「ドン・パスクワーレ」立ち稽古の現場から

 

三澤洋史 

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「ドン・パスクワーレ」立ち稽古の現場から
 「ドン・パスクワーレ」の立ち稽古が進行中であるが、めっちゃ楽しい!ステファノ・ヴィツィオーリ演出のこのプロダクションは、2004年のミラノ・スカラ座の初演から15年も経っている。その間に多くの歌劇場を渡り歩いたが、どこでも絶賛され、今ではこのオペラの決定版と位置づけられている名演出である。

 それでいながら、ヴィツィオーリ氏自身は、ただそれをなぞるだけではない。合唱団のメンバーを見ながら、半ば即興的に演技を付けていく。一方、演出助手ロレンツォ・ネンチーニ君は、従来の演技を細かいところまで逐一覚えていて、合唱団だけの立ち稽古では主役の動きを一人で立ち回ったり、まさに天才的。そして、このふたりのコンビネーションには、水も漏らさぬものがある。
 お互い、ギャグを飛ばしながら、新国立劇場ならではの一期一会の舞台を作り上げていく。イタリア人の最もポジティブな部分が見られる、生気溢れる稽古場。

 新国立劇場での新制作の舞台では、何もないところから作り上げていくので、一体どんなものが出来上がるのだろうかとワクワクするが、こうしたすでに世界のスタンダードになっている舞台を、我々の手でどこまで作れるのか、というのも別な意味で実にチャレンジアブルである。
 大野和士芸術監督時代も二年目に入って、「紫苑物語」世界初演やロシア語オペラ「エウゲニ・オネーギン」など、新しい挑戦をどんどん我々に突きつけてくる。僕は彼に最大のリスペクトを捧げよう!

 指揮者は、作曲者ドニゼッティと同郷のベルガモ出身であるコッラード・ロヴァーリス氏。彼は現在フィラデルフィア・オペラの音楽監督をしているが、2004年の「ドン・パスクワーレ」初演時は、リッカルド・ムーティ指揮の元でスカラ座合唱団の合唱指揮者を務めていたので、想い出深いプロダクションだと言う。
 当然、僕をスカラ座に招聘してくれた合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏を良く知っている。僕は言った。
「僕は2011年に文化庁から派遣されて、スカラ座で3ヶ月間研修しましたよ」
すると、
「まてよ・・・」
とちょっと考えてから、
「思い出した!君だったのか?あのね、チズ(新国立劇場から派遣されて、イタリア関係のキャストやスタッフのコーディネートをしていた当時ミラノ在住の福井千鶴さん)から君のことを聞き、カゾーニ氏に取り次いだのは僕だったんだぜ」
 僕はよく覚えていないのだが、新国立劇場初登場のはずなのに、なんとなく顔を覚えていたのは、ミラノですでに会っていたのかも知れない。

 ベルカント・オペラというのは、音楽がワーグナーなどのようには凝っていないので、キャストが良くないとなんにも面白くないが、今回のキャスティングは文句ない。特にマラテスタ役のバリトン、ビアジオ・ピッツーティの美声に僕は魅せられているし、タイトルロールのドン・パスクワーレ役には、ベテランのバス歌手、ロベルト・スカンディウッツィが貫禄を見せている。初役というが、ノリーナを演じるのは、アルメニア生まれの若いソプラノのハスミック・トロシャン。コロラトゥーラが面白いように転がる。こういうのを全てのソプラノ歌手に聴かせてあげたい。

 僕はいつも合唱団員やいろんな人に言っているのだ。
「よくリリコやドラマチックの人が、自分にはコロラトゥーラは関係ないと思っているが、どんなパートのどんな声種の人も、コロラトゥーラのテクニックはきちんと身につけておくべきだ。バスだってドン・パスクワーレやドゥルカマーラを歌えるし、『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリアだって最後にコロラトゥーラが出てくる。こういうのを鮮やかに歌えて初めてみんなが納得するのだから」
声楽というもののテクニックの世界のひとつの頂点が、こうしたベルカント・オペラなのだ。

 その中でも抱腹絶倒のギャグ・オペラが「ドン・パスクワーレ」。
オペラで腹を抱えて笑いたい人は、どうぞ劇場に足を運んで下さい。本番までにはもう少し時間がある。
11月9日土曜日から17日日曜日まで5回公演。また報告します。

台風の爪痕
 10月26日土曜日は高崎中央公民館で「おにころ合唱団」の練習。その前に、お袋のいる藤岡の施設を訪問しようと思って調べたら、なんと八高線が先の大雨の影響で、寄居、北藤岡の間が不通となっている。
 施設を訪問した後、群馬藤岡から高崎に行こうと思っていた僕は、その日は断念した。せめて群馬藤岡と高崎の間が動いてくれていたらよかったのに・・・。台風の爪痕はこんなところまで及んでいたのか。

