「ファルスタッフ」はベストプロダクション!

三澤洋史 

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狭山でジャベリン・ターンしながら冬の到来を待つ
 今日11月26日月曜日の「ファルスタッフ」の舞台稽古が突然休みになった。ソリスト達の動きがまだ付き終わっていないので、合唱を休みにしてソリストに集中するということである。今日は、午前中にこの原稿を書き終わって、午後から仕事に出ようと思っていたのであるが、急に降って湧いた休日は、なんだか得した気分。
 それで、午後に柴崎体育館に行って泳ごうか、狭山スキー場に行こうか迷った。最近ずっと、午後から夜にかけて仕事が詰まっていたし、後で述べるように、NHK・FMのための準備に追われていたので、早朝散歩以外は運動不足になっていたのだ。全身運動ならば水泳の方が効果的であることは分かっているんだけどね・・・でもやっぱり狭山でしょう!

 ということで、お昼を食べてから西武球場の隣の狭山スキー場に行った。
この時期にスキー担いで、ブーツの袋を持って電車に乗るのは結構恥ずかしい。平日の昼過ぎ。
「何、浮かれてんの?このおっさん」
という視線があたりから飛んでくる。
 実は今シーズン初めてではない。2回目。でもね、初めての11月14日水曜日は、埼玉県民の日にぶつかってしまった。小中学校はお休み。しかも、子どものためのレッスンがあったりして、狭山スキー場は芋洗い状態。とてもトレーニングする状態ではなかった。ま、久し振りだから、思い出すだけでいいか、とあきらめた。

 今日はその時よりは空いていたので、いろいろ思い出し稽古が出来た。昨年は随分、外向傾とバランス感覚を鍛えるためのジャベリン・ターン(片足走行)をやったっけ。それで今日もジャベリン・ターンをやったが、半年以上のギャップというのは大きいね。最初はなんだか体が思うように動いてくれなかった。
 ええと・・・どうだったっけ?あ、そうそう・・・切り替えてすぐ新しい足にきちんと体重をあずけないと、反対足が雪から離れない。それで・・・おっとっとっと・・・バランス、バランス・・・。まあ、それでも、2時間ほどやっていたらだんだん感覚を思い出してきた。あーあ、早く本当のゲレンデで思いっ切り滑りたいなあ!

 そういえば、「マエストロ、私をスキーに連れて行って2019」キャンプの、2月18日月曜日と19日火曜日のAキャンプでは、オペラ、コンサートのピアニストの第一人者である小埜寺美樹ちゃんが参加したいといって正式申し込みをしてくれた。すると、それにつられて、もともと美樹ちゃんの弟子でもあった、やはりピアニストの矢崎貴子ちゃんも参加することになった。さらにバリトンの秋本健ちゃんも加わった。この勢いだと、もっともっとプロの音楽家が増えそうである。美樹ちゃんは、去年も参加したいと言っていたのだけれど、どうしてもスケジュールが合わなかったのだ。

 昨年度は、本当のプロは飯田みち代さんだけであったが、スキーを履くのが初めてという飯田さんは、ゲレンデでいきなり大きな声で歌い出してから、突然うまくなった。他のスキーヤー達がみんな振り返って見たほどだった。そうした音楽家特有の成長曲線を、プロを相手に見るのはとても興味がある。

 とはいえ、Aキャンプをプロ限定にする事など考えているわけではないですよ。すでに申し込み申請を済んだ人達も何人もいるから、プロもアマも一緒になって大いに楽しみましょう。プロの人達との交流に興味のある方も大歓迎です。
 それにしても、ここにきて「音楽をやっている人のための特別キャンプ」というのが、思わぬ意味を持ってくる予感がするのである。こんな時、僕の予感は当たるんだ。

早く冬が来ないかな。  


「ファルスタッフ」はベスト・プロダクション!
 「カルメン」公演と並行して「ファルスタッフ」の立ち稽古が進んでいる。最初の稽古で驚いた。これはまさにベストメンバーだ。アリーチェ役の有名なエヴァ・メイをはじめとして、クイックリー夫人役のエンケイダ・シュコーザ、フォード役のマッティア・オリヴィエーリなど、みんな非の打ち所がない。
 そしてタイトルロールのファルスタッフ役には、ロベルト・デ・カンディア。彼は1999年「マノン・レスコー」のレスコー役、2002年「セヴィリアの理髪師」のフィガロ役、2009年「チェネレントラ」のダンディーニ役に次いで、新国立劇場4度目の登場となる。このキャスト陣の内、アルバニア生まれのシュコーザを除いて全員がイタリア生まれ。

