やったぜ、ニッポン!

三澤洋史 

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やったぜ、ニッポン!
 また今朝は起きられなくて散歩に行けなかった。だって、乾貴士選手と本田圭佑選手があまりに素晴らしかったので、試合終了後も興奮して眠れず、紹興酒のロックの助けを借りてしまった。
 25日未明。セネガルの選手のフィジカルなパワーがもの凄い。というか、みんな足が速い。その中でよくぞあそこまで戦ってくれました。おじさんジャパンとか揶揄されていたけれど、どうしてどうして、長友佑都選手のサポートなども含めて、外国でのキャリアを積んだ実力が花開いているじゃないか。若ければいいというものではない。
 それに、体を張っても点を取っていこうという心意気が清々しい!道徳的に良いのか悪いのか知らないが、イエローカードをもらった乾選手だって、あのセネガルの選手のスピードに対抗して、ドリブル&シュートを阻止するためなら、ファウルもあえて辞さないという捨て身の気持ちが痛いほど分かったよ。
 僕は本来、ファウルという卑怯な手段があるから、スキーなどの個人競技にくらべて団体競技があまり好きでなかったのだが、こういうのを見ると、ちょっと考えが変わった。勝つための試合に徹するというのも、これはこれで潔いのだ。
 勿論、勝つに越したことはないよ。でも、点を取られてもめげずに食らいついていき、2対2の同点だって、どうしてどうして立派なものじゃないの。朝は、やや寝不足だったけれど、逆にサムライ・ジャパンにエネルギーをもらって、今週も頑張って生きていこうという気になったぜ!

ありがとう、アスリート達。
みなさんは日本の誇りだ!

この一週間
 先週は、さすがに旅の疲れが出て体調がすぐれなかった。それに、僕にしては珍しく腰が痛かった。6月10日。志木第九の会の演奏会が終わって、立川から松本行きのあずさ号に乗った時、重いスーツケースを座席最後部の隙間に入れようとしたら、もういっぱいだった。そこで僕は仕方なくスーツケースを荷台に乗せようとした。
 単なる国内旅行なのに、国際線空港の20キロ制限にさえ引っ掛かって追加料金を取られそうなくらいの重さ。一週間分の着替え。2着の背広とワイシャツなど。愛知祝祭管弦楽団のためのスコアと、びわ湖ホール声楽アンサンブルのための「トスカ」の譜面など。
 意を決して下からグイッとまるで重量挙げのように押し上げたのはいいが、頭の上にきたスーツケースが荷台に乗るまでのほんのちょっとの間に、腰がグキッと鳴った。運良く、スーツケースはそのまま荷台に乗ってくれたが、その後遺症は予想を超えて長く続いた。要するに軽いギックリ腰。
 その状態は、それ以上悪くなることはなかったが、松本滞在中もずっとそのまま。それなのに、そのスーツケースを持って、松本から名古屋経由で京都~大津に行き、また名古屋に戻って、さらに新横浜までずっと旅を続けたのだから、腰も良くなるはずがない。

 帰宅後の18日月曜日の朝。まず、いつもの散歩の時間に起きれない。それよりも、驚くなかれ、そもそも散歩をしようという気が起きない。起きてきても、目がしょぼしょぼして、真面目に勉強しようという気が起きない。「今日この頃」の更新原稿だけは、数日前からチョコチョコ書いていた蓄積があって、なんとか仕上げた。
 連日の居酒屋での夕食がたたって、胃が疲れている。そこでお酒を控えることにした。僕にしては珍しく月曜日から木曜日まで一滴も飲まなかったし、食事は、家では納豆だの青物だの粗食に徹する。
 そんな中。19日火曜日の新国立劇場での「トスカ」の合唱音楽練習の後、名古屋に行ってモーツァルト200合唱団の練習をして帰って来た。行き帰りの新幹線では、自分でも不思議なくらいよく寝た。その晩深夜帰宅なので、次の朝も当然のようにお散歩は出来ない。

