安曇野と宮澤賢治
先週に書いた通り、絵本美術館に隣接しているコテージ「森のおうち」は、とっても居心地が良かった。8月21日火曜日。一日遅れの「今日この頃」の原稿を書き上げて、一息ついていると、角皆君が約束通り11時に僕たちを迎えに来た。僕たちは最初おいしいおそば屋さんに行こうとしたが、とっても込んでいたので予定変更。午後1時から「芸術家の集い」を行う、蔵を改造したカフェ「清雅」で直接昼食を取ることにした。
ここには、山下康一君の山の絵を初めとして、何人かの絵が飾ってある。コーヒーを飲みながら、これらの絵を眺め、蔵の落ち着いた雰囲気に浸ることが出来るのはいいな。
「芸術家の集い」では、松本近辺在住の絵描きさんたちが大勢集まって、たのしい語らいの時を持った。僕にとっては、これまであまり画家達との接触がなかったので、とっても刺激的でかつ教えられることが多かった。
左が美術館 右がコテージ
対談のメンバー
ブラームスのフレーズ
8月24日金曜日。午後7時。ブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲の二度目の合わせ。ソロを弾く愛知芸術大学大学院生の牧野葵(まきの あおい)ちゃんは、格段にうまくなっていた。テンポも自由になり各フレーズの表情もついてきた。僕も今日は指揮棒を持って立って振る。ブラームス独特の「ゆらぎ」がこの曲の命。
今日は、彼女にフレーズの移行の仕方を教えた。フレーズの中で表情豊かに演奏するのと、フレーズの移行を上手に行うのとでは意味が違う。ロマン派音楽では、フレーズをどう始めてどう発展させどう収めるのかが大事だが、それと同じくらい、どう次のフレーズにつないでいって、様々な表情を持ちながらより大きなひとまとまりの部分を構築するのかが大事。僕は、こうしたフレーズに対する感覚をスキーで養った。
ひとつのフレーズは、控えめなダイナミックから始まり、しだいに発展して頂点を築くが、その後収めていって(つまりディミヌエンドしていって)次のフレーズにつないでいくというのが基本形。
しかし、実際のフレージングには様々なパターンがある。たとえばディミヌエンドして収めるかわりにクレッシェンドしてそのまま次のフォルテのフレーズに流れ込んでいくような場合、傍目に見ていると、その移行がはっきり認識できなかったりする。しかし、本人の意識の中では、れっきとした移行が行われていなければならない。
僕はそんな場合、心の中でストックを突いている。たとえばスキーでは、どんなになめらかに移行しても、重心移動ははっきりと認識されないといけない。これまで右足に乗っていた重心が左足に乗ることになるのだもの。だから、そのきっかけのポイントは決してハズしてはならない。
自分がそうだから、僕は、他の演奏家がこころの中でストックを突いているかどうかがはっきり分かる。ブラームスはフレーズ移行の天才。いろんなパターンを縦横に駆使する。しかし、それぞれの瞬間にきちんとストックを突いて、分かれているフレーズを認識し、さらに今度は移行部分をなめらかにつなぐ、という二重の作業をしないと、ダラダラとのっぺりした演奏になってしまうか、逆にインテンポの味気ない演奏になってしまう。ここがブラームスの恐いところ。さらに、その移行部分で、テンポや強弱のゆらぎを表現することによって、ブラームス独特の、なんともいえない味わいが出てくる。そこまでいかないと、ブラームスは本当のブラームスにならないのだ。
こういうことを教えられる先生が、我が国にもっといるといいんだけどねえ・・・もしかしたら先生達も音楽の世界にばかり閉じこもっていないで、僕みたいにスキーをすればいいかも知れない。ああ、そう思ったら、スキーをしたくなってきた。まだ真夏だもんね。
というわけで、次のオケ合わせがとっても楽しみになってきた。
オケ合わせは、愛知祝祭管弦楽団の本番近く、8月31日金曜日だ。それから翌日は9月1日土曜日の「ジークフリート」最終通し練習になるのだ。
燃えたぎる「ジークフリート」
8月25日土曜日と26日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の最後の2日間連続集中稽古。ここでキメなければ、と、かなりの覚悟で臨んだ。しかしすでにオケのメンバー達の意気込みもなかなかのもの。
25日は、10時から始まって午前中、第1幕通しと直し稽古。1時間の昼食後、午後から第2幕と直し稽古。4時40分に終わって30分の休憩後、第3幕通しと直し稽古。7時40分終了。10時から夜の8時近くまでずっと「ジークフリート」をやっていたんだぜ!