 もっと素晴らしいのは、指揮者のカルロ・リッツィ。彼は生粋のミラネーゼ(ミラノ生まれ)で、ミラノ音楽院に学び、スカラ座でコレペティトールとして叩き上げた根っからの職人。合唱の音楽稽古をしてくれたが、もう何でも知ってるし、ソロの箇所は自分でも歌う。しかも良い声。
 ミラノの話題で彼とは盛り上がり、今は、イギリスで仕事をすることが多くて、なかなかミラノには帰れないと嘆いている。僕の合唱の音楽作りをとても喜んでくれて、自分がやろうと思っていたことをみんな先取りして練習していてくれたと褒めてくれた。
 それでも、彼が実際にイタリア人としてみんなの前で喋って発音を示したり表情を作ってくれると、みんなも現金なもので、合唱からこれまでにない生き生きとした表情が出てくる。
「僕と、言ってたこと、同じやんけ」
とも思うが、ネイティブはやっぱり違うんだよな。そこのところは、僕も素直に脱帽しよう。血には勝てない。

 立ち稽古では、まだ主役達は本気の声を出さないで歌いながら演技しているけれど、イタリア語はポンポン飛んでくるし、演技も歌唱もあまりにも自然で余裕そのもの。アップテンポに早口もなんのその。日本人の「私頑張ってます」というのとは全然違うんだよな。まあ、経験してきた本番の回数が違うのだ。
 でも、日本人勢もみんな頑張っているよ。日本人には順応性があるから、彼ら外国人組の中に入って、これから溶け合ってくれば、全体として、これは信じられない「ファルスタッフ」が出来上がること間違いなし!

 大野和士芸術監督による新シーズン。いよいよ大海に乗り出した快調そのものの航海に、僕もとても嬉しい気持ちでいっぱいだ。

バイロイト2018の収録に向けて
 先週は、「カルメン」の公演などの合間を縫って、ずっとNHK・FMの「バイロイト音楽祭2018」の収録のために、あらかじめ送られてきた音源資料の録音を聴き、ドイツ語や英語で書かれた、キャストのプロフィールや批評などの資料を読み、それらを参考にしながら原稿作りに専念していた。
 資料集めや原稿執筆は、基本的には家で午前中に仕事していた。一方、音源資料については、新国立劇場での「カルメン」や「ファルスタッフ」の稽古の間の休憩時間を使った。稽古が早く終わった時には、家に帰るのを遅くして、ドトールや珈琲館などでi-Podを聴いた。
 楽譜を何冊も持って行くのは重いし大変なので、i-PadにPetrucciからダウンロードしたスコアを入れて見ながら聴く。i-Podとi-Padに大変お世話になった。それにしても便利な世の中になったものだ。
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「さまよえるオランダ人」「ワルキューレ」を短い期間で全て聴くのは楽でなかったし、きちんと聴いて適切なコメントをするために神経を集中するので、先週はずっと神経が疲れていた。不思議なのは、ライブ演奏では長い間聴いていても平気なのに、録音されたものをヘッドフォンを使って聴くというのは、ことのほか疲れるものなのだね。

 それで実際に原稿を書く時になると、放送時間の制約は厳密で、あらすじや配役も含めて各幕間のトークの時間が、たとえば6分15秒とかきっちり決まっているため、原稿もそれに合わせなければならない。出来上がった原稿を何度も読んで、時間オーバーしている分だけ刈り込んでいく。
 僕の場合、言うことがなくて困るということはない。逆に、言いたいことがどんどん出てきて、一度書きたいだけ書いてしまうと、こんどは削るのが残念で仕方ない。悩みに悩み抜いて少しずつ刈り込んでいくのだが、その度に、
「ああ、ここも言いたかったのに・・・・ああ、これもカットか・・・残念!」
という具合だ。

 先週も触れたが、プラーシド・ドミンゴ指揮の「ワルキューレ」では、ドミンゴの指揮が頼りないのでコメントに困っていた。しかも、「さまよえるオランダ人」の放送日には、日本人でワルキューレの内の一人のグリムゲルデ役を歌っていたメゾ・ソプラノの金子美香さんとの対談が放送される。その収録は今週の木曜日午前中にある。どうしたってドミンゴの話題をスルーするわけにはいかない。
 そこで、金子さんとメールでのやり取りをしていたのだが、ここはやはりお会いして、お互いうっかりなことを言ってしまわないように口裏を合わせないと、という目的で、新国立劇場前の珈琲館で、午後の練習の前にパスタを食べコーヒーを飲みながらいろいろお話しした。

 金子美香さんは、新国立劇場の今回の「カルメン」公演の前のプロダクションでメルセデス役として出演していたが、僕とはあまり話す機会がなかった。でも、今回一対一でじっくり話してみたら、そのスーッとした細面のきりっとした顔立ちで、一見クールな人かなと思っていたのとは裏腹に、実に陽気で楽しい人だった。それで、いろんな興味深い話を聞くことが出来た。

