フリッツァの「椿姫」とシルマーの「薔薇の騎士」

三澤洋史 

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妻への感謝と僕の使命
 10月19日日曜日。朝の6時に目覚まし時計が鳴った。僕たち夫婦は、それぞれ顔も見ずに飛び起きてベッドから離れた。僕は東京カテドラル関口教会の10時のミサを指揮しに行くため、そして妻は立川教会で8時のオルガンを弾くため。二人とも相手のことは構わず、バラバラに準備し始める。
 僕は、まずiPhoneやiPad、それにiPodの充電器をコンセントに差し、パソコンの所に行ってメールを確認し、それから、寒いのでヒートテックを着てから、関口教会に行く時以外にはほとんど着ない背広を着る。
 そして階下に降りていくと、妻はテレビを観ながら紅茶を飲んでいた。テレビでは、アルゼンチンの踊り子やギター職人などのドキュメンタル番組をやっていた。彼女は僕の分も紅茶を煎れてくれたし、僕もひととおり準備は終わって、まだ出発するまで時間が余っていたので、座って一緒に紅茶を飲みながら、なんとはなしにテレビを観た。

 老夫婦がテーブルに向かい合って座っている。夫が話し始める。
「ずっと君は僕に寄り添っていてくれたね。僕はいろいろ馬鹿なこともやってきた至らない夫だけれど、君は僕のかけがえのない妻だ。こうして二人で座っていて、こんなに落ち着いて安らぐ人なんて他にはいない」
聞いていて、なんだかとっても恥ずかしくなってきた。
「ねえ、こういう言葉って聞きたい?」
「なんで?」
「ほら、女の人ってさあ、あえて言葉で言って欲しかったりするっていうじゃないか」
「ん・・・いや・・・そんなことあらたまって言われたら、首筋のあたりが痒くなってくるじゃない」
「そうだよね。たとえそう思っていたとしても、なかなか恥ずかしくて言えないよね。言うのは死ぬ時とかね」
それから僕は家を出た。

 11月19日年間第33主日のミサの第一朗読は、旧約聖書の箴言からの言葉。僕はどきりとした。

箴言
有能な妻を見出すのは誰か。
真珠よりはるかに貴い妻を。
夫は心から彼女を信頼している。
儲けに不足することはない。
彼女は生涯の日々
夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。(31・10-13)
(中略)
あでやかさは欺き、美しさは空しい。
主を畏れる女こそ、たたえられる。(31・30)
 これはどうみても、僕が妻に感謝しなければならないという天のお告げだよな。さっきのテレビも偶然ではない。でもなあ、あのアルゼンチン人の老人のようにはとても面と向かって言えない。だけど、いつもありがとうとは思っているんだ。そこで、この紙面を借りてこっそり言ってしまおう。
千春よ、僕が君と結婚して良かったなと思うことは沢山あるのだけれど、最も良かったことはたったひとつ。君が敬虔な女性であること。世の中には美しい女の人、可愛い女の子、色っぽい女とかいろいろいるけれど、信仰深く敬虔な女性は少ない。でも僕が女の人に求めるのは敬虔さ以外にない。その意味では、僕の人生において、千春以外の女性と寄り添うことは考えられなかった。最初に新町教会の聖堂で出遭った瞬間、僕はもうそのことに気付いていたのだと思う。
それから僕は洗礼を受け、結婚して一緒にベルリンに行き、僕たちは志保と杏奈という娘達を授かり、ふたりでいろいろ悩みながら育ててきた。僕が幽霊信者のように日曜日でもほとんど教会に行かなかった時代、ずるいようだけれど、君が教会に行ってくれていたことが僕にとってどれだけの慰めになっていたことか。
そして、関口教会聖歌隊指揮者のお誘いがあり、僕は再び教会に通う生活をするようになった。もう僕は惑ったりすることなく、信仰者としての道を生涯の終わりまで歩んでいくであろう。その僕のそばに、いつもいておくれ。
千春を僕にもたらしてくれた神様に感謝。
そして、千春よ、ありがとう。
 19日のミサの福音朗読は、マタイによる福音書第25章の有名な「タラントンのたとえ」。旅行に出掛ける主人がしもべたちに、それぞれの能力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントンを与えた。5タラントンを預かった者は、それを資金に商売をして、もう5タラント儲けたし、2タラントンを預かった者も同じように、ほかに2タラント儲けた。しかし、1タラントン預かった者は、穴を掘って埋めておいただけなので、そのままであったというお話し。タラントンは古代ギリシャ、ローマ、ヘブライで用いられていた貨幣の単位であるが、タレントの語源となった言葉である。タレントとは芸能人のことではないよ。辞書を引くと「才能」と出ている。
 この聖句を聞き、三田助祭の説教を聞きながら、僕は二十数年前に二期会の「タンホイザー」公演の主役で来日したリチャード・ヴァーサルの言葉を思い出していた。僕は、ドイツ語が出来るので、ヴァーサルの送り迎えや、なにかといろいろな面倒を見ていた。彼の発声が素晴らしいので、僕は彼に言った。
「あなたの声は本当に素晴らしいですね」
すると、謙遜の言葉が返ってくると思いきや、
「そうなんです。素晴らしいのです。神様に感謝です」
と言うではないか。
「でも、この素晴らしい声をいただいちゃったから、大変でした。なんとかモノにしないといけなかったからです」
「・・・・・」
「だから努力しました」
本当に謙虚な人っていうのはこういうのだなと教えられた。
才能(タラントン)は、神様からただでいただくもの。いや、いただくのではない。主人から預かるものなのだ。そして、預かってしまったからには、それを使って増やさなければならないのである。

