ホンモノが来ちゃいました~カルメン

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ホンモノが来ちゃいました~カルメン
 僕は、自分で本当に劇場人間なのだと思う。というのは、こういう芝居人に遭うと、心底惚れ込んでしまうからだ。

 新国立劇場で11月23日から始まる「カルメン」公演のカルメン役ジンジャー・コスタ=ジャクソンは、天性の演技力を持つ稀有なる歌手。いや、演技なんてもんじゃない。カルメンそのもの。立ち稽古の初日から稽古場の空気を一転させてしまった。

 第1幕、カルメンの登場。彼女は、周りを取り巻く合唱団員達の中から任意に人を選び、思わせぶりに寄っていって相手の気を引いては、軽く突き飛ばし、次の男へと向かう。その視線の強さ!表情の変化!体のしなり!
「あたしがこうやるから、あなたはこうやってね」
と勝手に仕切るが、全てに整合性があるから、演出側も黙って見守る。
 そして有名な「ハバネラ」が始まる。通常だと、
「あの大人数の合唱団がみんなセンターのカルメンに釘付けになるなんてあり得ない!」
と、オペラの中にある「芝居の嘘」に笑うこともあるけれど、今回、稽古場で自然にカルメンに全員の視線が集中するのを見ていると、「芝居の嘘」を「真実」にするのは、まさに演技のリアリティに他ならないのだと実感する。
 その後の女工達の喧嘩のシーン。喧嘩相手のマニュエリタ役の助演の演技も素晴らしいが、それといがみ合うカルメンは、まるで犬か猫のように鼻を鳴らして相手を挑発する。す、凄い!動物的。まさに本能に生きる女。
 カルメンは綱につながれ、それをホセが見張ることになるのだが、カルメンはホセを誘惑する。それでいてスニガ隊長にも色目をつかうことを怠らない。動揺するホセ。自分の逃亡が成功するであろうことを確信しながら誘惑を続けるカルメン。

 こうした芸達者な主人公を得ると、ビゼーの歌劇「カルメン」は、こんなインパクトのある素晴らしい作品に仕上がるのか、とあらためて思う。世間の制約や常識をあざ笑うかのような、なにものにもしばられない自由への賛歌といおうか。
 誘惑、憎悪、密輸、浮気、詐欺、裏切り・・・あらゆる悪徳がなんと魅力的に描かれているのだろう・・・いやいや・・・カトリック信者が、こんなものに惹かれてはいけません・・・とも思うが、これこそが「カルメン」というオペラが世界中の歌劇場で最も上演数が多い、すなわち、最も人気のある作品である証なのである。

 練習の合間に、合唱団員のひとりである大森いちえいさんとすれ違ったら、彼がポツリと、
「ホンモノが来ちゃいましたね」
と言った。
 こうした内部の人達の評価はね、間違いないんだよ。
だからみなさん、是非この「カルメン」を観て下さい。特にオペラ好きでない人にも、入門には最適。あなたはこのカルメンに絶対にハマります。

マーラー「巨人」と青春
 11月11日日曜日。「カルメン」の立ち稽古は、昼夜とたっぷりやったので、くたくたになって帰宅して、何気なくテレビをつけたら、NHK交響楽団がマーラー作曲交響曲第1番「巨人」を演奏していた。途中からだったが、大変な名演で、N響には珍しく(失礼)楽員が乗りに乗っている。

 指揮者はヘルベルト・ブロムシュテット。生まれたのが1927年だというからもう90歳を超えていて、なおもこんな熱演が可能なのか。僕も、ブロムシュテット氏とは何度か合唱指揮者として共演したことがある。バロックから、ロマン派、近代までオールマイティなレパートリーを持ち、出来不出来のない安定した仕上がりを見せる職人であり、人間的にも出来た人で、一種の悟りの境地にある。
 恐らく、かつてのスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ-と読売日本交響楽団との関係のようなのだろう。スクロヴァチェフスキ-は2017年に亡くなったが、晩年の演奏会は、いつもこれが最後になるかも知れないという緊張感があった。だから、ひとつひとつが、まさに一期一会という感じで、精魂込めた異常なほど高揚した演奏になっていた。
 N響とブロムシュテットとの間にも、そんな雰囲気が漂っていた。しかも曲目が、よりによってマーラーの交響曲第1番とは・・・。第9番とかだったら分かるけれど・・・。大いに褒めたいのは、エネルギッシュという意味では、90歳の演奏には見えなかった

