なんだか忙しいような週末
15日月曜日 | 14時より「こうもり」オケ付き舞台稽古 | |
16日火曜日 | 14時より「こうもり」オケ付き舞台稽古(実質ゲネプロ) | |
17日水曜日 | 朝から狭山スキー場に行き2時間ばかりトレーニング | |
18時より東京カテドラル関口教会で、2月分聖歌の選曲会議 | ||
18日木曜日 | 19時より「こうもり」初日 | |
19日金曜日 | ガーラ湯沢で一日スキー | |
20日土曜日 | 10時より1時間イタリア語レッスン | |
午後家を出て八高線に乗りお袋のお見舞い | ||
(藤岡市の介護付き施設) | ||
19時から新町歌劇団の練習 | ||
練習後、現新町歌劇団の元である新町公民館合唱団を立ち上げてくれた恩人である、同級生の田口和幸君たちと会食 | ||
21日日曜日 | 10時から東京カテドラル関口教会でミサの指揮 | |
ミサ後、聖歌隊の練習 | ||
14時から「こうもり」2回目の公演 | ||
「こうもり」終了後、合唱指揮者の及川貢(おいかわ みつぐ)さんと会食 | ||
昔話で大いに盛り上がり楽しいひとときを過ごす |
ああ、ウィンナ・ワルツ!
「こうもり」は快進撃を続けている。ハインツ・ツェドニクの演出は、見る度に素敵だなと思う。第2幕で、それまで前面だけ使った閉じた舞台であるが、「乾杯の歌」で中幕が開くと、「あっ!」と思うほど奥行きのある美しい奥舞台が現れる。
挿入曲のポルカ「雷鳴と稲妻」では、舞台前面でダンサー達が踊り、奥舞台で合唱団達が・・・あれはとてもダンスとは言えないな・・・マスゲームみたいに輪になって踊っている。至る所で歓声を上げながら、とってもとっても楽しそう。
そしてワルツが始まる。東京交響楽団は、舞台稽古最初の時はまだちょっと硬かったけれど、いつの間にか小粋なウィンナ・ワルツになってるじゃないの!ズンチャッチャの2拍目のチャッがやや早く来て、3拍目のチャは軽く短く演奏する、ウィンナ・ワルツ特有のニュアンス。
斉藤秀雄の指揮メソードの中には、そのニュアンスに対応したワルツの振り方というのがある。僕も学生の頃、必死になって練習した。その頃、テレビに小澤征爾さんが出ていて、ワルツの指揮をしながら、
「これが指揮法の最上級テクニックだ」
と言ってたりしていたから。
でも、それを実際にオケでやっても、いい結果は生まれないということが分かってからはやめた。特殊な場合を除いて。特殊な場合とは、オケ練習の最初に、ワルツのニュアンスをどのくらいの割合で出したいのか伝えたい時にだけはやるのだ。
2年くらい前に、京都市交響楽団と新国立劇場合唱団とのコンサートで「こうもり」序曲を指揮した時は、最初の練習でやってうまくいった。でもコンサートではもう普通に指揮した。
ヨーロッパの指揮者は、誰も特別な振り方はしていない。生粋のウィーン人で今回のマエストロであるアルフレート・エシュヴェも、普通に指揮している。これは指揮者がどうこう出来るものではないのだ。オケの楽員達がそれぞれ自分で感じないとダメなんだ。
だから小澤征爾さんがウィーン・フィルのニューイヤーで指揮した時も、普通に振っていた。きっと、どう指揮しても、ウィーン・フィルはウィーンのやり方でやるんだろうから、斉藤メソードの出る幕がなかったのだろう。
東響は、恐らく最初エシュヴェの棒の通りに演奏していたのだけれど、それではウィンナ・ワルツにはならないと気が付いて、自分たちで“ゆらぎ”を作ったに違いない。でも、そっちの方がいい。“指揮に従って”という方法だと、どうしてもわざとらしくなってしまうから。今の東響の“ゆらぎ”はちょうどいいのだ。それこそ、粋とか通とかの世界だから、ちょっとでも過剰になると、途端に野暮になっちゃうのだ。
クラシック音楽は、譜面の通りに演奏するのがモットーで、ジャズみたいに勝手に揺らしたりニュアンスつけたりしないけれど、その真面目なクラシック音楽の真っ只中に、こうしたウィンナ・ワルツのようなものがあるって素敵じゃない?
