夏が終わった!「ジークフリート」終了

三澤洋史 

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虚脱感
 9月4日火曜日の朝。虚脱感と疲労感とが支配している。台風のせいで天気も悪い。一昨日、指揮している時にはあんなに輝いていた自分がまるで嘘のよう。暗い小部屋の片隅で見捨てられた綿ぼこりのようなちっぽけな自分がここにいる。自分自身の存在を賭けた演奏会の、次の次の日の朝って、いつもこんな風なのだ。
 考えてみると、「今日この頃」の原稿を書くのは、たいてい演奏会の次の日だから、こういう状態を書くことはあまりないわけだ。次の日には、まだ演奏会の興奮が残っているし、体の疲労感も不思議とあまり感じない。演奏会当日、11時から13時までの2時間の舞台稽古を指揮し、それから本番で「ジークフリート」全曲を振ったのにもかかわらず、翌朝は、柴崎体育館で約1時間泳いだくらいの筋肉痛しか残っていなかった。でも歳を取ったせいもあるが、2日後に疲労感はやってくる。

 東京には昨日の午前中に帰ってきた。家に着いて昼食を食べ、長い夏休みなどなかったかのように、通常運転という感じで新国立劇場に向かう。2時から「魔笛」の合唱練習。大野和士新芸術監督の時代の初練習。それから、サントリー・ホールに向かう。来日中のロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者、サカリ・オラモ氏に会って、翌日(4日火曜日~つまり今日)の第九で新国立劇場合唱団が共演するので、その打ち合わせを行うためだ。約20分ほどの打ち合わせをなごやかに行って、8時頃に家に帰ると、孫の杏樹が喜んで僕を出迎えてくれた。

 夕食後、更新原稿を書き始めようと思っていた。でも、演奏会の内祝いとして、カツオの刺身とか、ちょっとしたご馳走がテーブルに並んでいるのを見ながら、気が付いてみたらビールの缶をプシュッと開けていた。
 妻や長女の志保と、演奏会の様子を話しながら食事が進み、なんとなく席を立って冷蔵庫から氷を出し、ウィスキーとソーダを注ぐ、ヤバいなあ・・・原稿が・・・と思う間もなく、全身に心地よい酔いが回り・・・・眠くなって・・・・次に気が付くと・・・ここは何処?わたしはだあれ?という感じで・・・ええと・・・あれれ、ベッドの上にいる。時刻は・・・と・・・午前0時。トイレに行ってパジャマに着替えて・・・という具合に、結局月曜日には一行も書けませんでした。

 それで、火曜日の今日はですねえ、11時半からストックホルム管のゲネプロがあるので、あと1時間くらいで家を出る。なので、原稿が仕上がるわけはない。ゲネプロ後、一度家に帰って来て夕方近くまでいるので、その間に原稿は仕上がるでしょう。ただ、その時間内に書けるような分量になる。
 それに、まだ頭がきちんと整理出来ていないので、総括的な内容は来週に持ち越しになるかも知れない。それで、7時の本番に間に合うようにサントリー・ホールに向かうのだ。では、書ける範囲で「ジークフリート」演奏会の記事を書いてみようと思う。

「ジークフリート」演奏会
 名古屋における日本伝統芸能の根拠地である御園座は、改修工事が済んで、超現代的なホールに生まれ変わった。とはいえ、畳敷きの楽屋とか、その楽屋の入り口にある刀架けとか、普段のホールにはないものがあって面白い。
 一番心配した音響状態は、やはりコンサート・ホールのようなわけにはいかなかったが、特別しつらえの反響板のお陰もあって、思ったより良く響いた。しかも、親友の角皆優人君をはじめとする観客にとってみると、
「いつもよりも各楽器が分離良く聞こえてきたので、この作品の室内楽的オーケストレーションを味わうことが出来、全部溶け合い過ぎのホールよりかえって音楽を楽しめた」
という印象であったという。
それよりも、多くの人達が、
「なにか特別の空間にいる感じがした」
と言っている。それが単に、御園座という洋楽に親しんでいる者にとっての“異空間”だったからという理由であるのか、あるいは僕たちの演奏もその印象を助けていたのか、そこのところはよく分からない。

(事務局注 2021リニューアル時に追加:以下同様)

