京都での日々

三澤洋史 

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京都での日々
 10月26日金曜日。最近は、東京駅ではなく新横浜駅から新幹線に乗ることを覚えた。谷保ないしは西府から南武線で武蔵小杉まで行き、東横線に乗り換えて、さらに菊名で乗り換え、横浜線で一駅だけ、という面倒くさい乗り換えなのだが、東京-新横浜の新幹線で約20分の距離の違いは大きく、家を出る時間が決定的に違う。
 でも、重い荷物を持っていると、アプリの「駅スパート」の乗り換え時間をクリアするのは結構大変。特に新横浜駅では、おびただしい人の群れが降りて新幹線の方に行くため、リュックひとつの時とは大幅に違う。エレベーターに乗り切れなくて次のを待っていたら、おっとっとっと、結構ギリギリやんけ、と思っていたら、あろうことか、新幹線への自動改札機が僕の切符を飲み込んでしまった。
「すいませ~~ん!」
必死で駅員を呼ぶ。こんな時ほど、駅員の動きがダラダラとしているんだよな。そう見えるんか?急いで階段を駆け上がると、もう新幹線がホームに滑り込んできた。ハアハアハア!

 午後1時。ロームシアターでの高校生のための鑑賞教室「魔笛」のオケ合わせ。京都公演での指揮者は園田隆一郎氏。イタリアに長く住んでいて、ボローニャ歌劇場やトリエステ歌劇場で指揮しているイタリア・オペラばりばりの人なのに、ドイツ語のジングシュピールだなんて、まるで飛車角抜きで将棋をさせるようで可哀想な気もするが、園田さんの指揮の技術は確かで、ローラント・ベーアより落ち着いて自然なモーツァルトが聴かれる。フレージングも伸びやか。良い指揮者だ。
 京都市交響楽団は上手なオケだが、もう少しハジけてもいいなあ。モーツァルトって、品がないといけないんだが、上品な中にポップコーンを忍ばせておいて、時々ポン!とハネて、ウヒヒヒとなるエスプリが必要。こうだからモーツァルトは簡単そうで難しいのだ。

阿弥陀如来の慈悲
 10月27日土曜日。早朝、散歩がてら西本願寺に行き、読経をぼんやり聞き、お坊さんのありがたい講話を聞く。これが僕の京都の日課。やっぱり僕は阿弥陀如来が大好き。何が好きなのかなとよく考えるが、結局のところ神の“慈悲”に尽きるのだろう。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
というのは逆説的にも聞こえようが、僕は、人間をよく観察すればするほど、あることを感じる。それは、人を傷つける言葉を吐いたり行動をする人ほど、その放った矢で自らを傷つけているということである。人にきつく当たる人ほど精神を病みやすい。人は無意識に、
「この人は、いつもシビアなことをみんなに言っているのだから、このくらい言っても平気だろうな」
と手加減しない、ということもあるだろうが、それ以前に、
「情けは人のためならず」
「人を呪わば穴ふたつ」
といった因果応報の法則が宇宙に働いているためだと思う。ちなみに、因果応報の法則は、「巡り巡って自分に報いが来る」という時間差のあるものではなく、魂のレベルでは同時に起こっているのだ。繰り返し言うようだが、その放った矢が、同じ強さや速さで自分の内面にも突き刺さっているのだ。だから、悪人は悪人でいる分だけ心が病んでいる可哀想な状態にあるのだが、もっと可哀想なのは、本人がその悲惨さに気が付いていないということなのだ。それを親鸞は言いたいのだ。
 逆もまた真なり。愛の矢を放った者は、その矢の力で魂に花が咲く。それを習慣にしている者のまわりには、暖かくてゆったりしたオーラが広がっている。そのオーラを持つ者は、しだいに神の慈悲を帯びてくるようになる。そしてその内面に生まれた慈悲が、今度は種のようになって、さらにもっともっと神の慈悲を持ちたいと願うようになる。内面の慈悲は輝き、心の中に極楽浄土を作り出す。その人の心の極楽浄土を慕って人もしだいに集まってくる。
 こんな風に、我々は死んでから極楽浄土に行くのではない。極楽浄土は愛の矢を放つ者の内に生まれ育ち、歴然と存在している。

そんなことを、南無阿弥陀仏の勤行を聞きながらぼんやり思っていた。

 午前9時。西京極総合運動公園内にある京都アクアリーナにいる。京都に来ると必ずここで泳ぐ。特に朝はすいていて、僕の泳いだコースでは僕ひとりだった。ゆったり泳いだり、ちょっとスプリンター気取りでダッシュしてみたり・・・気が付いてみたら・・・いっけねえ、もう1500メートルくらい泳いじゃった。もうやめなければ。僕は決めてるんだ。もうお年寄りだから、1500メートル以上泳ぐと、その日の仕事がダルくなったり、筋肉痛が次の日に持ち越すので、自分に禁じているのだ。
 でも今日はちょっと気分良かったので・・・その代わりといってはナンだけど、お昼に、破壊されたタンパク質を補うために、ステーキを食べた。なんだそりゃ。

