今週の講座は「レクィエム」

三澤洋史 

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結婚40年!
 明日10月22日火曜日は即位の礼で国民の休日となった。こちらとしたら、孫の杏樹の保育園が休みになるので、
「ゲ!またチビが家にいるんか?」
という感じだけれど、実は、10月22日は、我が家では結婚記念日なのである。

 1979年10月22日。僕たち夫婦は、六本木にあるフランシスカン・チャペルセンターで結婚式を挙げた。司式は、昔、桐生の聖フランシスコ修道院にいて、当時チャペルセンターの館長であったフレビアン神父。
 妻の両親は出席してくれたが、僕がクリスチャンになるのも、クリスチャンの家と親戚になるのも反対していた僕の両親はいなかった。あとは、角皆優人君や高橋正光君をはじめとする友人達だけのささやかなミサとパーティー。
 それからベルリン留学して、留学中に長女志保が生まれ、帰国してからすぐ次女杏奈が生まれ、自分でもよく分かってない内にパパとなった僕は、家族を養うために一生懸命働いて、いつの間にか40年の時が経っている。妻もいいおばあちゃんになった。

しあわせな日々。満ち足りた毎日。ありがとう、千春!これからもよろしくね!

台風19号の残したもの
 台風19号が過ぎ去った直後、自民党の二階俊博幹事長が、
「予測されていたことから比べると、(被害は)まずまずに収まったという感じだが、相当の被害が広範囲に及んでいる」
と言った発言が問題になっている。言論を職業としている議員としては、あるまじき言葉だとは思うが、「まずまずに収まった」の部分だけ取り上げられて、野党やマスコミから総攻撃を受けているのは、ちょっと可哀想な気もする。
 というのは、それを聞いて、僕も人のことは言えないなと思い、ちょっと反省したからだ。先週の「今日この頃」の原稿を読み返してみると、自分が名古屋に行けなかったことや新幹線の計画運休の話ばかりを書いていた。
 我が国のヘッドによくある、責任問題を追及されるリスクを恐れて、決断ができない状態を批判したものであり、言っていること自体は間違っていないとは思うが、あのタイミングで言う優先順位を間違っていた。
 命を失ったり、家族を失ったり、住むところを失ったりした人が少なからずいたというのに、呑気な発言であったと思う。

 ただ、弁解めいてしまうが、今回の台風は、これまでのものとはちょっと性格が違っていた。あるスポーツ新聞などは(駅で広告を見ただけだが)、台風通過の前に、東京の被害は死亡数千人に及ぶ、などというものもあり、「首都壊滅か?」という恐怖感をバラ撒いていた。
 風についても、9月の15号の時の真夜中の強風の恐怖も生々しく思い出される中で、それを上回る風速60メートルと言われていたので、みんな屋根は飛ばないかなとか、木の枝やいろんなものが家を直撃して、破壊されないかとか、ビクビクしていたのではないか。
 それが首都圏では、真夜中になる前に、かなり収まってしまって、
「あれ?これで終わり?」
と、むしろあっけにとられたほどであった。
 だから通り過ぎた直後に、案外大丈夫だったね、という感想があったことは事実である。でもその間に、我々の知らないところで、長野県や各地域の河川災害は進んでいたわけである。しかも被害は、それぞれは局所的でありながら多地域に渡って実に広範囲だったため、全貌を掴むのに時間が掛かってしまったわけだ。

 僕が後で自分の言葉を反省させられたのは、僕の郷里の新町のことを聞いたことによる。新町は、群馬県の南端にあり、埼玉県と群馬県とを隔てる神流川(かんながわ)と、高崎方面から流れ来る烏川(からすがわ)とが、町の南東で合流する。そのため、合流点近くでは、両方の川に沿った堤防が、約90度の角度で交わっている。
 もともとその地域は、合流するくらいだから町の中でも最も低い地域だ。その河岸町(かしまち)と呼ばれる地域が水に漬かった。といっても堤防が決壊したわけではなかった。交わっている堤防で堰き止められた地域にたまった水の行き場がなかったのだ。
 さいわい床下浸水だった。でも床すれすれで、水が引いた後も道路は泥まみれであったという。その程度ではニュースにもならないが、住民の立場になってみれば充分大変な事態だ。こういう所が、報道された地域の他に沢山あるのだろうと気が付いたのだ。

