勘違いしていたお囃子

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

半ば皆さん向け、半ば角皆君への手紙
 家の近くには結構土地の高低差がある。府中市を東西に、府中崖線と呼ばれる河岸段丘が西は立川・国立あたりから府中を通って、調布・狛江あたりまで約16キロにわたって伸びているのだ。
 マウンテンバイクで下り坂になると、誰もいないか見計らってから、僕はスキーのショートターンのように小さいカーブを繰り返しながら降りることが多い。人に見られたら、ただの変なおじさんなのだけれど・・・。

 降りながら、よく二通りのカーブをしてみる。ひとつは上体を自転車と同じように左右に傾けながら降りるやり方と、もうひとつは、むしろ上体は常にほぼ垂直かつまっすぐ坂の下を向けながら、自転車の車体だけ倒して降りるやり方。
 自分がとっても凄いことをやっている気がして楽しいのは、圧倒的に前者。しかし、実は後者の方が、車体をより倒して、より小さいカーブをより高速に行える。すなわち、より精度の高いカーブを安定して行えるのは後者の方と決まっているのだ。

 スキーで言うと、前者が内傾。後者が外向傾である。

 親友の角皆優人君が最近のブログで面白い記事を書いている。

10月19日「大きなジレンマ」
 彼は、ハーレー・ダヴィッドソンを買ったが、コーナーを外向傾で曲がろうとすると、スタンドやマフラーが路面に当たってしまって回れない、ショックだ、というもの。
 読んで笑ってしまった。だいたい器具が引っ掛かるって、彼のことだから、かなりの高速で、半径のめちゃめちゃ短いショートターンをしようとしたのだろう。

 だいたいね、彼は昔からやることが普通じゃないんだよ。高校の時にオフロード用のバイクを買ったかと思うと、烏川(からすがわ)の河川敷にジャンプ台を作って、僕たち友達を呼んでジャンプしたんだ。それがうまくいかなくて大転倒。もうもうと立ちのぼった砂埃を見て、僕たちはひとりの親友を失ったと思って神妙な気持ちになったね。
 ところが、バイクはその場で全損したけれど、彼は砂埃の向こうからスッと立ち上がり、
「失敗しちゃった」
と照れ笑いしながら近づいてきた。僕たちは言葉もなかった。
 そんな彼が、その後スキーにハマったといっても、アルペンを目指すはずもなく、モーグルだのエアリアルだののフリースタイルに向かったのは当然の成り行きだったろう。

 最近では、こんなことも言っていた。
「三澤君、バイクで時速200キロで山道を走っているとね、100メートル先の小石がくっきりと見えるんだよ。それをうっかり踏むと、場合によっては命に関わる。そうやって体って自分を守るために、特別にある感覚が鋭敏になるんだ」
ふうん・・・バイクで山道を200キロねえ・・・。

 最近は、新車を買うためにバイクを売ったと聞いていたので、ああよかったと思った。ある時新聞で、
「プロスキーヤー、バイクで木に激突、死亡」
の記事を見る可能性がなくなってホッとしていたのだ。それなのに今度は、
「山道の急なカーブが曲がりきれずに死亡。コーナーには破損したスタンドやマフラーが散乱。原因は無理なコーナーリング故だと推測される」
という記事を見なければならないのか?冗談は雪の上だけにしてもらいたい。

 というか、僕はまだまだスキーが下手っぴいなので、まだ彼にはしばらく元気でいてもらわないと困るのだ。70歳までの間に、モーグル・コースを、まあ上村愛子の半分くらいの速さで結構ですので、スイスイと降りられるようにしてよ。

 11月になったら狭山スキー場に行こうと楽しみにしていたら、今年の冬は休みなんだって。全面改修して来年の秋にリニューアルしますという。ガッカリだ。まあ、どうしても行きたいというのなら、軽井沢プリンスとか、御殿場の向こうのフジヤマ スノーリゾート イエティとか人工雪のスキー場は他にもあるんだけど、なんだかねえ・・・。

 それだったら、むしろスキーはまだ諦めて、冬の本当のスキー・シーズンに備えて、体を鍛えておいた方がいいと思って、相変わらず忙しいのは忙しいけれど、ちょっとでも時間が出来るとプールに行っている。水泳は全身運動なので、バランス良く体を鍛えるには最適なスポーツである。
 ただ、前から言っているけれど、僕は水泳には全然才能がないんだ。それでもね、続けていると「継続は力」だね。ちょっとだけうまくなっている。まずね、キックにちょっと進歩があった。