 午後2時からロームシアターでピアノ付き舞台稽古。夜は、プロデューサーのTさんと食事。泊まっている烏丸四条から三条方面に歩いていったところにある「炉端屋 がぶり」という店。鰹の藁焼き(タタキ)がおいしくて、つい焼酎を飲み過ぎた。

菅原神父のこと
 10月28日日曜日。西本願寺も魅力的なのだが、日曜日なので、カトリック信者としてはやっぱり教会に行くべきでしょう。京都に来たら、なんといっても京都教区カテドラルの河原町教会。河原町三条をちょっと上ったところにある。10時半のミサがメインだが、朝のお散歩も兼ねて、人の少なめな7時のミサに行った。その後の半日が有意義に使えるから。そうしたら、なんと菅原友明神父が司式をしていた。
 これから昔の思い出を語るので、あえて菅原さんと呼ぶ。菅原さんは、かつて立川教会で求道者となり、岩橋淳一神父のもとで洗礼を受けた人だ。その頃、郵便局の職員だったと思う。
 洗礼を授けた岩橋神父は気さくで明るい人で、信仰に厚く説教もとても良かった。あの頃、立川教会にはいろんな人が集まってきていた。人物は人を集める。クリスマスによく歌われる「ハレルヤ・クリスマス」という曲があるが、作詞が岩橋神父で、作曲はなんと、あのピンク・レディーや山口百恵などのヒット曲を沢山生みだした都倉俊一だ。彼もカトリック信者で、まともに作曲を依頼したらいくらかかったか分かったもんじゃないが、ご奉仕だということだ。とっても良い曲だし、岩橋神父の作詞もシンプルで心に染みる。ところが岩橋神父は、その後、上野教会に赴任されていた時に、階段から足を踏み外してほぼ全身マヒ状態になり、2014年にとうとう帰天されてしまった。実に残念である。
 国立市にはかつて愛徳カルメル会の女子修道院があった。そこは大学生を対象にしていた女子寮を兼ねていて、聖堂を快く国立市の信徒達に解放していた。妻は毎朝6時半のミサに通っていた。シスター達もみんなやさしかったので、国立市の信徒たちは愛徳カルメル会が大好きで、クリスマス・イブでは、立川教会に行かずに愛徳カルメル会に集まってミサに出席し、その後のパーティーまでやるので、本家の立川教会から、
「なんで立川に来ないのだ?」
と、クレームがきたほどだった。ところが国立の信者達は、そのクレームに反省するどころか、みんなで寄付を寄せ集めて愛徳カルメル会の近くに国立集会所を建てて、そこを根拠地とした。
 ミサ後のパーティでは、若者達が、聖劇でもない「しょうもない寸劇」を披露した。それがあまりにバカバカしかったので、みんなで笑いすぎてあごが痛くなるほどだった。僕の娘達もそんな雰囲気の中で育った。そうしためちゃめちゃ和やかな若者達の輪の中に、菅原さんもいたのだ。ちなみに、そのしょうもない寸劇をやってた1人は、現在東京教区の司祭となっている林正人神父である。彼も岩橋神父に心の内を打ち明けて神学校に進んだ人である。
 岩橋神父が主任司祭であった時代には、もうひとり、叙階したてで若く、めちゃめちゃ信仰心に燃えていた伊藤幸史神父が叙任司祭として赴任して、若者達の面倒をみていたこともあり、立川教会にとって間違いなくひとつの黄金時代を築いていた。
 菅原さんは、おとなしく穏やかな人である。小柄で童顔だったこともあり、みんなに可愛がられていた。妻なんか、菅原君、菅原君と親しげに呼んでいた。その彼の内面に、司祭になる情熱があったとは意外に思われたほどだ。彼は京都の聖ヴィアトール修道会に入るため東京を離れた。すでに31歳になっていたという。
 2015年の歳が明けて間もない頃、妻は突然言った。
「3月に、菅原君の叙階式があるから、京都に行ってくるよ」
「へえ、あの菅原さんが神父になるのか。まあ、林さんがなったんだから不思議でもないか(失礼!)」
妻は、わざわざこの河原町教会にまで駆けつけてお祝いをしたのだ。こうして菅原さんは京都教区の司祭となった。