 それよりも彼らは怒っていた。先週も書いたけれど下久保ダムの放流に対してである。
「夜中の1時に放流」
という知らせがテレビに流れた時は、遠く離れた東京で僕も焦った。結果的には、その後台風が通り過ぎたことで雨脚が弱まったため、直前の判断でギリギリ放流は免れた。
 でも河岸町の住人は、放流の知らせを聞いた時、本当に、
「自分たちは見捨てられた。殺される!」
と恐怖に震えたであろう。
 実際、あのタイミングで放流されたら、ただでさえ浸水していた河岸町などは、堤防の決壊で死者が出た可能性がある。河岸町から僕の実家もそう遠くない。

 とにかく、災害は、これまでの我々の常識をくつがえすものばかりで、我々に新たな難題を次々と突きつけてくる。二子玉川園の浸水に関して、何故堤防をきちんと作らなかったのか?という疑問に関しては、作ろうという動きはあったのだが、街の景観を気にする声が勝って、立ち消えになったと言われている。
平時の時の常識は緊急時には何の役にも立たないのだ。

今週の講座は「レクィエム」
10月24日木曜日は、真生会館での「音楽と祈り」講座だ。もう10月も後半になって、カトリック教会的にいうところの「死者の月」である11月が近づいてきた。そこで今回は「死者のためのミサ」であるレクィエムを取り上げることにした。

 日本人はレクィエムが好きである。元来がウェットな国民だからか。明るいミサは苦手でも、レクィエムだったらいいという人は、僕の周りにも少なからずいる。でも、個人的にいうと、僕はレクィエムの歌詞は嫌いだ。
 特にDies Irae(怒りの日)から始まる続唱の部分がいけない。まったくあれはヤクザさんの脅しのようではないか。

 最後の審判の日に、恐ろしいラッパの響きによって、死者はみんな蘇えらされ、恐怖の大王の前に出されて、ひとりひとりはその罪を裁かれる。その時、誰も知らないはずのあんな事やこんな事もみんな明るみに晒されて、もう恥ずかしいったらありゃしない・・・・じゃなくて・・・「義人でさえ心安らかでないというのに、哀れな私はいったい何を釈明できよう」(歌詞より)というのだ。
 パウロは、人類の罪のために十字架に架かってくれたイエス・キリストを信じれば、救われるって言ったじゃないか。一体なんで、こんなおっかない言葉がミサの中で唱えられるのであろうか?でも、これにはワケがあるのだ。

高橋正平氏の「レクィエム・ハンドブック」(ショパン)から引用してみよう。

初期のキリスト教においては、葬儀のための「ミサ」でさえも祝祭的なものでした。
けれどもやがて中世も末期に近づいてくると(9世紀頃)、政情不安やききん、疫病など暗い世相の影響を受け、死生観も次第に陰鬱なものとなって来ました。
特に人は死後、煉獄(れんごく)に落とされて厳しい責め苦を受け、罪の償いをせねばならぬという「煉獄説」が広く信じられるようになったこと・・・(中略)・・・煉獄でさいなまれている死者のためにミサを上げてやれば、その功徳によって責め苦が軽減されていく、と考えられたことから、こういうミサがしきりに行われるようになったわけです。
 これはその通りであるが、僕にはもうひとつ大事な理由があると思われる。それは、僕がイタリアに初めて行ったときに「なるほどなあ」と感じたことだ。
 イタリアでは、スリやコソ泥がとても多い。僕も、ローマのテルミニ駅で財布をジプシー女性にスラれたし、駅構内のオフィシャルな両替所(あの頃はまだリラだった)で、お兄さんはどう考えてもレートよりも少ないお金を渡したので、そのまま帰ろうと一度は思ったものの、聞くだけは聞いてみようと思って、
「あのう・・・」
と言いかけたら、ニヤッと笑いながら、
「はい」
と言って、残りの札と領収書を渡した。つまりネコババしようとしたわけだ。バチカンのお膝元のローマでだよ!あの人、ずっとそういうことをやっているに違いない。