 キックって、膝から曲げては駄目だってよく教わるけれど、そんなことはない。ただ、膝だけでバタバタさせても進まないのは確かだ。それだったらまだ、サッカー・ボールを蹴る要領で足の甲を意識しながら蹴っ飛ばした方がいい。
 もっといいのは、自転車を漕ぐ感じで足全体を回すとベターだ。それでね、最終的には、指揮者がレガートの運動をするように、腰の関節から膝、スネ、足首、足の指先へとなめらかに意識して運動をつなげていくのが一番良い。それで、足の甲から足の指先まで意識し、金魚の尻尾の先のように最後の瞬間に指先をちょっとだけ弾(はじ)く。そのまま、反対側に意識が行って足の裏先導で腿から太ももに運動を戻していく。

 それから腕なんだけど、これまでの自分は、片方の腕が入水した時に、反対側の腕を掻き始めていたが、そのタイミングを少し早めて、片方の腕が頭の上を通過したら、もう反対側のストロークを始めてみた。
 すると、ローテーションで一方に傾いていた体が、ストロークとそれに連動するキックによって戻されて、反対側のローテーションが早く始まり、リカバリーの手の入水の時にはすでに体がやや反対側に傾いている。それで全体の動きがよりなめらかになったわけである。

 なめらかさといえば、話があっちこっちするが、先ほどの角皆君の記事の中に、こういうのがあった。三浦ドルフィンズの木村校長の弟さんにあたる方で、彼の師匠であった故・木村弘さんの話である。

  彼の滑りを簡単に分析すると、体全体の基本姿勢には外向傾を使っていましたが、ターンの仕上げ部分でわずかなローテーションを使い、とても滑らかで美しいカーヴィングを仕上げていました。
このローテーションが、次のターンへのカウンターを先取りするところが、とても見事なテクニックでもありました。
 こういう話が僕は好きなのである。角皆君も、アスリートという、結果を出していく勝負の世界に生きているが、芸術を愛する彼は、そうした中にも“美”という基準を忘れずにいることが、他のアスリートと根本的に違うところだ。
 僕の水泳もそう。もともとは血糖値が高くて食事制限をし、カロリー調整のために運動を始めたわけだから、そういう意味では運動していればそれでいいわけで、下手でもなんでも構わないのであるが、やっていればより良いフォームを求めたくなるし、ギクシャクしているより、なめらかさがあるものの方がいいよね。

 指揮の運動も全く同じ。周りの人たちを見渡すと、みんな鋭角的でなめらかさが足りないのだ。アレグロでも叩くだけでは音楽的ではないし、ビートを紡ぎ出しながらも横のフレージングのラインが同時に表現されないといけない。
 そして・・・ここが一番大事なんだけど・・・僕が目指したいものは能率的な機能美なのだ。美しいけれど、見せるために美しいのではなくて、無駄を削ぎ落としていった結果、ミニマムで最大限の効果に落ち着いた結果の美。

 11月3日日曜日は、週末なのに珍しく休日だった。そこで僕は立川教会の8時のミサに行った後、そのまま立川柴崎体育館に行って9時から泳いだ。家から出るのに、妻は車で僕はマウンテンバイクでバラバラ。ミサを受けているときには隣同士仲良く座っているけれど、終わるとまたバラバラ。
 すでに11月に入って大気は肌寒くなっているが、僕は全身を水の中に沈めながら、水という愛のドームに包まれている感覚を味わっている。その愛を腕で掻き分け、自分を前に進める。息はしだいに荒くなってくるが、心は無心になり瞑想状態に入っていく。
 ミサの後、そのままプールに行く人はあまりいないが、ミサの後泳ぐと、ミサがずっと続いているような感覚で、祈りが深まっていく。

勘違いしていたお囃子
 これを書いている11月4日月曜日は国立市民祭。大学通りの両側には屋台のお店が建ち並び、街中の山車が大学通りに集結して、お囃子の腕を競い合う。5歳の孫娘杏樹は、3歳の頃から山車の上でおかめの踊りを踊っている。
 家の近くに公会堂があって、そこの物置に山車が収めてある。祭りが近づいてくると毎週水曜日と土曜日の夜に公会堂でお囃子の稽古がある。杏樹は、毎回楽しく参加している。

 時々、太鼓も叩かせてもらっているようだ。ある晩、稽古から帰って来たと思ったら、得意になって、
「あのね、テンテケ・ツクツ・ツクテン・ツクツ、って言うんだよ」
と言う。最初何のことか分からなかった。何故なら、僕たちが聴いていたお囃子のリズムは、ターンカ・タンカッ・タンタン・タッタカというもので、杏樹が言っているものとは全然違っていたからだ。
「じゃあ、お囃子のリズムって変わったの?」
と言ったら、目をきょとんとさせて、
「そうかも知れない・・・」
と言う。

