「バイロイト音楽祭2018」放送は今週です!

三澤洋史 

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「バイロイト音楽祭2018」放送は今週です!
 12月10日月曜日からNHK・FMで「バイロイト音楽祭2018」の放送が始まる。それぞれ21時10分からで、前半の3日間は舩木篤也さんが解説。僕が解説を担当するのは以下の通り、後半の3日間。

13日木曜日21:10「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
14日金曜日21:10「さまよえるオランダ人」
15日土曜日21:10「ワルキューレ」

 それぞれ開始前と各幕の間にコメントをする。この内、メゾソプラノの金子美香さんとの対談は14日の「さまよえるオランダ人」の放送後。だいたい23時30分くらいからになると思います。ここを聴くだけでも楽しいと思うよ。  


快進撃を続ける「ファルスタッフ」
 新国立劇場ではヴェルディ作曲「ファルスタッフ」が快進撃を続けている。アリーチェ役のエヴァ・メイやファルスタッフ役のロベルト・デ・カンディアをはじめ、どの役も粒ぞろいで、我が劇場の「ファルスタッフ」では間違いなくベスト・パフォーマンスだ。
 それを支えている指揮者カルロ・リッツィのマエストロぶりが素晴らしい。ミラノ・スカラ座のコレペティトールから叩き上げ、オペラの隅々まで知り尽くしている人間国宝のような人。
 これらのメンバーで聴くと、80歳のヴェルディの辿り着いた境地がよく理解できる。最後の「人生みな道化」のフーガは、こんな風に緻密に演奏されて初めて、凄い曲を最後に書いたなと実感させられる。

 ワーグナーの最後の楽劇である「パルジファル」の崇高美とは全然違う世界だけれど、これはこれで、紛れもないヴェルディの“悟り”なのだ。
みなさん、心して聴いてくれ!

「教会で聴くクリスマス・オラトリオ2018」終了
 12月8日土曜日は、日本ルーテル教団の東京ルーテルセンター教会で「教会で聴くクリスマス・オラトリオ2018」という演奏会が行われた。これは、東京バロック・スコラーズが、毎年の恒例として行っている演奏会で、僕自身は、定期演奏会と合わせて当団の両輪として位置づけている活動だ。団員の間ではミニ・クリオラと呼ばれている。
 実は、昨年は僕自身がどうしてもスケジュール上無理で、かわりにアシスタントをしてもらっている奥村泰憲(おくむら やすのり)さんに指揮をお願いした。それなので今年は僕にとって久し振りのミニ・クリオラ。

 特に今回は、バッハと同じルター派の教会での演奏会ということもあり、ルター~バッハの流れの上に自然と我々の存在があるような、そんな雰囲気の中で演奏会が進んでいった。
 牧師の齋藤衛(さいとう まもる)先生は、話しただけで、気さくでありながら、とても真摯に神に向かい合っている芯の強さと優しさとを併せ持っている方だと感じられた。僕が前の週に差し上げた「オペラ座のお仕事」を読んで、
「一気に読んでしまいました。同じ時代の風を感じますね」
とおっしゃったので、
「あのう、失礼ですが何年生まれでいらっしゃいますか?」
と聞いたら、
「昭和30年の3月です」
というではないか!
「え?ではまさにタメ(同級生)ではないですか!」

 このクリスマス・オラトリオ抜粋演奏会で、僕は3つのシーンに焦点を合わせた。ひとつは、天使の出現と天の軍勢の賛美に遭遇し、ベツレヘムに駆けつけて幼子イエスを拝むことが出来た羊飼いたちの物語。次に、彼らの訪問を受けて、安易に有頂天になることなく、静かに心に留めていた聡明なマリアの物語。東の国から星を頼りに幼子の所に辿り着き、黄金、乳香、没薬を捧げた3人の博士達の物語である。
 そこに、それぞれ我々に向けられたメッセージがあることを、僕は蛇足ながら説明していった。でも、このスピーチは自分としたらハズせないのだ。なぜなら、このスピーチは全て自分に向かって言っているから。

自分は、日々いろんなことに囚われている。その中で、もし天使が現れて、
「すぐにベツレヘムに行くように」
と言ったら、自分は果たして何もかも捨てていけるだろうか?
本当に大切なもののために、全てを捧げる心の準備が出来ているであろうか?

