コンガのレッスンに行ってきました

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

コンガのレッスンに行ってきました
 6月1日の鎌倉芸術館における「帆船日本丸を愛する男声合唱団の定期演奏会」がだんだん近づいてきているので、合間を縫ってコンガの練習をしているが、どうも自己流だと良くないので、思い切ってレッスンを受けようと決心した。
 というより、次女の杏奈が家に遊びに来た時に僕の叩いている音を聴いて、
「パパ、そんな音でコンガ奏者として人前に出るの?恥ずかしいから、ちゃんとレッスンに行かないとダメだよ!」
と一刀両断に言われた。いやあ、身内はキビシー!
 でも、僕にとっては良かった。何故なら、妻はコンガの音がそもそもうるさくて嫌だから、僕がレッスンに行くなどというのも許してくれる雰囲気ではなかったから。少なくとも、杏奈は前向きな意見を言ってくれて、僕の背中を押してくれた。それで妻も承諾してくれた。

 さて、お許しが出たので先生を探そうと思ったが、僕の知り合いは当然のことながらクラシックの畑の人ばかり。オーケストラのパーカッション奏者とかいうのではなくて、もっとラテン音楽に精通している、いわゆる“コンガ奏者”じゃないと意味ないんだよなあ、と思いつつ途方にくれていたが、ひとりだけコンタクトを取りたいと思っている人がいた。
 それは、僕がコンガを買って練習を始めた時に、一番始めに辿り着いたYoutubeのレッスン映像で叩いていた人であった。本間修治という。僕は、楽器を買ったはいいが、右も左も分からない状態から、その人のお陰で、コンガという楽器の基本的な叩き方を曲がりなりにも教わることが出来たのだ。


それで、名前で検索をかけてみたら、すぐオフィシャル・ホームページが出てきた。(事務局注: リニューアル時にオフィシャルホームページが使えなくなっていたのでブログにリンク)
早速、そこに書いてあったメールアドレスで連絡を取り、今日すなわち4月23日月曜日の午前11時に本間先生の自宅を訪ねた。一軒家の3階の二重扉による完全防音室がレッスン部屋。コンガ2セットの他に、ドラムスやカホンやウィンドチャイム、電子ピアノなどが置いてある。

 いやあ、やっぱり自己流というのはダメですなあ。第一、出る音が全然違う。専門家というのは凄いね。コンガという楽器は実に奥が深くて、ちょっとした手の角度や当たる掌の面で、全然異なる音が出るのだ。僕は、チューニングや楽器と自分との距離や角度から始まって、体の姿勢、腕の角度、掌のどこを使ってコンガのどの部分に当てるかを、事細かく教えていただいた。本当に親切な先生だ。
 オープンと呼ばれる普通のポンという音一つとっても、なかなか難しい。コンガ独特のヒール・トゥという言われる奏法なんか、これまで全然違う音を出していた。中でも最もコンガらしいスラップと言われるパツッ!というカッコいい奏法なんて、話にならなかった。
 先生は、
「これは1年かかりますよ」
と言っていた。でも僕は、アプローチする指の形などを教わって、何度か試している内に、まぐれでパツッ!と出来た。先生は、
「え?今、出来た!」
と言って、びっくりしていた。なんかの拍子に出来る。左手でも突然出来た。
「え?また・・・」
それからあらためて、
「一回で出来た人初めてですよ!やっぱり指揮者だからですかね」
と言ってくれた。いやあ、まぐれだってば。
 夕方家に帰ってきてから自分の家の楽器でやっても、出来たり出来なかったり。まあ、この命中の確率をだんだん上げていけばいいのだけれど・・・でも6月1日なんてすぐ来てしまうなあ。5月に少なくとももう一度は必ず本間先生のお宅に行く。

 レッスンを受けながら、こういう感じ、どこかで味わったなあ、と思ってよく考えたら、そうだ、スキーのレッスンだ、と気が付いた。あのね、やっぱりコンガも身体意識なのだ。それで、この身体意識を全開にして集中すると、こんな僕でも良い音が出るんだね。

 いやあ、なんとも楽しい!でも、難しい。でも楽しい。そういえばサンタナのライブに日本武道館に行ってコンガにすっかり夢中になってから1年経つんだね。その間にコンガが大活躍するミサ曲を作って、コンサートにもコンガ奏者として出演するようになった。まったく、人生、こんな楽しいことばかりしていていいんかな?