ウィンナ・ワルツは、クラシックの臍であり、それ自体がひとつの文化なのです!
244が教えてくれたスキーの極意
狭山スキー場があるお陰で、今年はまめにスキー場に行けるのがいい。夜から仕事がある時は、開店時間の朝10時に着くように行って、2時間くらいトレーニングに専念して、家に帰っても出掛けるまでにまだ時間があるので、1日が有効に使える。
17日水曜日。前から使っているVelocityを持って行き、基本はジャヴェリン・ターンで、時々角皆君の助言に従ってドルフィン・ターンを行ってみた。ドルフィンはイルカのことなので、イルカが海面からジャンプするようにスキー板のトップからジャンプし、空中で重心移動をしてまたトップから着地するというものである。しかし、どうも素晴らしく出来ている実感がない。確かにトップから上がりトップから降りているので、ドルフィン・ターンの必要最低条件は満たしているが・・・これは、今度キャンプの前に白馬に行って角皆君の個人レッスンを受けるので、その時にきちんと教わろうと思った。
たまにジャヴェリン・ターンの途中で、板を変えないで片足のまま下まで降りてみた。降りきったら、次に滑る時は反対足、というように・・・。その途中では内足でターンすることになるので、あまり意味のない練習だと言う人もいるけどね。でも僕は、ふたつの理由でこれを時々意図的にやりたいのだ。
ひとつは、板を交差させるジャヴェリン・ターンから、足を上げたまま板をフォールラインに向けて行くにつれて、交差して上がっている方の足は、しだいに僕の体を越えて外側に行く。その途中にニュートラルの状態を感じることが出来ることと、内足で滑っている時の外側に開いて上がっている足が、体をクロスオーバーさせて次のターンが始まると、またジャヴェリン・ターンの交差する位置に戻ってくるじゃない。その時にまたニュートラルを感じることが出来る。
ニュートラルを意識するのは、後で書くけれど、実は今の僕のひとつの重要課題。それに、板と体との関係、あるいは体勢の変化というものを体感し、これを意識の領域でもしっかりと把握するということが、有用でないはずはないのだ。
もうひとつは、角皆君が昔やってたスノウ・バレエというものにちょっと近い感覚を感じて楽しいのだ。僕は、角皆君の為に作曲もしたけれど、自分では当時、アクロバット・スキーになんぞに全く興味を持たなかったのであるが、今は違うんだな。
要するにスキーの持つあらゆる可能性に精通すること・・・たとえば後ろ向きに滑るとか、片足を上げていろいろな格好をするとか・・・も、スキーの大いなる楽しみ方のひとつなのだと、最近になって気が付いたのだ。
アルペンスキーのスラロームとかの映像を今でもよく見て、それなりに楽しんでいるのだが、僕はどうも、あれだけだと面白くないなあと思ってしまう。音楽との関わり方もそうで、僕は全然クラシック音楽一辺倒ではない。世の中にこんなに楽しい音楽が溢れているというのに、どうしてあえて目をつぶってクラシック音楽だけに固執する必要があるのか?
