フランシスコ教皇来日の意味

 

三澤洋史 

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フランシスコ教皇来日の意味
 何故かこれまで意固地にローマ法王とテレビなどで報道していたのが、数日前突然、まるで当然のようにローマ教皇と言い方をあらためた。しかも、全ての報道関係が何の漏れもなしに一斉にだ。この徹底の仕方が不気味。それで調べてみた。

 ローマ法王という言葉は、バチカンの駐日大使館の設置当時に「ローマ法王庁」という表記で申請があったことによる。カトリック教会では教皇を使用しているが、日本政府は、バチカン政府から表記変更があれば応じるが、今までなかったので、そのままになっていたという。
 しかしながら、外務省、日本政府は、教皇訪問直前の11月20日に、突然方針転換を決定したという。バチカン政府やカトリック教会側から要請があったわけではなく、日本側の判断だという。今回、政府が招聘に関わっているので、ここにきてバチカンへの忖度が働いたのであろう。だったらもっと早く変更すればよかったのに・・・・。

 この原稿を書いているのは11月25日月曜日の午前中。先ほど、妻、次女の杏奈、そしてもうすぐ6歳になる杏樹の3人がいそいそと東京ドームに向かって出掛けて行った。階下では、長女の志保がピアノを練習しているのが聞こえる。僕も志保も午後から仕事のため、パパ様(カトリック教会ではこう呼ぶ)の司式するミサには出席できない。
 通常の立ち稽古とかだったら、ごめんなさいして休めるのであるが、今日は「椿姫」のオーケストラ付き舞台稽古。どうしても現場を離れるわけにはいかない。

 フランシスコ教皇のことはとても尊敬している。その想いを、カトリック月刊誌「福音宣教」に今年の1月号コラムとして書いた。その文章を元に変更を加えたものを書き出してみる。

僕は、彼が教皇になった当初から、次々と発信するメッセージに驚いていた。回勅「ラウダート・シ」では、環境危機や社会危機にまで踏み込んで信仰者としての関わりを問う姿勢が衝撃的であった。そして、彼の半生を描いた映画「ローマ法王になる日まで」を観て僕は決心した。彼にどこまでもついて行こうと。

軍事政権下でのアルゼンチン。35歳の若さでイエズス会のブエノスアイレス管区長に任命されたベルゴリオ(教皇の本名)は、カトリックの神父や信徒たちが 罪もないのに次々と逮捕され殺害されていく状況下で、教会を護らなければと必死であった。
ダニエーレ・ルケッティ監督がこの映画で描こうとしたのは、迫害に対する勝利者としてのベルゴリオの姿ではなかった。むしろ、その中で為す術も持たないベルゴリオの無力感が克明に映し出されている。
映画の中で、スラム街でミサを捧げていたイエズス会のふたりの司祭が軍によって拘束され、激しい拷問を受けるシーンが出てくる。実際にふたりは、約5ヶ月 間に渡って、5000人もの政治犯が殺された施設内で拷問を受けていたというが、彼らを「ベルゴリオ管区長は見捨てた」とする意見がアルゼンチンには現在でもあるという。
それに対する反論も、
「ベルゴリオが軍事政府に荷担したことは決してないが、ふたりの保護に積極的に動いた形跡もなかった」
ということだ。

事実はどうでもいい。むしろ大事なのは、仮に誰にも責められなくても、彼自身が全て受けとめていることだ。そんな彼に、イエスを三度裏切ったペトロの姿が重なる。ペトロは、復活したイエスに赦してもらった後でも、自分自身を決して赦すことが出来ず、だからこそ、その後の捨て身とも言えるほどの福音宣教活動があった。
「真の愛は恐れを知らない」というが、同じように、深い悔恨も、死をも恐れぬほど果敢になるエネルギーを提供する。無知な故にイエスの弟子たちを迫害していたパウロしかり、七つの罪を赦してもらったマグダラのマリアしかり。
そのベルゴリオが、今や教皇という最大の地位を得て、今度はなりふり構わず教会のタブーを破っていく。これまでのどの教皇が、マフィアに対して破門を突きつけただろうか?また、
「教会の内部にも悪がはびこっています」
などと赤裸々に語っただろうか?

