「トスカ」若き俊英の可能性

 

三澤洋史 

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「トスカ」若き俊英の可能性
 7月1日日曜日。2000年に初演したアントネッロ・マダウ=ディアツ演出の6回目の再演である「トスカ」が初日を迎えた。1998年の新国立劇場開場記念公演「アイーダ」と、同じく1998年のミヒャエル・ハンペ演出「魔笛」に次ぐ息の長い公演である。

 これらの長寿プロジェクトを可能にした共通する要素としては、読み替えも深読みもないオーソドックスな演出が挙げられる。それが、かえって作品の本質から聴衆の興味をそらせることなく、作曲家の描き出したドラマと音楽との融合を際立たせているのである。
 しかしながら勿論、余計なことをしないで当たり前のことだけしていたのでは、これだけ再演を重ねることも出来なかった。そこにはゼッフィレッリ、ハンペ、ディアツといった、伝統に支えられた巨匠の確かな腕が、通り一遍ではない逸品を作り上げている証である。

 トスカの舞台は超写実的。第1幕はローマ市内の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の内部。第2幕はファルネーゼ宮殿のスカルピアの執務室。第3幕は、セリを使って、サンタンジェロ城の天使像がある屋上と、その内部のカヴァラドッシの牢獄とが交互に浮かび上がる。特に第1幕ラストのテ・デウムの場面は圧巻。まさに絢爛豪華のひとことに尽きる。
 プッチーニの音楽は、無駄という無駄を全てはぶいて、ドラマの核心と音楽的劇性とをダイレクトに結ぶ独創的なもの。よく考えてみると、あれだけの大人数の合唱団を集めておきながら、お祈りのつぶやきと、単なるユニゾンの2フレーズだけなんだぜ。しかし、それらはなんと大きな効果を作り出していることか!天才にしか出来ないね。こんな芸当!

 28歳の若手指揮者ロレンツォ・ヴィオッティは、2000年の初演の指揮者マルチェッロ・ヴィオッティの息子。父親が2005年、脳卒中で50歳で他界した時、彼はまだ15歳であったと言う。しかし彼は、
「父が死んでいなかったら自分は指揮者になっていたか分からない」
とも言う。
 名前がヴィオッティなので、僕たちはみんなイタリア語で話しかけていったが、返ってくるのは英語だったりドイツ語だったり。しかも、性格や彼の音楽作りに、あまりイタリア人の匂いがしない。
 経歴を見たらローザンヌ(スイスのフランス語圏)で生まれ。リヨンやウィーンなどで学んでいる。しかも母親がフランス人なので、彼のメンタリティはどうもフランス人らしい。彼といろんな話をしていく内に分かってきたことがある。
 彼は、伝統的なイタリア人オペラ指揮者の巨匠であった父親とは、あえて違う路線を歩んでいこうとしている。また、彼は知的で譜面を丁寧に読み込んでいる。そして、そこから導き出されてきた解釈は、イタリアの伝統とはちょっと違う。
 僕は、彼が指揮するオーケストラの響きを初めて聴いた時、これは「トスカ」ではなくてドビュッシーの交響詩「海」だったかしらん、と思ったほどだ。とにかく彼の「トスカ」はひと味もふた味も違う。

 伝統の重みと、そこから離れて独自性を求める二つの方向性を、親子二代に見ることは興味深い。ロレンツォの指揮テクニックは、国際コンクールでは確実に上位入賞するレベル。
 28歳であれば、普通の指揮者は、コンクール荒しをしている年齢だろう。あるいは、地方の歌劇場で副指揮者などの下積みを経験しているかも知れない。でも、彼はもっと先を行っていて、すでに沢山の国際的なステージに登場している。それが、親の七光り故かどうか知らないが、それだけに、求められるものはシビアだ。
 舞台稽古が始まってすぐ、第2幕で、スカルピアの部下が窓を開ける前に、舞台裏の楽師達の演奏を始めてしまって、演出補の田口道子さんに怒られていた。また、ちょっとしたドラマの間やテンポのニュアンスが理解できなくて、実際に舞台上でドラマを演じている歌手達や周りに指摘されたりしていた。
 それは小さな事だと思うだろう。でもね、僕たちも含めて、長年仕事していてオペラを隅々まで知り尽くしている者達からは、
「ああ、こいつはこのオペラ知らないんだな」
などと思われてしまうんだ。プロのオペラ劇場はなかなか手厳しい。逆に、彼のお父さんなどは、そういう人達からの信頼度が絶大だから巨匠なのだ。
 とはいえ、ロレンツォも、勿論そうしたことは本番までには全て解消されてきたけれどね。譜面に書いていなくても、芝居の間や空気で、しぜんにテンポの揺れが決まってくるのだ。それらが集まって伝統となる。それを彼は学習している。とはいえ、最初から伝統にがんじがらめになる必要もない。クリエイティヴな要素はまだ至る所にある。