 20日木曜日。まだ疲れてはいたし、腰も痛かったのだが、なんとなく泳ぎたくなって、立川市柴崎体育館に行った。半信半疑だった。もっと具合が悪くなったらどうしようという気持ちもあった。ところが、泳ぎ始めたら筋肉が喜んでいる。100メートル泳ぎ終わって水から顔を上げたら、いつも使っていない筋肉はあわてているけれど、同時にえもいわれぬ快感が体に蘇ってきた。
 今日はユルユルと泳ごうと思っていたのに、泳ぎ終わってみたら、いつものように1200メートル泳いでいた。そこで、ちょっと気が付いた。僕たちが疲れているという時、その半分以上は、本当は、肉体の疲れというより精神的なものなのではないだろうか・・・と。
 というのは、家に帰ってきてみたら、相変わらず体は重いわ、腰は痛いわ、でグズな体なのであるが、実は、水泳前よりもどこも悪くなっていないのだ。だから、これは、つまり・・・仕事したくないという心の病なのだ、という結論に至った。

 一日3回公演の松本の日々。最初に訪問する学校への距離によって集合時間が前後するが、だいたい6時半頃に朝食を取り、7時半とかにバスに乗って出掛け、午前中2校、午後1校のコンサート。それぞれの体育館に行って舞台の設営と声出し稽古で、その後本番という生活。午後までは決して逃れられないという束縛感。それが5日間続いた。だから今週は、特に午前中、体が動かなかった。
「俺、ヤだもんね。サボるもんね。怠けるもんね。午前中は一歩も動かんもんね」
と僕の肉体は訴えていた。そんな体を僕は可愛いと思った。
「ありがとう、僕の体よ。お疲れさん。まあ、いいよ。今週はウニウニと過ごそう」
と言うと、
「えへへへ・・・」
と答える声が聞こえたような気がした。
 幸い、先週は基本的に新国立劇場内で「トスカ」の音楽練習から立ち稽古。練習は常に午後からだったので、いくらグズな僕の体もしだいにほぐれてきた。

ミサ曲のオーケストレーション
 でもね、ミサ曲のオーケストレーションは、どんなに疲れていても、今週中に仕上げなければならなかった。
というと、
「あれえ?ミサ曲って、もうとっくの昔に仕上がっていたんじゃないの?」
という声が聞こえてきそうだ。そうなのである。僕の頭の中では仕上がっていたのだ。でもね、仕上がっていたのは実はピアノ&合唱譜であって、オーケストレーションはまだだったのである。
 しかも、どこまでもグズな僕は、最初、夏までに全曲のオーケストレーションを終えようと思っていたのだけれど、志木第九の会やいろんな仕事や本番が立て込んできたため、とりあえずOB六大学連盟演奏会で使用する20分足らずの分だけのオーケストレーションを完成させるだけにして、残りは演奏会後に持ち越すことに決めたのである。
 こうやって、仕事をすぐに後に後に持ち越して、その場をしのぎ、あとでにっちもさっちもいかなくなるグズな性格は、どんなに歳を取ってもちっとも治りませんなあ。

 ということで、疲れた体に鞭打って、なんとか演奏会分のスコアが完成した。スコアは、27インチの大画面を使って譜面作成ソフトFinaleで作っているので、どうしても家でないと作業が出来ない。だから先々週のように東京を離れていると、どうにもならないのである。
 スコアは、ほとんど、当初頭の中で描いていた通りの仕上がりとなったが、それでも実際に音にしたためるとなると、ここオクターブ上にしようかな、とか、コントラバスはピッツィカートにしようかな、それともここまでは弓で弾かせようかな、とか、こまかい選択肢が無数に目の前に現れる。それを選び取っていく作業は、しんどいと同時に楽しい。