かつてヨハネ・パウロ2世は暗殺されかかったが、フランシスコ教皇もまた、敵 を作ることも厭わず、場合によっては銃弾に倒れることすら厭わずと思っているかも知れない。だからこそ僕は祈る。
フランシスコ教皇の想いが、滞りなく遂行されますように。彼の改革が世界中で成就しますように。彼がいつまでも元気で、納得のいく生涯を生き抜くことができますように。
 フランシスコ教皇は、24日日曜日、被爆地の長崎と広島を訪れて演説し、核兵器の廃絶を強い言葉で訴えた。
「戦争のために原子力を利用することは、犯罪以外の何ものでもない」
「使用も所有も倫理に反する」
などと非難し、長崎では、
「核兵器は安全保障への脅威から守ってくれるものではない、そう心に刻んでください」
と、各国の政治指導者に向けてメッセージを送った。(朝日新聞の記事を元に)

 「ローマ教皇はただ祈る人」のようなイメージがあるかも知れないが、彼は就任以来、一貫して行動の人であり、現代の世の中に起きている様々な問題に具体的に言及しているのである。もちろん彼は“政治的活動”をしているわけでもないし、彼の言葉には何の政治的強制力もないが、多くの国が宗教の名の下に(アメリカをはじめとしてキリスト教国も多い)軍事行動や環境破壊などを平気で行っている矛盾を突きつける役目は果たしているだろう。そしてその言葉は、アメリカのトランプ政権に追従する安倍政権にも向けられている。

ふたつの講演
 今週はふたつの講演をかかえている。ひとつは真生会館の「音楽と祈り」講座。もうひとつは、僕が理事をしている京都ヴェルディ協会の例会である。

 11月28日10時半から始まる真生会館「音楽と祈り」11月講座は、今年は12月1日から始まる待降節にちなんだ内容となる。教会の暦は12月25日のキリスト降誕祭を基準にし、その前4週の日曜日を、救い主降誕の準備のための待降節と定め、それを1年の初めとした。12月25日は毎年変わらないのであるが、それが何曜日であるかは変わるため、1年の初めの日が年ごとに変わるという不思議な現象となっている。
 待降節の聖書朗読は、第1主日が、世の終わりの時のキリストの来臨の話題。第2主日と第3主日は、キリストの先駆者である洗礼者ヨハネの話題。そして第4主日は、キリストの降誕の実際の準備としての福音書内容になる。
 僕は、講座の前半で第1主日から降誕節の前までの説明をし、後半では、救い主の到来の内容を持つ、ヘンデル作曲「メサイア」第1部を、特にイザヤの預言書を紐解きながら、霊的な意味から説明していく。

 その待降節の間に大切な祝日がある。それは「無原罪の聖マリアの祝日」である。元来12月8日なのであるが、今年はちょうどその日が待降節第2主日(つまり日曜日)に重なってしまうため、一日遅れて12月9日に祝うことになる。
 不思議なことに、マリアのふたつの大事な祝日は、12月8日が太平洋戦争勃発の日と重なり、「聖マリアの被昇天の祝日」の8月15日が終戦記念日と重なっている。また12月24日の真夜中の出産を睨みながら「聖マリアの受胎告知の祝日」は3月25日。だいたい計算が合う。
 僕は、この講座の中で、ちょっと寄り道してマリアの「ある秘密」に触れる。え?何だって?それは内緒です。どうしても知りたい方は、講座に来てね。

 京都ヴェルディ協会の演題は、「新しいサウンドと表現の追求~ヴェルディからプッチーニへ」である。準備を始めた当初は、中期以降のヴェルディを脅かすワーグナーの影と作風の変化についてまず語ろうと思っていたけれど、準備を進めていく内に、ちょっと考え方を変えた。
 確かに和声的な色彩感や管弦楽法ということを考えていくと、ヴェルディはワーグナーに脅かされていたかも知れないけれど、その点に焦点を絞ってしまうと、逆にヴェルディの独創性が見えなくなってしまうのだ。

