みんな東京を離れた我が家の週末

三澤洋史 

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みんな東京を離れた我が家の週末
 三澤家の週末は、みんな家を離れて落ち着かなかった。

 まず妻は金土日と函館に行っていた。行きは飛行機に乗り、帰りは新幹線で帰ってきた。彼女の洗礼名の聖アンジェラ・メリチが創立したウルスラ会という修道会には、その外郭団体ともいえるアソシエ会がある。すなわち、既婚者であったりして修道院に実際に入れなくても、その精神に沿って内的生活を送りたいと思う人達のための会である。そのアソシエ会が主催する黙想会に彼女は参加した。
 函館というから、女子修道会のトラピスチヌ修道院でやるのかと思ったら、なんと男子修道会であるトラピスト修道院で行われたという。修道院の敷地内に研修施設があり、宿泊はそこでするが、ミサや祈りは、仕切りはあるものの司祭やブラザー達と同じ聖堂内で参加することを許されているのだそうである。

 話に聞くと、朝の3時45分からの読書課(これも実際には祈り)から始まって、5時半からの祈り、続いて6時からミサなど、一日中祈りと講話と沈黙で満たされた生活をしてきたという。帰ってきたら、顔がとても穏やかになっていて、平和なオーラが彼女の全身から出ていた。
「あそこはひとつの特別な場だわ。晩に歌われたSalve Reginaが終わると同時に上の鐘撞き堂から鐘の音が聞こえてきた。それにとても感動したの。その祈りと鐘の音は、地球に振動を与え、世界を霊的に浄めていると本気で感じたわ」
と、目をきらきらさせながら語っていた。僕はそんな彼女を見ていて、脇がちょっとくすぐったくなりながら、いいなと思った。

 一方、長女の志保は、トヨタが主催している三枝成彰音楽監督のプッチーニ作曲「ラ・ボエーム」のプロジェクトにピアニストとして関わっているため、土日と茨城県の水戸まで行ってきた。
 ところが、通常ならそんな時に面倒を見てくれるはずの妻が函館に行っているため、杏樹をどうしようかと悩んでいた。志保は、小さい時からおとなしく演奏会に聴き入っていた子なので、全然心配しないでどこにでも連れて行っていたが、その娘の杏樹は正反対で、ちっともじっとしていることが出来ない性格なのだ。
 志保の業務そのものは、ゲネプロ(最後の総練習)前の、会場での「場当たり稽古」でピアノを弾くだけだから長い時間ではない。でもその時間に騒ぎ出したら困るのだ。とはいっても、他に泊まりがけで預けるあてもないので、思い切って今回は連れて行くことにした。
 予想に反して、とってもおりこうだったらしい。それどころか、ゲネプロも公演もしっかり志保と並んで観ていて、本番になったら、志保の耳元にいちいち、
「ほら、次はこうなるんだよ」
と、志保も忘れている演技の細かい動きを指摘するので、彼女は驚いていた。いやあ、子供って、ちょっとの間に成長するんだね。

 そして、僕の週末はこう。18日金曜日は、妻を送り出した後、午後から新国立劇場で「フィデリオ」のゲネプロ。その終了後、青山貴君の旅人(ヴォータン)のコレペティ稽古。次の日に備えて何度も繰り返し、音楽を体に入れてあげた。それから青山君はそのまま名古屋に向かい、僕はちょっとだけ用事を済ませてから新幹線に乗った。
 19日土曜日は、朝10時から午後4時半まで愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」の練習。まずは第1幕。升島唯博さんのミーメの場面を1時間やってから青山君が加わって、ミーメとヴォータンの対話の場面のみをやってお昼。升島さんはそこで帰って行った。ドイツ生活が長かった升島さんのドイツ語さばきはさすが。
 あ、そうそう、どうして青山君だけ君で呼ぶかというと、彼は昔芸大オペラ科で僕の生徒だったからだ。重唱で僕が直接受け持ったこともあるので、他の生徒よりも親しかったのだ。

 午後はヴォータンの場面をピックアップして、第2幕のアルベリヒとの対話、第3幕のエルダとの対話と、その後のジークフリートに槍を折られるまでの場面をやった。青山君の声があまりに素晴らしいので、オケのみんなのテンションがグーッと上がってきた。
 これで練習は終わるかと思いきや、僕はチェロまでの弦楽器だけ残して、いわゆる「ジークフリートの炎くぐり」の間奏曲の弦分奏をゆっくりとしつこくやった。こういう練習が「親の小言と冷や酒」と同じで、後で効いてくるんだ。