本間修治先生

とても日本的な“パワハラと忖度”
 本屋に行くと、「朝日新聞が安倍総理を貶めようとして森友学園や加計学園の問題を無理矢理起こした」という記事が出ている。興味を持って読んでみると、なるほど一理ある。最初は、森友加計問題なんて取るに足らないもので、すぐに収束するだろうと思っていたが、その予想を裏切ってここまで後を引いてしまったということは、確かに意図的な力が働いていた可能性がある。
 そうした記事の中で、安倍総理や総理夫人の昭恵さんがこの件に関与した具体的な証拠は、恐らく立証出来ないであろうという見解が多数を占めている。それなのに、朝日新聞は、どうしても安倍総理を貶めたいがために、「忖度」という曖昧な言葉を使って、国民に限りなくグレーな印象を植え付けている、この印象操作は卑怯なやり方だ、という論調が目立つ。これもその通りなのかも知れない。

 しかしながら僕は、別の角度からこの報道のあり方には大きな興味を持っている。それは、具体的な証拠は立証できないかも知れないが、我が国には確かに「忖度」というものが存在しているという事実があり、そこにマスコミが目を付けたという点だ。
 忖度は、直接的なやり取りとしてその足取りを残さない。それ故に、上に立つ者の不祥事が指摘されても、
「自分は知らない、下の者が勝手にやったのだ」
と逃げ切ることが出来るのだ。そして、必要とあらば、トカゲのしっぽ切りがいとも簡単にできて、上に立つ者は常に安泰でいられるのである。
 それは、太平洋戦争の時期において、軍部が、天皇の意思を忖度するということにして、数々の勝手な決断や行動を行った、ということに始まり、会社の不正行為で、一般社員がみんな悪いことだと知りながら上司に逆らえなかった事件とか、ある意味、我が国特有の現象となっている。
 組織のナンバーワンは象徴的存在となっていて、ナンバーツー以下が、ナンバーワンの顔色をうかがいながら忖度して事を行う。そうして双方うまい汁が吸えるように持っていく。しかしながら、うまく行かなかった時には、双方言い逃れが出来るとも言えるし、時には醜い責任のなすり合いにもなる。組織の中では、こうした「顔色を伺いながら上手に立ち回ることの出来る者」が有能な者とされている。

 朝日新聞のやり方が本当にねつ造なのかどうか、僕には現在のところ判断できるほどの情報を持ち合わせていない。でも、僕がマスコミに期待したいことは、ここまで掘り起こしてしまったのだから、いっそのこと、日本人という国民に体質的に巣食っているこうした“忖度の文化”にしっかりメスを入れてくれないかなということなのだ。
 では、どうしてこの“忖度の文化”がいけないかというと、これはナンバーワンとナンバーツーの双方にとって居心地の良いシステムではあるけれど、ナンバーワンの権力を強め、周りに溝を作り出し、そのことによってパワーハラスメントの温床を作ってしまうのだ。そしてもっといけないことは、パワハラを行使するのは本人ではなく、むしろナンバーツー以下のことが多いので、権力の頂点にいる本人にその自覚がないことなのだ。
 ナンバーツーにとってみると、ナンバーワンの権力を利用して、自分の勝手な思いを遂げることが出来るので、ナンバーワンの権力をなるべく強く見せることが必要になる。同時に、ナンバーワンに嫌われては元も子もないから、どうしても不自然に媚びへつらうことになる。そうして、「上には気に入られようと良い顔をし、下には権力を盾に威張る」性格の人間を作り出していく。
 みなさんの近くにも、そういう人いませんか?つまり忖度は「パワハラとセット」になっているのである。この卑屈ともいえる我が国の文化に、僕はメスを入れて欲しいのだ。

 安倍さんは、最初の時期に、
「私や昭恵が関わっていたとしたら、私はただちに総理大臣も議員も辞める」
とまで言ってしまった。うわあ、そこまで言っちゃっていいの?と、僕だけでなくみんな思ったでしょう。だけど、もしその発言そのものが、
「だから部下の者たちよ、忖度よろしく頼むよ。さもないと、分かっているだろうな」
というパワハラとセットになっていたとすれば、本当はそれこそがとても大きな問題ではないか。
 言った本人は、恐らくそれがパワハラだと気付いていないかも知れない。でもそれを受けた部下の者が、書類を改ざんという善悪の一線を越える人道的問題を犯してでも首相の想いを遂げなければいけないという圧力を感じたとすれば、これは大きな流れで考えると、やはり首相の罪にあたる。
 それでも、これが闇から闇へ葬り去られることなく、後から、ないはずの文書が出てきたり改ざんの跡が発見されたり、ということが起こったのだから、まだどこかにバランス感覚や健全な批判精神が我が国に残っている証拠かとも思う。だからといって、日本の社会からそういう“忖度を強要するような環境”を根絶しようという気運が、今回の事件をきっかけに国民の間に起こっているかというと、どうもそうでもないなあ。
「うちの会社でも、同じようなことが起こっているけれど・・・うーん・・・仕方ないんじゃないかな」
といったあきらめムードの中に、日本人がいるように感じられる。