僕が音楽の道を志した頃、すでに僕は出遅れているのもいいところで、脇目を見る暇なんか確かになかった。でも僕は、マイルス・デイビスやソニー・ロリンズを聴くのをやめなかったし、角皆君が聴いてたBlood Sweat & Tearsやシカゴなどのロックバンドにも傾倒した。
そういう意味では、アルペンではなくフリースタイル・スキーに取り憑かれた角皆君と僕は、とっても似ているのだ。ということで、要するに僕の最終目標は、スキーの持つあらゆる魅力を味わい尽くしたいのだ。コブも新雪も悪雪も・・・その前にはタブーはないのだ。ステーキ用の肉だけでなく、モツもレバーもどこもかしこも食い尽くすのだ。
さて、狭山スキー場にVelocityを持っていたのは、Speed Chargerと477の2本を、すでに宅配便でガーラ湯沢に送ってしまっていたから。19日は、ガーラ湯沢だけではなく、湯沢高原スキー場と石打丸山スキー場との三山共通リフト券を持っていて、これを2本の板を取り替えながら滑りまくろうと思っていたのだ。
結局、湯沢高原スキー場には行かず、滑ったのはガーラと石内だけだった。でも、板が2本あっていろんなゲレンデがあるので、やることは山のようにあった。いつもだったら、滑り終わったあと電車に乗るまでの時間、ガーラの湯にはいって、
「ああこりゃこりゃ」
とゆったり過ごすのだが、なにせギリギリまで滑っていたから、そんな時間もなし。いやもう、最後の下山コースではヘトヘトになってセンターのカワバンガに辿り着いた。
244には期待していた。これを履いた途端、魔法にかかったようにコブがうまくなって、まるでモーグル選手のようにビュンビュン行く・・・なあんて思っていたのかね。甘かったね。世の中そう簡単にはいかないだろう。むしろ自分の技術の未熟さを見せつけられたような気がして、最初はちょっと落ち込んだ。
でも気を取り直して冷静に現実を把握してみると、この板は本当にコブに向いている。板はよくしなるし、軽いので操作しやすい。要するに、僕のこれまで乗っていたVelocityという板が、すでにコブに向いていたので、それとのギャップがあまりなかっただけなのだ。
それより、驚きは別のところから来た。244によって、意外にも僕の整地での滑りが一変したのだ。僕ねえ、みなさんにも提案したい。一度、このようにラディウス(半径~板のサイドカーブの割合)の極端に長い板をあらためて履いて、カーヴィングではないスキーって一体どうやって滑るのか?ということを今更ながら体験してみることを薦める。
僕が、数年前スキーを再び始めた時、スキーの板はカーヴィングになっていて、しかもカーヴィング・スキーをめぐる商業主義が誘導する誤った常識が跋扈していた。僕は数冊の入門書を買ったが、どれもこれも、
「カーヴィング・スキーは自転車と同じで、右に体を傾ければ右に曲がります。これが自然で楽なスキーです」
というものばかりだった。
その影響を受けて、ごく最近まで僕はひとつの重大な過ちの中に陥っていたのだ。それを説明しよう。
つまり僕は、「ターンは板を傾けることによって行われる」と思い込んでいたのである。それなので、切り替えの時に、すでに新しい外足の板を内側に傾けてしまっていたのだ。すると、どういうことが起きるかというと、ふたつのことが起きる。ひとつは、ニュートラルを感じにくくなるということ。もうひとつは、2本のスキーで狭いスタンスを作りにくくなるということ。
カーヴィング・スキーの常識では、切り替えの時に、すでに内側の板を、膝を外側に折って傾けて始めてもいいことになっている。あるいは切り替えの瞬間に両スキーを傾けることからターンを始めるというのもアリなのだ。すると、抜重という意識が希薄になる。まあ、整地をカーヴィングで滑っているだけだったら、それでもいいにはいい。でも、それだと、決して荒雪やコブなどの次のステップには進めないのだ。
244では、切り替えの直後に新しい外足を内側に傾けてもターンは始まらない。つまり、カーヴィングが利かないので遠心力が働かないのだ。それだから、むしろ板をまっすぐにしたまま、ややフォールラインの方を向いて重心を乗せながら回し込み、板が雪に平に乗って体が板の真上に乗るニュートラルを感じてから、ブーツで自分で回しこんでターンを完成させていくのである。これが僕を驚喜させた。
