「紫苑物語」終了

三澤洋史 

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「紫苑物語」終了
 2月24日日曜日。新国立劇場では「紫苑物語」最終公演が終幕を迎えていた。合唱団の自由なうねりの音型は、呻きのゆるやかな洪水のよう。その中を、ソリスト達の怪しいメロディーがたゆたうように歌われる。「鬼の歌」だという。すでに異界に去った登場人物たちの、かすかな残像か。照明がしだいに絞られていき、やがてオーケストラ・ピットも含めて暗黒となる。
 僕は大きく深呼吸をし、その消えゆく音に合わせて、ゆっくりと体中の息を全て吐き切った。
「終わった・・・・」
と、こころの中でつぶやいた。

 どんなものにも、必ず終わりは来ると、10月の合唱初練習の時に、すでに思っていた。この合唱部分がどのクォリティで仕上がるのか、あるいは仕上がらないのか、皆目見当がつかなかったけれど、どのような形であれ、とにかく2月17日には初日の幕が上がり、24日には千穐楽の幕が降りることだけは分かっていた。
 僕たちが、どんなに頑張っても、あるいは頑張らなくても、劇場は粛々とスケジュールを進めていく。年が明けて、「タンホイザー」が一段落すると、「紫苑物語」の立ち稽古は始まり、舞台稽古になり、ゲネプロが来て本番の日がやって来る。
 僕たちはプロとしてそれに立ち向かわねばならない。でも、その時・・・・自分は、どんな気持ちでそれぞれの時を迎えるのだろう?後悔か?あるいは達成感か?敗北感か、あるいは勝利の陶酔か?

 終わってみたら、実はそのどちらでもなかった。それは・・・「僕の」ちっぽけな後悔や達成感をはるかに超えていた。というより、もとより後悔や敗北感はない。これは、どの方面を見ても最高の才能が結集した稀有なるチームのひとりひとりが、全力を尽くしつつ心を一つにして、前人未踏の山を登り切った直後の、静かですがすがしい感情であり、「バンザーイ!」などという軽はずみな勝利感など足下にも及ばない、深い深い充実感であった。

 そしてさらに一晩明けた今では、今度は、祭りが終わった山車に突風で舞い上がったビラがぶつかり、さらに中空に飛んで見えなくなっていく風景や、ビールを飲んだ紙コップが、コロコロと玉砂利の上を転がっていく情景・・・・すなわち、昨日までの狂おしい宴が、
「あれは一体本当に起こっていたのだろうか?夢ではなかったのか?」
と思えてしまうほどの、虚無感にも似た感情が支配している。

そんだけ、入れ込んでいたんだなあ。

「紫苑物語」は、これ以上読み解くべきではない?
 オペラ「紫苑物語」のストーリーや主役のキャラクター設定は、石川淳の原作と随分違う。その中でもとりわけ、主人公の宗頼と、仏の像を彫り続ける平太とが、同一人物の表と裏のように捉えられている着眼点はとても良いと思う。

 この平太の音楽的扱いはすこぶる変わっている。モンゴルに伝わる、基音と倍音という二つの音を同時に出す伝統的歌唱法「ホーミー」を採用しているのは独創的だ。これをバリトンの松平敬さんは、もの凄く上手に演奏するが、この歌唱法は、響いている舞台上と客席全体に不思議な音響空間を作り出す。その「ホーミー」の魔力に負けて、腰が抜けたようになる宗頼の姿が実に滑稽である。
 その前にも、ヨーデルのようにもオオカミの遠吠えのようにも聞こえる極端に跳躍する音型などが歌われ、大自然の中に溶け込んで、ひたすら仏の顔を彫り続ける平太の浮き世離れした生き方が、音楽上でもあますことなく表現されている。

 宗頼と平太との対比は、ヘルマン・ヘッセの「ナルチスとゴルトムント」のようである。“うた”の道に「うそいつわり」と見切りを付けて、これを捨て、弓矢で次々と人を殺め、千種と愛欲の日々を過ごす宗頼がゴルトムントならば、その宗頼にとっての平太とは、彼の閉ざされたもうひとつの心の部屋のようである。宗頼は、平太すなわちナルチスへの扉が開かれて初めて、双方補い合って人格が完成されるのか?