 しかしながら、僕は批評家ではないので、1ファンとして勝手なことを言わせてもらう。名演であることに何の疑問も挟まないが、実は、僕にはちょっと不満なんだな。あのね、演奏の優劣とは別次元で、この曲はこういう曲ではないと思う。
 マーラーの交響曲第1番というのは、特別な曲なんだ。こんな確信に満ちた完成された演奏であってはならない。この曲は、こんなにバランスが良く、テンポの変わり目に整合性があってはならない。この曲にはもっと、脆さがないといけない。不自然さがないといけない。青春の持つ危うさや、見せかけの傲慢さの中に潜む自信のなさや、成功や勝利の中に潜む挫折がないといけない。

 僕は、ゲーテのファウストのように、
「今からまた青春時代を生きてみるかい?」
と言われても、即座にNOという。
 だって、振り返ってみると、青春時代って、欲求不満と不安と絶望のかたまりじゃないか。どれだけ僕はその中で不自然に振る舞っただろうか?どれだけ、自分の気持ちをごまかし、その陰で、
「自分は醜い嫌な奴だ」
と自己嫌悪に陥ったことだろうか。そうした自己矛盾や自己欺瞞、欲望に蹂躙される理性のあがき、それらを打ち破っていこうとする甲斐なき奮闘。それが青春だというのなら、もう二度とごめんだ。
 しかし・・・それらを今振り返ってみると・・・その生きることに奔走していた軌跡は妙になつかしく・・・自分に襲いかかってくるウワバミのような様々な運命に、かくも果敢にいどんでいった自分が妙にいとおしく、そして人生はかくも輝いていたのかと、感じられてならないのだ。

 それが、この交響曲第1番の“いのち”だ。だから、青春時代を遠く振り返る今となっては、自分はもうこの曲を指揮することはないだろうな、と思っていた。コツコツとキャリアを重ねてきて、自分への評価もそれなりにかたまり、いきなりシンデレラボーイになる可能性もないだろうが、どん底に突き落とされるような思いをすることもないだろう。
 様々な欲望もしだいに静まり、愛する家族に囲まれて穏やかでしあわせな人生を歩んでいる。その中で僕は、宗教的な覚醒を目指して毎日を歩んでいる。こんな自分には、もうこの曲を演奏する資格はないのだ。

 そんな時に、90歳を超えるブロムシュテットが、あんな風に、あまりに無防備にこの曲を指揮すると、びっくりする。彼の表現した第4楽章の成功は、もう揺るぎない成功なんだ。90歳の積み重なった人生の、もう決して崩れることのない、天国に持って行ける成功なのだ。でも、それはマーラー交響曲第1番のみせかけの成功とは全然違うのだ。

 こう思っていたら、親友の角皆優人君のことを思い出した。彼は、我が国のフリースタイル・スキーの黎明期に、7年間、全日本総合優勝を守り通した、文字通りの勝利者だった。しかし、アスリートの世界は過酷だ。常に自己の限界に挑み、それを超えていこうとしてトレーニングを続けなければならない。彼がある時言った。
「スポーツが健康に良いというけれどね、トップ・アスリートになると、健康に良いレベルなんかじゃやっていけないよ。こんな肉体の限界に挑戦し続けるんだもの、不健康にきまってるだろ」