 オペラ指揮者の熟成には時間がかかる。音楽そのもの以外に覚えなければならないことが山ほどあるんだ。彼はまだ、オペラ指揮者としては完成品ではない。しかしながら僕は、彼の持つ独特の叙情性に注目している。彼の管弦楽のバランス感覚は抜群だし、彼は独自の音を持っている。
 僕は断言しておこう。随所に見られる美しい叙情性が、将来必ずや彼を稀有なる指揮者に押し上げていくことだろう。僕のカンは当たるんだぜ。コルネリウス・マイスターが良い見本だ。ということで、キラリと光る原石を見ておきたいと思う人は、是非劇場に足を運んでみて下さい。そして10年後に、また彼について語り合いましょう。

だから大人って嫌い!
 なんとも後味の悪い試合であった。こういうのを「夜更かし損」と言うのだろう。特に後半の10分間は見ていられなかった。娘二人とスパークリング・ワインや赤ワインを飲み交わしながらの観戦であったが、酒はまずくなったし(もう終わる頃は酔っ払って味は分からなくなっていたという話もあるが・・・)、次の朝は寝不足にプラスして真夏日のため熱中症気味になり、腐った気分は体調にまで影響した。

 先週の「今日この頃」で書いたばかりだが、僕は元来、野球のような団体競技があまり好きではない。競技そのものが嫌いなわけではない。でも、盗塁とか牽制とか、人の裏をかくセコイ行為が容認されるのがどうも潔くない気がするのだ。だって、人を騙すのは悪いことなんだよ。
 それに比べると、水泳にしてもスキーにしても、個人競技は単純かつ純粋でいい。地区大会にさえ、彼らみんな自己ベストに命賭けているから、たとえ2位を遠く引き離していたとしても、安心して手を抜くとかないじゃないか。その場を勝ちさえすればいいというのでもないし、なにより変な駆け引きをする必要がない。徹底的に自己との戦いなんだ。
 そう思っていた僕が、しかしながら先日のセネガル戦で少し考えを変えた。黒人のフィジカルな力はハンパではない。それでも我らがサムライ・ジャパンは、なんとしても勝ちたいという闘志を見せてくれた。
 たとえば、乾選手がファウルを覚悟で体当たりでぶつかっていき、イエロー・カードをもらってしまったのも、あの俊足を止めるためならアリかなと、生まれて初めて思った。それほどまでに、彼らは熱く燃えていた。取られた得点を追い、また取られてまた追い・・・・まさにサムライの心意気と潔さがあった。僕はそれに感動していた。

 ところが、なんだい。そんなおじさんの純粋な想いをあざ笑うかのようなポーランド戦のザマは!
同時進行しているよその試合で、コロンビアはセネガルに1対0で勝っていた。だからこのままいけば、日本は現在戦っているポーランド戦に勝たなくても、決勝トーナメントに出場できる可能性が生まれたという。それで、時間稼ぎのために後方でヌルくパスを回し合う空白の10分間が生まれたという。
 ところが、その間にセネガルが点を返す可能性だってあったわけだ。第一、そんな他のグループに運を託すのは情けないと思わないか?だって、その時日本はポーランドに1対0で負けていたのだ。十歩譲って、「勝っていたので最後の数分時間稼ぎ」というのなら、まだ分からないでもない。でも、負けていたんだぜ。
 男だったら、つべこべ言わずに、せめて1点でも入れて引き分けにするまでは本気で勝負を賭けて戦って欲しかった。どんな試合でも勝利をめざすべきであった。それが基本。それなのに、戦いながら他のグループの点数やペナルティの数を気にして、このまま1点差で負けてもいいだって?ふざけるな!はあはあはあ・・・。

 ところで僕はどうしてこんなに腹が立つのだろう?よく考えてみた。すると、それはたとえば、東京で批評家達が来る定期演奏会では本気出すけれど、地方巡業などでは平気で手を抜くプロの演奏団体を見ているようで許せないのだと分かった。
 プロだったら、実力があるんだから、本気出さなくてもいつだって「客観的に」それなりのクォリティの演奏は出来るという「驕り」に対して怒らずにはいられないのだ。僕だって、たとえば「マタイ受難曲」の指揮者が急に倒れて、代役でステージに出て下さいと本番3分前に言われても指揮できる。3日間猶予をもらえれば暗譜で振れる。しかし、僕自身を含めて、みんなが求めているのはそういうことではないのだ。演奏会ってそういうものではないし、スポーツにおける試合というのも、そういうものではないのだ。

