スウェーデン大使館での昼食会
11月27日水曜日。スウェーデン大使館から招待されて昼食会。なんで僕のところにいきなり招待状が来たのか分からないが、スウェーデン放送合唱団が来日中で、新国立劇場合唱団指揮者ということで呼ばれたのだと思う。
このスウェーデン放送合唱団は、アカペラなどのコンサート用合唱団としては世界一のレベルだと思っている。以前、NHK交響楽団の定期演奏会でブロムシュテットの指揮で、このスウェーデン放送合唱団がバッハのロ短調ミサ曲を演奏したのを聴きに行ったことがあるが、その透明な声と緻密なアンサンブルに深く感動した。それ以来、僕がバッハ演奏の理想的な響きのひとつとして拠り所にするのが、他ならぬこの合唱団の発声法である。
スウェーデン放送合唱団は、前の日に東京オペラシティのタケミツ・ホールで演奏会をやったばかりなので、オペラシティ理事長である松山保臣氏などが呼ばれていた。あと合唱関係といえば、少年少女合唱隊の長谷川冴子さんや岸信介さんなどが出席していた。
実は、僕はこの合唱団の指揮者であるペーター・ダイクストラをよく知っている。2010年にバイロイト音楽祭のゲネプロを見に行った時に、ミュンヘン在住の中国系シンガポール人で、祝祭合唱団の団員であるメンの家に呼ばれて一緒に食事をしたのだ。メンの作る中華料理は天下一品なのだが、ペーターと食べながらいろいろ話していく内に、僕と彼とはとても価値観とか似ていて、どんどん意気投合していったのである。
その時には、彼はバイエルン放送合唱団の合唱指揮者も兼ねていて、次の年の冬にバイエルン放送管弦楽団と共に合唱団も来日することが決まっており、だったら新国立劇場合唱団と共演したらいいのに・・・なんて勢いついでに話して二人でめちゃめちゃ盛り上がって・・・その後、日本に帰ってから僕もいろいろ画策したけれど・・・まあ・・・金銭的なことが絡むので、そう簡単に事が運ぶわけもなく、その話は立ち消えになってしまった。
だから、今回のご招待は彼が呼んでくれたのかな?と思ったけれど、ペーターも知らなくて、
「今日は、どうしたんだい?」
と言うから、
「あれ?知らないの?ま、僕とすると、君に会えるから来たんだけどね」
という感じで久しぶりにペーターとの会話が始まった。
バッハの話や、合唱指揮者としての振るまい方の話など、他の人たちには申し訳ないけれど、僕が彼を独占したような感じで、ビュッフェ形式の昼食会のほとんどの時間を彼と話して過ごした。若いのに本当にしっかりした奴だ。
「指揮者って友達が出来ないよね。ある団体の監督をしている時には、その団体の特定の人とだけ仲良くし過ぎないようにしている」
と言うから、
「ヘッドに立っていると、悪口言う人や敵も多く、孤独になるから、普通は自分に好意的にしてくれる人に飛びつく傾向があるじゃない。ペーターは若いのにしっかりしているね」
などと話した。
ビュッフェ料理は、鹿の肉やサーモンなど、スウェーデンにちなんだ料理が出ていて美味しかった。その日の夜には東京バロック・スコラーズの練習があるので、最初は麦茶を飲んでいたが、ローストビーフを食べるときにワインを頼んだら、やっぱりこういうところで出すワインは美味しいね。ほろ酔いで、一度家に帰ってちょっとお昼寝をしてから、夜の練習に向かうため、再び家を出た。
「音楽と祈り」講座と聖母のこと
11月28日木曜日。真生会館の講座。演題は「待降節とメサイア第1部」。前半は待降節の説明。Adventoという言葉は、「~へ」を表すadという前置詞と(イタリア語及びフランス語ではa)、「来る」を表す venireという動詞の組み合わさったadvenireの過去分詞から名詞になったものである。単純に言うと「到来」を表すが「この地上にだんだん来るのを待ちわびる」の意味も(拡大解釈ではなく言葉からも)ある。
それは、単に2000年前に生まれた幼子イエスを待ちわびるだけではなく、同時に、終末におけるキリストの再臨を待ちわびる意味もあると、「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」では語られている。
中央協議会の出しているホームページによると、教義的には、待降節第1主日の福音朗読を初めとするテーマは、「時の終わりにおける主の来臨」であり、第2主日と第3主日は、キリストの先駆者である洗礼者ヨハネについて、第4主日はイエスの降誕の直前の準備となった出来事について述べられているとある。
講座の後半は、イザヤの預言書を紐解きながら、キリストの降誕の場面だけを取り除いたヘンデル作曲「メサイア」第一部を聴いていった。すると、メシア(救世主)がいかにユダヤ人たちに待望されていたかが分かり、さらに第一部最後のレチタティーヴォ、アリア、合唱曲を通して、イエスが一体何をしに地上に現れたのかがよく分かる。
イエスは本来、人々の間に“愛”と“魂の癒やしと安らぎ”とを与えるために、最も弱き幼子の姿で貧しいうまやに生まれ、そして、人々が安らぎを持って人生を生き抜いていくことを教えに来たのである。
イザヤの預言 第35章
5)その時、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。イザヤの預言 第40章
6)その時、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
11)主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、マタイによる福音書 第11章 28-19
子羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
28)疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。さて、この日僕がこだわったことはもうひとつあった。それは、本来12月8日が祝日である「無原罪の聖マリア」の日についてである。実はこの日、この講座にある人が出席していた。その人のためというわけでもないが、この際だから僕は、聖母マリアという存在に焦点を当ててみて、聖母に対して自分がどう思っているかという態度を表明した。
休ませてあげよう。
29)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
30)わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
嵯峨嵐山へのプチ旅
11月30日土曜日。京都に向かう。今日は抜けるような青空。新幹線の途中で富士山が青空に映えて鮮やかに見えた。何もないところからスーッと寄り集まって美しいカーブを描きながら頂きに達してみたら、それが日本一の高さになったなんて、まさに奇蹟の山だ!