自分が称賛されたり崇められたりした時、あるいは自分の身の回りに素晴らしいことが起こった時に、自分は有頂天になったりせず、常に平常心を保っていられるであろうか?

3人の博士達のように、見返りを求めず、与えっきりの態度を人生において貫くことが出来るだろうか?
 クリスマスの主役は、なんといってもイエス・キリストその人に他ならないが、この物語では脇役たちが素晴らしい働きをすることで、降誕の物語を限りなく美しいものにしている。それは、
「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために世に来たのだ」
という限りなくへりくだったイエスにふさわしい脇役たちであり、我々もここから美しい人生を送るためのヒントを得なければならないのだと思うのだ。

 長女の志保の弾くパイプオルガンは、柔らかい良い音を出していたけれど、聖堂後方の2階にあり、しかも志保は後ろ向きで彼女の背中にはパイプがあって、彼女が弾くとそのパイプが真後ろから鳴って、何も聞こえなくなる。
 そんな過酷な状況の中で彼女のオルガンが歌と合うことが出来たのは、ひとえに彼女がオペラの伴奏をやっているからだ。そして僕も、長い間舞台裏の合唱の指揮を、時差を考慮しながら務めたりしていた。その経験を生かして絶えずタイミングを計っていた。それなくしては、絶対にあの条件下では演奏会は無理であった。

 東京バロック・スコラーズのみなさん、今回は本当に心のこもった暖かい、そしてスピリチュアルな演奏をしてくれた。ありがとう!
演奏会に関わった全ての人、団員もお客様たちも、齋藤先生はじめルーテル教会の信者様たち、皆様に、素晴らしいクリスマスが訪れますように!

寒波襲来
 待ちに待った寒波襲来。やっとお山に雪が降って、スキー場もこれから次々とオープンすることだろう。これまで暖かったから随分気を揉んだ。すぐに行けるわけでもないのに、毎日白馬五竜スキー場のホームページを見て、いつオープンするのかと思っていたが、何の変化もないので、このまま雪も何もない年末を日本列島が迎えたらどうしようかと思っていた。

 12月は毎年第九やらなんやらで忙しい。お山に雪が降ったって、スキーに行くには1日オフでないと行けないので無理。と思っていたが、先シーズンから、人工雪の室内ゲレンデの狭山スキー場に行くようになって、午前中の2時間くらい滑って、午後には帰れるため、夜から仕事の日なら、スキーが出来る環境となった。今年はもうすでに3回も行った。3回目にしてやっと、前シーズン最後あたりの感覚を取り戻せたと思った。

 12月6日木曜日。新国立劇場は夜から「ファルスタッフ」初日。朝の8時半過ぎ。僕は、孫娘の杏樹を保育園に送っていく妻の車にスキー板とブーツを乗せて、国立駅で降ろしてもらい、国分寺から西武多摩湖線で西武遊園地まで行き、それから遊園地のまわりをグルグル回る山口線レオライナーに乗って西武球場前に着いた。

 今日は、モーグル用の244という板を持って行った。僕はこの板が大好きだ。いわゆるカーヴィング・スキーと違って、サイドカットがほとんどないので、板が自分でカーブしてくれないが、その代わり、すべて自分で規定していく喜びがある。自分でターン弧の大きさを決め、それに合わせて自分でブーツを回し込み、ターンを作り上げていく過程は、これこそがスキーの原点であると思う。
 普通に滑っていたら20分も滑れば飽きてしまう単純なゲレンデだから、これまで知っていても来なかった。でも、トレーニングが目的ならばOK。まあ、出来ればゲレンデ・サイドに小さい山とかコブとか作ってくれれば言うことないんだけどな。

