9月について
いつの間にか9月になっている。土日は、名古屋のモーツァルト200合唱団の演奏会のためのオケ練習及びオケ合わせだったので、なんとなく月の変わり目をスルーした気分。
といっても、月刊誌「福音宣教」のコラムの締め切りが月末なので、8月が終わるのは分かっていた。
名古屋に行ってしまうと、落ち着いて原稿が書けないので、8月30日金曜日に11月号の原稿を提出し、
「これで月が変わっても大丈夫!」
という安堵と共に名古屋に向かって出発したのだ。
本当は、今日最初に書こうとしたのが次のような文章。
「早朝散歩をするために戸外に出てみると、いつもの肌にまとわりつくようなヌルッとした空気ではなく、クリアーで爽やかな大気に包まれて軽い驚きを覚えた。即座に、ああ9月になったのか、とあらためて思った」
しかしながら読み返してみたら、なんか毎年「今日この頃」で、同じようなことを想い、書いているんだよね。それで、自分の過去の原稿を読み返してみたら、昨年の9月の初めだけは、愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」公演終了直後だったので特に触れていないが、2017年や2016年などでは、やはり同じような記事を書いているので、芸がないなと思って、最初の文章を変えたわけである。
僕が不思議に思うのはこういうこと・・・つまり、たとえ8月の終わりに仮に涼しい朝があったとしても、この感慨はないのだ。反対に9月に入ったからといって一直線にどんどん涼しくなっていくとは限らず、夏の再来のような日々が戻ってきたりもする。
それでもね、風の違い、大気の違いを感じながら、
「9月になったんだ!」
と思う気持ちは、9月になって初めて湧いてくるんだよね。
道々に落ちている蝉の死骸は、8月からあるのだが、9月になってから見ると、純粋に死骸を見るという行為に、「二度と戻らない夏」を惜しむ気持ちがプラスして、なにかしみじみとした想いが、僕の全身を包むのだ。
僕は、毎年毎年、ご丁寧にも、必ず9月の到来を意識する。それから、彼岸花が咲く頃も意識しない年はない。それから「天高く、馬肥える秋」ではないけれど、ある晴れた秋の日に、群青の空が異常に高く、秋らしい雲が漂っていくのを見て、秋が深まってくるのをしみじみと感じる。それから木々が紅葉を始める時にひそかに胸を震わせ、北風の到来にコートの襟を立て、山に初雪が降ったという知らせを聞いて、胸をときめかせる・・・・あれえ・・・もしかして・・・・。
それら全ての感慨というものは、僕の場合・・・もしかして・・・待ちわびているスキー・シーズンが、いよいよ近づいていてくるという期待と一体となっているのかしら?夏までの間に、自分の胸の中で封印していた「スキーをしたい」という想いが、実現可能な日が近づいてくるにつれて、まるで急な坂道で、ブレーキをかけるのではなく、エンジンブレーキで降りながら、いつかその坂が終わってアクセルを思いっ切り踏み込む時を待っているような気持ち・・・ええと、言いたいこと分かります?
つまりね、
「ああ、スキーがしたい!」
って言っちゃうと、もう矢も盾もたまらなくなってしまうではないですか。それって、坂道でアクセル踏んじゃうようなものではないですか。だから、はやる気持ちを、季節への情感でごまかしているのかな???
いやいや、季節の感慨はそれはそれ。美しい四季の移り変わりを、混じりけのない純粋な気持ちで感じましょうね。「秋になってきたら寒くなるのは当たり前」では、人生、夢も希望もありませんからね。
これからは、ブラームスをしみじみと聴きたくなる季節だし、なにか長編小説をじっくり腰を落ち着けて読みたくなる時期なんです。
モーツァルト200合唱団演奏会の準備は着々と
そんなわけで、怒濤の8月は終わったけれど、9月にもうひとつ大事な演奏会が残っている。9月15日日曜日に、刈谷総合文化センター大ホールで行われる、モーツァルト200合唱団、第28回定期演奏会である。
その練習が8月31日土曜日と9月1日日曜日であった。土曜日は11時からベートーヴェン作曲「ミサ曲ハ長調」のオケだけの練習。オーケストラは、名古屋ムジークフェライン管弦楽団。アマチュアで、愛知祝祭管弦楽団にゆかりの深いメンバーも何人かいる。
午後は、この演奏会と提携している刈谷国際音楽コンクールの受賞者であるピアノの大竹かな子さんとのラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第3番の合わせであった。
彼女は現在、愛知県立芸術大学大学院で博士課程に在籍していて、実は、この7月の後半に、僕は一度愛知芸大のキャンパスに行って彼女と合わせをしている。昨年のヴァイオリンの牧野葵さんも愛知芸大だったことを考えると、最近の愛知芸大器楽科のレベルって、めっちゃ高いな。その中でも、大竹さんの弾くピアノのテクニックの素晴らしさには、僕も驚いた。
さて、オケ合わせになったら、7月の合わせから随分経っているので、彼女の弾くピアノのテンポも表情もかなり変化している。また、緊張もしていて、脇目も振らずどんどん突き進んでいくので、
「オケが置いて行かれるううう!」
かと思えば、突然予期せぬテンポ・ルバートをかけるので、僕もオケも急ブレーキ掛け切れなくて、
「ガラガラドッシャーン!」