26日は、9時半から第1幕通し。正味約85分で、15分休憩後第2幕へ。終わったら12時半。正味約70分。1時間の休憩後、1時半から第3幕。正味約80分。その後休憩をとって、たっぷり1時間の直し稽古をやって解散。
ところが僕の場合、これで終わりではないんだなあ。後6時から8時まで会場を替えて日本ワーグナー協会名古屋地区例会として「ジークフリート」の講演会を行った。いやあ、特に26日は長い一日でした。21時06分の「のぞみ」に乗り、お弁当を開いて缶ビールを飲みながら、意識は半ば朦朧としていましたね。
でも、家に12時前に着いたら、次女の杏奈が来ていて、杏樹のために買った「リトルマーメイド」の500ピースのジグゾーパズルが最後の仕上げになっていたので、思わず缶ビール飲みながら手伝っちゃった。肝心の杏樹は寝ているのに・・・・。
「やったあ、完成!」
と杏奈と喜び合い、気が付いてみたら1時過ぎていたので、あわてて寝た。
名古屋では、結局、土日の間に2度通し稽古をやり、それから直し稽古をしたわけだが、初日は、第3幕の後半にみんな疲れてきて集中力が切れかかっていた。それでもなんとか必死で食らいついてきた。「ジークフリート」第3幕は、難関中の難関だ!
ワーグナーは、「ジークフリート」第1幕を作り、第2幕の途中まで作ったところで作曲を中断し、その間に「トリスタンとイゾルデ」と「マイスタージンガー」を作曲しているので、再び「ジークフリート」に戻った時には、以前には見られなかった円熟が見られるという。
しかしながら、第2幕の一体何処でどのように中断したのか正確なところは分からない。全体のラフ・スケッチが終わっていたのは確実で、オーケストレーションも手がけているが、その後直しが入ったりしているので、まあ要するに、アイデアは中断前だが、オーケストレーションの色彩感には中断後の雰囲気が見られるという風に、いい具合に混ざり合っている。少なくとも、途中のどこかの箇所で「突然木に竹をつないだように断層がある」という風は見えない。
ところが第3幕に関していえば、明らかにアイデアもオーケストレーションも10年以上にも渡る中断後なので、すでに「神々の黄昏」の境地に入っているし、すでに「パルジファル」の構想も練り始めているから、遠く「パルジファル」の独創性もかいま見える。
それだけに演奏は困難を極める。特にブリュンヒルデが目覚めてから、終景までの「ブリュンヒルデの混乱」のモチーフが錯綜するあたりは、音符も難しく、果てしなく続くから、弦楽器奏者は確実に目がショボショボしてくる。しかも全曲の最後なので、どう考えても「疲れ切った末にここを弾かせられる」という宿命から逃れることはできない。
僕は、初日の通しが終わった直後に、みんなにこう言った。
「これは・・・一種の・・・行ですな。滝に長時間打たれるとか、そういうのと一緒です」
一同、大爆笑。
ところが、次の日に同じように通し稽古をしたら、昨日集中力が切れてバラバラになっていたところがグッと良くなっている。終わったら即、コンサートマスターの高橋広君が、「昨日、弾きながら死ぬかと思っていた第3幕の最後が、これならいけるかな、というところまで来ましたね!」
と嬉しそうに言ってきた。やっぱり大事なことは“慣れ”なんだね。
今回は、チケットも発売から一週間で完売してしまったことであるし、演奏会に来られない方もいるので、特別にプログラムに掲載する僕の文章をここにアップする。実は、講演会に来てくれたお客様にもネタバレを覚悟でお配りした。
何故なら、当日演奏会に来て、プログラムを渡されてから実際の演奏開始までに急いで読んでいただくのは気の毒だし、僕がこの演奏会に賭ける想いについて、あるいは「ジークフリート」というドラマをどのように読み込んでいるかについて、あらかじめ、じっくり読んでいていただきたいからである。
さて、来週の「今日この頃」を書く頃には、もう終わっているんだよな。この演奏会が終わると、僕の暑い夏は終わりを告げる。次の日から僕は新国立劇場に戻り、新シーズンの「魔笛」の練習を開始する。
63歳の充実した夏を僕は「ジークフリート」で完全燃焼させよう!