松風

三澤洋史 

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3月キャンプ追加募集中
 「マエストロ、私をスキーに連れてって」3月キャンプの追加募集中です。募集要項を新しくしたので、そちらを参照にしながら、興味のある方は是非今からでも応募して下さい。

結果として、全てのレベルの方が参加可能になりました。 

松風
 細川俊夫作曲のオペラ「松風」の公演を観たいと新国立劇場のプロデューサーに言ったら、いつもなら問題なく関係者席で観せてもらえるのに、今回ばかりは、
「3日間とも超満員で、もう関係者席もいっぱいいっぱいです。申し訳ありません」
と言われた。仕方ないので、2月16日金曜日の「ホフマン物語」の夜の立ち稽古を抜け出してゲネプロ(総練習)を観た。期待に違わぬ素晴らしい作品であった。

 実は、細川君は昔から知っている。ベルリン留学時代、僕は尹 伊桑(ユン・イサン、Isang Yun大韓民国出身の作曲家1917-1995年)クラスの作曲科学生の何人かと親しく付き合っていた。その中には松下功さんや三輪眞弘君などがいるが、ある時、ドイツ人のマルチン(ファミリーネームは忘れた)という友達から頼まれて、ヒルヒェンバッハHilchenbachというジーゲンの近くの小さな村で開かれた現代音楽セミナーに参加することとなった。
 それは受講する作曲家の卵たちが書いたオーケストラ曲を、シーガーランド管弦楽団が演奏し、それについての様々なアドヴァイスを尹 伊桑氏が与えるというもので、僕はマルティンの作品を指揮しに行ったわけである。そこで、細川君とも交流を持つこととなった。
 細川君はその当時から、他の学生達から抜きんでた別格的存在で、驚いたのは、僕がベルリン留学中に、なんとベルリンフィルの定期演奏会で彼の作品が演奏されたことだ。その後、彼はフライブルグの音楽大学に移って行って、彼との交流はとりあえず中断することとなる。

 さて、オペラ「松風」であるが、あの頃と彼の作風は大きくは変わっていない。というか、僕はその間にも、合唱コンクールなどで演奏される彼の合唱曲などに、審査員として接してはいたから、彼が基本的には自分のスタイルを守り続けていたのは知っていた。
 この作品の上演の成功に関しては、演出、振り付けのサシャ・ヴァルツによるところが大きい。どちらかというと舞踏公演に近い。この作品をオペラと呼んでよいものか僕はとまどう。そう言うと、では、オペラとは何なのかという定義の話になってしまうけれど・・・・。はっきり言えるのは、舞踏の力がなかったら、この作品は成り立たないこと。逆に、仮に歌がなかったとしても成り立つのではないかと思う。僕は悪口を言っているのではない。何故なら、どう定義付けてもいいのだが、劇場におけるパフォーマンスとして第一級のものに仕上がっていることに疑問を挟むことは出来ない。まあ、それでいいではないか。
 薄暗い中、ダンサーが入場してくる、風の音が聞こえている。太鼓の一打による音楽らしい状態になるまでの時間は決して短くはない。細川君の音楽は、とても円熟し深まっていると思う。と同時に、とても聴きやすくもなっている。タッチはむしろいわゆる20世紀後半の現代音楽という、現代から見るとかえって古さをも感じさせる作風だが、ソノリティ(音響的あり方)には前衛的トゲがなく、やさしくなっている。それが始終薄く支配していて、独特の音響空間を作り出している。
 オペラに、音楽によるドラマチックな情感を期待する聴衆にとっては、寝てしまうか貧乏揺すりしてしまうかどちらかであろう。反対に、これが“能”的世界だ、と言われればそうなのかとも思う。僕には、カトリックな瞑想の世界を描くとか言いながら、時には攻撃的な騒音の羅列でしかないメシアンなんかよりはずっと好感が持てる。
 約1時間半足らず、この視覚と聴覚による独特の劇場空間に身を任せているのは心地よかった。少しも飽きなかった。心の中には、優れたものを味わったという充実感があった。

 ゲネプロが終わって「ホフマン物語」の立ち稽古に戻ろうと急ぎ足で廊下を歩いていたら、僕の代わりに合唱を担当している冨平恭平君と話している細川君に会った。
「ブラボー!よかったよ!」
と細川君に握手しながら短く言って、僕は練習場エリアに戻って行った。

 あ、そうそう、合唱団の中には、「ナディーヌ」や「おにころ」で歌ってもらっている前川依子さんや、先日東京バロック・スコラ-ズでアルト・ソロを歌ってくれた吉成文乃さんもいたけれど、みんなあの無調音楽に取り組んで、よく頑張っていた!前川さんなんか、僕が「ホフマン物語」のメンバーとして選んでいたのに、
「三澤さん、私、現代音楽大好きなので、『松風』の方に行きたいのです。どうか行かせて下さい。お願いします!」
と直談判して「松風」組に加わったのだ。そんな心意気が伝わってくる合唱団だったよ。彼ら、歌だけでなく風鈴や鈴なども演奏しながらの熱演。その風鈴が作り出す音響空間が独特だっただけに、広い意味で公演に多大に貢献していて、僕も誇らしい。