 そこで僕は、まずロッシーニ及びドニゼッティに触れ、独創的なことをしようとするオペラ作曲家にとって最大の敵は「オペラの中に娯楽を求める聴衆」と主張する。才能はあるが怠け者だったロッシーニは、現在の著作権・創作概念からみれば考えがたい行動をとっていた。同じ旋律を使い回すのは朝飯前で、「セビリアの理髪師」序曲は、「パルミーラのアウレリアーノ」に転用され、さらに「イングランドの女王エリザベッタ」でも、丸写しして使われた。「ランスへの旅」を、細部を手直ししただけでコミックオペラ「オリー伯爵」に作り替える、などという乱暴なこともしている。

 でも、ロッシーニにも良心の呵責はあるのかね。彼はある時ベートーヴェンを訪ねる。
「たいそう人気だね」
というベートーヴェンに対し、
「いやいや、私の作品など、ハイドンやモーツァルトに比べれば気の抜けたビールのようなもんでさあ」
と謙遜した後、ベートーヴェンに教えを乞おうとした。するとベートーヴェンは、
「君はギャラをいくらもらっているんだね?」
と尋ねるから、その額を言うと。
「ふうん・・・そんなにもらってるんだったら、何も私のところになんかくる必要ないじゃないか」
と言って追い返したという。その後、ベートーヴェンは友人に、
「みんな私の価値なんか分からないで、ロッシーニのオペラなんかに浮かれている」
と、こぼしていたという。
 ロッシーニはまだ若い内に、突然嫌になってオペラの筆をぷっつり折り、二度とオペラを書かなかった。晩年になってから彼は、なかなか複雑で味わいのある宗教曲を書いている。一方、ドニゼッティも大人気の作曲家であった。彼はロッシーニとは違って自分の作風に空しくなることもなく、なんと70曲ものオペラを書いた。
 これは何を意味しているのかというと、クラシック音楽の作曲家に対する歌謡曲の作曲家と同じで、娯楽を求める一般聴衆の心を掴むコツさえ習得すれば(それとて簡単ではないのだが)、作曲は簡単で、逆にあまり芸術的な曲は人気の邪魔になるのである。

 そこに一石を投じたのがヴェルディのオペラだ、というところから僕は本論に入っていきたい。それで、晩年になるとヴェルディのオペラは「古い」と思われ、後のヴェリズモ・オペラの作曲家やプッチーニ、ドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、アルバン・ベルクなどの新しいサウンドに駆逐されてしまった、と言われているが、本当にそうだろうか?という疑問から、自分なりのヴェルディ論を展開してみよう。
 ヴェルディ協会の講演だから、ヴェルディの肩持って、というわけではない。若い頃にはバリバリのワグネリアンで、それに比べると単純なヴェルディのことをどことなく馬鹿にしていた僕は、最近どんどんヴェルディを見直してきているのだ。

僕は菅田さんを信じている
 9月にオープンしたばかりの高崎芸術劇場に激震が走っている。なんと館長である菅田明則(すがた あきのり)氏と副館長の佐藤育男氏が逮捕されてしまったのだ。逮捕の理由は官製談合。すなわち、劇場の照明設備の備品購入をめぐり、阿久沢電気社長の阿久沢茂氏に予定価格5800万円(税抜き)を漏らし、5680万円で落札させたというものである。
 劇場で使用するムービングライトは外国製品で、地元でそれを扱っている業者は阿久沢電気のみということで、購入後のメンテナンスなどを含めると、どうしても阿久沢電気を通して購入させたかったと菅田氏が考え、佐藤氏を通して働きかけたということである。 (出典 上毛新聞ニュース 2019/11/20 から)

 僕は菅田さんを知っている。これまでに何度か会っているが、はっきり言って、高崎芸術劇場で、僕たちの世界のことに精通している人は唯一菅田さんしかいなかった。舞台機構のこともよく知っているし人脈もある。この人に任せておけば、新しくオープンする芸術劇場は大丈夫であるし、何かあったら、この人に言えば動いてくれるであろうという確信があった。

 菅田さんの逮捕後、高崎市長の富岡賢治氏は、菅田さんのことをこう評価している。

劇場の企画を中心でやっていた。企画力と人脈がずばぬけている。
市長選に出る9年半前に紹介してもらった。
癖のある人だから、いろいろ評価があったが、私は買った。
仕事ぶりは余人をもって代えられない。

