「ドン・パスクワーレ」千穐楽と「椿姫」

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「ドン・パスクワーレ」千穐楽と「椿姫」
 大野和士芸術監督時代に入ってから、来日する指揮者はみんなツブが揃っていて、しかも人間的に気さくで付き合いやすい人が多い。今回の「ドン・パスクワーレ」の指揮者コッラッド・ノヴァーリス氏と卓球バーに行ったことはすでに書いたが、実は、「今日この頃」には書かなかったけれど、「エウゲニ・オネーギン」のマエストロであったアンドリー・ユルケヴィチ氏とも、新国立劇場から甲州街道をはさんで向かい側のイタリア・レストラン、マンジャフォーコmangiafuocoで音楽スタッフ達と一緒に楽しい語らいの時を持った。

 ドン・パスクワーレ役のロベルト・スカンディウッツィ氏は、気難しい人だといわれていたのだが、稽古中も公演中も、始終笑顔を絶やさないで機嫌良く千穐楽まできた。年老いたお金持ちという役どころが、彼の年齢にマッチして、歌も演技も実に自然であった。しかも、幕が開いてから、かがむ毎に腰の痛い演技をしたりして、どんどんこなれてきて聴衆の笑いを誘っていた。

 手前味噌になるが、新国立劇場は、今やキャスティングとかいう表に現れる部分だけでなく、その表に現れている人たちがリスペクトを持ってくれるような成熟した劇場に成長している。舞台スタッフや、照明、美術、衣装、ヘヤメイク、そして事務局、どこをとってもソツがなく、キャスト達に不必要なストレスを与えない。そんなわけで、僕たちがごく自然に仲良しになってき易い環境が整っているともいえる。

 そして迎えた千穐楽。11月17日日曜日には、なんとなくみんな感傷的になっていた。アマチュアだと、みんなで盛大に打ち上げ、なんてやるが(プロでも一部には毎日打ち上がっている人もいなくはないが)、プロはそんなことやっていたら体がもたないので、淡々と仕事をこなすのが普通だ。
 今原稿を書いているのは18日月曜日午前中だけれど、今日はもう14時から21時まで「椿姫」立ち稽古という具合に、ひとつがおわる前に、平行して次の演目の練習に入っているので、千穐楽を終えても休む暇もない。

 しかしながら、稀に、過ぎ去るのを惜しむ公演がある。そんな時って、実は、そのプロダクションが結構楽しかったということなんだよね。それで、あまりこういうこともないんだけれど、最後のカーテンコールが終わった後、幕の後ろでキャスト達が揃って写真を撮りたいと言い出した。それで、みんなで並んで写真を撮った。僕の左側がマエストロで右側がスカンディウッチ氏。ほら、楽しそうに笑っているだろう。

写真 ドン・パスクワーレ千穐楽の幕の後ろで記念写真
ドン・パスクワーレ千穐楽


 この千穐楽の公演を「椿姫」のマエストロであるイヴァン・レプシッチ氏が観に来ていた。合唱の立ち稽古が14日木曜日から始まって、すでにマエストロとも一緒に仕事している。
 彼は、クロアチア出身で、大野和士氏の最初の海外進出のきっかけとなったザグレブ・フィルの音楽監督だった時代に、ザグレブ音楽院で大野氏から指揮を習ったと言っていたし、大野氏がバーデン州立歌劇場の音楽監督だった時代には、アシスタント・コンダクターとして務めていたと言っている。
 指揮自体はあまり大野氏とは似ていないが、若いのにかなり才能のある指揮者だと思う。この夏までハノーファー州立歌劇場音楽総監督を務め、現在、ミュンヘン放送管弦楽団首席指揮者。それなので僕とはドイツ語で会話している。

 不思議なもので、ドイツ語の方が慣れているはずなのに、ここのところずっと「エウゲニ・オネーギン」のマエストロとも「ドン・パスクワーレ」のマエストロともイタリア語で話していたので、ノリと勢いで話し始めたが、話している間に最初に頭に浮かぶのがイタリア語なので具合が悪い。どうもイタリア語とドイツ語って真逆の感じがして、言葉の移行が困難だ。
 イタリア語とフランス語の移行はまるでギャップがない。英語は元来がゲルマンの言葉ではあるが、ある時フランスの王様が英国の王様になった時代があって、英語にフランス語を介して大量のラテン語系の言葉が入り込んだため、語彙に関してはもはやゲルマン語とはいえない。だから、イタリア語、フランス語を話していて英語に行っても、不思議とギャップはないのだ。
 そんなわけで、ドイツ語でマエストロと会話していて、ふいに自分がイタリア語の語彙を使っているのに気付くが、イヴァンはイタリア語も分かるので、さり気なくスルーしてくれる。その気遣いが嬉しい。