オリンピックと国際的視野
 僕の家のパソコンのプロバイダーはBiglobeなので、ブラウザを開けるとBiglobeのホームページがまず開かれる。羽生結弦(はにゅう ゆずる)選手がショート・プログラムで首位を取った次の日、Biglobeのホームページにこんな記事が出ていた。
「江川紹子さんのツィッターが炎上」

 ジャーナリストの江川紹子さんは、大のオペラファンであり、新国立劇場にも足繁く通って、新国立劇場合唱団のこともテレビなどで褒めてくれたと思えば、最近では、僕が名古屋でやっている愛知祝祭管弦楽団の「ニーベルングの指環」公演に、わざわざ東京から駆けつけてくれて、いろんなところにコメントを書いてくれてもいる。だから気になってクリックして先を読んだ。
 それは、テレビなどのマスコミの報道姿勢を問う記事を、江川さんが自分のツィッターに載せたものに対する反論であった。江川さんの記事は次の通り。
「テレビの人へ。『日本人スゴイ!』じゃなくて、『羽生選手すごい! 宇野選手すごい!』だから。」
それに対する反論にはいろいろあったが、次のようなものが主。
「日本人が凄いと気にくわないんですか?」
「よほど日本人がお嫌いなんですね! そんなことばかり考えてるんですか?面倒くさいですねぇ 」

 これを読んで、僕は心底悲しくなった。まず、反論する人が、江川さんの真意をまるで理解していないので、そもそも反論になっていない。それなのに、雰囲気だけで「ウザい」と思う人達が、なんの躊躇もなくたちの悪いクレーマーのように大挙して反論し、その結果、炎上という事態を引き起こす、現代のこの現象。
 この後のおきまりのコースは「謝罪と発言の撤回」ということなのだろう。このレールは、近年のマスコミが敷いたものであり、みんなも乗せられているだけなのだ。自分のプロバイダーなんで、あんまり言いたくないんだけど、なんでこんなことをわざわざ「江川さんのツィッターが炎上」と記事にするの?

 平昌冬季五輪中継を楽しく観ているが、かねがねいつも疑問に思っていたことがある。普段、誰かが愛国主義的な発言をすると白い目を向けがちなテレビも新聞も、どうしてこんな時だけ純粋国粋主義者になってしまうのだろうか?

 スノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢(ひらの あゆむ)選手が、あれだけ頑張ったのに銀メダルであった、残念!という気持ちは分かる。しかし、たとえば平野選手を破って2大会ぶり3度目の優勝を果たした米国のショーン・ホワイトの名前を正確に知ろうとネットを検索したが、どこにも出ていない!
 仕方ないので、家でとっている朝日新聞と東京新聞を見たが、両紙とも第一面で、日本選手以外の名前を目にすることはなかった。

 僕は思う。世界中から強豪が集まって競い合うオリンピックというもので、伝えるべき本当のドラマというものをマスコミは何一つ伝えていないと。ただ、東京新聞の21面で、「平野 王者と世界一の勝負」という見出しで、ショーン・ホワイトとの勝負の様子を詳しく伝えていたのにはちょっと救われた。そして平野選手の語った言葉の重さを感じた。
「彼(ホワイト)の滑りも完璧だった。自分も楽しめた。過去一番の大会」
つまり、それだけレベルの高い大会であったことに平野選手は誇りを持っているのだ。 仮に、ホワイトが変なミスをしたお陰で金メダルを取ったところで、平野選手はちっとも嬉しくはないのだ。最高の舞台で戦ったということが、彼の誇りであり喜びなのだ。これこそ真のスポーツマン・シップなのだと思う。
 19歳の平野選手にとって、ずっと憧れの存在であったというホワイトはすでに31歳。優勝が決まった瞬間、ホワイトは雪上にひざまづき、むせび泣いた。彼は、まさに平野選手によって闘志を奮い立たされ、3回目でDC14という大技を決めた。
「アユムの後押しのおかげでできた」
と平野選手に感謝している(東京新聞21面)。
 ホワイトにもホワイトの人生がある。31歳というアスリートにしてはすでに年配の部類に入る「あとがない感」もあるなかでの五輪。そもそも、この2人は敵同士ではない。競技を通じてつながっているのだ。そして、2人とも素晴らしい力を出し合って競技をしたのだ。こういうところにマスコミはもっと焦点を当てて欲しい。

 オリンピックは世界の祭典。だけど、それぞれの国がただ自国の選手が勝つことだけを望んで応援していたら淋しいではないか。そうではなくて、各種目ごとに“世界の頂き”を観ることが出来るオリンピックで、真の勇者とは誰か?頂点とはどんなレベルで、どんな人達がどんな風に自分の力を出し切るのか?見届けようとするのが、本当の楽しみ方のような気がするのだ。

 先ほど話題に出た羽生結弦選手に向けられたマスコミのいつものありきたりのくだらない質問に、彼は答えた。
「僕はオリンピックを知っているんです」
「僕はチャンピオンなんですよ」
この発言だけ取り上げたら生意気に聞こえるだろうが、彼の真意は違う。同時に、彼はこう言っていたのだ。
「4年前のフリーのリベンジをしたい」
この言葉の意味が分かるだろうか?