彼の存在が大きくなっていることは事実。
劇場に有名人を呼ぶのに彼の人脈を使っている。
週1回くらい会っていた。
館長は財団の中で決めるが、事実上、私がお願いする。
私にも任命責任と監督責任がある。
(出典 上毛新聞ニュース 2019/11/20 から)
 富岡氏も、見識と決断力のある人である。いいと思ったら即決する。僕の作ったミュージカル「おにころ」も、初めて群馬音楽センターで群馬交響楽団と公演した際、助成金を出してもらったが、はっきり言って富岡氏にとって、内容に関しては、当時は半信半疑であったろう。でも、本番を自分の目と耳で味わってからは、彼は考えを変え、最大限の評価をしてくれるようになった。
 それが来年7月の高崎芸術劇場での公演につながった原因である。しかも当初は、オープンした今秋に劇場主催の「こけら落とし」として上演できないか?と言ってくれたのであるが、新国立劇場につかまっている僕は、「エウゲニ・オネーギン」「ドン・パスクワーレ」「椿姫」と立て続けに公演している最中だもの、無理に決まっているのですよね。
 そうなると、僕の場合、次の夏に上演するしかないのだ。すると年度が変わってしまって、もう「こけら落とし」の意味はなくなってしまう。それでも高崎芸術劇場主催公演でいいよと言ってくれた背後には、富岡氏だけでなく、絶対に菅田さんの助言があったと思う。

 さて、例のムービングライトの件に対し、富岡氏はこうコメントしている。
(予定価格を漏らしてはいけないと言うことに対しては)基礎基本で知っていると思う。
私は工事とか備品の購入は地元の会社を使えという方針は出している。
どこの会社にしろとかは一切言わない。
今回のムービングライトは東京にしかなく、いくらで買えるのか分からない。
業者に見積もりさせる。
その時に予算に収まらないと、もっと安くならないの、なんて会話をする。
その時に役所はいくらまで出すと言っているの、という会話になると思う。
公共事業の時に見積もり合わせをやる。
芸術劇場は240億円と議会で決まり、びた一文増やさなかった。
予算の範囲内でやるわけだから、担当者は苦労する。
今回はどういう会話があったのか分からないが、法令について組織できちっとやっていないと反省した。
(出典 上毛新聞ニュース 2019/11/20 から)
 ムービングライトは最新の劇場では常識だ。僕も「おにころ」で使わせていただくつもりでいる。だからムービングライトをあきらめたら?という議論は不毛だ。この規模の最新劇場なのにムービングライトもないの?と後で笑いものになるだろう。
 一方、富岡氏からは地元の業者をなるべく使え、という方針が出ていて、阿久沢電気しか扱っていないとなった場合、阿久沢電気に発注するためには、他にどういう方法があるのか僕は知らない。菅田さんたちを弁護するわけではないが、彼らも追い詰められたに違いない。

 だいたいにおいて競争入札という制度は、どう見ても最良の制度でないと、僕はかねがね思っていた。例を挙げれば一目瞭然だ。新国立劇場合唱団指揮者の地位を競争入札させた場合、どういうことが起きるのだろうか?僕の他に何人もの合唱指揮者が並び、その中で「一番安く報酬を要求した人が」落札されるわけである。
 クオリティーを最優先する芸術の世界では考えられない選抜の仕方だ。報酬の面でも、一番優秀な人が一番ギャラが高くなかったら、誰が切磋琢磨してあの高みをめざせ!と努力するか。

 談合はいけないことだと言われている。でも、もし競争入札において、本当に自由競争になったら、各業者は、仕事が欲しいために反対のオークションのようにどんどん提示価格を下げていく。あまりに安くなったら、仮に落札されてもその値段ではやっていけない。
 これは、ごく最近の話であるが、東京オリンピックの空手で使うマットを調達するため大会組織委員会が行った入札で、ある業者が1円で落札していたという。組織委員会は、「業者が今後の事業活動に有益だと判断して決めた金額で問題ない」
としているが、通常500万円程度するマットを1円で出せるのは、それを将来の投資と考えられる余裕のある一部の大企業でないと無理だ。これが競争入札の、ひとつの行き着いた姿である。