 さて、もういちど見直しをしてから、パート譜を作成し、レイアウトをして奏者に送ろう。それと同時進行で「ノアの方舟」の訂正スコアを作らないといけない。前回は、次女の杏奈がクラリネットを吹き、その他にシンセ・パーカッション奏者がひとりいたが、今回は、杏奈のパートをエレクトーンに組み込まないといけない。
 それと、経費節減のために・・・ま・・・その・・・僕がやりたいんだけど・・・パーカッション奏者を雇わないで、僕がコンガやカホンなどでパーカッションを兼ねることにした。うひひ、またコンガが叩ける!
 そういえば、松本に滞在している間、何が恋しいかといって、コンガが叩けないのが淋しかった。早くコンガに会いたかった。家に帰って、コンガに触れ、トンと音を出した時、それは僕のお腹に心地よく響いた。信じてもらえないかも知れないけれど、コンガの音って、体を癒やし、体の内側からパワーを与えてくれるんだ。
 疲れていた先週でも、コンガを叩くことは僕の肉体を内側から蘇生させてくれた。祭りなど、古来から太鼓というのが神事と切り離せなく存在していたし、アフリカなどの国では、まさに生命の根源ともいえるほど、太鼓の響きが日常生活と密着している。きっと、僕が感じるようなパワーが太鼓の中に存在しているのだろう。コンガが僕にヒーリングの効果をもたらしてくれたことは、まぎれもない事実なのだ。

久し振りのイタリア語レッスン
 22日金曜日。新国立劇場では、翌日からの舞台稽古に備えてのオフ日。10時からイタリア語のレッスンに行く。先週、東京を離れていてレッスンをお休みしたので、二週間ぶり。毎週行っていると、一週間のブランクでも衰えているのが分かる。
 語学って正直。慣れていると、頭に浮かんだことと口から出てくる言葉との間にロスがないが、ブランクがあると、頭と口の間に脳の変換の時間が入る。つまり脳が翻訳している。これではダメなのだ。そもそも日本語で頭に浮かんでいては駄目。「犬」と考えてからcaneという言葉が出てくるようでは遅い。あの動物はcaneであって「犬」であってはいけないのだ。そうやって、あくまでネイティヴな言葉同士で文章を構築していかないと、上達は望めない。

 でもね、接続法を使う時はいつも頭を使う。特にそれが過去時制だったり仮定法がからんできたりすると、頭の中でにっちもさっちもいかなくて、とうとう日本語で、
「ええと、何ていうんだっけ?」
と先生に投げ出してしまう。先生は、あきれた顔をしながら、丁寧に何度も説明してくれる。それでも、僕と、一緒にやっているバリトン歌手のK君の2人は、いつも同じ過ちを繰り返す。
 Penso che(~と思うんだ)の後の動詞は、必ず接続法で活用しないといけない。しかし、同じような意味でも、Secondo me(僕の意見では~)を使うと直接法でいい。だからなるべくSecondo meでいこうと思うのだけれど、ついPenso cheとかSuppongo che(推測するに~)と言い出してしまう。
「あっ!」
と言って、Secondo meと言い直しても、先生は許さない。
「はい、続きを言って!」
「えーと・・・えーと・・・」
ところがね、先生はあまり怒らない。不思議がっていたいるのら、ある時彼女はこう言った。
「実はね、イタリアでも、普通の庶民は直説法で平気で言っているの。本当違っているのだけれどね」
なんだ。じゃあ、我々もイタリア庶民でいこう、と言ったら、
「だめよ。せっかくレッスンに来ているんだから、正しいイタリア語を学んでちょうだい」だって、チェ!というか、それは先生の愛なのです。だから、ははは・・・頑張ります!