という個所が少なからずあった。ま、これはこれで、ゲーム感覚で楽しかった。
というか、その責任の一端は、むしろ僕の方にあるのだ。何故ならば、合わせが始まる前に、僕は彼女に向かって、
「とにかく萎縮しないで、まずはズレてもいいから、やりたいようにやってみて。直すのは後からいくらでも出来るから」
と言っていたのだ。
学生だから、一度気後れしたり、初回からオケを聴き過ぎたら、自分の本当にやりたい音楽が出来ない。僕も、協奏曲の伴奏をやるのなら、独奏者が伸び伸び自分の持ち味を最大限に発揮してくれないと嫌だからね。
さて、午後の2時から5時までの練習時間をたっぷり使って、何度も何度も繰り返し、時には彼女がどうやりたいのかをソロで弾いてもらったりしながら、オケとの整合性を図って、一日目は終了。
それだけではなかった。その後休憩して1時間以上。僕は彼女と二人だけで打ち合わせをした。そこで僕が彼女に教えたのは、自分のやりたいことを他の人に分かってもらうためのコツであった。
テンポの変わり目や、表情の変わり目で、協奏曲に慣れたピアニストは必ず、指揮者やオケに分かるような弾き方をする。それは、ある音をちょっとだけ強調するとか、場合によってはある仕草をするだけとか、だいたいほんの些細なことなのだ。だがこれは、彼女が将来この曲をいろんなところでいろんな指揮者やオケの元で演奏するとしたらとても大切なことだ。無駄に苦労する必要がないからだ。
さて、その甲斐あって、次の日の午前中の合わせでは、見違えるようにオケとピアノが合ってきた。通常だったらもうこれでゲネプロ&本番となるのだろうな。だが、僕の場合、本当の旨味に触れていくのはここからなのだ。
オケも、「伴奏する」という消極的な役割だけではなく、もっと自発的な音楽が出来ると信じている。そのためには、もう一山越えないといけないのかも知れない。
大竹さんに関して僕は思っている。もっともっと彼女は伸びるし、もっともっとこの協奏曲は一期一会の素晴らしいものにならねばならない。
だから、帰りの新幹線の中で、僕は彼女にメールを送った。
ピアノをもっと鳴らし切ること。ゆっくりなところで体重を乗せて深みのある低音を鳴らし、その上に和声を構築すること。
それと、ブロックのように音を積み上げるラフマニノフのピアノ音楽の作り方に惑わされず、メロディーの横の流れを感じながら長いフレーズをつないでいくこと。持続性がなく減衰するしかないピアノという楽器で表情を作るために、アゴーギク(テンポを揺らすこと)だけではなく、音色の変化ももっと使うこと・・・などなどである。
ピアニストは、ともすればピアノという楽器の能力を信じすぎるのだ。しかしながら、ピアニストほど、“音が持続しないために歌えない楽器”の悲しさを実感するべきである。逆に言うと、それを分かっているピアニストのみが、ピアニストであることを超えて真の芸術家になれるのかも知れない。
日曜日の午後には、モーツァルト200合唱団のメンバーと、4人のソリスト達の中からソプラノの飯田みち代さんとアルトの三輪陽子さんが加わって、ミサ曲のオケ合わせが行われた。ミサ曲は、まだまだバランスとか、いろいろ改善する余地はあるが、とりあえず僕の意図したハ長調ミサ曲のサウンドは鳴り響いた。
この後、会場を本番の刈谷総合文化センターのリハ室に移して、次の日曜日の9月8日と本番前日の14日土曜日にオケ合わせをし、それからいよいよ演奏会当日の大ホールでのゲネプロ&本番となる。協奏曲もミサ曲も、しっかり時間を取って丁寧に練習できるから良い。こういう仕事を僕はやりたいのだ。
人生は廻る輪のように
先日書いたが、柴崎体育館前でマウンテンバイクで転倒して出血し、泳げなくなったのがきっかけで、立川のディスクユニオンに行って、ナベサダこと渡辺貞夫のCD「Wheel of Life」を買ってきた話は、先日の「今日この頃」で書いた。その音楽は今でもiPod Touchに入れて好んで聴いているが、今度はナベサダが気に入ってつけたタイトルの方が気になってきた。
「人生は廻る輪のように」(上野圭一訳)という邦題がついている、エリザベス・キューブラー・ロス著のThe Wheel of Lifeがあるのは昔から知っていた。彼女の「死ぬ瞬間」という本を80年代に読んだことがあった。
しかしながら、当時僕はむしろ、レイモンド・ムーディ博士の書いた「かいまみた死後の世界」や、女優シャーリン・マクレーンの書いた「アウト・オン・ア・リム」や「ダンシング・イン・ザ・ライト」などの霊的な書物に惹かれていて、それから比べると「死ぬ瞬間」は、現代で言うところのホスピス医療の現場において、医師としての立場から冷静に観察された研究書のような印象を受けた。それが、よりスピリチュアルな内容を求めていた僕には物足りなかったので、キューブラー・ロス女史の本を読み続けることはやめてしまったのだ。
ところが「人生は廻る輪のように」をAmazon Primeで取り寄せて読んで、心底驚いた。キューブラー・ロス女史は、本当は誰よりも宗教的な人生の真っ只中を生きてきた人だったことに気が付いた。
「死ぬ瞬間」は、確かに霊的書物とは言い難い。ただ彼女自身は、その後、亡くなるまでの間に、どれだけ沢山の霊的な体験を積み、精神的覚醒を求め生きていったのか、その軌跡を知って、僕は自分の無知を恥じた。
「人生は廻る輪のように」