 では、談合を認めると僕は言っているわけではない。談合にはひとつだけ重大な欠点がある。それは、ヨソ者を決して入れない、ムラ社会の中の既得権を前提にしたやり方なのだ。そのムラ社会の中で仲良くやっている内はいい。でももしその中で、誰かが村八分のような状態になったら、その人には永久に落札が回ってこないことになるし、反対に誰かが抜け駆けをして、みんなに黙って低価格の見積もりを出したりしたら、袋叩きになるだろう。いずれにしても、日本にありがちな、陰湿なイジメの温床になっているやり方なのである。

 これから言うことは、僕の単なる憶測でしかないので、「つぶやき」として聞いていて欲しいのだが、今回の件で、一体どのような経路で菅田さんたちの事は発覚したのだろうか?もっとはっきり言うと、一体誰が菅田さんたちのことをチクったのだろうか?これも、高崎市のムラ社会の中で起こった出来事という可能性はないのだろうか?

 一通り指定業者から見積もりが出揃ってこないと、高崎市としては、入札予定価格は分からないはずである。その時、一番安い価格を出してきた会社が当然あったわけだ。それがたまたま阿久沢電気だったら問題なかったわけであるが、そうでなかったから、菅田さんから指示を受けて、佐藤副館長が阿久沢電気に出向いたのではないか?
 その際にもしですよ。談合が行われていたとすると、一番安い見積もりを出した会社よりも、阿久沢電気がさらに安い価格で落札したということになる。そうなれば、阿久沢電気は、いわば談合破りをしたことが一目瞭然なわけで、落札を見込んでいた会社からすれば許し難い行為ですよね。それで怒ったその会社が阿久沢電気に復讐をしたとか、あるいはその会社が、「阿久沢電気が抜け駆けした!」とみんなに告げて、みんなで阿久沢電気を懲らしめたとか・・・いやいや憶測にしか過ぎませんよ。
 また、別の可能性もある。富岡氏が会見で言っているように、菅田さんは癖のある人だという。僕の業界では癖のない人なんかひとりもいないので、僕には全くマトモな人にしか見えないのであるが、そうすると、もしかして敵が多いということもあって、誰かに貶められたか、あるいは富岡氏も決断の人だから、その決断から漏れた人の逆恨みに遭ったか・・・だって、安倍晋三さんだって大臣の辞職で任命責任を問われて揺さぶられているではないか。
 いずれにしても、どうもね、僕はターゲットが菅田さんそのものではなくて、とばっちりを受けたように感じられて仕方がない。勿論、菅田さん個人が、自分の意思で官製談合という犯罪に手を染めたことは事実ではあるのだが・・・。

 僕は、菅田さんという人間を信じている。
「劇場が出来ても、それで満足しておしまい、という所がほとんどなんですよ。劇場自体がきちんとポリシーを持ち、打ち出すものは出し、内容が充実しないと意味がないんです。行政のやり方に従うだけでは、右を見て左を見て、とやっている間に、何も出来なくなってしまいます。そういう例を沢山見てきました。その意味でも菅田さんに期待します。僕も協力しますから、勇気を持っていろいろ推し進めてください」
という僕の意見に、菅田さんは僕の目をしっかり見つめて、
「分かりました」
と答えた。
その瞳には嘘はなかった。

 今回の件は確かに犯罪ではある。でも菅田さんが純粋に芸術的な情熱で行ったのならば、気の毒というしかない。しかしながら、もしその際に、菅田さんが阿久沢電気から個人的に金品を受け取っていたとかいう事実があったとしたら、話は別だ。そうなったら僕は、菅田さんの人間としての品性を疑うが、そうでない事を祈っているし、そういう人でないことを信じている。

 それよりも、もっと大事なことがある。こういう事件の後では、えてして保守的な、何のポリシーもない人が館長及び副館長として就任する恐れがある。むしろそちらの方を心配している。
せっかくオープンした素晴らしい劇場なのだから、絶対に“宝の持ち腐れ”にはしたくないのだ。



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