 さて、その晩は、家に帰っても誰もいないんだ。僕は、どこかおいしいところに食べに行こう・・・そうだ、久し振りにPizzettoに行ってナポリ・ピザを食べよう・・・そうだそうだそれがいい!!と思って楽しみに帰ってきた。ところが、家に着いて、オケ練でびっしょりになったTシャツをお湯に晒したり、楽譜を棚におさめたりしてから自転車で国立駅の方に向かおうと思って家を出たら、なんだかもの凄い大風が突然吹いてきて、気温も下がってきた。
 駅まで行くのが急に面倒くさくなってしまった。でも頭はイタリアンになっている。そこで妥協して、すぐ近くのサイゼリアで済ませることにした。あーあ、サイゼリアかあ、と思った。ところが・・・ところがである。あのう・・・みなさん。サイゼリアって馬鹿にならないんですよ。

 僕が食べたのは、まず生トマトとモッツァレラ・チーズのカプレーゼをダブルサイズで。それから、ショートパスタのアラビアータ。生ビール中ジョッキと250mlの赤ワインのデカンタ。
 カプレーゼのモッツァレラ・チーズがね、実においしいんだよ。しかもダブルサイズでなんと598円。勿論、本当の高級レストランにはかなわないよ。でも、その辺にあるこじゃれたイタリアンの3倍以上の値段のものよりずっとみずみずしいのだ。アラビアータは399円。これも千円出しても惜しくないレベル。赤のデカンタがなんと200円!これも悪くない。そして、レジで払った総額は、驚くなかれ1596円!!
 おいおい、ここまで価格破壊していいのか?代表を呼んでこい!表に出ろ!いやいや、いちゃもんつけるんじゃない。社長に握手して肩叩いて励ましたい。僕は安いから驚いているんじゃない。むしろ、そのポリシーに感動しているのである。この価格で、どうしてここまできちんとしたものを出すのか?その陰には、しっかりしたポリシーがあるに違いない。
 ハウス・ワインなどは、高級レストランでさえ、大きな紙の箱で売っている格安ワインを瓶に詰め替えたりして誤魔化して出しているのを知っている。この赤も紙の箱かも知れない。でも、紙の箱でもなんでもいい。大事なのはチョイスだ。きちんと味を見ながら食材を厳選しているきめの細かさ。安価と儲けとのシーソーゲームにおいて、安易なもうけ主義に走っていない姿勢に心打たれるのだ。
 その割にはお客が入っていない。土曜の晩。他のファミレスなんか結構満員なのに・・・難しいな、客って。安すぎるとかえってステイタスを感じないんだな。気に入った女の子や、大事なお客さんをイタリアンにご招待したい、と思った時、
「ではサイゼリアを予約しましたから」
というのでは格好悪いのかも知れない。

 そんなわけで、結構満足して帰ってきた。ほろ酔い気分で落ち着いてみると、この家って案外広いな。それにガランとしている。もうちょっと飲もうかとも思ったけれど、今晩はこの辺でやめておこう。

 階上に行ってパソコンをつける。たまっていたメールをひろって、返事を書いていたら、ふとYouTubeを観たくなった。Google Chromeを開けてカウント・ベイシー楽団のCorner Pocketを聴く。何故かYouTubeにはGoogle Chromeと決めている。
 ミディアム・テンポに乗って、なんてスィングするんだろう!サックス・セクションのなんというリズム感!それに、決して表に出ないけれど、フレディ・グリーンのギターがベイシー・サウンドを支えている。なんでも、この楽団を結成する時に、ベイシーとフレディーの2人で意気投合して始めたということだ。だから、このサウンドの基礎がこの2人の頭の中にはあったんだね。
 現代の耳から聴くと、何の新しさもないような音楽かも知れないけれど、僕はよくカウント・ベイシー楽団の演奏を聴く。そして、そこにジャズとスィングの原点を見る。

