読響第九演奏会とプロ根性
ここのところ毎年恒例の読売日本交響楽団の第九は、初日の12月19日のサントリーホールと最終公演の25日の池袋東京芸術劇場においてだけ、前曲としてバッハ作曲モテット第1番のSinget dem Herrn ein neues Lied BWV225(新しい歌を主に向かって歌え)をアカペラで演奏した。
バッハのモテット、それも最も難易度の高いこの曲をやるには少なすぎる練習時間で、まるでクラブ活動のようにガシガシと稽古をやり、団員たちも必死になって取り組んで、思いの外濃密なひとときを過ごせたのは、本当にしあわせであった。
途中、みんなの中で気持ちの行き違いのようなものもあった。元来バッハが大好きなメンバーと、逆にバッハ初心者たちの意識の違いもあれば、バッハ好きなメンバーの中にもその演奏美学においての違いや、単なる勘違いもある。第2コーラスのソプラノが、
「ソプⅠってきちんと声出してないよね」
「まだちゃんと歌えてないんじゃない」
と言えば、第1コーラスのソプラノが僕に直訴に来る。
「どう、思います?」
僕は、バランスを欠いた第2コーラスのソプラノに優しく言う。
「いや、ソプⅡ、それじゃあ大きすぎるんだよ。もっと音像をタイトにしないとバッハにならないよ」
最初は音を追うだけで精一杯だったテノールが、だんだん音符が体に入ってくると、オペラチックに堂々と歌って、僕に怒られる。
「テノールⅠ、うるさい!」
こんな風に、普段見られないような、教室での先生と生徒のような関係になっていた。僕とすると、みんなが可愛くて仕方がなかった。
「バス以外のメンバーは、どんな瞬間でも必ずバスを聴き、それに合わせること。バス以外の人達はあまり僕の指揮のビートを見なくていい。中でのアンサンブルを常に考えて!」
「長い音を延ばして小節線を越える時には、必ずジャンプするべし。つまり、ジャンプの助走のように加速し(クレッシェンドし)、横隔膜を突きながら切る。次の音は着地なのではっきりと出す。この力学的処理がバッハの命!」
こういった僕の説明に、みんな次第に興味を持ってきて、楽しくなってきたようだ。
「だんだん、面白くなってきた。ねえ、新国立劇場合唱団の中にバッハ・クラブって作らない?」
「いいねえ!」
と言うメンバーも出てきたのは嬉しい。
まあ、プロだから、それは実現しないだろうけど、言う気持ちが生まれただけでもいいよね。少なくとも最後には、みんな出来上がりつつある新国立劇場合唱団ならではの一期一会のバッハに向かって気持ちがひとつになって、本番は本当に素晴らしいものが出来たよ。
演奏が終わって、第九までの休憩時間、まるで討ち入りを成し遂げた赤穂浪士たちのような誇らしい彼らの瞳を見た僕は、初日も楽日も、言いようのない感動を胸に感じた。プロが本気出して立ち向かった時の、損得抜きの純粋な魂の交わり。これは、長い新国立劇場合唱団の歴史においても、ひとつのハイライトであった。
第九は、「イタリア人指揮者マッシモ・ザネッティのパーカッシブな音楽作りを、どう成熟した音楽に仕上げるか?」という究極の課題に、僕たち合唱団と読響とで取り組んでいた。
つまり、こういうことだ。ザネッティの意図はよく分かる。しかしながら、そのままでは、新国立劇場合唱団も読響も、本来大切に守り抜いているサウンドが壊れてしまう。エネルギッシュでありながら、硬直した汚い音にならないベートーヴェンを奏でるためにはどうしたらよいか?
二重フーガの直後の、バスから始まるIhr stürzt nieder, Millionen!のくだりでは、マエストロが煽るので、合唱がどうしてもそれに乗せられて走り気味になってしまう。ここではむしろマエストロは見ないで、クラリネットなどの刻み音に合うことで結果オーライとしなければならない。このことを合唱団に注意した直後、コンサート・ミストレスの日下紗矢子(くさか さやこ)さんが、僕に話しかけてきた。彼女は、マエストロにあまり煽らないように言っていたが、どうも通じなかったようで、僕に向かって、
「合唱もあまり乗せられないようにしましょうね」
と言ったので、僕も、
「今、ちょうど合唱団員たちに注意したところです」
と答えた。彼女は、もの凄く研ぎ澄まされた感性を持っていて、僕は大好きだ。
こんな風に、プロは指揮者の言うことややることに全面的に従うわけではないが、これを不従順だと責めないで欲しい。結果的に僕たちは、むしろ指揮者の長所を最大限に引き出し、指揮者の側、及び僕たちの側双方からベストパフォーマンスを導き出すことに成功したのだ。
僕はザネッティとtu(君)で呼び合う仲になっていたが、毎回演奏後に舞台袖に戻ってくると、
「ヒロ、お前の合唱は信じられない!オケも信じられない!なんでこんな素晴らしい出来になるんだ!」
と僕を抱きしめ、会話を続けたままステージに出て行く。
僕たちは職人なんだ。守るべきものは何があっても頑固に守り抜く。でも、それでいて、同じような職人と協力して最高のコラボを作り出す。プロって、冷静に仕事しているように見えるけれど、内にマグマのようなものを持っているんだ。今の読響とは、そのやり取りが出来る。なんて充実した時間だろう!
