「ホフマン物語」上演中
「ホフマン物語」に来てくれたお客様の大部分は満足して劇場を後にしているに違いない。でも、演目に馴染みが薄いのか、オッフェンバック作曲というのが軽く見られてしまうのか、劇場の入りがイマイチなのが残念。
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776年1月24日 - 1822年6月25日)はドイツ・ロマン派の時代に生きた人であるが、作家である他、作曲家、音楽評論家、画家、法律家としても知られ(要するに何でも出来る人)、「くるみ割り人形」の物語の作者としても知られる。この人自身が霊感のある人だったようで、荒唐無稽な幻想文学の奇才として有名だ。
そのホフマンの作品から3つの物語を取り出し、オムニバス形式でつなげたユニークなオペラが「ホフマン物語」だ。ホフマン自身もこの3つの物語に登場し、それぞれ違った3人の女主人公に恋をし、破れる。
作曲しているのは、喜歌劇「天国と地獄」で有名なジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819年6月20日 - 1880年10月5日)。ところが、作曲家自身が、この作品を完成しない内に亡くなってしまい、実はこの作品には決定版というものがない。そうこうしているうちに、近年、「ホフマン物語」に関係あると思われる大量の自筆楽譜が発見され、それをもとに、それぞれのプロダクションが新しいバージョンを作って上演されることがむしろブームになっている。
新国立劇場の「ホフマン物語」も、初演当時のオペラ部門の芸術監督であったトーマス・ノヴォラツスキーが、いくつかの版をもとに組み合わせた、世界でひとつしかないシンコク・スペシャル・バージョン。
当時僕は、合唱指揮者と音楽ヘッド・コーチを兼ねていて、ノヴォラツスキーの片腕となっていて、当然のごとくこのニュー・バージョンのお手伝いも担当していた。ノヴォラツスキーが、
「こことここをつなげたいんだけど・・・」
と言うと、
「ええっ?そのままでは無理・・・・うーん・・・じゃあ、こうしたら?」
という風に、実際の音楽的なカットや連結を担当していたので、このバージョンには実に思い入れがあるのだ。
演出家のフィリップ・アルローは、もとが照明家だけに、色彩感に溢れ、様々な工夫を凝らした楽しい舞台に仕上げている。この人、とっても陽気で楽しい人なんだけど、ちょっとテキトーな人なんだ。練習中にアイデアに詰まると、いつも高笑いをして誤魔化すので、「だいじょうぶかなあ?」とみんないぶかりながら見ていたけれど、出来上がってみると、この作品だけでなく「アンドレア・シェニエ」も「アラベッラ」も、みんな素晴らしいものになっている。やっぱり、才能あるんだな。
というので、3月6日火曜日、10日土曜日と、あと残すところ2回公演しかないけれど、今からでも遅くないので、ホフマンの不思議で幻想的な世界に是非いらしてください!
コブを求めて
3月のキャンプが近いので、ウォーミングアップを兼ねて、先週は2月27日火曜日と3月2日金曜日の2回、「ホフマン物語」の合間を縫ってガーラ湯沢に行ってきた。
2月27日の方は快晴。高津倉山頂から眺める南魚沼平野のパノラマは、90年代前半に夢で見たデジャブの景色。でも、数年前に初めてこれがデジャブだと気付いた時の驚きはすでにない。それだけ、現在ではこの景色を眺めることは特別ではないのだ。毎年何度もガーラ湯沢には行っているからね。だからこそ、そんなことを夢にも思わなかった90年代前半の夢と、現在のスキー三昧の日々が、時空を超えてつながっていることが不思議でならない。
高津倉山頂
63歳の悟り
お誕生日が来て、僕は63歳になった。そんな僕は、これまで何のためにこんなにスキーにのめり込んでいるのだろうかと思っていたが、今年になって「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプを親友の角皆優人君とのコラボで開催するに及んで、自分の今の状態を客観的に見ることが出来るようになった。
