スタインウエイ個体選定に参加しました
今秋にオープンする高崎芸術劇場のアドヴァイザーのひとりになっているが、先日6月4日火曜日は、備品としてホールに備えるスタインウエイの個体選定に参加した。高崎芸術劇場では、3台のスタインウエイD274と1台のヴェーゼンドルファーModel 290 Imperial、それに何台かのヤマハ・ピアノを備える。
最初ホール側はスタインウエイ4台を備えようとしていたが、会議において僕と元群馬交響楽団コンサートマスターの風岡優さんの二人で、半ば強引に、
「一流のホールであるためには是非ヴェーゼンドルファーが必要!」
と押し通したので、結果としてスタインウエイは3台購入となった。ヴェーゼンドルファーのインペリアルの方が高いと思っていたが、実はスタインウエイのフルコンサート用の方がやや高かったのだ。
選定会は4日午後1時から、天王洲アイル駅に近いスタインウェイ&サンズ東京で行われた。裏が倉庫になっていて、そこから7台のフルコンサート用ピアノがサロンに持ち込まれていた。
「日本にある最高の7台をそろえました」
と代表取締役社長の秋山百合子さんが言った。
試弾をしたのは、今をときめく若きピアニストの金子三勇士さん。まず、7台をざっくりと弾いた後、一台一台丁寧に弾いていった。驚いたのは、確かに社長さんが言った通り、このどれを高崎に持ち帰っても決して文句が出ないほど、それぞれのレベルがとても高いこと。個体差はあっても、いわゆる技術差や仕上げのレベル差はほとんどないことであった。
金子さんは、2度ほど通して弾いた後、それぞれのピアノを性別と年齢にたとえて、
「これは30代男性です。真面目ですが力強い表現力を持ち、伸びしろもあります」
とか、
「これは30代のおとなしくはない女性です。でも魅力があります」
などのように表現した。別に女性と言ったからといって女性奏者向きという意味ではない。あくまでイメージ。その後で、僕も少しピアノに触らせてもらい、それから選定会議になった。
他の選定委員達は、金子さんの発言した性別や年齢の表現にやや囚われすぎているように感じられた。たとえば、30代女性と金子さんが言っていたピアノに、みんな好意的であったが、僕には2点ハ音から1オクターブ半くらいの音域がややキツくて気に入らなかった。僕は自分で弾いてみせながら、
「ここキンキンしているでしょう」
と言ったら、金子さんは、
「それが30代女性のキラキラ」
と答えた。
「でもね。この音域だけのきつめの音色は僕には気になります。音域によるバラツキにつながっているような気がします。特徴と言えばそうでしょうけど、全体的なバランス感覚としてはどうでしょうか?」
メイン・ホールに入れるピアノに関しては、僕と金子さんの評価はほとんど一緒だったが、リサイタル・ホール用のピアノとして僕が一番気に入っていたのは、金子さんが、
「60代女性です。一番完成度が高いですが、あまり伸びしろがありません」
と言ったエレガントなピアノであった。
新品のピアノというのは、ホールに入って何年かして初めてその本当の持ち味を発揮するといわれる。僕は正直言ってピアニストではないので、その伸びしろについてはよく分からない。でもこのピアノは、現在のところでは、7台の中で最も美しい音が出ていて全体のバランスも良い。低音は他のピアノに比べて強力とはいえないので、大管弦楽をバックに協奏曲を弾くには物足りないだろうが、リサイタル・ホールでは問題ないだろう。
「でも、もう60歳ってことですよね」
と誰かが言った。
「いやいや、だってこれ新品ですよ。60年経ったピアノではないですよ。60代だからこれからどんどん衰えていくという意味ではないですよ」
と僕は反論した。
金子さんが慌てて言う。
「年齢は純粋に伸びしろのことです。ホールに置いて落ち着いてくるにつれて、どのように豹変してくるかという可能性の問題です」
そういえば、このピアノまだ自分で触っていなかった。そこで弾いてみた。ああ・・・なるほど、と思った。鍵盤のタッチがとても軽い。これが心に引っ掛かって、僕はこのピアノをこれ以上押すことをやめた。
僕はその時、かぐらスキー場で乗ったIKONICというスキー板を思い出していた。軽く回しやすく、ターンの終盤で適当にズレてくれる中級者までにふさわしい板。でも、上級者にはやや物足りない。その試乗の日、僕はIKONICではなくスラローム用のCHARGERを買おうと心に決めたのだ。
確かにこのピアノは、誰にでもすぐに弾けるだろう。そして様々な表現に即座に対応できるだろう。特にタッチが軽いので女性奏者は大喜びするだろう。でも、このピアノで物足りなく思う奏者はいるな。僕にとってIKONICがそうだったように・・・。
でも、IKONICと違うのは、僕がもし自分の家用に購入するとしたら、間違いなくこのピアノだ。家には僕の他には志保がピアノを弾くのみ。腕力がそんなに強くなくて繊細な音を出す志保にも、このピアノがぴったりだ。