 指揮者としてのテクニックが足りない場合でも、音楽が流れていくところはあまり問題が起きない。しかし、最も大変なのはレシタティーボ(朗誦)風の箇所で、歌手の歌を受けてオケが合いの手を入れていくところ。ドミンゴの指揮がついていけなくて、歌と合いの手の間にどうしてもワンクッションある。
 この状況の中で、歌手はふたつのタイプに分かれる。ヴォータン役を歌っているジョン・ルンドグレンは真面目な人なので、どうしても自分のテンポ感や表情で入ってしまい、その後のオケとの間にギャップを作ってしまう。そこでドミンゴを責めるというよりも自分で落ち込んでしまうという。
 反対にブリュンヒルデを歌っているキャサリン・フォスターは、そういう状況をむしろ面白がり、上手に立ち回ってドミンゴのテンポ感や間を楽しみながら自分の音楽も展開していたという。
 演奏を聴いてもその違いはよく分かる。確かにブリュンヒルデが歌っている箇所では、ドミンゴの指揮者としての力不足は目立たず、音楽の流れも滞ることなく、フォスターも気持ちよさそうに歌っている。ただ、こういうと音楽家としてフォスターの方が能力が上みたいだが、そうともいえない。単に性格の問題だと思う。

 僕が彼女に訊ねる。
「『ワルキューレの騎行』が終わってテンポが変わってすぐのところさあ、前の人が一拍早く入ってきたでしょう。その直後に金子さんのソロがきちんと入ってきましたよね。あの時、どう思った?」
「うわっ!と思いましたよ。でもね、あそこのところは結構危ないところだと知っていたので、注意はしていました。だってあたしがまたズレたら、その後もそれぞれのソロが続くので、みんな数珠つなぎになってガタガタになるじゃないですか」
「そうそう、だからガタガタを食い止めた金子さんは偉いなと思ったんですよ」
「ヴァルトラウテを歌っていたのはシモーネ・シュレーダーでした。悪がってました」
「彼女は、僕がバイロイトにいたときから、『パルジファル』の第1幕ラストのアルト・ソロとか、いろんな役を歌っていて、まだいるんですね。バイロイトの主だね。でも、地味かも知れないけれど、美声で音楽的で、とても優秀な歌手ですよね。こういう人がバイロイトを支えてきたんだ」
と、話はとめどなく続く。

 こうした会話が、あまりに楽しかったので、いくらNHKが硬いといっても、これを全く話さないで対話をしても仕方ないのではないかと思った僕は、金子さんとの対談の後、NHKにメールを書いた。
「勿論、これから聴く『ワルキューレ』は良くないですよ、という風に印象づけるのはふさわしくないでしょうが、ライブにはライブの面白さがあるので、ズレたということも含めて、こうした会話を金子さんと対談の中でしてもいいですか?」
そうしたら、担当者が上司と相談した結果、
「むしろ、そのことによって、次の日放送の『ワルキューレ』を聴いてみたいという雰囲気になるのだったら、いいですよ」
という返事が来た。
 やったー!それにしても、NHKも案外話が分かるなあ。これで、次の「ワルキューレ」解説も、ドミンゴのことをスルーしないで済んだ。こうなったら、みんなが絶対に聴きたくてたまらなくなるように解説の内容をもっていくぞ!僕の文才が問われる。見てろ!

 金子さんは、日本歌曲をよく歌っていて、僕の高崎高校の先輩であるピアノ伴奏者の塚田佳男さんと仲良しだったり、僕の声楽の恩師である中村健先生とも、弟子でも何でもないのに可愛がられたりしているという。
「塚田さんってさあ、無口でしょう。一緒にいてつまんないかなあ、と思って、では帰ります、と言うと、なんで?一緒にお昼を食べようと思っていたんだから、まだいろよって言うんだよね。」
「そうそう。あたしも最初は気を遣ったのですが、相手が無口なりに楽しんでいるということが分かってからは、ほとんどあたしが一方的に喋ってますけど、気が合うんです」

 金子さんて不思議な人だ。気さくで自然体で、きっと誰とでもすぐ仲良くなれる人。だからバイロイトで、他のキャスト達はみんな同じ「リング」プロダクションの経験者なのに、金子さんひとり飛び込みで入ってもやっていけたのだな。
「もう、みんな分かっているので、立ち稽古二回しかなかったのです。でも、皆さんとても優しくて、側にいる人が動き方を教えてくれて、ミカとってもいいよ、と褒めてくれて、お陰様で楽しくできました」
 それは金子さんの人徳だと思う。それに、バイロイトに来る人って、みんな選ばれた人であると同時に、それぞれ夏休みを返上して自分で好きに来るので、心に余裕があるんだ。だから、中でイジメのようなものがほとんどないし、それどころか、お互い思い合い、褒め合って、とても心地よく仕事が出来るのだ。やっぱりバイロイトは別天地だなあ!

 さて、そんなわけで、今週はNHKの収録がある。28日水曜日午前中が「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、29日午前中が「さまよえるオランダ人」で、その時、金子美香さんとの対談がある。
 「ワルキューレ」は来週。「ワルキューレ」原稿は、途中まで出来ているのだけれど、あとは金子さんとの対談を終えてから、それを踏まえて清書にかかる。これが終わるとやっと一息つけるが、その間にたまってストップしていた仕事もあるからなあ。
まあ、年末まで突っ走るしかないなあ。

で、突っ走った後の年末には、白馬の白銀が僕たち家族を待っている。



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