 ソチ・オリンピックのフリーでは、彼は金メダルを取っているのだ。では、どうしてリベンジか?彼は、フリーでミスを連発した。滑り終わった時彼は、
「負けた!」
と言ったのだ。それは、後から滑る金メダル候補のパトリック・チャンに首位を取られるに違いないと思ったから。ところが、あろうことかチャンの滑りもミスの連続で、結果的に羽生選手は金メダルを手にした。
 マスコミはこぞって羽生選手の金を讃えたが、羽生選手の顔は晴れなかった。彼はインタビューでも「悔しい」を連発した。でもその声はマスコミの「金メダル万歳」の声にかき消され黙殺されてしまった。
 羽生選手の発言は、平野選手同様、真のアスリートとしてのもの。でも、その心に誰も寄り添っていない。誰もアスリートの心なんて分かろうともしない。失敗したって別にいいじゃない、金メダル取れたんだから、という短絡的な解決でもう幕を引いておしまい。

 それはそうと、江川さんのツィッターに「よほど日本人がお嫌いなんですね」などと反論して炎上させた人に聞きたいのだが、なんでみんな日本人が金メダル取ったらそんなに嬉しいの?普段そんなに日本なんて国、愛してもいないのに。それって、たまたま東京に住んでるから巨人ファン、たまたま広島に住んでいるからカープ・ファンっていうのと変わらないよね。
こういう言葉がある。
「愛国心とは、たまたまその国に生まれたというだけで、なにかその国が特別良いかのように錯覚する心」

 僕は、日本が大好きである。人一倍愛国心に溢れている人間であることを自負している。でも普段、新国立劇場で指揮者も演出家も歌手達も外国人で溢れている中で仕事している自分は、その中で日本人の音楽家ばかり特別視するという感覚がない。
「日本人だから特別頑張れ!外国人に負けるな!」
という気持ちも全くない。実際日本人歌手達もそう思ってはいないと思う。何人であれ、優れた者が評価される、という常識の中で生きているから。

 アスリートもそうだと思う。たとえば平野選手も、羽生選手も、対戦する相手と「はじめまして」などということは決してない。だって、オリンピックは4年に一度しかないけれど、その間に何度も何度もワールドカップで顔を合わせている間柄だし、ある意味、友情すら生まれているのだ。
 だからホワイトの、「アユムのおかげで・・・」というのも本音だと思うし、ソチで羽生選手が「負けた」と思った時、ライバルのパトリック・チャンならやるに違いないと思ったのは、チャンに対するリスペクトがあったから。

 そういうところこそが、インターナショナルな饗宴であるオリンピックの醍醐味である。そこをマスコミは伝えて欲しいのだ。平野選手を破ったショーン・ホワイトのプレイの素晴らしさを誰も語ってはいないだろう。いや、ホワイトの名前すら、みんな覚えていないのではないか。
「日本の平野、2位」
だけを伝えるマスコミ。
「日本、2位、すげえ!」
とだけ受け取る日本人。これに対して江川さんはコメントを言っているのだ。

 かつての東京オリンピックの時、僕たちはマラソンで3位になった円谷幸吉選手をあがめたと同時に、そこでの勇者アベベ・ビキラを讃えたではないか。マスコミが「裸足の王者」として僕たちに伝えてくれたから。
 他の種目でも、日本人選手のことだけではなく、体操のベラ・チャスラフスカなど、オリンピックで優勝する外国人選手達に焦点を合わせてくれることも忘れなかった。そこには健全なマスコミの、一種啓蒙的な姿勢があったのだと思う。
 国民の意識を正しい方に導くのもマスコミの使命だと思う。それなのに現代では、国民の意識が低ければ、その低い方に迎合するマスコミの姿勢しか僕には見えない。その背後に、「売れればいい。儲かればいい」という経済原理最優先の方針を感じてしまうのは僕だけであろうか?

「敵にも自分と同じような人生があり、敵を倒せば悲しむ者がいる」
当たり前のことであるが、みんながそう本気で思えるならば、この世から戦争はなくなる。オリンピックは、世界中から肌の色や言語や風俗習慣の違う選手達が集まり、その中で、平野選手も羽生選手も「自分自身と戦っている」。そして勇者が勝利を手にする。日本が勝つのではない。他国が負けて「ざまあみろ」ではない。そもそも、敵なんてどこにもいないのだ。

 日本人が、こうした国際的視野を持ってオリンピックを観ることが出来るまで、まだ50年以上かかるなあ。



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