 でも、僕は時々思う。僕の気持ちが若いのは、こういうややこしいものを日常生活の中でいっぱい持っているからなんだ。スキーもそうだし、コンガやイタリア語など、仕事以外に自分で好き好んでお金出してややこしいことやってんだから世話ないわ。それによって頭使うんだよ。だから認知症にはなりにくいと思う。ま、結構、忘れっぽくはなってるんだけどね。

杏樹と過ごしたかけがえのない時
 僕の気持ちが若いもうひとつの理由に、4歳の孫娘である杏樹が身近にいるということが挙げられる。杏樹はディズニーのプリンセスが大好き。
「じーじ、あたしはオーロラ姫になって眠っているから、フィリップ王子になってキスして起こしてね」
「うん、分かった!」
すると娘の志保が横から、
「杏樹、じーじの口、臭いから、キスしない方がいいよ」
「こら、横から余計なこと言うな!」
「いいのいいの、じーじ、王子様だから」
と杏樹。
おーじさまじゃなくて、じーじはおじーさま!」
と志保。
「あははははは!」
向こうで妻が大笑いしている。

 22日金曜日はオフだったので、夕方杏樹が帰って来た後、一緒に自転車のツーリングをして、OKストアまで行く。OKストアの近くにおいしいパン屋さんがあるので、そこでバケットやクロワッサンなどを買う。
 今夜はラクレット(ラクレット・チーズを専用の機器の上で溶かして、パンや野菜につけて食べるもの、ややフォンデューに似ている)。だからOKストアでは赤白のワインを買った。禁酒が解けたら、もうこんな風。杏樹は、ミニトマト取り放題コーナーで、トングを使って色とりどりのトマトを取ってゴキゲン。その後南武線西府駅前の公園で遊んで家の近くまで来た。

 僕の家は、立川断層が作り出した高台の上にある。この断層は、立川から谷保あたりを通って長く府中まで続いている。甲州街道から国立府中インターに入るT字路に入ると下り坂になっているのは、その断層故であるし、大國魂神社の裏の丘陵もその断層。だからこの一帯は、高台と低地とにはっきり分かれている。
 その断層が作り出した、竹林と高圧線の鉄塔がある家の近くの高台には、野生の猫が何匹もいる。杏樹は猫を見たくてよくそこに行く。そこからの眺めは絶景。多摩川を挟んで聖蹟桜ヶ丘の街が見える。高圧線の鉄塔がどこまでも続いていて多摩丘陵に消えていく。その先に、遠く富士山が鮮やかに浮かび上がっている。

 夕暮れ時。空は驚くほど鮮やかな紅色に染まり。雲は輝いている。頭上には半月が見える。
「うわあ、きれいだね。じーじ」
「あっちは聖蹟桜ヶ丘だよ」
「灯りがだんだんついてくるね」
「あそこにマックのMマークが見える」
「赤いマークだね。その下が黄色。あそこにもハッピー・セットあるの?」
「あるよ。昔、ママね、そこでアルバイトしていたことがあるんだ。ちょっとの間だけだけどね。マックの制服のまんま家まで帰って来たから、驚いて、わあ、マックのお姉さんが家に来た、と思ったんだよ」
「ママ、マックのお姉さんだったの?」
「そうだよ」
「また行けばいいのに」
「いやいや、今はピアノのお仕事が忙しくなったからね」
「あ、お月様がさっきより明るくなってる。そして黄色くなってる」
「雲の色もさっきより赤が濃くなってるね。あたりもだんだん暗くなってきた。そろそろ帰ろうか」
「ヤだ!ここにずっといたい!ねえねえ、灯りがきれいになってきたよ」
街が闇に沈んでくるにつれて、聖蹟桜ヶ丘あたりの灯りが、まるで星のように沢山きらめいてきた。杏樹がポツリと言う。
「きれいだね。この街」
僕はその瞬間、ここが国立ではなくてモンマルトルだと錯覚した。そして、杏樹をそっと抱き寄せた。
「きれいだね、ずっとここにいたいね」
「うん・・・」
おおおおおー!な、なんてロマンチック!これって、まさに恋人同士やんけ!
「おっとっとっと・・・でも、もう帰らなくっちゃ!Oma(妻のこと、ドイツ語でオーマはおばあちゃんのこと)が心配しているよ。
「ヤだ!まだいる!」
「帰ってお風呂に入ろう!ママも後で帰ってくるよ」
「うん!」

63歳のじーじは、4歳の杏樹に首ったけ!
青春真っ盛り!



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