いいなあ・・・うちでこのピアノが響いたら夢のようだろうなあ・・・欲しいなあ、スタインウエイ・・・我が家でこのピアノが響き渡る妄想が勝手に広がっていく・・・いやいや、こんなフルコン入れる余裕はうちにはありません。それに、むしろそのお金があったら、ヴェーゼンドルファーのインペリアルを入れたい。ウィーンの楽友協会ホール(ムジークフェライン・ザール)の指揮者用楽屋に置いてあったインペリアルは、本当にこの世のものとは思えないほど美しかったもの・・・ああ・・・我が家に・・・またまた妄想。
今回の選定であらためて気付いたことがある。それは、僕は元々自分の心の中に「はっきりした好みの音のイメージ」があるということだ。コンサート・ピアニストとしての金子さんのフォルテは、ブリリアントで輝かしいのだけれど、僕が後で自分で弾いてみて、たとえば自分がスタインウエイで鳴らしてみたい低音のフォルテは、やや彼の音とは違っていて、その価値観で測ると、彼の個体への評価と僕のそれとでは、わずかな違いが出るのだ。
それに僕は、やっぱりまろやかで美しい音を第一に考える。強い音よりもしなやかさが好き・・・この辺が僕の音楽家としての弱点や短所ともつながるかもしれない。リストやロマン派のピアノ協奏曲をバリバリ弾いている30歳をでたばかりの金子さんが僕と同じでは困るだろう。それに僕は指揮者で彼はピアニストだもの。
結局、僕自身が自分の主張をひっくり返して、リサイタル・ホール用には、適当にタッチの重さがあり、音の充実感がありながら弱音もとても美しい別のピアノが選ばれ、僕も、別に妥協したわけではなく心から同意した。
それよりも、このようにして、きちんとした議論が交わされて、高崎芸術劇場のスタインウエイの3台が選ばれたことには、とても価値があると思うし、このプロセスは誇らしいと思う。
僕は選定委員として胸を張って、この高崎芸術劇場に訪れる新しい聴衆達に呼びかける。
「この3台のスタインウエイを是非聴きに来て味わってください!」
と。
ミサ曲のパート譜と電子音源
先週は、ずっと自作ミサ曲Missa pro Paceのパート譜を各奏者達に送る前の最終作業をしていた。パソコン用の譜面作成ソフトであるFinaleでスコアを書くと、最新バージョンでは、もうそのソフト内に自動的にパート譜が出来ている。ただ、そのままプリントアウトして奏者に送ることは出来ない。というのは、弾きやすさや譜めくりのことを考えてレイアウトするためには、どうしても人間の感性が必要だからだ。
分かり易く言うと、そのページの最後に休みの小節が来るようにレイアウトすると、奏者は落ち着いて譜めくりをすることができる。あるいは、同じ音型が続くときに繰り返し小節記号に変えるとか、「6小節休みです」という長休符をきめ細かく作るとか、心配りを始めるときりがない。でも、どうせ演奏してもらうなら気持ちよくやって欲しいではないですか。
ところが、Missa pro Paceの伴奏をするアンサンブル奏者は、第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラ・バスの5人の弦楽器奏者と、アルト・サックス、ピアノ、パーカッションという8人しかいないから、ひとりひとりの奏者がずっと弾きっぱなしで休みの小節がなかなか来ない。なんと人使いの荒い作曲家でしょう。ということで、レイアウトも悩みっぱなし。
ということで思ったより時間がかかってしまった。奏者へのパート譜の送付は、初練習の一ヶ月前程度が原則。それ以上あまり前だと、目の前の仕事に追われる奏者が、どこかにしまい込んでしまう可能性があり、一ヶ月を切ると不安になる。
自分の経験から言うと、一ヶ月前に送られてきた楽譜は、ひととおり目を通し弾いてみて、難しい箇所だけチェックし、そこだけ時々練習するのが普通。最初の日に「これは大丈夫だな」と思った箇所については、練習初日まで棚の中、ということもあるだろうな。今回は、初回のオケ合わせが7月11日。本番の一ヶ月も前。でも、その練習でうまくいかなかった所は、その後自分で練習できるからいいね。
奏者はほとんどが昨年の東京六大学OB合唱連盟演奏会でKyrie Gloria Agnus Deiという抜粋を演奏した人達なので、すでに演奏した部分に関しては心配ないが、新しい部分に関しては、電子音源を作ってCD-Rに焼いて一緒に送った。
電子音源を作るためには、FinaleのファイルをMIDIファイルに変換して保存し、それをSinger Song Writerというシーケンス・ソフトで編集し直す。MIDIを回しながら録音し各楽器のバランスを考慮しながらミキシングし、最終的にCD用のWAVEファイルを作る。
これがね、結構楽しい。僕はこの電子音楽作りに一時凝ったことがあって、今でも、いつでも出来るようにパソコン・デスクはなっている。電子音源にマイクで自分の歌を入れて、自作ミュージカルや新国立劇場の子どもオペラの参考としてみんなに配ったりしていたのだ。
その頃、自分の音域外の歌をカバーするために、歌詞を歌える初音ミクなどのソフトに手を出そうかと思ったが、凝り性の自分がそんなことを始めると、自分の指揮者としての業務に著しく差し支えるだろうと確信して、あえて手を出していない。今でも、初音ミクを使ってバッハのフーガを電子音源にしてみたい、なんて思うが、いやいやいや・・・やめましょう。それは自分の腕ひとつで音楽を紡ぎ出す指揮者の自殺行為である。
僕のパソコン・デスク