新春からウィーンの香りに満ちた「こうもり」
年が明けたら即、ヨハン・シュトラウス作曲喜歌劇「こうもり」の練習に明け暮れる生活に突入した。ヨハン・シュトラウスといえば、1月元日のウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサートが記憶に新しい。このワルツとポルカばかりのコンサートは、お茶の間で観ていると、酒飲みながらというせいもあって、最後まで集中して聴いたためしがないが、今年はリッカルド・ムーティのピリッと締まった指揮で、とってもよかったね。
このニューイヤー・コンサートは、元日だけではなくて、12月30日及び31日にも同じプログラムで公演が行われている。チケット料金は、30日が一番安くて、31日ではドンと跳ね上がり、元日ではさらにドドドンと跳ね上がって、一番高い席では軽く10万円を超える。
元旦に全世界に生中継として配信されるテレビ放送は、実は生ではなくて20分ほど遅れての放送だそうである。その間に、もしオケにミスがあったら、ただちに放送を編集され、30日あるいは31日の映像に差し替えられるそうである。実際には、ほとんどそんなことは起こらないみたいだけれど、きっと完璧主義の人が仕切っているんだろうね。
演奏とリンクして、ピタッと音楽に合ったバレエの映像が流れたりしているのも、そんな予行演習が前にあるから可能なのだ。さらにその演奏が、後でCDになったりDVDになったりして全世界に向けて売り出されるわけだから、ニューイヤー・コンサートそのものは、他のウィーンフィルの演奏会とは独立して、ひとつの巨大産業になっているのである。
さて、こんな風に僕の「今日この頃」には、いきなり話が脱線、ということがとても多い。新国立劇場「こうもり」の話題に戻ろう。
指揮者アルフレート・エシュヴェは生粋のウィーン人。前回に引き続き、同じ「こうもり」で二度目の登場。エシュヴェ氏は、ウィンナ・ワルツだからって、あざとく過度にテンポを動かしたりはしないけれど、何気ないニュアンスにヴィーナーの血が感じられる。とにかく、シュトラウスの音楽が体に染みこんでいる。
また、今回は驚くことに、メインキャストの内4人、すなわちアイゼンシュタイン役のアドリアン・エレート、ロザリンデ役のエリーザベト・フレヒル、ファルケ博士役のクレメンス・ザンダー、オルロフスキー公爵役のステファニー・アタナソフが、オーストリー出身でウィーンに学んでいる。フランク役のハンス・ペーター・カンマーラーは、南チロルの出身ではあるが、ウィーン国立音楽大学でヴァルター・ベリーに師事している。アデーレ役ジェニファー・オローリンは、アメリカ出身であるが、ウィーン・フォルクスオーパーの専属歌手として8年在籍している。
つまり、今回のプロダクションは、ウィーン・フォルクスオーパー引っ越し公演と言っても過言でないほど、新春を飾る公演にふさわしくウィーンの香りがぷんぷんするものに仕上がっている。キャスト達みんなが、歌だけでなく芸達者で、シリアスなオペラとは全く違う、バカバカしいギャグに満ちたストーリーが展開されていく。客席からはきっと、クスクスという忍び笑いからワッハッハというい爆発的な笑いまで、様々な種類の笑いに包まれるであろうと予想される画期的なプロダクションである。
20世紀前半に舞台を置き換えたクリムト的な色彩感に満ちた舞台美術と衣装は、いつ見ても素敵。演出は、往年のキャラクター・テノールであったハインツ・ツェドニク。僕が個人的に好きなのは、第2幕の最後で、それまで全然笑うことの出来なかったオルロフスキー公爵が、腹を抱えて笑いころげる場面。
そのまま緞帳がしまって、再び開いてもまだ合唱団を含め全員が笑い続けている。通常、二度目に緞帳が開く時は、タブローと言ってストップ・モーションの絵づらを見せるのだけれど、こういう処置が気が利いているなあ。
とどのつまり「こうもり」は、ファルケ博士がオルロフスキー公爵に、アイゼンシュタインに対する復讐劇を見せることによって、退屈している公爵を笑わせるというドラマなのだ。
