TBSワークショップへのお誘い

三澤洋史 

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TBSワークショップへのお誘い
 4月13日土曜日に、初台のスタジオ・リリカにて14時から、東京バロック・スコラーズ(TBS)主催のワークショップ「三澤洋史とヨハネ受難曲を歌おう」がある。このワークショップは昨年手探りで始めたのだが、思いの外反響があったため、今年から当団の演奏会や講演会と並ぶメイン・イベントとして位置づけたいと思うに至った。


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 考えてみるに、合唱をやっている人、あるいは合唱に興味のある人が東京バロック・スコラーズに触れる機会というのは演奏会以外にはない。団に入るためにはオーディションがあるので敷居が高く、ちょっと様子見るために練習に参加して・・・というのもなかなか出来ない。でも、こうした公開練習みたいなものがあれば、この団体が一体どんな美学を持ち、どんな雰囲気で練習が行われているのか、誰でも垣間見ることが出来る。

 現代において、バッハの演奏はなんだか難しいものになってきている。20世紀の終わりになってオリジナル楽器(バロック・ヴァイオリンやナチュラル・トランペットなどの古楽器)の台頭が目覚ましく、それに伴ってバッハの演奏美学も一新された。もはや、オリジナル楽器でなければバッハにあらず、という常識のようなものとなって今日に至っている。
 メンゲルベルクの「マタイ受難曲」を引き合いに出すまでもないとは思うが、確かにその前の時代のバッハ演奏は、ロマン派の色濃い化粧に覆われていた。バッハ独特のリズム感や躍動感は隅に追いやられ、過度のスラーが楽譜に書き込まれて、鈍重なテンポ感を持って演奏されることが崇高な精神性を表現すると勘違いされていた。
 その意味では、粘着性を持たないオリジナル楽器が、そうした幻想を一新し、分厚いフロックコートを脱ぎ捨てることによって、バッハ演奏における本当の魅力に気付かせてくれた功績は大きい。

 しかしながら、それは、オリジナル楽器でなければ絶対に出来ないものなのだろうか?この疑問が、僕の現在のバッハ演奏の原点である。
1988年、僕は東京カテドラルにおいて、日本オラトリオ連盟合唱団によるモーツァルト作曲「レクィエム」を指揮した。次いで、1989年、北九州聖楽研究会主催のバッハ作曲「マタイ受難曲」を指揮した。それは、日本オラトリオ連盟が有する「バッハ・コレギウム東京」というオリジナル楽器のオーケストラとの共演であった。

 その時、僕はある感想を持った。ひとつはポジティブな見解。もうひとつはネガティブな見解であった。

 まず、現代楽器は、ロマン派と共に発展してきて、だいたい19世紀の終わり頃にどれも完成されている。表現に関しては、ある意味オールマイティとも言えるが、改良の方向性は、ロマン派の美学に従っているのでロマン派指向だ。
 たとえば弦楽器の弓は、元来はいわゆる弓形をしていたが、進歩の段階で反対側に反り返るようになった。それまでの形だと、弓の端では大きな音は望めず、真ん中では圧がかかって伸び伸びと弾ける。でも、ブラームスとかワーグナー、マーラーを演奏するためには、最初からしっかり圧のかかった重厚なレガートが必要とされる。
 そうしたことが積み重なって、現代の弦楽器で普通に弾くと自然にロマン派的演奏になるように出来上がっている。しかしながら、オリジナル楽器で演奏してみると、現代楽器で当たり前のことに対してかなりの制約がかかり、どうしても「バッハをロマン派的に演奏することが出来ないのだ」。
 それは、「オリジナル楽器で弾くと、普通に弾いてもバロック的演奏を指向する」ということを意味するが、しかしながら、「オリジナル楽器で弾きさえすれば、自然にバロック的演奏になる」とか、「バッハの理想的な演奏になる」かといえば、問題はそう簡単ではない。これを安易に誤解することが、新たな問題である。