 いやいや、こう考えること自体が、僕がキリスト教を中心とした西洋の価値観にどっぷり漬かっている証拠かもしれない。少なくとも、原作者の石川淳はそんなこと微塵も考えていないのではないかな。オペラ台本になって初めて、そうしたベクトルが働き始めたのだ。
 多くの日本文学がそうであるように、石川淳の小説にも、“至高なる存在から虚無の深淵にまで至るスピリチュアルな空間の中に自己の座標軸を定めようとする行為”など、そもそも存在しないのだろう。
 僕は、川端康成の文体が好きで、彼の文学を時々読み返すのだが、先日も、スキー・シーズンだということもあって「雪国」を読んだ。そして、激しい怒りの感情を伴って本を閉じた。
「この男、奥さんがいるのに、こんなところで一体何やってるんだ?」
とか、
「たいしたストーリー展開もないのに、微細な描写だけを積み重ねて作品を構築しようなんて安易」
なんてね。

 僕は、どうしても、キリスト教というツールを使って世界を読み解こうとしてしまうんだ。魂の崇高さと卑俗さ、人間の罪と贖罪を通って救済に至る道程、神と悪魔、天国と地獄、光と影といった“霊的空間と重力とが織りなす座標軸”において、自分が今どのへんににいるのか?飛翔しているのか、あるいは堕ちているのか?といった疑問が、自分の人生における最大の関心事なのである。それによって僕は、自分が生きていることそのものに価値を見出したいし、実際生きる意味を実感してもいる。

 まあ、僕流に無理矢理このストーリーをこう読み解くことは出来なくはない。すなわち、連続殺人犯の宗頼、自堕落な性の放縦さに溺れるうつろ姫と狐の化身千種、権勢欲に支配された謀反人藤内などは、それぞれ己の罪の重みに耐えかねて滅んでゆく・・・だがね・・・こうに書いてしまうと、この「紫苑物語」の世界は、さっぱりとアナリーゼされ、秩序正しく並び替えられて面白くないんだ。また逆に、そういう風に感じるところは・・・あれかね・・・自分も日本人のはしくれとして、「曰く言い難し」という世界に生きているっていう証拠かね?

 だから、この作品は、もうこれ以上読み解こうとするのはやめようと思う。終幕の混沌の中から聞こえてくる平太の「大日経」の読経朗唱に、ほのかな救済への予感が感じられれば、もうそれでいいのではないか・・・・というのが、長い思考をさまよった末の僕の結論だ。

「紫苑物語」から派生して「つれづれなるままに」
 僕が、Aキャンプの最中に中級班に混じってコブ斜面を滑っているのを見て、角皆優人くんがしみじみ、
「三澤君、滑りがアグレッシブになっているね。そういえば、三澤君の音楽にも以前にないものとしてアグレッシブさが見られる。これって、スキーをしているからかな?」
と言った。
 その言葉を東京に帰ってきてからよく考える。そうだとも言えるし、そうでないとも言える。何故なら、もしかしたら自分の内面が音楽へのアグレッシブな関わりを求めたから、無意識にスキーのようなスポーツを求めたのかも知れない。
 特に「コブが大好き」なんて、以前の自分には全く考えられなかった。だって、若い時には、目の前で角皆君があんなにコブに向かい合っていたのに、全く興味を示さなかったのだからね。
 それが、数年前、いや、もう9年前になるのだな。スキーに惹かれた時、僕の魂の奥底では、
「自分は変わらなければならない!今すぐにでも変わりたい!」
という叫びがあったように思われる。

 考えてみると、これまでの人生で、全く正反対な魂の傾向性を持ちながら、僕と角皆君は互いに惹かれ合い、交流を求めてきた。僕にとって彼はゴルトムントであり宗頼であった。一方、彼にとっては、僕はナルチスであり仏を彫り続ける平太と映っていたかも知れない。
 しかしながら、彼は歳と共に優しく温かく気長で丸くなり、反対に僕は人生への関わりも音楽への関わりも、よりアクティブになってきたかも知れない。時が解決するのだ。宗頼は平太の彫った仏の顔を矢で討つ必要などなかった。「平太に挑まねば自らが完成することはない」などという幻想を抱く必然性などなかった。むしろ、ただ「待てば」よかったのだ。

 人はみな、それぞれの課題を担い、それぞれの人生で展開する様々な出来事に遭遇しながら、各々の課題に向き合っていく。ゴルトムントには制御が求められ、ナルチスには、勇気を持って羽ばたくことを要求された。そのことによってゴルトムントの中にナルチス的なものが育ち、ナルチスの中にゴルトムント的なものが芽生え、育まれていく。

 こんな風に、僕は「紫苑物語」から「宗頼と平太との出遭い」という要素だけいただこう。あとは、自分の奏でる“うた”が「うそいつわり」となる危険性から決して目を離さないで芸術活動を行っていこう。かといって、弓矢で人を殺めるほどアグレッシブになり過ぎないよう気をつけよう。

こんな風に「紫苑物語」に対しては「いいとこ取り」すればいいんだよ。

 さて、今週末は、いよいよ「マエストロ、私をスキーに連れてって2019」Bキャンプだ。その間に僕は64歳の誕生日を迎える。
きっと、64歳の心境はね、aggressiveだと思うよ!



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