1月18日から28日まで5回公演。日本にいて、ウィーンのニューイヤー・コンサートにも劣らないヨハン・シュトラウスのワールドが味わえる「こうもり」公演に、是非みなさんも来て下さい。
小学校4年生達と第九
さて、ただでさえ忙しくて、お山にスキーにも行けないのだけれど(狭山スキー場には無理矢理行って、2時間ばかりトレーニングしてきた)、さらにその間を縫って1月12日金曜日には、サントリー・ホールで、港区中の小学校4年生を集めての楽しいコンサートが行われた。題して「港区&サントリーホール Enjoy! Music プロジェクト~声のひびきを楽しもう」。
指揮者は次期新国立劇場オペラ部門芸術監督の大野和士氏。オケは東京都交響楽団。合唱は新国立劇場合唱団に7人のサントリーホール・オペラ・アカデミーの生徒が加わった混成メンバー。その合唱指揮をつとめた。ほらね、こんな風に、もう大野氏とのコラボが始まっているんだ。4月には、東京都交響楽団定期演奏会で、マーラー作曲交響曲第3番でまた共演する。
プログラムの前半は吉川健一さんのパパゲーノと九嶋香奈枝さんのパパゲーナ及び安井陽子さんの夜の女王による「魔笛」からの抜粋。それに引き続き、我々は、小林万里子さんのピアノ伴奏で、まず、パッヘルベルのカノンをベースに市川都志春さんが作った「遠い日の歌」を歌い、続いてシューマン作曲「流浪の民」、それから山口稜規さんの弾くサントリーホールの大オルガン伴奏で、ヴェルディ作曲「アイーダ」より凱旋行進曲を演奏した。
最後に、ベートーヴェンの第九から練習記号Mと呼ばれる一番歓喜の歌らしい部分を演奏したが、実はサントリーホールをいっぱいにした港区の小学校4年生の生徒たちがメロディーをドイツ語であらかじめ練習していた。
それで、大野さんの指示で、まず生徒達が都響の伴奏で歌い、次いで我々プロ合唱団が歌い、最後に全員合同で歌った。僕は、教育委員会の人達に混じって2階の一番後ろで聴いていたのだが、サントリーホール中に響き渡った大合唱に感動を覚えた。
大野さんは、
「こういう感じで、全国を回れればいいと思わない?絶対売れると思うんだけどなあ」
と言っていた。
いいよ、どこでも行くから、企画する方達、是非ともお願いします。
大野さんと一緒だと楽しいから。
散歩
そのコンサートは朝の11時から始まり、12時前には終了した。でも、新国立劇場では2時から舞台稽古が行われる。第1幕には合唱がないので、我々は3時半入りとなっている。ゲネプロが9時45分から始まったので、今日は早朝散歩が出来なかった。そこで僕は、サントリーホールから新国立劇場まで歩くことにした。
サントリーホールから初台までのルートには、ここといって決定的なものはない。道が入り組んでいて、しかも東京の街には坂が多い。赤坂に行くのだってお山をひとつ越えなければならないし、それから青山一丁目あたりに向けてまた上り坂がある。なので、いっそのこと六本木まで出てそこから乃木坂方面に向かって行くことにした。
その途中、ふと思った。
「そうだ、この辺に六本木フランシスカン・チャペルセンターがあったな」
それで探してみた。案外サントリーホールと近かったので驚いた。ここは日本におけるフランシスコ会修道院のセンターで、洗礼前に群馬県桐生市のフランシスコ会修道院によく通っていた僕にとっては、馴染みのあるところなのだ。自分の洗礼名もアッシジの聖フランシスコだし。
チャペルセンターの聖堂では、前に述べたことがあるブラザー佐藤達郎さんと一緒にコンサートをしたり、なんと僕たちの結婚式もこの場所で行った。当時は、僕がクリスチャンになることを両親が反対していたので、この教会での結婚式には僕の両親は出席してくれなかった。
そんな当時のことがいろいろ思い出されてなつかしかった。僕は、親の願い通りには生きなかったけれど、自分の生き方は間違っていなかった。そんなことをチャペルセンターの前であらためて思い、なんだか胸に熱いものが込み上げてきた。
フランシスカン・チャペルセンター
豊国神社