さらに直してもらおうと思っている。
さて、ZAZが往年のシャンソン歌手であるシャルル・アズナブールと共演した「5月のパリが好き」を好んで聞いている。かつてカウント・ベイシー楽団のアレンジを引き受けていた名アレンジャーのクインシー・ジョーンズがプロデュースして、ベイシー風のイカしたフルバンドに乗ってふたりが歌う。シャンソンを含むあらゆるフレンチ・ミュージックはジャズととても相性が良い。僕はCDのこの演奏が大好き!
なので、この曲を自分なりに訳してみた。
J'aime Paris au mois de mai パリは5月が好き 1 J'aime Paris au mois de mai Quand les bourgeons renaissent Qu'une nouvelle jeunesse S'empare de la vieille cité Qui se met à rayonner パリは5月が好き 樹や花が芽を出し 新しい青春が 古い都を占領し 街が輝き出す 2 J'aime Paris au mois de mai Quand l'hiver le délaisse Que le soleil caresse Ses vieux toits à peine éveillés パリは5月が好き 冬が見棄てて立ち去ると 今しがた目覚めたばかりの古い家々の屋根を お陽さまが愛撫する 3 J'aime sentir sur les places Dans les rues où je passe J'aime ce parfum de muguet que chasse Le vent qui passe 通りがかった広場や通りで 風が追い立てて運んでくる スズランの香りをかぐのが好き 4 Il me plaît à me promener Par les rues qui s'faufilent A travers toute la ville J'aime, j'aime Paris au mois de mai 街中を縦横に縫っている通りを 手当たり次第に散歩するのが好き 好き パリの5月って大好き 5 J'aime Paris au mois de mai Lorsque le jour se lève Les rues sortant du rêve Après un sommeil très léger Coquettes se refont une beauté パリは5月が好き 夜明けには通りが 浅いまどろみの後 夢から覚めながら 色っぽく化粧をし直す 6 J'aime Paris au mois de mai Quand soudain tout s'anime Par un monde anonyme Heureux de voir le soleil briller パリは5月が好き 名もない人達によって 不意にすべてが活気づく お陽さまがキラキラと輝くのを見るのはしあわせ 7 J'aime le vent m'apporte Des bruits de toutes sortes Et les potins que l'on colporte De porte en porte あらゆる種類の騒音 それに 扉から扉へと 渡ってゆくうわさ話を 運んでくる風が好き 8 Il me plaît à me promener Dans les rues qui fourmillent Tout en draguant les filles J'aime, j'aime Paris au mois de mai 人で溢れかえっている通りを 女の子たちに微笑みかけながら お散歩するのが好き 好き、好き、パリの5月 9 J'aime Paris au mois de mai Avec ses bouquinistes Et ses aquarellistes Que le printemps a ramenés Comme chaque année le long des quais パリは5月が好き 春は連れてくる いつもの年のように 屋台の古本屋や水彩画家たちを セーヌの河岸に沿って 10 J'aime Paris au mois de mai La Seine qui l'arrose Et mille petites choses Que je ne pourrais expliquer パリは5月が好き セーヌ河はパリを潤す すると説明のつかない 無数の小さな事件が起こる 11 J'aime quand la nuit se léve Etend la paix sur terre, Et que la ville soudain s'éclaire De millions de lumières 夜が始まる時が好き 地上に平和が広がってくる時 すると街は不意に 百万のあかりで光り輝く 12 Il me plaît à me promener Contemplant les vitrines La nuit qui me fascine J'aime,J'aime Paris au mois de mai ショーウィンドをひやかしながら お散歩するのが好き 僕をとりこにする夜 好き、好き、パリの5月