 また、優勝には魔物が潜んでいる。音楽のコンクールなどでもそうだが、人は、欠点がないから優勝するのではない。抜きんでるものが人を優勝させる。でも、優勝は人を酔わせ、有頂天にさせる。その間に、その背後に潜んでいる欠点が、仕返ししようとスキを狙うようになる。
 ある者は、メンタルな弱さに悩まされる。今まで何も心配することなく無心でうまくいっていたものが、意識し始めた途端、ギクシャクとなり始める。あるピアニストは、どうやって弾き始めたらいいかすら分からなくなる。それが肉体的な疾患にまで及ぶ者もいる。
 ある者は、自分の肉体の限界を過信して、とりかえしのつかない怪我を負い、また過度の練習による故障に悩まされる。ある者は、テクニックのある面での欠陥がどうしても克服できなくて、本当の基礎の基礎にまで戻って何ヶ月もやり直すことを強要される。
 そうした、あらゆる面から、自分の弱さを見せつけられる。そうしたメンタルな面、フィジカルな面の全てを克服した者のみが、真の勝利者、真の勇者となれるのだが、それを長い年月をかけて克服した時には、もう老いが忍び寄っていて、なんにも考えていないノーテンキな若者に勝利を譲ることになってしまう。なんという皮肉!
C'est la vie.(それが人生というものさ)

 マーラー交響曲の終楽章は、そんな若者の見せかけの成功。だからこの後、この主人公は絶対に挫折すると思わせるような「成功」を表現しなければならない。しかしながら、ブロムシュテットを聴きながら、僕はチラッと思った。
「この演奏よりは、少なくともマーラーの核心に触れる演奏を自分は出来るような気がする。自分のリアル青春を過ぎ去ってしまったけれど、たとえば未だに山田かまちの詩を読んで、それをまぶしく感じる自分がいるだろう。リアル青春からの距離感はあるけれど、もしかしたら、自分なりの『まらいち』は、まだ表現できるのかも知れない」
ま、僕も懲りないノーテンキな部類に入るのかもな。

そういえば、青春というとね、山田かまちに関する続報があるんだ。次にその記事を書く。

再び山田かまち熱が・・・
 群馬県高崎市に、2019年秋、高崎芸術劇場というホールがオープンする。僕は、そこのアドバイザーになっていて、具体的にはピアノの選定などの会議に関わってきた。そのホールの開場をにらみながら、高崎財団は「劇場都市」という月刊誌を出している。
 その雑誌の巻頭インタビューの記事のために、インタビューアー、担当者、カメラマンの3人が新国立劇場に現れて、新国立劇場合唱団の「カルメン」の合唱稽古の写真を撮り、その後僕がインタビューを受けた。

 インタビューを担当した高崎財団の山田なつ子さんは、明るく魅力的な女性。僕のことをすでに著書「オペラ座のお仕事」やホームページで調べてくれていて、訊いてくることが的をついているので、こちらとしてもとても答えやすかった。こういう知的な女性は大好き。
 ところが、インタビューが終わって帰りがけに、彼女はある本を僕に手渡した。みると山田かまちの画集だ。
「三澤先生が山田かまちのことをホームページに書いてくれてとても驚きました。身内としては嬉しい限りです」
驚いたのはむしろこっちで、
「身内って・・・どのような身内ですか?」
と、すかさず訊ねたら、なんと、
「かまちは私の兄です」
と言うではないか。
「えええっ?ということは、山田かまちの妹さん?」
「そうなんです。でも、年は10歳離れているんです」
「10歳・・・ということは・・・ええと・・・そんなに近いという感じではなかったのですか?」
「いえ、私は兄の部屋に入り浸ってました。絵を描いているところはあまり見ていないのですが、次の日になると新しい絵が出来上がっているのです」
もっといろいろ訊ねたかったのだけれど、インタビューそのものが予定時間をかなりオーバーしていたので、そこで残念ながら終了。

 でも、僕の気持ちは収まらない。そこで後日、山田なつ子さんに連絡を取って、
「是非、いつか時間を取って、かまちのことについて詳しく教えていただけないでしょうか?」
と恐る恐る訊ねた。すると、快く引き受けてくれただけでなく、
「私の話はもちろん、最も兄を知る存在の母もおります。
先生がよろしければ、倉賀野在住の母をご案内させて頂いてもかまいません。
また、HPにインタビュー記載の件も、まったくもって構いません。
先生のような大らかな御視点で紹介していただけたら、後輩かまちも喜ぶと思い
ます。
私も楽しみにしております」
というお返事をいただいた。