 愛知祝祭管弦楽団のみんなは、もの凄く頑張っていた。金管楽器の団員は、あの大曲を吹き通すだけでも大変なのに、各幕前にファンファーレもやって、しかも最後まで立派に演奏した。ちなみに、バイロイト音楽祭では、バルコニーからのファンファーレの奏者は、オーケストラ・ピットで演奏している奏者とは違うのだ。舞台中で演奏するバンダ奏者が演奏する。

 第3幕の「ジークフリートの炎くぐり」の音楽の際には、ジークフリートの角笛の動機を、ホルン奏者だけではなくワーグナー・チューバ奏者もホルンに持ち替えてファンファーレ風に演奏する。それでも音量が足りないので、最終練習の時に僕は言った。
「これでは全然足りないんだ。みんなさあ、マーラーみたいに朝顔をお客に向けるとか天井に向けるとか、何してもいいし、どんな大きな音を出してもいいから、お客のド肝を抜くような演奏してくれない?」
そしたら、普段「抑えろ抑えろ」と言われ慣れている彼らは、
「よっしゃ!」
という感じで一気に盛り上がり、実にマッシブな響きとなった。
 それに輪をかけるように、演出家佐藤美晴ちゃんは、この場面で、天井からおびただしい数の赤い紙吹雪を振らせることを計画していた。言っておくけれど、こんなことはプロのオケでは絶対出来ない。上に穴が開いているファゴットやチューバの中には紙吹雪が普通に入ってしまって取れないし、譜面台の上や頭の上に降り積もるし、息しようとしたら鼻の穴にぺたっと貼り尽くし、眼鏡にも貼りつくし・・・でも、これがアマチュアの強み。
 それにしても、まるで豪雪地帯のようによく降りましたなあ。ゲネプロで恐る恐る降らせて、
「しめしめ、これで楽員達の了解を得られぞ」
と安心したんだろう。本番では倍以上降って、どうしようかと思った。まあ、それでもね、紙吹雪で一番迷惑がかかるはずの、チューバ奏者で団長の佐藤悦雄君なんか、感動で泣いていたというから、いいんじゃね?


ジークフリートの炎くぐり

 この場面を本番で指揮している時、僕はワーグナーの音楽の秘密をひとつ発見した。ワーグナーはやはり天才で、シーンを伴うと、同じ音楽が突然見違えるようになるのだ。ブラームスは、第二幕の「森のささやき」を聴いて、
「ここには音楽が持つべき構成がない。きれいだけど、これでは素材だけなのだ」
と言って酷評したけれど、ブラームスは、発展したり展開したりして構築性を持たないと音楽として認めないという考えに凝り固まっているのだ。
 それに反して、ワーグナーは徹底的に劇場の音楽に精通した巨匠。とにかく「ジークフリートの炎くぐり」の紙吹雪は、後ろに吊られた舞台美術と照明とのコンビネーションも抜群で、音楽的にもビジュアル的にもこのコンサートの圧巻でした。