では、僕は一体スキーの何にそんなに惹かれているのだろうか?それは、スキーというものが「受けとめるスポーツ」だからなのだ。そして、僕がこの歳になって悟らなければならないことがあるとすれば、それは、職業である音楽を含む全ての僕の日常生活において、「受けとめる」ことを徹底的に学ぶことから始まるのだ。
スキーとは、対応する柔軟さの求められるスポーツ。整地、荒地、コブ、新雪、急斜面、パウダースノウから湿雪など、様々なゲレンデの形状に対応し、重力と遠心力との拮抗に対応していく。先ほどの記事で言ったように、わずか2日の間に、同じゲレンデが全く異なるコンディションになってしまうことも稀ではない。その中で、勿論、自分から何かを仕掛けていくことは出来るが、物事は全て因果応報。仕掛けた結果、ただちに自分に立ち向かってくるものを引き受けるのは、他ならぬ自分自身。
超高速で斜面を滑走するなら、自分の腿にかかってくる重力を受けとめ、抜重で解き放つ筋力を養わないといけない。コブ斜面に入っていくのは自由だが、翻弄されるのも自己責任。その瞬間瞬間でめまぐるしく変わっていく斜面の状態に、安定性を保ちながら滑るためには、実は自分からもの凄くアクティブに動いていなければならない。でも、結果的にそのアクティビティは、すべて「コブを受けとめる」ためのパッシブなもの。アクティブな要素の内にパッシブなものを含む、この不思議さよ。
僕は、新国立劇場合唱団の指揮者として、彼らに練習をつける。その時に考えることは、どうやったら限られた時間で、彼らに、「与えられた曲に相応しい表現力」や「言葉のさばき方」を身につけさせ、暗譜にまでもっていくかということ。自分のやりたい音楽に彼らを無理矢理従えさせるのではなく、彼らが最大限に自分たちの力を発揮できるかに全神経を集中していく。
それって、自分に立ち向かってくるコブをさばきながら、結果として全ターンをひとつの美しい作品として成立させようとする行為に似ている。
日が延びて暖かくなってきたので、4歳の孫の杏樹とふたたび戸外に出て遊ぶことが始まった。ストライダーに乗り、小高い丘から何度も何度も走り降りる。僕は下で待ち構えている。ストライダーはスピードが出るので、一歩間違うと激しく横転する危険がある。 一度などは僕のすぐ後ろにある木に激突しそうになったので、僕はタックルするように杏樹を前方から抱え込んだ。つまり、杏樹には自由に走らせておいて、いざとなった時にどうとでも対応出来るように構えておくのである。
杏樹との関わり方も、こうした「受けとめる」やり方。こちらから、こうしなさいああしなさいではなく、好きなことをやらせておいて、サポートに徹する。
オペラの指揮も同じだ。自分のエゴだけを通そうとして歌手達とぶつかり、みんなに窮屈な思いをさせるのはオペラのマエストロとして失格。理想は、歌手達にとって「このマエストロのもとでは、いつも自由に歌わせてくれるので、ホントのびのび歌えるわ」と思わせておいて、実は自分の思う通りの音楽になっている状態。受け容れ、受けとめておきながら、結果的に究極的な自己実現をも成し遂げる。これが人生の極意ではないかな。
「こだわり」ではなく「気づき」を大切にしたい。気持ちをいつもニュートラルな状態にして受け容れ体勢を作っておき、どんなささいなことでも、そこに真実があるなら気づくことが大切。
そんな時、もし自分の中に変な「こだわり」があったら、真実があっても気づかないで通り過ぎてしまう場合がある。「こだわり」は、悪く言うと、自分で自分に殻を作ってしまうこと。「気づき」を導き出すためには、すべてを「受けとめる」自由で力の抜けた精神状態でいることが必要。
この精神状態は「悟り」という言葉で置き換えることが出来る。
だからつまり僕は、63歳にふさわしい悟りを手にしたいのだ。しかしながら、それは座禅を組んだり禅寺に籠もったりすることではなく、まったくの日常生活を送りながら、そしてまったく普通の「三澤さん」として生きていながらの悟りでありたい。
さて、もうすぐ「マエストロ、私をスキーに連れてって」3月のキャンプがある。
この最も僕らしい企画においても、僕は自分と向かい合い、そしてこの企画を求めて集まってきてくれる全ての人達が、ハッピーな気持ちで無事全行程を終えるまで、僕はいろんなことを「受けとめる」人になろう。
そうだ、63歳の悟りへの挑戦は、すでに始まっているのだ!