 彼は紹介の時に、
「『イワンの馬鹿』のイヴァンでーす」
と軽いノリで言った。僕たちはすぐに仲良くなった。
 ひとつのプロダクションが終わって、また次のプロダクションが続く。秋はだんだん深まってきて、スキー・シーズンの到来が待ち遠しいが、新国立劇場はシーズンたけなわな「今日この頃」である。

新町文化ホールで「おにころ」を思う
高崎市新町文化ホールは、本来新町歌劇団の本拠地として、ミュージカル「おにころ」初演をはじめとして様々な公演を行ってきた。「おにころ」はこのホールで6回の公演を重ねた後、群馬音楽センターで第7回及び第8回公演を行った。そして来年7月はいよいよ新しい高崎芸術劇場において第9回目の公演となる。

 しかし僕は、この文化ホールを忘れたことはない。マグダラのマリアを主人公にした「愛はてしなく」も、パリを舞台にした「ナディーヌ」も、そして「ノアの方舟」も「マジョリン」も「魔笛」も「カルメン」も、みんなここで上演された。
 「おにころ」を群馬交響楽団と共に大劇場でやらせてもらえるのは、作曲家としても指揮者としても光栄であるが、僕の劇場感覚は、小アンサンブルで、すぐ後ろの観客の反応や息吹を肌で感じながら指揮した、このわずか500席の新町文化ホールで養われたのである。

 このホールでは、毎年11月に「ふれあいコンサート」を行っていて、新町歌劇団も毎回出演している。たいていその時に練習している演目の抜粋を演奏するのだが、そうなると当然「おにころ」からの抜粋の頻度が多くなる。
 11月17日日曜日の「ふれあいコンサート」も、「おにころ」から「神流川(かんながわ)」と「愛を取り戻せ」。17日は新国立劇場で「ドン・パスクワーレ」千秋楽なので、僕は残念ながら出られないが、16日土曜日の晩は、最終練習を新町文化ホールでやらせてもらえるというので、「ドン・パスクワーレ」公演終了後、湘南新宿ラインで新町に向かった。

 懐かしい建物に入ると、いつもの匂いがする、ホールの扉を開けたら、猿谷友規君が舞台上で発声練習をしている。いつものような残響で、いつものように声が客席に響いていくが、通常の新町歌劇団の響きよりもずっと厚い。それもそのはず、この10月から新たに発足した「おにころ合唱団」のメンバーが加わっているからだ。
 おにころ合唱団は、新町歌劇団を内に含んでいるが、来年の公演に向けて一般公募で集まったメンバーも加わり、現在約40名。高崎財団の「おにころ」公演予算とは別に独立採算で、通常、毎週土曜日に高崎中央公民館で練習を行っている。
 16日は通常練習日であるが、その一方で、新町歌劇団としては毎年恒例の「ふれあいコンサート」に出るため、練習曲目をコンサートで歌う2曲に絞り、練習場所を文化ホールに移して、半ば通常練習、半ばコンサート前の最終練習として行った。そのため、土曜練習には出るが本番には用があるため出られない、という団員もいる。

練習が始まった。「神流川」が響き渡る。

光溢れる空の色
水面(みなも)に映し出し
いのち育む水底に
さかな達憩い遊ぶ
この歌詞を作った時、僕は髙田三郎の「水のいのち」を思い出していた。
空の高みに こがれるいのち

山にこがれて 石をみごもり
空にこがれて 魚をみごもる
(髙野喜久雄 詩)
 「水のいのち」のような精神的緊張感はここにはない。けれども、水面というのは、重力に従って下へ下へ流れるしかない水と、成層圏まで広がる大気との接点。そこに光溢れる空の色を映し出すことによって、高みをこがれる気持ちを占めそうとする川。それは我々人間の低さと、そうでありながら少しでも崇高なものを求めようとする姿の表現である。
 さらに、自らは低さ弱さの中にあっても、人は、その欠乏の中からですら、より小さき者を慈しみ育むことができる。そして、それによって低さ弱さは、逆に高められ強められるのである。僕はそれを川の包容力にたとえてみた。

 不思議なもので、この詩を作ったのは33歳から34歳の頃。作った当人ながら、自分の想いを上のような文章で表すことはできなかった。でも、そう考えていたことは事実だ。年を経て、いろいろ経験を積み、あらためて自分の歌詞に教えられるなんて!