アガ・ミコライの怒り
第九のソプラノ・ソロのポーランド人歌手アガ・ミコライは、とても熱心なカトリック信者。ここのところ来日するとずっと東京カテドラル関口教会のミサに通っていたが、今年のクリスマス・イヴにミサに行くのを楽しみにしている。
「ヒロ、イヴの晩カテドラルに行くけど、いるよね」
「それがいないんだ。関口教会は辞めさせられた。僕は家族と立川教会に行く」
「じゃあ、あたしもそこに行きたいけど、遠いの?」
「東京の西の方」
「・・・・・・」
結局、アガは、関口教会の22時のミサに行くことになった。その日は2時からみなとみらいでの第九公演なので、もともと17時には間に合わないし、19時は人で溢れかえっているだろうから、22時のミサを薦めたのだ。
すると次の日、彼女は僕に会うなり、早口でまくしたてた。
「なによ!あんたがいないから、聖歌がバラバラじゃない。去年までの状態を知っている人達はきっとみんなガッカリしていると思うわよ」
「仕方ないよ。主任司祭がそれでいいと思っているんだから」
「ミサの音楽のことなんかどうでもいいと思っているの?合おうが合うまいが、関係ないっていうの?礼拝音楽のあり方が、会衆の祈りにどれだけの影響を与えるのか、聖職者なのに興味がないというの?あんたを追放して、誰もそれを残念だと思っていないっていうの?」
言いながら顔が真っ赤になっている。驚いたのはむしろ僕の方。アガの信仰への情熱は凄い。僕は、口ごもりながら言った。
"Es tut mir leid....."
直訳すると、
「まことに遺憾に存じます・・・」
まあ、くだけていうと、
「ごめん・・・・」
別に僕が謝ることでもないのだが・・・・。
確かに僕は、関口教会聖歌隊指揮者在任中は、自分が指揮する典礼音楽をどのようにしてより高めることが出来るのか?どのようにしたら、より典礼との一致を実現させ、会衆の祈りの精度を高めることが出来るのか、常に試行錯誤し試みていた。
そして、その成果をまのあたりに感じてもいた。僕は典礼音楽の紛れもない力を感じていた。音楽は聖霊に似ている。人の心の中に染み入り、内側から信仰心を鼓舞する。より良い典礼音楽を追究することは素晴らしいことだと思っていた。アガも、それを理解してくれていた。
しかしながら、その音楽の力を理解しようとしない人によって、ズレようがどうしようが関係ない状態に関口教会が置かれているのは、本当に残念だ。
アガが僕に代わって怒ってくれた。
アガ、ありがとう!
でもね、僕はもうそれだけでいい。それだけでいいんだ・・・・とはいいながら、関口教会がどうなっても知らないとも思っていないし、日本のカトリック教会がどうなってもいいとも思っていない。
信仰に、音楽の力は必要なんだ。みんな、分かって!
我が家の年末年始
読響の第九演奏会が12月25日に終わり、26日は年賀状を印刷したり、大掃除をしたりして年越しの準備に明け暮れ、27日早朝からいよいよ白馬に向かって出発した。今シーズンのスキー場は、12月半ばまでどこも雪不足に悩まされていたが、暮れになってやっと寒波襲来。
そのお陰で、暮れの白馬は雪、雪、雪で、それまで準備中だったゲレンデが滞在中に次々にオープンするという珍しい状態に遭遇したが、下のゲレンデでマイナス6度などという風に、とにかくもの凄く寒かった。
27日のお昼にペンション・カーサビアンカに到着。午後から滑り始めた。5歳の孫娘の杏樹は、シーズン初めでうっかり躓かないよう、角皆優人くんの奥さんの美穂さんの個人レッスンに送り込む。でも、どうも先シーズンの感覚を忘れているようで、いまひとつ調子が出ない。レッスンが終わって母親の志保が後ろ向きに滑りながらガイドしてあげたりしていたら、突然、
「あ、杏樹滑れる!」
と言ったかと思うと、まるでギャップなど全く存在しなかったようにスイスイと滑り出した。いやあ、子どもの行動って予測不可能だなあ。
カーサビアンカ前に作ったオラフ
角皆君のレッスン
神棚の掃除
除夜の鐘
三澤家でリフト
石打丸山スキー場