 そうした中、実は僕の身辺でも似たようなことが起きていた。早い話、僕は忖度を強要されていたけれど従わなかった。それでカトリック東京カテドラル関口教会聖歌隊指揮者を辞めることになった。
 これから僕が話すことは、出来れば「今日この頃」では言いたくなかったのだが、今や自分の知らないところで様々な噂や風評が飛び交っており、変に誤解されたままでいるのは本意ではない。なので、なるべく私情を交えずに事実だけを淡々と語ろうと思う。

僕が関口教会を辞めたわけ
 復活祭の主日(4月1日)の後の4月4日水曜日、僕は、出向いた先の関口教会内の司祭執務室において、主任司祭から辞任を言い渡され、突然関口教会聖歌隊指揮者の任を解かれた。
 僕は、そのまま主任司祭から転出届の用紙をいただき、記入して彼から直接サインとハンコをいただき、関口教会を転出して、教会の籍を元の立川教会に移し、僕は3年半ぶりに再び立川教会の信徒に戻った。

 辞任の直接の理由は主任司祭に対する不従順ということである。何故かというと、昨年の年明け早々、僕はやはり同じ司祭執務室において彼より、
「ミサの間、一般会衆に向かって指揮をしないでいただきたい」
と突然言われた。その時、
「何故ですか?」
と理由を訊ねたのだけれど、答えていただけなかった。結局その日は、
「考えさせていただけますか?」
と言って帰ってきた。

 その後、僕は主任司祭宛てにお手紙を書いた。その中で僕はまず、司教座教会(カテドラル)でもある関口教会の聖マリア大聖堂の特別事情、すなわち聖堂が巨大なので、聖歌隊、オルガン、一般会衆がそれぞれとても離れていること、二階後方にあるオルガンとコンタクトを取るためにはどうしても会衆の方を向かざるを得ないこと、などを述べて、
「この聖堂において典礼の音楽を滞りなく奏でるためには、指揮は必要不可欠だと自分は考えます」
と記した。
 さらに、僕の前に、新垣壬敏氏の約20年間、それから町田治氏の約20年間、合計40年間以上に渡る聖歌隊指揮者歴任の歴史において、ただの一度も一般会衆に向かっての指揮が問題にされたことがなかったのに、何故それが問題なのですか?と訊ねた。また、自分は、別に指揮したいから言っているのではなくて、理由に納得すれば喜んで従います、と記し、決して意図的に主任司祭の意向に逆らう意思はないことを示した。
 その上で、もし必要とあらば、関口教会の役員の人達、あるいは外部の有識者を集めてもいいから、「関口教会の典礼音楽のあり方」という議題で、会議や討論会みたいなものを開き、総合的な見地から一般会衆の前で指揮するのが妥当かどうか検証したらいかがでしょうかと提案した。

 しかしながら、その後ずっと主任司祭からの返事を待ち続けたにもかかわらず、いつまでたっても来なかった。その間、僕は指揮をし続けた。司祭は、教会で僕に会っても目をそらし、僕が、
「おはようございます!」
と挨拶しても、まるで避けるように視線をそらし続けた。

 しばらく経ってから、妙な噂が耳に入ってくるようになった。主任司祭が、彼を取り巻く複数の信者に、
「三澤が手紙を書いてきた。あれは私に対する挑戦状だ!」
と言っているというのだ。そこで僕は忖度を促されているのか?と感じたが、むしろ主任司祭がきちんと聖歌隊指揮者に直接コンタクトを取ってくれるのを待った。そうこうしている内に1年が過ぎた。
 3月18日日曜日。僕は愛知祝祭管弦楽団の練習のため、名古屋に行っていたが、聖週間及び復活祭が近づいていて、一年に一度しか歌わない聖歌が沢山あるため、関口教会では、ミサ後にアシスタントの人が僕に代わって聖歌隊に練習をつけていた。
 その練習場に司祭が現れて、
「会衆に向かって指揮をしないで欲しい。これはお願いではなくて要請だ」
と言い残して帰っていったそうである。僕がいない時に。

 聖週間の間にはいろいろなことが起こったが、それらは物事の本筋ではない。そこにまつわる風評に、どうか振り回されないでいただきたい。ナンバーツー以下の人達の様々な暗躍があったらしいが、そこに触れ始めると話がグチャグチャになるので、僕の方からは一切述べないし、個人的に訊いてきても僕は答えないことにする。僕は自分だけいい者になるつもりはない。それに、誰がどう動いたとしても、決定するのはナンバーワンであり、全ての責任を負うのもナンバーワンである。