 翌27日日曜日の朝。6時から早朝散歩に出掛けた。新町から玉村を通って前橋方面に向かう時に利用する岩倉橋からの眺めが僕は大好きだ。赤城山、榛名山と大きな山が並び、その向こうに浅間山が「この山並みの中ではオレが王様だぜ」と言わんばかりに雄大にそびえている。それから切り立ってデコボコな妙義山があり、藤岡方面を眺めると御荷鉾山(みかぼやま)などが一望に見渡せるのである。
 ところが今回、橋を渡り始めたら、何か違和感がある。あれえ・・・川の景観がまるで変わっている。というか川が移ってしまった。まあ、川が移ったというか、橋のあたりの中州の形が大きく変わっていて、この橋のちょっと下流で、高崎方面から来る烏川(からすがわ)に、藤岡方面から流れてくる小さい温井川(ぬくいがわ)とが合流するのだが、その合流点が随分川下(かわしも)にズレてしまった。
 川のまわりの草がいっせいに下流になびいていることから、一度は両側の土手までいっぱいに広がって流れたのだなと推測される。それから水が引いてみたら、上流から流れてきて堆積された土砂が川の流れを変えたのだ。
凄いな、自然の力って!

 いろいろ調べたら、八高線では振り替えバスが出ている。でも、今日はお袋のお見舞いの後、高崎には行かなくていいし、寄居方面のバスもきっと時間がかかるだろうから、新町から上野村方面に行く普通の乗り合いバスに乗って、27日日曜日の午前中にお袋のお見舞いに行った。帰りも新町方面のバスで新町駅に出て、高崎線で帰って来た。
 バス停からお袋の施設まで行く途中、八高線の踏切を渡るが、その決して閉まることのない踏切の線路が真っ赤に錆びていた。そういえば、こうなったら貨物列車も通れないわけだな。輸送にも影響を与えていて、どこかで誰かがとっても困っているのだろうな。

 我が郷土においても、こんな風に少しずつ被害が出ているのだ。今回の度重なる台風の爪痕は、報道されないレベルでは、どれだけの規模に広がっているか知れない。

新しい本の執筆
 今、一生懸命原稿を書いている。まだいろいろ詳しいことは明かせないが、いずれ本が出る予定。きっと、「オペラ座のお仕事」の宗教編という感じのものに仕上がると思う。「オペラ座のお仕事」では、最初の方に、自分の生い立ちから音楽家になるまでを書いたでしょう。それの宗教版が先日書き上がった。

 書く時は夢中で書いていたのだが、書き上がってあらためて読み返してみたら、「オペラ座のお仕事」同様、なんて自分はめちゃめちゃな人生を歩んできたのかと笑ってしまった。音楽もそうだけれど、信仰も、思春期に入ってからの全くの自由意志による。自分で教会を探して飛び込んだ。
 そしてカトリック新町教会での妻との出遭い。キリスト教に反対していた親父とのやりとり。洗礼を親に内緒で受け、特にカトリック信者の妻と結婚する時には、それを頑として受け容れようとしない親父を殴って家を飛び出し、ドイツレストランやホテルのラウンジでお金を稼ぎながら、当時保育士として働いていた妻とふたりで家計を切り詰め、自費でベルリン留学に行った・・・などなど。充分にドラマチックやねえ。

 また、「最も楽しんだ者が」という原稿では、音楽編と信仰編との2章仕立てで、要するに、「本当に素晴らしい演奏をする人は、本当に無心になってエンジョイできる人だ」と書いた。
 また「今を満足出来ない人は、永遠に満足出来ない」とも主張している。1番にさえなったら自分は満足するのに、と思って頑張ることはいいけれど、仮に1番になったとしたら、こんどは自分の前にいる2連勝した人とか3連勝した人と比べられる。また次に1番になろうと思っている人に追い掛けられる。
 そして、以前はあんなに無心で伸び伸びと出来たのに、体は硬くなってぎこちなくなり、発想は後ろ向きになってしまう。要するにその生き方では、どこまでいっても満足はないのだ。だから人と比べてはいけないし、今に満足し、今を感謝しなければ永久にあなたはしあわせにはなれないのだと結んでいる。

 はやく書き上がって、これをみなさんにお届けしたいなあ、と思う。編集の人は、当初これを当然のことながらカトリック信者を対象に出版したいと思っていたようであるが、原稿を読んでいく内に、むしろ僕のことを音楽家としてよく知っている未信者を対象にした方が意味があるのではないかと思い始めている。
 まあ、僕にとってはどっちでもいい。というか、どちらを対象にしても、自分から出てくるものは一緒だからね。今はね、とにかく話がダブっても何してもいいから、書きたいことをどんどん書きなぐっている。

 ひととおり書き上がってから、整理して、順番を決めたり、各原稿の長さなどを調節しながら章立てをしようと思っている。とにかく、一番エンジョイしているのは自分である。だって自分で言っているからね。良いものを作るには自分が楽しまなければ。



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