その半分から上が真っ白に輝く雪に包まれている。今までに新幹線から何度も見ているのだが、毎回新たに驚いてしまう。今回も、あっけにとられ、それからうっとりして、橋を渡りトンネルに入って見えなくなるまで、しばらく見とれていた。
今日は、京都ヴェルディ協会の講演会。講演会場は、ホテル・ビナリオ嵯峨嵐山と言ってJR山陰本線嵯峨嵐山駅から徒歩1分のところ。そして宿泊も同じ。京都ヴェルディ協会も、なかなか味なことをしてくれる。11月の最終日。絶好の紅葉の季節に嵯峨嵐山に泊まらせてくれるなんて。しかも、ここは京都駅から各駅でも20分とかからないので、会員さんたちも決して来づらくはないのだ。
僕は、京都ヴェルディ協会の理事をしているのであるが、別に理事会に頻繁に出席しなければならないという義務も負っていないし、実に気楽に関わらせていただいている。そして、たまにこうして講演をし、懇親会では楽しい語らいをして帰ってくるのである。
講演は15時から17時までの2時間。テーマは「新しいサウンドと表現の追求~ヴェルディからプッチーニまで」。その講演の内容に入る前に、ある話をしないといけない。
新国立劇場では、目下のところ「椿姫」の公演が進んでいる。再演の場合は、本来演出家は来ないで劇場付きの演出家が初演のコンセプトの通り演技を付けるのが通常であるが、今回は、初演時の演出家ヴァンサン・ブッサール氏が再び来日して、キャストたちの演技を付けた。
これが素晴らしかった。ブッサール氏は初演時から明らかに進化していて、全ての歌詞にきめ細かく対応した演技を歌手達に付けていく。そして、こう言われたら、相手はこう思い、そしてこういう視線やこういうアクションとなる、と指示していく。
それを見ながら僕はハッと気が付いた。彼がリアルな芝居で演じているのを、音楽と合わせて見ると、全ての間やタイミングが合っているのだ!つまり、ヴェルディは、全てその間を計算に入れたまま作曲しているのである。
その点に関しては、ヴェルディの方がリアリストなのだ。ワーグナーもドラマと音楽との融合を図っている。しかしながら、ワーグナーはセリフの背後で流れるライトモチーフによって、時にはリアルな芝居のタイミングを邪魔されてしまっているという本末転倒が起こっている。
こうした経験によって、もうこんなにオペラの畑で経験を積んでいるはずの僕は、ヴェルディの独創性にあらためて開眼したのである。そして、そのことを講演の前半であますことなく皆さんに告げた。
それから後半はこう講演を続けていった。時代は、ヴェルディの音の古さに見切りを付けて、ヴェルディを見棄てて、新しいサウンドと表現の世界を開拓していったように見えるが、そうではない。
ヴェルディとワーグナーは、互いに違う道を歩んでいるように見えながら、音楽とドラマを結びつけようという意味では、同じ方向を向いて進んでいたのである。サウンドの意味では、ワーグナーは後世の作曲家達に影響を与えているかもしれないが、みんな新しいファッションのようにお洋服を着替えているだけで、音楽とドラマの関係という意味では、前の時代にすでにやり尽くされてしまっているのだ。
ベルク作曲「ヴォツェック」は1925年に発表された。プッチーニは1924年に亡くなっていたが、彼の最後の未完のオペラ「トゥーランドット」の初演は1926年。プッチーニは「トゥーランドット」」でとても新しいサウンドを扱っているが、まだ聴衆と共に歩もうとした。しかしながら、私は個人的に、オペラは「ヴォツェック」のように作品を伴って緩慢な自殺をしているのではないかと思えてならない。
いや、オペラだけではなく、20世紀に入ると全ての音楽がいつしか聴衆から遊離し、人々はその代わりに、サブカルチャーに流れていったのである。シェーンベルクがいくら12音技法の発見によって、
「これでドイツ音楽のこの先100年の優位が保証された!」
と喜ぼうが、人々のこの流れを変えることは出来なかった。
こうしてクラシック音楽は事実上滅びの道を歩み始め、現在に至っている。聴衆の内、何パーセントの人が新しい無調のオペラを望んでいるであろうか?
コンサートピースはジャズ、ロック、ポップスに取って代わられ、オペラはミュージカルに駆逐されていった。プライドの高いクラシック関係の人たちが、それに気付かない、あるいは気付かないふりをしているだけである。
たとえば、最近観た映画の実写版「アラジン」は、どの要素を取っても一番新しい現代オペラよりも優れていて、しかも観ている者の心を打つ。すなわち求められているのである。だから、どんなに古いと言われようが、同じ意味で、ヴェルディは、これからも不滅の輝きを放ち続けるであろう!
さて、僕は講演と懇親会が終わった後、夜の散歩に出て渡月橋のあたりを散策した。また次の朝には、6時にホテルを出て、最初に北に向かい、坂を上がっていって、大覚寺まで足を伸ばした。
「京都、嵐山(らんざん)大覚寺」
という歌が自然に口から出る。「京都、大原三千院」という歌の三番である。大覚寺の裏の大沢池を散策していると、このあたりにも「恋に疲れた女がひとり」出没しそうである。それにしても、京都の紅葉(もみじ)って、どうしてこんなに赤いのだろう。
大覚寺のもみじ
桂川の日の出
朝の渡月橋