 それから「愛をとりもどせ」を練習した。団員の中からおにころ役と桃花役の二人を立てて行う。この歌詞にもウルウルきた。
君もおにころ 憎しみには愛を
決して 憎み返しては いけない
君が弱いからじゃない
強い人とは 愛を貫き通す人のこと
 「憎しみには愛を」というのは極端できつい言葉だとは思う。またミュージカルの歌詞としては、いかにも硬い表現だとも思う。でも僕は、「いじめには優しさを」とか「怒りには許しを」とかではなく、激しく「憎しみ」に「愛」を対比させたかったのである。
何故か?それは以下の聖句からの影響である。
あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
(マタイによる福音書第5章43-44節)
 僕は、まだ洗礼を受ける前、この聖句を読んで、これは不可能だと思った。しかし・・・まてよ・・・とも思った。不可能に見える。でも、それだからこそ、これは紛れもなく神の言葉なのではないか!それがきっかけとなって、僕は洗礼を受ける決心をした。イエスに対して、
「この人について行こう」
と思ったのだ。
 つまり、この世的世界観にどっぷりとつかって、自己と他が完全に分離され、敵と味方、自分に賛同してくれる者と自分に批判的な者、仲の良い人と感じの悪い人がいる、という人間同士の分断の想いは、人間の真実の姿ではないのだ、と神は一刀両断に言い切っている。
 「人類みな兄弟」というのは単なる甘い幻想でもなければ、ただのキャッチフレーズではない。ひとりひとりの魂はすべて創造主から出てつながっているのだ。どの神?キリスト教の神?イスラムの神?仏教の神?神道の神?それらの分類はすべて無意味な問いなのだ。
 教皇フランシスコは言う。
「カトリックの神などというものはありません」
神といったら神なのだ。神とは、すなわち宇宙のおおもと。生命のおおもと。在ろうとするエネルギー。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、
左の頬をも向けなさい。
(マタイによる福音書第5章39節)
 これも、文字通りとって抵抗感を持ってはいけない。イエスはこの言葉をもって、徹底して、憎悪の連鎖、悪のスパイラルを断ち切りなさいと言っているのだ。負の連鎖は、誰かが断ち切り、憎しみを越えて互いにつながろうとしなければ、人類が互いにしあわせになることは永久にできないのである。
手をつなごう 全ての兄弟
エゴイズムの彼方に 光を探そう
君の強さ 君の優しさ
それを人のために使おう

愛をとりもどせ 人と人の間に
夢を描こう 僕たちの未来に
Love, come back again ! Love, come back again !
信じ合うなら この世は変わるよ
 「神流川」の歌詞同様、30代半ばにさしかかろうとする頃の僕には、ここまで具体的に言葉で説明できなかった。でも、これまでに自分の胸の中に秘めていた想いが、書き始めたら奔流のように溢れ出てきて、一気に書いたのはよく覚えている。
「『全ての兄弟』という言葉が、とってもキリスト教的ですね」
と感想を述べた人もいた。その方は別に否定的には言っていなかったが、もしキリスト教的印象が人によって抵抗を呼んでしまったら本意ではない。今僕が新しく歌詞を書いたら、こんな硬い言葉は使わないで、もっと引っ掛からない言葉で書くのだろう。
 しかしながら、そうした、心から出てきたまんまの稚拙な生硬い言葉だったからこそ、聴いている人たちの心に真っ直ぐ届いたのかな、という思いも抱く。

 1991年、僕が36歳の時に新町文化ホールで初演された「おにころ」は、2020年、29年もの時を経て、新しい高崎芸術劇場で9回目の公演を迎える。その時、僕は65歳となる。台本は少し変えるしオーケストレーションも変える。でも、歌詞はあえて変えない。



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