 このたとえは、今の僕にはズンズンと心に響く。何故なら僕は後悔しているからだ。今まで何していたんだろう、と。自分の人生でやらなければならないことがもっともっと沢山あったのに、この歳になるまで、まだロクなことしていない。1タラントンを預かった人のように、ただ穴を掘って埋めているだけだったのだ。

 これから語る物語をみなさんが聞いたら、あるいは僕のこと傲慢だと思う人がいるに違いない。でも、それを百も承知で、これまで他人には誰にも語っていないことを、今日はあえてみなさんに語ろう。

 もう何十年も前の話。ある時、お袋が何気なく言った。
「昔は家でお産婆さんが来てお産したから、そのまま赤ちゃんもお母さんも家にいた。お前が生まれてから二、三日後、お前は寝ていたんだけれど、家の玄関に見知らぬお坊さんが訪ねて来た。そして言ったんだ。『この家に生まれたばかりの男の子がいますか?』と。はい、いますよ、と言ったら、『それはよかった』と満足そうな微笑みを浮かべながら去って行った。
 それからまた二、三日して、別のお坊さんが訪ねてきて、また同じ事を聞いたんだ。それで、同じように答えたら、『この子はね、普通の子どもと違うから、心して育てなさいよ』と言って帰っていったんだ」

 その話を僕はずっと忘れていたんだけれど、何故か最近になってよく思い出す。というか、大変だ!って思っている。ヴァーサルと同じなのだ。自分にタラントンがあることを認めることは傲慢ではない。むしろ認めないで、せっかくのタラントンを生かさないでダラダラと毎日を過ごしている方が問題である。
 関口教会に行くようになってから、僕の人生は変わった。今、僕は第二の人生を生きているといえる。迷いや煩悩に満ちた第一の人生は遠くに過ぎ去り、僕は自己の内面をもっともっと無欲清浄にし、もっともっと深い悟りに達しなければならないという思いが生まれ、日々自分を律しているが、それだけではまだ足りないのだ。それらは、これから自分の身に起きる大きなことへの助走にしか過ぎないように感じられる。
 恐らく、これから死ぬまでの間に、僕は自分のタラントンを生かして何かを成し遂げる使命を負っているに違いない。それが何であるか今の自分には分からないが、単に音楽家として成功するということではないらしい。そのためには、数年前から夢中になっているスキーも入っているし、関口教会もからんでくるのかも知れないが、それだけでもない。
 僕の群馬の実家に訪ねてきたのがお坊さんだったでしょう。もともと僕は、神社もお寺も好きだし、宗教に関してはボーダーレスの意識を持っているので、もっと開かれた意識の中で何かをするのだろうな。
 ともあれ、モーツァルトの「魔笛」で、最後の試練はタミーノだけではなくパミーナを携えて共に行っていくように、自分の使命を果たしていくために、これからの僕は妻を必要としているに違いない。そのためにも、まず彼女に、これまでのことを含めて感謝しておくことは必要不可欠なのだと思う。