 あまりに嬉しかったので、親友の角皆君に、
「山田かまちの妹さんに会ったんだぜ。それでね、お母さんにも会わせてくれるってさ」
と、半ば自慢げにメールしたら、
「僕も会いたい!」
と言う。彼は、一時期山田かまちにハマって高崎高校の近くの美術館にまで行ったそうだ。そこで角皆君とふたりですぐにでも会いに行きたいのだが、残念ながらここのところずっと忙しくて、新町歌劇団の練習にも全然行けないほどなのだ。

 いただいた画集の巻末に、かまちのお母様の文章が載っていた。そこには意外に、かまち少年のひょうきんな面がかかれており、それを読みながら僕は、
「もしかしたら、一般に伝わっている山田かまちの、どちらかというと繊細で神経質なキャラクターって、実物と随分違うのではないか」
と思い、早速山田さんにメールした。

 そうしたら、次のようなお返事が返ってきた。
「まさに仰るとおりで、かまちは天真爛漫でとっても明るい少年なのです。
小学校中学年のときは、学校の休み時間になると、かまちに怪獣の絵を描いてほしくて、かまちの机にクラスメイトの列が出来たとか、かまち用の黒板を先生が用意してくれたとか、、、楽しい話に事欠きません。
私から見た兄のイメージもまさに、明るい楽しい優しいお兄ちゃんです。
生きる事が楽しくて、嬉しくて、それがほとばしってしまうような人だったと思
います。
20数年前にかまちが全国に知れ渡ったときに、偏った捉え方と紹介の仕方で青春の葛藤ばかりがクローズアップされてしまいました」

これはもう、なにがなんでも会わなければ!

久し振りにバイロイト解説
 今年の11月は急に忙しくなった。NHKのFMの番組「バイロイト音楽祭2018」の解説の仕事が入ってきたため、ただでさえ忙しい毎日が身動きできないほどになってしまったのだ。

 これまでバイロイト音楽祭の解説をやったのは2001年、2003年、そして2010年の3回。最初の2回は、自分が実際に音楽祭で稽古初日から千穐楽まで働いていたので、演奏だけでなく内部のことまでくまなく知っていたという強みがあった。2010年の時には、7月にゲネプロを観に行ったのをNHKの人が聞きつけて僕に依頼してきた。しかしながら、今回はバイロイトにもしばらく行ってないし、演出のことなども全く分からないので、依頼を受けてからお返事をするまでかなり躊躇した。
 今年は、楽劇「ワルキューレ」で、テノール歌手のプラシド・ドミンゴが、なんと指揮者としてバイロイト音楽祭デビューを飾り、そのワルキューレ達のひとりに日本人のメゾ・ソプラノである金子美香さんが出演したというので話題になっている。
 その金子さんとの対談もお願いしたいという意向だ。なるほど・・・その対談のために、バイロイト音楽祭の経験者である僕が選ばれたのであろう。僕も、そこが興味深いので、結局承諾をした。ただし全演目ではなく、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「さまよえるオランダ人」「ワルキューレ」の3演目だけ。

 勿論、ラジオの解説なので、あまり演出とかのビジュアルな面には触れなくていいのだが、少なくとも音楽に関しては、本番の音源をきちんと聴いて、的外れな解説にならないよう務めなければならない。
 この頼まれた3演目を聴き込むだけでも、日常生活の合間を縫って時間を捻出するのが一苦労。そのために、当初、11月18日の愛知祝祭管弦楽団の「神々の黄昏」の初マエストロ稽古の後に計画していた団員向けの講演会を次回に回してもらったり、多少スケジュールを移さなければならなかった。

 ちなみに、バイロイト音楽祭の放送日は以下の通り。
12月10日(月)21:10-1:00 ローエングリン
12月11日(火)21:10-1:55 パルシファル
12月12日(水)21:10-1:30 トリスタンとイゾルデ
12月13日(木)21:10-2:05 ニュルンベルクのマイスタージンガー
12月14日(金)21:10-23:55 さまよえるオランダ人
12月15日(土)21:10-1:30 ワルキューレ

 後半の3演目を僕が解説する。この内、金子美香さんとの対談は、演奏時間そのものが短い「さまよえるオランダ人」の放送日である12月14日ということである。
さて、もう「ワルキューレ」」を聴き始めて、原稿も作り始めているが、資料作成のため、この先、目がショボショボする日々がしばらく続きます。



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