 それからアルペン・スキーヤーのマルセル・ヒルシャーMarcel Hirscherの映像を観る。これまで、アルペン・スキーにはあまり興味を持たなかったのだが、ヒルシャーの滑りを観て目が釘付けになった。最近は、次のシーズンになったら、アルペンのための練習をやってみようかなと思い始めている。スラローム用のSpeed Chargerという板も持っているしね。
 コブを滑っていると、カーヴィング・スキーの技術は別に要らないと思うし、ターンのCが必要以上に切れ上がっていくカーヴィング・スキーのシュプールそのものが、下に降りていくための最速の道でもないと思っていたので、遊び感覚でしかやっていなかったのだが、あのように見事にポールを回るヒルシャーのカーヴィング技術は、会得するに値するなと考えを変えた。
 残念ながらコースアウトしてしまった平昌オリンピックのスラロームの映像や、練習風景など、ヒルシャーのいろんなビデオを何度も観ている間に、ひとりぽっちの東京の夜はしだいに更けていった。

 20日日曜日。新国立劇場ではベートーヴェン作曲「フィデリオ」初日の幕が開いたが、カタリーナ・ワーグナーの演出に対し、新国立劇場始まって以来の強烈なブーの嵐となった。そのことについては、僕はあえて触れないことにする。僕の中途半端な意見に、また反対する人とか出てきたら、話がややこしくなるだけだから。そういうことは批評家に任せたい。
 ただ、これだけは言いたい。どんな風にシーンを変えようが、ベートーヴェンの音楽はまぎれもなく響いているのだ。その点では、飯守泰次郎マエストロのもと、我々一同の作り上げた音楽は、どこに出しても恥ずかしくないものだ。
 フロレスタン役のステファン・グールドの絶好調のブリランテな響き!レオノーレ役リカルダ・メルベートの、ドラマチックでありながらもリリシズムを失わない歌唱。ドン・ピッツァロ役のミヒャエル・クプファー=ラデッキーの、的確な声のキャラクター作り。また、ロッコ役の妻屋秀和さんをはじめとする日本人勢のレベルも、外国人組にけっしてひけをとらない。
そして、手前味噌ながら、我らが新国立劇場合唱団も頑張っている。みんな、「アイーダ」以来、一皮むけたようだ。

 その公演後、僕は東武東上線に乗って志木に向かった。志木第九の会では、6月10日の演奏会に向けて、しだいにテンションが高まってきている。
そういえば、数日前にソリスト達で第2部の「フィガロの結婚」抜粋の合わせ稽古をした。4人とも新国立劇場合唱団のメンバーだけれど、僕がお小遣いをあげて伴奏を頼んだ志保が、練習の後、
「みんな、ソリストとしても、めちゃめちゃレベル高いね」
と驚いていた。
 岩本麻里さんのスザンナに寺田宗永さんのバジリオ。大森いちえいさんは、フィガロと伯爵を兼任。松浦麗さんも、ケルビーノとマルチリーナの両方を歌う。それに民衆役の合唱団が加わって盛り上がる。
 第1部の「水のいのち」とモーツァルトの「リタニア」もお薦めだけれど、「フィガロの結婚」は、普段と違って志木第九の会のメンバーもハジけるかも。

 三澤家のメンバーは、みんな日曜日の晩に家に着いた。僕が一番遅くて10時半過ぎに帰宅。
 ということで、またみんな揃って次の朝を迎えた。妻が買ってきたトラピスト・バターを食パンに付けて食べたら、ほっぺたが落ちるかと思った。10時半のコーヒー・タイムには、トラピスト・クッキーを食べた。これも絶品。冷蔵庫には、志保が買ってきた水戸納豆がある。

杏樹はまた元気に保育園に出掛けて行き、三澤家の新しい週が再び始まりました!
お天気が良く、五月の新緑が青空に映えてまぶしい。


「あたし、三澤先生の膝を見ながら弾いてます!」
と、愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」の練習の休み時間、ある女性団員が言った。僕は、半分は嬉しく、もう半分は、
「ああ、まだ修行が足りないな」
と思った。
 指揮をしている時膝を動かすのは、ある意味意図的ともいえるが、膝が必要以上に動き過ぎてしまうのは、あんまりよくないなあ。

 今の僕は、音楽的フレーズをスキーのターンに見立てて演奏している。ひとフレーズひとターンである。その間に急激に強弱が変わったりテンポが変わったりしても、それらはひとターンの中での出来事である。そう思った方が音楽を長いスパンで捉えられるのだ。
 それぞれのフレーズは意味的に切れているが、骨と骨とが関節でつながっているように、互いに影響を与え合っている。基本的にはひとつのフレーズをきれいに収め、仕上げてから次のフレーズに渡していくが、収まることなしに盛り上がっていったまま次に渡したり、しだいに静まって目立たないように移行したり様々である。時には、わざと断層を作り、新しい楽想と共に突然新しいフレーズが始まる。