 ここからが僕のネガティブな見解である。すなわち、オリジナル楽器で弾いただけで安心してしまってはいけない。オリジナル楽器を弾いた感覚から始まってもいいのであるが、少なくとも、バロック演奏の実際の音符の処理だとか、リズム感やテンポ設定等に対するきちんとした見解を持つまでに勉強しなければいけない。
 さらにバッハを演奏する場合、バッハの天才性を考慮に入れることも必要だと思う。すなわち、天才芸術家の場合、必ず「その時代にいながらその時代を超越した」感性を持っているのだ。
 先に述べた、北九州聖楽研究会の小倉における「マタイ受難曲」の時に、僕はオリジナル楽器のオケのみなさんのクォリティの高さとは関係ないところで不満を覚えていた。それは、オリジナル楽器そのものが持つ限界に対してであった。
「これでは『マタイ受難曲』のドラマは描ききれない」
と僕は感じてしまったのだ。
 しかも、オリジナル楽器の奏者は、当然のことながら生まれた時からオリジナル楽器のみで練習してきたわけではなく、みんなモダン楽器を弾きながら成長してきてプロになった人達ばかりだろう。だから、変な言い方をすると、
「モダン楽器のようにだけは弾かないように」
という変なバイアスがかかっている。これが、天才バッハが当時の楽器の制約を超えて描き切った「マタイ受難曲」という作品の表出性をせばめてしまっているのだ。

 だから僕はひとつの結論を出した。
「時代の流れに逆らってもいいから、自分はモダン楽器でバッハを演奏しよう。そして、モダン楽器のままでも、オリジナル楽器のままでも成し得ないひとつの『理想のあり方』を追求し、打ち出していこう」と。

 さて、本題に入ろう。東京バロック・スコラーズは、来年すなわち2020年の3月21日に北とぴあ・さくらホールにて「ヨハネ受難曲」を演奏する。その「ヨハネ受難曲」で僕が何を追求し、どんな演奏をめざしているのかということを、事前に広く知ってもらおうとして、このワークショップを開催するのだ。とはいえ、これは講演会ではない。練習の中で勿論いろんなお話しは出るだろうが、まずは、参加したみなさんに理屈よりも体で体験してもらいたいのだ。
 合唱であるから、楽器(声帯)を変えるわけにはいかないので、「オリジナル楽器どうのこうのという問題は起きない」と思う人は少なくないかも知れない。でも、みなさんご存じだろうか?現代の音楽大学の入試に受かるためには、ヴェルディ、プッチーニあたりの時代に高度に発展したベルカント唱法が身についていないといけない。従って、巷の声楽教師が教える歌唱法は、楽器でたとえれば間違いなくモダン楽器的メソードだ。

 僕は、長年に渡ってベルカント唱法を研究していた。特にミラノ短期留学でのわずか3ヶ月間であったが、ベルカント唱法における大きな開眼を経験した。現在では、新国立劇場に出入りする内外の全ての歌手に対して、どのくらいのベルカント唱法のレベルかを測ることが出来るし、テクニックの問題点も細かいところまで指摘することが出来る。
 そうしたことを踏まえて、僕は東京バロック・スコラーズの発声の基本もベルカント唱法に置く。しかしながら、オールマイティであるベルカント唱法のどの部分を採用し、どの部分にどういう制約をかけるか、ということをきめ細かく決定していきながら、自分の理想とするバッハ歌唱を目指す。その方法論を、企業秘密に逆らって、皆様にあますことなく伝授してしまおうというのだ。おお、なんと太っ腹!

 ということで、このワークショップに参加したあなたは、必ずや「現代におけるバッハ演奏のひとつの見本」に触れると思う。まあ、僕自身はここまで考えてこの団を率い、これまでにも演奏会を重ねてきたけれど、そんな難しいことは考えずに、ボーッと参加してもいいですよ(笑)。
 で、よかったらこの団に入ってもらってもいいし、これは自分の路線とは違うなと思ったら、自分に合ったところを探すのもよし。でも入団勧誘が目的ではありません。僕はむしろ、普段オーケストラに入っているとか、必ずしも合唱を専門にやっているわけではない人達が、この時だけに限定して来てくれたら嬉しいな。実際、愛知祝祭管弦楽団からも参加者があるんだよ。

 楽譜を持っていない方は、申込時にその旨を伝えて下さい。ええと、今うまく言えないのだけれど、団の方でなんとかしますから、買う必要はありません。

スキー・シーズンも先が見えてきました
 あたりがだんだん春めいてくる。桜の開花が報じられている。外に出るのにコートを着ようか迷う。以前は、こんな時期「ああ春が来た!」ってウキウキしたものだった。でも最近は淋しい。悲しい。だって、もうすぐ僕のスキー・シーズンは終わってしまうんだよ。