 時は移り、あれから愛徳カルメル会のシスター達は、国立の修道院を引き払って本部に帰っていった。それに伴って国立の信徒達はみんな立川教会に通うようになり、国立集会所も人の手に渡った。菅原さんに洗礼をさずけた岩橋神父ももういない。
「すべてのものに時がある」
と旧約聖書の伝道の書第3章では言われるけれど、“諸行無常”というネガティブな意味ではなく、むしろタイムリーという意味で僕は言いたい。
 菅原さんは、国立が一番輝いていた時に僕たちの前に現れて、その輪の中で信仰を熟成させていった。まさにその時でないとダメだったのだ。これを“神のはからい”と言わずして何と言おう。
 その菅原さんが菅原神父となって、僕の目の前で説教をしている。感無量である。派手ではないが心のこもったとても良い説教。菅原さんらしいと思って嬉しくなった。良い神父になったね、菅原さん!
 ミサが終わって、菅原神父に会いに行こうとしたけれど、聖堂を出たところでは、関西でピカイチのオペラの伴奏ピアニストである越知晴子(おち はるこ)さんのお母さん(熱心な信者)が、憲法改正反対のビラ配りをしていた。それで立ち話している内に、帰られてしもうた。残念!
 ネットで調べてみたら、菅原神父は、現在洛東ブロック担当司祭として活動しているということである。頑張ってね菅原神父!応援しています。

 さて、午後は「魔笛」のオケ付き舞台稽古(実質的にゲネプロ)。マエストロ園田の指導力の元、かなり良い仕上がりになってきた。先日まで新国立劇場で歌っていた外国人キャストに代わって出演する鈴木准さんのタミーノや吉川健一さんのパパゲーノ、長谷川顕さんのザラストロなどは、それぞれのソリストとしてのレベルは勿論のこと、日本人の最大の強みであるアンサンブル能力に優れているので、重唱の密度が一気に上がった。

 ゲネプロ終了後、一度ホテルに帰って荷物を置いてから、僕は再び西京極のアクアリーナに向かう。今日は1300メートルくらいかな。1000メートルまでは数えていたが、あとはビート板を使ってキックだのプルの練習だのユルッとしてから、プールサイドにあるジャグジーのお風呂に、
「極楽極楽!」
と浸かって帰って来た。

なんでコメダが好きかよく分かんねー
 10月29日月曜日早朝。また西本願寺に行こうと思ったけれど、なんとなく足は河原町教会に向かう。気が付いてみたら6時半の小聖堂のミサに出ている。まあ、カトリック信者だからこちらの方が自然。
 でも、どうなんだろうなあ・・・。こう言うと誰かに怒られちゃいそうだけど、僕にとっては、何処に行っても、向かう神さまというのは一緒のような気がする。6時半のミサでは、司祭の説教はないので、浄土真宗のお坊さんの講話を聞いていた方が良かったような気もする。一方で、読経中は深い瞑想に入れるが、ミサでは立ったり座ったりで気が散るなあ・・・なんてこと言ってるとバチが当たるで。

 ミサの後は、三条大橋の近くのコメダで朝食。京都滞在中は基本的に朝食はコメダ。昨日もその前も西本願寺や河原町教会の後に当然のように行った。ゆで卵付きのトーストに、サラダを付けて、たっぷりブレンド・コーヒーと決まっている。ところで僕は、なんでいつもコメダなんだろう?
 別にコーヒーがおいしいわけではない。というより、どちらかというとマズイ部類に入る。明らかに、すでに出来ているコーヒーを暖めているだけ。それが証拠に、時々沸騰してしまって泡が浮いている。
 トーストに付いているのはバターではない。チープなマーガリンである。サラダのドレッシングもマズイ。でも、何だか知らないけれど、僕はコメダが好き。唯一の理由は、椅子がゆったりしていること。それだけ?うーん・・・よく分かんねー。世の中にはね、謎のことがよくあるよ。

 ということで、こうして振り返ってみると、せっかっく京都に来ていながら、案外禁欲的な生活をしている。写真が一枚もないよね。写真が撮れるような処にちっとも行かないで、泳ぎに行ったり、残りの時間は、11月4日にサントリー・ホールの小ホール「ブルーローズ」で開かれる東京バロック・スコラーズの曲を暗譜したりしている。
 別に暗譜しなくても全然いいんだけど、演奏会があるとね、その前にその曲に浸る「生活」をしたいんだよ。指揮するだけならすぐでも振れるけれど、それでは価値がないのだ。演奏会というのは、僕にとっては、司祭がミサを司式するのと同じような“秘蹟”なんだな。
 ミサの間に“聖変化”といって、ただのパンと葡萄酒がキリストの体と血に変容するだろう。僕も、演奏会の間に、ただの譜面から聖変化を起こして、聴衆の心の中を変容させたいのだ。暗譜はどうでもいいのだけれど、演奏中の自分の意識が彼岸の領域にまで到達し、小さな奇蹟を起こしたいのだ。

 今日の午後から「魔笛」第一回目の公演。明日が1日オフで、あさって31日に二回目の公演をして東京に帰る。明日のオフ日には、写真が撮れるところに行きますよ。一昨年と同じように飛鳥に行くと思います。

 やっぱり、飛鳥が忘れられないのだ!何でだか知らないけれど・・・なんで?・・・うーーーん・・・よく分かんねー。
コメダのことも含めて、チコちゃんに怒られる!
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
って。



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