 11月2日土曜日は最後のお囃子の稽古。早々とお風呂に入り、夕食を済ませた杏樹はいそいそと稽古に出掛けて行った。「ドン・パスクワーレ」の舞台稽古が早く終わって一緒に夕食を食べた僕は、パソコンのお部屋で新しい本の原稿を書いていた。
 公会堂からお囃子の音が聞こえてきた。全く同じ繰り返しのリズムの上に乗って、笛がアドリブのメロディーを吹いていく。原稿に集中していた僕は、そのリズムをほとんど無意識の内に聴いていたが、ある時、まてよ・・・と思った。そして次の瞬間、
「あーーーーー!」
と気が付いた。
「そうか、1拍ズレて聴いていたのか。それに、杏樹が習ってきたのは小さい太鼓の叩き方だけで、それに大きな太鼓が加わると我々が聴いていたようになるんだ!」
 それで、中目黒に住んでいる杏奈も含めて、一家4人のLINEに、Finaleで作った譜面を送った。
「謎が解けた!次のような譜面で叩いています。我々は1拍ズレて聴いていたのです!」

写真 我々が聴いていたお囃子の楽譜

写真 本当のお囃子の楽譜


 今日は山車の運行のために、杏樹は9時集合。さっき嬉々として出掛けて行った。この原稿を書き終わったら僕も行ってみよう。残念ながら、その後、新国立劇場に向かわなければならないので最後までいられない。

佳境に入っている原稿執筆
 ここのところずっと集中して原稿を書いているもんだから、目がしょぼしょぼして仕方がない。でもね、みなさん、メインの原稿はほぼ仕上がってきて、手前味噌だけれど、なんかとっても良いものになる予感がしているよ。
全部ではないが、章の項目を順不同で並べてみようか。

生い立ちから信仰の道まで
祈りと音楽
音楽とインスピレーション
名作曲家は本当に偉大か?
最も楽しんだ者が
最も楽しんだ者が(信仰編)
 特に最後に列挙した「最も楽しんだ者が」の2章は、一番良い演奏をする人は、一番楽しむことが出来る人だ、と結論づけている。これは、一般的に「苦労をしなければ良い演奏には辿り着かない」という常識と逆で、苦労を苦労だと思わないほど、音楽をやっているのが楽しくて楽しくて仕方がないような人だけが、本当の音楽の歓びを伝えることができるのだと主張している。これは僕の人生における根本原則である。

 また、現在「あとがき」に予定している次の文章では、この本の目的が書いてある。すなわち、芸術家と信仰者とを両立させるための、発想における手引き本の役目を果たしたいのである。
  キリスト者でありながら音楽家であることの“生きる指針”になるような本を書きたいと思っていた。
本当は音楽家に限らず、広く芸術家の皆さんに読んでいただきたいと思うが、私自身が音楽家であることから、自分の体験を元に、とりあえず音楽家に焦点を絞った。

  私は、社会の中で、あるいは教会の中でも、二重に居心地が悪い思いをすることがある。
ふたつとも、自分が音楽家であることによって、みんなが特別な目でみることから来るのであるが、ひとつは、過度に買いかぶられてしまうこと、ふたつめはその反対に、否定的な目で見られることだ。

  すなわち、音楽家は傲慢で派手で、異性関係もルーズで、大言壮語で、罪の意識が希薄などころか自分が神だと思っている・・・などなどである。
そこまではっきり思う人は少ないが、そのようなことを言われたことは私にも度々ある。

  そして、もっと問題なことは、自分自身、キリスト者として、周りの人達と何か違和感を感じることが少なくないことだ。
別に、自分が特別に選ばれた天才で、自分以外の人は凡人などとは決して思っていないが、いざ自分が音楽に向かった場合、あまりに謙虚であまりに自分を卑下していると、決して良い芸術は生まれないことを体験から知っている。
 まだ書き殴っている段階なので、これから各章の原稿全体を俯瞰しながら、推敲にまた膨大な時間がかかると思われるが、それでもヤマは越えて、これがどんな本になるかは、はっきりしてきた。
 皆さん、発行のあかつきには是非買ってください!もちろん未信者あるいは普段キリスト教に全く興味ない人も大歓迎。

またしばらく目がしょぼしょぼの日が続くだろうが、それもワクワク楽しみの代償ということで受け容れよう。



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