 オリンピックでもそうだけれど、僕たちが何故アスリート達を賞賛するのか?それは、彼らが僕たちに夢を与えてくれるからだ。人の出来ないことが出来る人。抜きんでた者同士の戦い。世界最高レベルでの凌ぎ合い。それに真摯に向かい合い、全身全霊を傾けて戦い抜き、その末に勝ち取った栄冠。そこに僕たちは胸を振るわせ、涙するのだ。
 僕たち音楽家も同じ。みんなが求めているのは単にテクニックの披露ではない。音楽の神髄に真摯に向かい、全力を尽くす者だけに与えられる感動的な表現の世界。だから僕は、「マタイ受難曲」を指揮する時には、少なくとも前一週間は「禊(みそ)ぎの時期」を過ごすし、松本の小学校のスクール・コンサートでも、特別支援学校でも、少しでも手を抜くことは許さない。
「まあ、ここは適当にやって」
という言葉は、僕のこれまでの生涯、一度も言ったことはないし、これからも死ぬまでないだろう。
 芸術家やプロのアスリートにとって、手を抜いて夢を壊すことがどれだけの罪か、ということは分かっていなくてはならない。聴衆や観客のためではない。自分自身の魂のため。

 もし、ワールドカップという、この世界最高のサッカーのステージにおいてまで、なにか僕たちの日常生活の延長である、利益至上主義や、ご都合主義や、卑屈な妥協や、忖度や、体力温存する姿を見せられて、
「まあ、どこでも世の中こんなもんなんだ」
とみんなが思うとしたなら・・・子供達までもが軽い幻滅を感じながら妙に物分かりよく、
「まあ、これが大人のスポーツというものですから・・・」
と思わされるとしたら・・・それは、純粋なファンに対する恐ろしい罪なのだ。
 将来、サッカー選手になりたいという夢を持って、あこがれの眼差しをサムライ・ジャパンに向けている子ども達や若者達よ。こんな試合を理解しようとするな!むしろ声高らかに叫べ!
「だから大人って嫌いだよ!」
「こんな試合をするために僕たちはサッカー選手を目指すんじゃない!」
と。

 プロのそういった行為こそ、その人自身が信じて生きてきたことへの裏切り行為であり、大勢のサポーターによって支えられて、飯を食わせてもらっている、ということに対する背徳行為であり、神聖な芸術やスポーツそのものを衰退させる自殺行為に他ならない。

 僕が言っていることは厳しすぎるかも知れない。そうじゃない常識が社会でまかり通っていることも知っている。その中で生きている人にとっては、僕の意見は逆に怒りを買うものであるかも知れない。
 しかしながら、僕は芸術に携わるひとりとして、自分の立場だけは、はっきりさせておきたい。すなわち、
「芸術やスポーツは、純粋であることによってのみ、神から存在意義を与えられているものである」
という真実の上に、僕という人間がこの世に存在し、活動している全ての立脚点があるということを・・・。

 その立脚点に立って、もう一言だけ言いたい。
点を取ろうと全力で立ち向かっていく中で、逆にボールを取られてさらなる追加点を許してしまったとしても、誰かがファウルをしてペナルティ点が増えて、結果的に決勝トーナメントに進めなかったとしても、僕は、先日の試合よりははるかに価値があったと思う。

何故なら、僕は彼らに「サッカーをやって」欲しかったのだから。

Missa pro Paceパート譜を送りました
 先週の金曜日。今度のOB六大学連盟演奏会で演奏する部分のフル・スコア及びパート譜が完成し、プリントアウトして奏者に送付する一方、依頼主であるアカデミカ・コールには、Finale FilesをCDに焼いて納品した。これで、今年の上半期のかなりの肩の荷が下りた。

 僕の新曲であるMissa pro Pace(平和のためのミサ曲)は、これまで作った全ての曲の中で、自分にとっては最も「可愛い」曲かも知れない。あるいは最も自分らしい曲と言うべきか。