 その時、僕は気が付いたのだ。何故煉獄が必要になったかという本当の理由に・・・。つまりそれは、皮肉にもイタリアが「カトリック国」であるということによる。パウロは、確かに「イエス・キリストを信じさえすれば、罪から救われる」と説いた。やがて、国中の住民は、生まれたら必ず幼児洗礼を受けて全員クリスチャンになり、完全なる「キリスト教国」ができあがった。理論的にはこれで、みんなキリストに従って正しく生きる「地上の天国」が生まれた・・・はずなんだよね。
 ところが、残念ながらそうはならなかった。気が付いてみると、相変わらず悪人はいるし、犯罪はなくならない。前と同じじゃん!ところが今では、人殺しをしても全員クリスチャンだから天国に行けるのだ。
「あんな極悪人でも、そのまま天国に行くんかい?え?あいつと俺がおんなじ天国に行くというのかい?ねえ神父さん!」
「うーん・・・確かに、それは具合が悪いな。そうだ、こうしよう。やっぱりそのまんまじゃ、すんなり天国には行けないようにするんだ」
「よしよし」
「この地上と天国の間に煉獄なるものがあることにしよう。そこで自分の生前の罪を反省するんだ。きちんと反省できた者だけが天国に行ける」
「いいねえ、ざまあみろ!」
「あんたもだよ」
「え?話が違うだろ!パウロは、キリストを信じたら・・・」
「うるさい、黙れ!」
「だって聖書では、そんなことひとことも・・・」
「教会がいいっつったらいいんだ」
 それをダメ押しするように、恐い続唱の言葉がどんどん生まれたというわけだ。少しくらい脅かしておかないと、みんな何をしても救われているんだからと油断して、悪者がいっこうに減らないからね。あの両替所のお兄さんも、幼児洗礼を受けていたって、ネコババを続けるとしたら、煉獄でたっぷり絞られるがいいさ。

 と、こんな話ばっかりするわけではないけれど、まあ、これは予備知識として知っておいた方がよいだろう。煉獄にいる故人の魂を軽減させてあげるために、残された者達による「死者への祈り-レクィエム」が生まれたが、それと同じ意味合いで、免罪符も生まれた。それを批判することで始まったプロテスタント教会には、そもそも煉獄の概念はない。ただ、ルター自身は、煉獄そのものの存在を否定しては居ない。
 ちなみに第二バチカン公会議以降は、レクィエムの歌詞は、いたずらに信徒の恐怖心を煽るという理由で廃止された。

 聴かせる曲は、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレで、その他特殊なレクィエムの例としてブラームスの「ドイツ・レクィエム」を鑑賞する。これを解説するだけでも1時間半なんてあっという間なので、ベルリオーズとかデュルフレとかブリテンの「戦争レクィエム」などはあえて見送った。もしかしたら、「キャッツ」などのミュージカルを作曲したアンドリュー・ロイド=ウェッバーのレクィエムを聴かせるかも知れない。
 普段、この講座に来ない人も、今回は楽しいと思うから、是非出掛けて下さい。真生会館で10時半から12時までです。

まだまだ「アラジン」実写版
 「アラジン」実写版を原語(英語)&字幕で観た。日本語版の吹き替えの声優達も頑張っているが、やはり予想していた通り、役者達の原語でのセリフさばきと歌唱は圧倒的だ。特にジーニーの登場からしばらくのキャラクター設定はあっけにとられるほどで、「どんだけ変な奴だ?」という感じだけれど、よくここまでハジケさせたなあ!ウィル・スミスのきめ細かい演技は、素晴らしいのひとことに尽きる!
 アラジンがランプをこすったとして勘違いしたジーニーが、アラジンにこすってないよと言われて、
「そんじゃ、巻き戻しをして見てみよう」
と画面を巻き戻して、猿のアブーのトリックであることを見破るシーンなど楽しさ満載。