 一番やるトレーニングは、片足走行のジャヴェリン・ターン。切り替えて重心が新しい外足に移動した瞬間、新しい内足を上げて交差し、外足のみでターンを仕上げる。上げた足は切り替え直前に一度戻して、重心移動すると次の軸足となる。
 時々、上げた足をキープしたまま、スキーの軌道の反対側に重心移動をして、板のアウトエッジ(小指側)に乗ったターンをする。それからまた軌道の反対側(親指側)に重心を戻して、ジャヴェリン・ターンに戻る。要するに、1本のスキー板だけでS字に滑っていく。
 僕がスキーにハマった2010年の頃は、ハイブリッド・スキーイング(二軸)とかいって、よくこのアウトエッジのみの片足走行を奨励していた。雑誌のスキー・ジャーナルやスキー・グラフィックなどの付録のDVDでは必ず誰かが滑っていた。今となっては、まったくナンセンスなドリルなんだが・・・・しかしね、スキーと自分の関係を深めるためには、まったく無用ともいえない。
 面白いことに、前回、カーヴィング・スキーであるVelocityで滑ったときにはなんなく出来たので、同じ気持ちで「エイヤー!」と体を倒してアウトエッジに持って行ったら、見事にコケた。考えてみると当たり前なんだけど、244という板はサイドカーブがほとんどないから、ただの斜滑降になってしまって遠心力が働かないのだ。だから笑っちゃうくらい真横にパタッと倒れた。

 その瞬間気が付いた。遠心力って偉大だ!どんな小さなカーブであれ、軌道が弧を描き始めるやいなや、すべて質量を持つものには遠心力が働くのだ。これって凄いことだと思わない?そこで僕は、アウトエッジでも板をズラシながら回し込んでみる。おおっ!遠心力の紛れもないパワーよ!

 遠心力を英和辞典で引いてみた。centrifugal forceという。言葉の並びにピンときた。なんだ、これはラテン語オリジンだ。イタリア語の辞書を引く。forza centrifugaという。あ、やっぱり。
forzaは力。その形容詞はforte。音楽用語のフォルテ(力強い)のことだ。
centriはセンターつまり中心。
fugaは音楽のフーガと一緒で、逃げる主題を追いかける楽曲のように、「逃走、逃亡」の意味。
まあ、日本語の「遠(遠ざかる)・心(中心)・力」はそのまんまの訳というわけだ。

 考えてみると、地球が太陽の周りを回ったり、月や人工衛星が落ちてこないのも、引力と遠心力との釣り合いが取れているからなんだよね。でもさ、こんな巨大な地球が描く考えられないような大きな弧なんて、どう見たって直線にしか見えないのに、どうやって太陽の引力と釣り合いを取ったんだろう?それ自体が奇蹟ではないだろうか?
 ともあれ、ほんのちょっとブーツを回し込んだだけで、敵はそれが弧だと察知するのだ。その瞬間、紛れもなく遠心力が働き始めて、ターン弧の内側に入った僕の上半身は釣り合いが取れ、僕はもうコケなかった。大自然の神秘よ!

 昨年も言ったけど、コブを滑りたいと思っている人は、一度244のようなサイドカーブのほとんどない昔の板を履いて滑ることをお薦めする。みんなカーヴィングに毒され過ぎて、その上に商業主義に乗せられて、嘘を教えられている。
 巷では、
「ショートターン用のR(サイドカーブの半径)の小さい板だからコブにはぴったり」
なんてコメントが目立つけれど、あれは真っ赤な嘘です。
 カーヴィング・スキーでコブを滑ると、時々、ズラして安全に滑りたいところで、コブの形状によってはカーヴィングしてしまうことがある。また、スキーをズラすだけではスピード・コントロールが足りない場合、板のテールの部分を押し出すようにしてブレーキをかけるが、ここでも気をつけないとカーヴィングの深い板だとキュイーンと体が置いていかれるようなことが起こる。
 それらはたいてい後傾になることで起こるけれど、たとえ後傾になったとしても244では絶対に起こらないので、安心して滑ることが出来るのだ。第一、コブの中だもの、後傾になるなって言ったって、ハジかれたり落とされたりしている内に、どんな体勢になるか分かったもんじゃないじゃないですか。
 うまい人は、何履いて滑ったって問題ないんだけど、「ショートターン用の板が即コブに向いている」という言葉は信じてはだめだ。

 ああ、こんなことを書いていたら、やっぱりお山に行って、青空の下で麓の景色を見下ろしながら広いゲレンデを思いっ切り駆け抜けたくなってきた。

 12月21日金曜日はオフなので、もうワンデー・ガーラのチケットが家に届いている。この日が初お山滑り。それから次の週に白馬に家族で行く。待ち遠しい!



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