 あんなに待ちわびて、各スキー場のホームページを眺めながら、まだオープンしていないんだ、とガッカリしたり、オープンしたらしたで、雪が少ないなと気を揉んだり、1月の川場スキー場ではパウダーに驚喜し、ツリーランを楽しんだかと思うと、同じ川場スキー場に3月20日水曜日に行った時には、山肌がむき出しになり春風が吹いているのに失望したり、そうかと思うと、グズグズと崩れるコブが滑り易くてラッキーと思ったり・・・要するに、めっちゃ嬉しかったりめっちゃ悲しかったりの振幅が極端すぎて、全てを静観する悟りの境地にはまだ10年早いわって感じで、むしろまだまだ青春真っ盛りって感じの64歳の今日この頃です。

 今週はあさっての27日水曜日からCキャンプに行く。その後、先週の角皆君とのメールのやり取りで書いたように、4月10日にあるK2の試乗会に参加させてもらうために「かぐらスキー場」に行くが、その前に来週一度下見に行く予定。それで、恐らく今シーズンはおしまい。グスン!
 だって、休日はほとんど全てスキー場にいるので、まとまった仕事がいろいろ滞っているのだ。そろそろ社会復帰しないといけない。先日も、愛知祝祭管弦楽団の練習日の前の晩に、ジークフリート役の大久保亮さんのコレペティ稽古をしたが、充分にピアノが練習できてなくて困った。
 「神々の黄昏」の伴奏ピアノって、めちゃめちゃ難しいし、第一、ピアノの練習って絶対時間が必要なんだよね。仕事の合間に1時間空いたから練習できるというものではないし、本当は休日に仙人のように閉じこもってゴリゴリとセロ弾きのゴーシュのように練習しまくるものなんだよ。それでこそ天から助けの霊が降りてくるのだけれど、それがこの時期、休日にゴリゴリは、むしろコブとの格闘だったりするからね。
 こんなことではいけない。もうスキーなどにふけっている場合ではないぞ!そんな道楽はきっぱりあきらめて、明るい春風の中を歩き出すのだ。ジークフリート役だけでなく、キャスト全員に丁寧に稽古をつけないといけない。

 でもね、その一方で、夏になったら、一度スキーに関する本を書いてみようかなと思い立っている。いや、技術本とか専門書ではないよ。僕のようなシニア世代の人が「うん、うん」と共感するような楽しい本。それでいて、音楽家の視点から眺めたスキーというものを描いてみたい。
 そのためにも、今シーズンが終わる前に、自分のスキーへの見解を整理しておきたい。何故かというと、今シーズンは、いろいろ“気付き”があったから。やっとね、スキーというものがどういうものなのか分かりかけてきたのだ。そして、僕が何故スキーにハマったのか、という理由も分かってきたし、このスキーが自分をどこに連れて行ってくれるのかも、分かりかけてきたのだ。

 スキーというものは、どこまで上手になっても果てがない、とってもとっても奥深いものであり、その奥深さは魂の深さとつながっている。そして僕には、このスキーという行為の中で、ある種の覚醒を経験するという予感があるのだ。

 ひとつだけ言っておこう。僕は約9年前、リフトにも満足に乗れないとっても下手な状態からスキーにハマり込んだ。それから上達するにつれて、新しい感覚が自分に与えられ、昨日までの自分は今日の自分ではなく、どんどん脱皮するように変わってきた。しかし、変わっていないものがひとつだけあった。それは・・・・その変化を冷徹な眼で見つめている“自分自身”である。いや、その自分自身はただの自分自身ではなくて、いわゆる高次の自分自身である。自己の“核の部分”と言えよう。
 その核の自分には、時間の制約も空間の制約もない。いろんなデジャヴも経験したが、過去に見た景色を今の自分がデジャヴで見ているのではない。過去にデジャヴの景色を見た自分とは、時空を超えて今の自分と一緒なのだ。これを知っているだけで、自分は覚醒に一歩近づいているといえよう。
 そして、分かっていることは、その覚醒の日が来るまで、自分は死なない。逆の言い方をすると、その覚醒の時が訪れたら、その時には自分の意識は“生”も“死”も超えているだろうから、いつ死んでもいいのだ。

 ええと・・・話がそれた。こんなこと本に書いたら、「変なおじさん」と思われるから書きません。でも、スキー本を書くと思っただけで、冬が終わる淋しさが少し緩和されている今日この頃です!



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