 音楽とドラマの融合という意味では、ワーグナーをも遠く超えて、よくここまで音楽に映像がハマッたなと驚く。

 既存の音楽に対するアプローチも、原曲を知っていればいるほど新鮮な驚きに胸打たれる。「アリ王子のお通り」のマーチで、後半にフェルマータをして、スローテンポからアッチェレランドをして追い上げるところでは、二回目のフェルマータを異常に長くして、そのスローテンポを従来の倍に遅くしてからの追い上げ。思わず笑い転げてしまった。

 ダンス音楽も秀逸。後半に入ったところで、アリ王子がジャスミンに踊りを披露し、最後にバク転をするところでの音楽があまりに魅力的なので、僕はついそれに合わせて手でリズムを叩いてしまう。僕は、自分のミュージカルにかならずアラビア音楽を入れるが、前世アラビア人か?アラビア音楽を聴くとじっとしていられないのだ。

 有名なA whole new worldのシーンも素敵!画面は暗いけれど、それだけに幻想的。愛し合うふたりは、魔法の絨毯に乗ってどこまでも飛んでいく。僕は思う。実際に魔法の絨毯に乗らなくとも、ふたりの心はすでに「飛んで」いるのだ。
 それにしても、ジャスミン役のナオミ・スコットは、至る所で「恋する女」の表情を見事に表現している。このデュエットが終わって、二人が別れるシーンでの彼女のちょっと微笑んだ満ち足りた表情。くーーー、たまりませんな!
 最後の方で、邪悪なジャファーの陰謀にかかって、追い詰められたジャスミンの、思いの丈をぶつけたアリア・・・おっと、失礼・・・ナンバーが原語で聴くと、もの凄い迫力が伝わってくる。
「あたしは負けない!あたしはあきらめないわ!」
と、時々怒鳴ることも厭わずに全身で怒りをぶつけ、歌いまくるナオミ・スコット。この人、僕の好きな広瀬アリスにちょっと似ている。

 ブルーレイでは、全編が終わった後に、メイキング映像や未公開シーンがある。メイキング映像では、アブーや虎をどう撮ったかが見られる。最初に生の映像を撮ってから、そこにアニメーションのスケッチを書き込んでいき、それをCGで本物の猿や虎のように作り上げる。ということは、最初の映像を撮る時に、たとえばアラジンはあたかも自分の肩にアブーが乗っているように演じなければならないわけだ。うわあ、大変な作業だな。

 未公開シーンの中で、「デザート・ムーンDesert Moon」(砂漠の月)という素晴らしいデュエットがある。ジャスミンは宮殿で、アラジンは砂漠というお互い離れたところで、同じ月を眺めながらそれぞれの想いを歌い上げる。このデュエットは、とっても美しく胸キュンなシーンなのにカットされてしまった。とても残念だ。

 また、ジャスミンが自分の王国の民のことを大切に思っていて、ジャファーが民を弾圧しようとしていることを父親に告げるシーンでは、「武力か愛か」のとても深い内容が見られるが、カットされた。勿論、これを組み込むと、子どもが観るには内容が重くなるし、冗長にもなる。ディズニーとしたら葛藤の末の決断であったろう。でも、同時に、ディズニーがこれほど長年に渡ってみんなに愛されているのは、こうした「最終的に愛の勝利」のような内容からブレないでいるから。
 まあ、このシーンをカットしても、ジャスミンの自国の民に対する想いは、最低限伝わってはいる。だけど、もし大人用の「アラジン」を編集して発売してくれたら、僕は喜んで買うなあ。ジャスミンもただの可愛いプリンセスではなく、ポリシーのある毅然とした女性だし、ジャファーもただの悪人ではなく、もっと彫りの深い人物だ。

 ディズニーには遠くかなわないけれど、僕はこれを観て、とっても創作意欲を掻き立てられた。何か創りたい!
年寄りのゆったりした生活・・・だが、こんなところでぬくぬくと満足していていいのか?

Va',vecchio John,per la tua via.
「行け、老いたるジョンよ、お前の道を!」
(ヴェルディ作曲ファルスタッフより)
と、この作品にけしかけられている今日この頃である。



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