 不思議なものだ。自分が作るものは、いつも自分自身の枠を出られないので、今度こそ新しい要素を投入しようと思って、いろんな作曲家のいろんな曲を参考にしたりする。この次どうしようかな?と二つや三つの選択肢の中から、あえて自分らしくない展開を選び出して作り進もうと思っても、どうしても違和感があり、結局いつもの自分らしい音楽に落ち着いてしまう。
「おかしいな。ベートーヴェンだったら、こう落ち着くし、シューマンだったらこのままでいいんだけどな。なんで自分はこれでは落ち着かないのだ?」
と思ってみても仕方がない。落ち着かないものは落ち着かないし、自分としての落とし処というものは、ある意味、どんな時でもブレないのだ。

 Gloria「栄光の賛歌」の最後のCum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris. Amen.「聖霊と共に、父なる神の栄光の内に、アーメン」はフーガにした。最初は結構模範的なフーガを得意になって書き進んでいったが、ある時突然、それがとってもつまらないものに思えてきてしまった。ずっとこのままで行って終わってしまったら、なんか自分じゃないみたいだと感じてきたのだ。音大の作曲科の試験では良い点を取れるだろうが・・・・。
 それで一度作曲を中断して、最初からやり直した。すると、途中で和声的に充実させる部分が欲しいなという気がしてきた。しかしそれでは模範的なフーガにはならない。でも、あえてそうしてみた。すると気持ちがストンと落ちてしっくりいく。その時僕は思った。ああ、自分はバッハにはなれないんだな・・・と。
 つまりこういうことだ。自分はとってもバッハが好きだし尊敬しているが、作曲家としての自分は、むしろヘンデルに近いのだ。「メサイア」のAnd he shall purifyでは、That they may offerの部分で和声的になるし、For unto us a Child is bornでは、Wonderful Counsellorで和音で一度バシッと決まるじゃない。そしてその部分は、それ以外の対位法的な部分と絶妙なコントラストを成しているのだ。
 これってなんだろう?何故自分はバッハのような孤高の作曲家になれないのだろう?何故、分からない奴は付いて来なくてもいい、とならずに、ヘンデルのような親しみやすい展開を志向するのだろう?お客様へのサービス精神が強いってことかな?うーん・・・そうとも言えるし、そうでないとも言える。少なくとも僕は、自分がお客様の立場に立った時、こういう音楽を聴きたいのだ。つまりお客様は自分自身なのだ。
 この結論は、自分自身にとっては衝撃的であった。自分は、出来上がったバッハの曲は好きだけれど、自分ではバッハのような音楽は書かないし、書けないのだ!勿論、レベルの違いという面があるが、それと同時にタイプの問題でもある。だってバッハは、「おにころ」や「ナディーヌ」」のような親しみやすい曲は書かないものね。
「それが自分の個性だ」とも思える反面、「それが自分の限界だ」とも思う。このふたつは紙一重だ。

 それ以来僕は、一般的な評価を気にするのをやめて、自分の心に問い、自分の書きたい気持ちに忠実になって、書きたいものを書きたいように書こうと決心した。そうしてMissa pro Paceが完成したのだ。フーガの作曲は、それを僕に気付かせてくれた最後の葛藤だったように思う。

かみさまは小学5年生
 誰しもが、この本の写真とタイトルを見て、「ホントかな?」と思うだろう。正直言って、僕もそう思いながら本屋でページをめくった。文章が大きく分量も少ない。すぐ立ち読み出来てしまったので、一度はそのまま本を戻して書店を出た。ところが気になって仕方なく、次の日に同じ本屋に行って即本を取ってレジに持って行った。


かみさまは小学5年生

 はっきり言って、この本に書いてある内容は驚くべきことである。この子は、かみさまや天使たちや妖精たちとお話し出来る。人のオーラが見え、自分の胎内の記憶や前世の記憶などを持っている。その他、およそ小学生とは思えない様々な真実を語る。この本の著者が小学生だからといってあなどるなかれ。131ページに書いてあるように。
「小学生の言うことだから、
信用できない?」
「ちがう。大切にしなくちゃいけないのは、
誰が言うかじゃない。
なにを言ってるかだ。」
ということである。

 この本の中で一番僕の心を打ったのは、生まれてくる赤ちゃんとママとの関係。赤ちゃんたちは、生まれる前から空の上で自分のママになる人を選んでいるという。すみれちゃんはこう言う。
私があかちゃんに
「なんでママを選んだの?」
って聞いたら、
「キレイだったから」
「やさしそうだったから」
とか言う子もいた。
でも、みんな最後に同じことを言う。
「ひと目見たら、自分のママだって思ったから」って
 半信半疑でいいから興味のある人は読んでみて下さい。僕のように本屋で立ち読みもアリ。だって、すぐ読めてしまうから。でも、ひとつだけ忘れないで下さい。人生の究極的な目的は「しあわせになること」だそうですよ。



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