 順不同に述べるが、第二幕第三場の始まりは、この楽劇中最大の難所だ。ジークフリートが大蛇を倒したのを物陰からうかがい、洞窟から戻ってくるジークフリートから指環や隠れ頭巾などの宝物を奪おうと思っていた、アルベリヒとミーメの2人が鉢合わせし、互いにののしり合うシーン。
 ここの音楽がとっても合いにくく難しい。それに歌唱部分も音程が取りにくく、跳躍していて、歌詞も早口なため、オーケストラだけの練習でも、それに僕のピアノによる歌手達のコレペティ稽古でも、何度も何度も繰り返し練習した。一体何回通しただろう。とにかく一回の練習に10回以下ということはなかった。
特に、最初の大森いちえいさんの入りが難しく、前のシーンの終わりはずっと同じような感じの音楽が続いているので、僕は前シーンの終わり3小節前から、指で3、2、1と示す約束をしていた。ところが、本番、指で示したら大森さんも、ミーメ役の升島唯博さんも、影も形もないではないか。僕は焦った。もし誰も入って来なかったらどうしよう!入りをしくじったら、恐らくこのシーン全部ハズしてしまうだろう。それほど難しいのだ。
もうこのシーンの前奏が始まってしまうぞ!どうしよう、一度演奏をストップしようか・・・・ああ、前奏に入ってしまった!もう駄目だ!するとふたりが勢いよく走り込んできた。
 実は、舞台登場のキューを出してくれるはずの人が、若い子で、譜面を見失ってしまってキューが出せなかったそうである。どうしようと言っている間に、例の前奏が始まってしまったので、とにかく出なければ、とあわてて出たものの、一体いつから歌い始めたらよいか皆目見当がつかなかったという。
 しかしながら、実はその点に関しては、僕と大森さんとの間にはひとつの約束が出来ていた。練習の時に、一度大森さんが一小節早く入ってきてしまったことがあったので、僕は彼に言った。
「いいかい、大森さん。僕は絶対にアインザッツだすから、逆に僕が出すまで絶対に出ないでくれる?」
「約束します」
それが功を奏して、大森さんは僕のアインザッツ通りに入ってきて事なきを得たのである。しかも、それどころか、この場面は全曲の中でも最も完成度の高いものになったのだ。
終演後、僕と大森さん、そして升島さんの3人で言い合った。
「あんだけ練習しておいてよかったね」
「練習は嘘つかないです」
「その通り!」
 升島さんのミーメは、練習を重ねていく度に表情がついてきて、今や我が国最高のミーメだと思う。勿論、大森さんのアルベリヒも立派でした。
 妻は、三輪陽子さんのエルダに非常に感銘を受けていた。第3幕冒頭のそのシーンでは、僕は静けさをオケに求めた。そのオケのサウンドのオーラに包まれて、ミステリアスなエルダを三輪さんは演じ切ってくれた。
 青山貴さんのヴォータンは、安定していますね。堂々とした存在感を誇っている。
前川依子さんの森の小鳥も、小さい役ながら輝きのある通った声で、立派に役を演じてくれた。
 ブリュンヒルデを圧倒的な歌唱で演じ切ってくれた基村昌代さんには、最高の賛辞を送りたい。その輝かしいハイCだけでなく、リリックなフレージングや、ブリュンヒルデの苦悩への共感など、他に類を見ない。東京に住んでいれば、もっともっと引く手あまたの歌手になっているに違いない。
 その中で唯一残念だったのは、タイトルロールを歌った片寄純也さん。喉の調子を壊していて、絶好調の時の輝きは見られなかった。「ジークフリート」のタイトルロールといえば、絶好調の人でさえ歌い通すのは至難の業。我が国では、この役をものに出来る人材は、彼以外にほとんどいない。
 彼の体調不良を責めるわけにはいかないが、これは英雄物語だから、不調の英雄となると、作品全体の仕上がりにとっても響いてしまうね。英雄が盛り上げてくれないと、誰も盛り上げる人がいないのが、この作品のシビアなところ。
 おまけに彼は、声が伸びないものだから、遅めのテンポのところでは待ちきれなくてどんどん走って歌っていく。僕も最初のうちは追いかけて付けてあげようとした。しかし、そこはアマチュアのオケの悲しいところ。一年以上かけて作り上げてきた音楽を、そう簡単に変えられない。
 オケがズレ始めた。無理矢理テンポを動かそうとすると崩壊してしまうことが分かった。というか、そもそもテンポが変わってしまうと、音楽の景色そのものが変わってしまうし、全体のコンセプトも別なものになってしまうのだ。

 それで僕は、悪いけれど、片寄さんのテンポにつけるのを断念して、自分が時間をかけて愛知祝祭管弦楽団で構築してきた音楽的ドラマトゥルギーを優先した。その判断を責める人もいるだろう。しかし、僕にはこれしか道がなかった。「オケでドラマを描き切る」というのが僕の楽劇へのコンセプト。ここで嘘をつくわけにはいかないんだ。
片寄さん、ごめんね!


Siegfried カーテンコール

 ということで、公演は成功に終わったけれど、僕の中には少し禍根の残る演奏会になった。今日は、もうこれから嵐の中サントリー・ホールに向かわないといけない。
また、いろいろ考えて、来週にも少しこの記事を書き足すと思います。


Siegfried 全員集合


愛知祝祭管弦楽団 「ジークフリート」紹介ページへのリンク
(事務局注 2021リニューアル時に追加)



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