 大事なことはシンプルである。僕は、4月4日水曜日の午前中に司祭と会い、いちおうこれまでの不従順をお詫びした。彼は僕の謝罪を受けとめた後、
「辞めていただきたい」
とひとこと言った。これだけである。
 そして、もっと大事なことは、この時点においてまだ僕は、
「何故、一般会衆の前で指揮をしてはいけないのか?」
という単純な理由を主任司祭から聞いていない。
 そしてそれ故に、現在においても、「一般会衆の前で指揮をしない方が良い」とは全く思っていない。僕が辞めた後は誰も指揮していないそうだが、そのことで関口教会の典礼音楽が良くなったとも思えないし、今後良くなるとも思えない。事実はその逆であろう。

 僕が主任司祭の意向に従っていないのを知っていて、司祭との間に入って困っていた聖歌隊のメンバーには気の毒であるし、個々の身の振る舞い方でご迷惑がかかったり傷ついたことのある人には、申し訳ないと謝りたい。
 また、僕に我慢が足りなかったと指摘した人がいる。もっと上手に振る舞えばよかったのに、と責める人もいた。司祭なんて何年かで移動になっていくのだから、いる間はハイハイと言うことを聞いておくべきだったと言う人もいた。忖度の国日本では、こういう意見がむしろ普通なのだろうなと受けとめた。
 しかしながら、僕はそんな風に上手に振る舞ったり立ち回ったりは出来ない。それよりも、上に立つ者には(僕もそういう立場にいるが)説明責任を果たす義務があると思っている。僕がいろいろ考えて出した手紙に対して、主任司祭であるならば、ひとりの人間として真摯に向き合って欲しかった。
「何故自分がこういう要望を出しているのか。会衆の前で指揮をすることでどんな弊害が起こるのか。反対にそれをやめることでどんなメリットがあるのか」
などを、僕が納得出来るように説明して欲しかった。少なくとも僕が主任司祭の立場だったら間違いなくそうする。
 その説明を聞いてもまだ僕が従わなかったら、僕は不従順を責められても仕方ない。しかし主任司祭は、周りの人達に「三澤の手紙は自分に対する挑戦だ」と言っていながら、僕に向かっては、この1年あまり、この件に関してひとこともコメントがなかった。という前に、そもそもひとことも口をきいてくれなかった。
 それでいて、問答無用、いうことを聞かなかったからクビだ!ということでは、納得しろと言う方が無理だろう。

 理由が分かっても分からなくても無条件に従え、ということであれば、これこそ典型的なパワハラである。そして僕に要求されたのは忖度である。そして僕は忖度をしなかった。そしてクビになった。

なんとも晴れやかな結末である。

 このことによって僕は別にカトリック教会を嫌いになったわけでもなければ、自分の信仰生活そのものにも、なんの支障も生まれていない。それに、このことはきれいごとでもなんでもなくて是非信じていただきたいが、今となっては、主任司祭に対してもなんのネガティブな感情も持っていない。よく音楽家同士であるように、
「考え方が違うのだから、結局一緒に出来なかったね」
という類いの出来事であると思っている。音楽家の日常生活では普通に起こっていることだから。
 僕はキリストの弟子である。そしてローマ・カトリック教会の信徒である。ローマ・カトリックは、本来こんな忖度を望んではいない。現在のフランシスコ教皇は、むしろこうしたいたずらな権力行使を教会から退けようと努力している。多くの書物がそれを証明している。

 昨日4月22日の主日。妻は、立川教会の8時のミサでオルガンを弾くために早く家を出た。9時過ぎ、僕は孫の杏樹と手をつないで谷保駅までのんびり歩き、そこから電車に乗って西国立で降りて、杏樹の母親である志保に荷物をあずけて杏樹を肩車して立川教会に着いた。そして杏樹と志保と3人で並んで10時のミサにあずかった。
 志保は一時教会を離れたが、母親になって戻ってきた。杏樹を教会の子にしたいと思ってミサに連れて行っている。考えてみると、志保も杏奈も教会で育った教会の子である。そんな信仰に彩られた長い歴史が我が三澤家の家族にもある。

 最後に、関口教会聖歌隊の皆さん、一緒に典礼音楽を奏でられなくなって申し訳ありません。しかし、決して逃げたのでも嫌になって出て行ったのでもないことだけは分かって下さい。皆さんと過ごした約3年半は、僕にとってかけがえのない、そしてとても楽しい日々でした。それに、聖マリア大聖堂でのミサは、僕にどれだけの事を教えてくれたでしょう。
 また、オルガニストの皆さん、あの極端に離れたオルガンと指揮者との距離の中で、合わせるための最大限の努力を払ってくれたことに感謝しています。オルガンと、聖歌隊と一般会衆の三者が一体となった瞬間の、あの天にも昇るような恍惚感を何にたとえましょう。
関口教会の全ての信徒の皆さん。神の恵みがいつも豊かにありますように!

さて、来週はゴールデンウィークに入るので「今日この頃」の更新は一週間お休みします。次の更新は5月7日月曜日です。みなさん、良い休日を!



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