つまり、このようなカーヴィングのない板でターンの円周を決めようとしたら、全て自分の意思で行わないといけないのだ。ロング・ターンなのか?ミドル・ターンなのか?ショート・ターンなのか?あるいは縦長Sのターンなのか?横長Sのターンなのか?自分で意のままに回し込んで百パーセント決めるのだ。
こんなことは、ずっとスキーをやり続けて今に至っている人には、あえて言う必要もないほど当たり前のことだろう。でも、僕は違うんだ。20代の頃チョコチョコッとやって、それから何十年とやってなくて、再開して気が付いたらカーヴィング・スキー全盛時代。 しかも、スキーの具体的な上達はすべてお気に入りのカーヴィング・スキーVelocityでやってきた。いろんな違いがよく分からないまま。だから、カーヴィング・スキーの弊害に対して、あまりにも無防備であったのだ。
今の僕は、切り替えの後、結構まっすぐ立っているし(勿論前傾はしているんだよ。内側に入っていないという意味)、狭いスタンスで滑っているし、なによりも、シュプールの円の形が良くなってきたのだ。
ここにきて初めて、かつて僕を再びスキーとの出遭いに導いてくれた、角皆君が発した謎の「ターン弧」という言葉に、僕の意識は辿り着いたぜ。どんなときでもターン弧を美しくすること。自分のシュプールを美しくすること。これが今の自分の目標。
もう一回、ターンを整理します。
ターンの終わりでギュッて膝を曲げて重力を受け止める。
重心はカカト側に移っているが、曲がった膝によってスネでブーツのベロは押されている。
ストックを突いて「よいしょ!」と立ち上がる。そして反対側の足に乗ると同時に、体を前に移動させ(やや谷側を見る)、新しい外足のスネがブーツのベロに当たるまで前傾して新しいターンを始める。
その時、僕の意識にはジャヴェリン・ターンがある。切り替え直後にきちんと重心移動が出来ているかが問題なのだ。フォールラインを越えて、山まわりになった状態でのジャヴェリン・ターンだったら誰でも出来る。でも、切り替え直後で、板がまだ横向いている状態からジャヴェリン・ターンを始めようとしたら、スネがベロに当たっていないと絶対無理なのだ。
僕は、心の中でジャヴェリン・ターンをしながら新しいターンを始める。あるいは本当にする時もあるし、新しい内足の板のテールをちょっと上げながら、内足から重心がしっかり抜けているのを確認することもする。
完全な外足加重。これがスキーの基本の基本。これをおろそかにしたらスキーは道を誤る。
このフォームで急斜面を滑ると、244のような軽い板でも、きちんと安定してスピードが出せる。と、思っていたんだが、後で下山コースを通って一度カワバンガに戻って板を変え、Speed Chargerで同じところを滑ってみた。すると・・・・。
Speed Chargerはどこまでも凄い板だ!なんなんだ、これは!やっぱり、角皆君との試乗会での印象のように、244が軽自動車ならばSpeed Chargerはベンツだね。雪面にピタッと貼り付いてビクともしない。人の少ない石打丸山スキー場山頂からの急斜面を、かなり縦長Sで滑ってみた。
その日僕は恐らく、僕の生涯においての最高速度を出して滑っていたに違いない。本当は恐かった。「今コケたら死ぬな」と思った。でも、このフォームさえ保っていれば絶対に大丈夫、という安心感が僕を支えていた。
不思議なのは、スピード値が上がると、何故か自分の中の意識が変わるのだ。恐怖と覚醒とは隣り合わせにある。これまでにない速さを体験した時、僕の魂の中でSpiritの殻がベリッと音を立ててはがれ落ちるのを感じる。重力と遠心力というパワーの拮抗の中で、
新しく外界にさらされた雛のようなSpiritは、不安な眼差しであたりを見回す。それは、より軽く、より透明で、繊細で、脆く、危なげだ。
しかしそのSpiritは、より光に近く、光を愛する。Spiritは、いつの間にか広がった翼を大きく広げ、大空に向かって飛翔する。
そして嬉々として、どこまでも高みをめざして飛んでいく。
光に向かって。