そして、新たな覚醒に向かって行きたい。  


フリッツァの「椿姫」とシルマーの「薔薇の騎士」
 フリッツァの「椿姫」の幕が開いた。すこぶる評判良いので嬉しい。僕は指揮者だから、マエストロがきちんと音楽作りの中心にいて、それぞれのキャスト達の持てる力を充分に発揮させながら、統一の取れた音楽を構築出来た時の素晴らしさを知っている。そう、今回みたいに。
 実は、なかなかそこには到達出来ない。何故なら、全てが力関係だから、歌手が有名だったり、あるいは有名だと自分で思い込んでたりした場合、マエストロの意図を無視して、自分勝手なテンポで我が儘に歌ったりするからだ。それで妥協を余儀なくされた指揮者が音楽作りの路線変更を強いられても、上手にアレンジして、最初の意図とは違うが、新しい方向性を打ち出せた場合は良い。でも、その懐の広さを持っているマエストロというのも、なかなかいない。
 ピアニストで入っている娘の志保が立ち会っていたマエストロ音楽稽古では、ヴィオレッタ役のイリーナ・ルングが勝手に歌っていたし、注意しても言うことをきかなかったので、フリッツァが楽譜をたたんで帰りそうになったシーンもあったというが、それでも舞台上では、ルングはきちんとフリッツァの思うように歌っているし、フリッツァもルングが歌いやすいようにテンポが揺れるところではきちんとつけてあげている。手綱を締めるところと緩めるところ。どっちが欠けてもオペラ指揮者にはなれない。フリッツァは、いよいよ巨匠の域にさしかかってきたようだ。
 ネット上に流れている批評のたぐいでは、「東京フィルハーモニー交響楽団がミスなしで演奏しているぜ!」なんてことで盛り上がっているが、それは案外重要なことを含んでいる。何故なら、オーケストラの楽員がミスする場合には、不注意や技術不足の場合以外に、それなりの理由があるからだ。指揮者がきちんと分かり易く振って、次にくる音楽を先取りして提示してくれた場合、奏者は過度な緊張感を強いられることなく落ち着いて演奏出来る。その反対に、指揮者が急にいつもと違う風に振ったり、分かりにくく振った時、奏者は入り損ないそうになる。で、かろうじて何とか入った、と思った瞬間、よくミスは起こるのだ。
 キャスト達はみんな、それぞれの持ち場を生かして、それぞれ味のある歌唱を繰り広げている。有名なオペラなので、当たり前のように上演しているけれど、この国際レベルでの公演が日常的に観られるわけだから、我が国の洋楽界も進歩したものだ。  

 さて、同時にR・シュトラウス作曲「薔薇の騎士」も立ち稽古が進んで、明日からいよいよ舞台稽古。今回のマエストロはウルフ・シルマー。彼は、2003年のトーマス・ノヴォラツスキー芸術監督時代の幕開けであった「フィガロの結婚」以来、04年『エレクトラ』、07年『西部の娘』、10年『アラベッラ』、13年再び『フィガロの結婚』と、過去に合計5回も新国立劇場に登場しているベテラン。彼は現在ライプチヒ歌劇場音楽監督だが、総監督も兼ねている。僕はシルマーとも大の仲良し。
 キャストは、こちらもみんな秀逸だが、僕が特に注目しているのは、ゾフィー役のゴルダ・シュルツだ。彼女は南アフリカ出身の黒人歌手。ゾフィーといえばファーニナル家の箱入り娘で、一般的に言えば典型的な白人娘の役。これまで、この役をやるのにいろいろ差別的発言も受けただろうに、その高音域における圧倒的な弱音のテクニックや、声の美しさ、演技のセンスなどで、一瞬にして僕の心を捉えてしまった。
 後でプロフィールを確認したら、2014年バイエルン州立歌劇場でゾフィーが絶賛され、15年にはその役でザルツブルク音楽祭デビューを果たしている。なるほど、見ている人は見ているんだね。

「マエストロ、私をスキーに連れてって」申し込み状況
 愛知祝祭管弦楽団の練習に行って、このキャンプの宣伝をしたら、たちまち3月のメイン・キャンプの方にも申込者が来た。現在のところ、2月が9人、3月が7人の申込者となっている。2月はもう満員と言ってもいいし、3月も7人いればもうキャンプそのものは出来る。
 なので、最後のチャンスですが、3月のメイン・キャンプでは、あと2人まで受け付け可能。2月は、どうしてもという人がいたら考えてもいいです。それ から、3月のペンションであるカーサビアンカは、貸し切りにするまであと一歩のところにこぎ着けました。サブ・キャンプでも、3月では宿のために早めに申し込んでね。
 
 あるいは、すでに申し込み例がありますが、講演会と懇親会参加というだけで、カーサビアンカ希望という人がいてもいいから、申し込んでくれると嬉しいです。そういう人が、僕たちがやっているメイン・キャンプの近くに来て、ちょっと離れたところから勝手に見よう見まねで一緒にドリルをやってみる、なんていうのも絶賛黙認中!あははははは。



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