 モーグル・スキーヤーは、常に二つぐらい先のコブを見据えながら滑っている。それぞれのコブにかまけて、基本的な体軸がブレないようにである。僕も同じように、二つ先くらいのフレーズを見据えながら指揮をしている。感情移入するのはその瞬間毎ではあるが、もうひとりの冷徹な自分が、バランスを壊さないように見張っていて、
「この部分の後には、こういう楽想が来るのだ」
と、音楽の構築性を考えながら仕上げていこうとしている。

 コブでは、ひとつのターンの中に必ず溝の部分と、出口あるいはコブの頂きの部分がある。溝に入ってしまうと足を伸ばすが、出口や頂きで切り替える時には、吸収動作といって膝を曲げて衝撃を逃がす。そうしてジャンプしてしまわないように切り替え、コブを越えたら、今度は膝を曲げたまま溝に向かってスキーの先端を落としていく。
 で、僕の場合、ひとつのフレーズの中で急にフォルテが来たり、あるいは逆にsubito pianoと言って、急激なピアノが来たりする時、気が付いてみると、コブ感覚で膝をバネにして飛び上がろうとしてみたり、あるいは急に膝をかがめたりしているようだ。
 このスキーシーズンでは、随分コブにも挑戦したので、体にその感覚が染みついているようだ。うーん・・・きっとこれは行き過ぎで、その感覚そのものはいいとしても、実際の動きとしては半分ぐらいに抑えないと、他の表現の邪魔になってしまうな。

 今の僕は、指揮の運動を、なるべく必要最小限なものにしようと努力している。その割にはよく動くんだけどね。つまり、必要最小限でいながら、逆になるべく沢山の情報を指揮という動きの中に込めようとするならば、個々の動きが他の表現の邪魔をして互いに相殺してしまってはいけないんだ。

 世の中を見渡してみると、スタンドプレーの動きが少なからずある。見られることも指揮者かもしれない。でも、今の僕には、お客様に見せてカッコいいと思ってもらう指揮の運動には全く興味がない。
 バーンスタインの華麗ともいえる指揮ぶりに昔はあこがれたものだった。でも、あんな風に飛び上がっても何もいいことは起きない。ジャンプは邪道だ。だって、完全にテンポ通りに着地が出来るとは限らないじゃないか。
 昔、テレビで観る小澤征爾さんの「幻想交響曲」のデリケートな表情に痺れた。彼も音楽を体であますことなく表現しようとするタイプだ。しかし、彼の体勢には、ひとつだけ欠点がある。断っておくが音楽的欠点ではない。アスリート的見地からの欠点だ。それは、彼がかがんだ時に骨盤が寝ていることである。
 それは、日本の老人に多い体勢であり、若くても、農村で働く人によくある体勢だ。一方、西洋人の体型は、元来、アジア人よりずっと骨盤が立っている。陸上選手のボルトとか、何人かの一流アスリートの体を横から見てみると一目瞭然だ。日本人でも、相撲の力士がシコを踏んでいる時には骨盤は立っている。サッカーの長友選手も、
「骨盤を立てることが大事だ」
と言っている。
 だから若い指揮者達に言いたい。あの骨盤が寝ている体勢は、一見カッコいいように見えるが、長年やっていると必ず腰を痛めるからやめたほうがいい。僕がカラヤンに傾倒しているのは、カラヤンの体勢がその真逆で、決して骨盤を横にせず立てたままで、さらに背筋も伸ばしているからだ。そういうところが彼のアスリート的なところだ。
 彼はスキーと水泳とヨガをやっていた。彼の体幹意識はスキーでは理想的なもの。それに、チャクラの面からも的を得たものに違いない。彼の身体意識は、全てのひとが見本にしていい普遍的なものだ。

 全てのスタンドプレーは不要。指揮者のスタイルは、機能美に結集したものでないといけない。それを僕はアスリートから学んだ。だから、膝の動きもコントロールしよう。そして、ここぞという時に膝を思いっ切り使うのだ。
 それを僕に指摘してくれた女性に感謝。こんな風に、どんな人の言葉でも、それが自分の成長につながるならば、僕は貪欲に取り込んでいくのだ。
まだまだ進化していくぞう!



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