三澤洋史のRING 2020

三澤洋史

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キャンプのお誘いと今年のキャッチフレーズ
スキーシーズンの到来
 11月は暖かかったが、やっとお山に雪が降り始め、毎年「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプをやっている白馬五竜スキー場もオープンした。まだ上のアルプス平エリアだけだが、一度ゴンドラのテレキャビンで上部まで登ると、HAKUBA47の主要エリアまで自由にいけるという。東京にいる僕はいても立ってもいられない気分。
「う、うらやましい!」
いよいよ待ちに待ったスキー・シーズンの到来だ!

Bキャンプは大変です!
 さて、これまでの「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」キャンプの申し込み状況であるが、2月22日土曜日&23日日曜日のBキャンプは、ペンションのカーサビアンカが間もなく一杯になる。ぶっちゃけて言うと、一人部屋を希望ならあと3人ほどしか余裕がない。勿論キャンプは、定員を設けていないので、参加そのものは急ぐ必要はないけれど、どうせならみんなと同じペンションに宿泊した方が、講演会及び懇親会のことなど考えると便利だ。
 Bキャンプでカーサビアンカに宿泊を希望する方は、今日にでも申し込んで下さい。なお、これから申し込む方には、相部屋をお願いするか、別の近隣のペンションをお薦めする可能性があります。

Aキャンプへのお誘い
 また、1月22日水曜日&23日木曜日のAキャンプに関しては、平日のためまだ余裕があります。こちらの方が落ち着いてキャンプが出来るので、平日に来ることが可能な方は、むしろAキャンプをお薦めする。
 特にプロの音楽家などは大歓迎なので、どうしようかなと思う方は、是非Aキャンプに参加して下さい。決して後悔させません。僕のような指揮者という立場だと、なかなか楽員や合唱団員たちと個人的な会話も出来なかったりするが、Aキャンプの懇親会では、少なくともBキャンプより、ひとりひとりに丁寧な対応が出来ると思います。是非、仲良くなって、音楽の話もスキーの話もしましょうよ!

早割料金、年内に終了
 キャンプ料金の30.000円は、12月中に申し込むと早割の1割引になって27.000円となります。キャンプそのものはキャンセル料を取らないので、どうしようかなと思っている人も、とりあえず申し込むだけ申し込んでください。逆に、様子を見ていて、1月になってから「やっぱり行こう!」と思っても、その時には定価になってしまうからね。

今年のキャッチフレーズ~「重力と遠心力の相克を体感し音楽に応用」
 スキーというスポーツは、どのレベルでもそれなりに楽しい。自分のレベルに応じたゲレンデで滑りながらも、ちょっと冒険したり、いつもよりもちょっとだけスピードを出してみるだけで、それぞれのスリルを味わうことが出来る。
 何より、周りの雪景色に包まれ、景色がどんどん変わっていく喜びがある。同じゲレンデでも雪質などのシュチュエーションが絶えず変化し、その意味では同じ条件で滑ることは二度とない。

 人がそれぞれの問題意識を持ってスキーに取り組むと、雪は常に嘘偽りなく自分と向かい合ってくれる。地球上のどこにいても、重力と遠心力とは、例外なく法則の通りに働いている。どんな時にも裏切らない。これは凄いことだ。
 角皆君がよく僕に言う。
「ジャンプをするとね、自分がどこにいても地軸とつながっているのを体感出来るんだよ。だから恐がらずに地軸に沿って立っていると、必ず安全に着地出来るんだ」

 スキーは行(ぎょう)のようなものだ。数学者のように計算すれば、全ての因果関係は一目瞭然であるが、大事なことは紙の上でなく、自分の肉体を使って生きたものとして体験するところにあるのだ。考えている暇はない。瞬間瞬間に感じるのだ。
 ターン弧にかかる遠心力を読み間違うと、あっけなく転ぶ。でも、何回も転んで体で覚えると、ギリギリの限界点を知り、それを楽しむことすら出来るようになる。

 僕は、バイクとか運転しないので、滑走する速度が、初めて自転車の最高速度を超えた瞬間、生命の根源から湧き上がってくるような“恐怖感”を覚えた。はっきり言って、
「今転んだら死ぬかも知れない」
と思った。
 しかしながら、その恐怖感が、僕の中の“動物的な何か”を目覚めさせた。僕の毛穴は開き、五感は研ぎ澄まされ、世界がスローモーションのようになった。
 僕は、安全性を確認しながら少しずつスピード値を上げていった。新幹線やもっと速いジェット機に乗っても何もスリルを感じないが、スキーで時速を1km上げるのさえドキドキした。重力と遠心力が拮抗する関係が、わずかな速度差でも劇的に変化するのだ。これを体感するのって、何にも代えがたい疼くような快感だ。

 スキーが何故滑るか、あなたは知っていますか?そして何故止まるか?また、何故滑りながらスピード・コントロールが出来るか?これも、とても複雑で高度な物理的課題なのである。
 ひとつのヒントを教えるね。初心者が行うプルーク・ボーゲンという言葉がある。このドイツ語のBogenは単純に弓形(つまり日本語ではハの字)だけど、プルークPflugという言葉は鋤(すき)という意味で、pflugenという動詞は「耕す」という意味だ。つまり、スキーのスピードコントロールには「摩擦」という原理が働いているのだ。このように、スキーというスポーツは、あらゆる運動において物理的法則を肉体を使って体験し学習する「情熱の物理学」なのだ!

 スキーをするようになってから、僕の音楽に対する見解も劇的変化を遂げた。音楽の持つ運動性に自分の関心がフォーカスされるようになり、それを全て「拮抗する重力と遠心力の関係」で読み解くことが出来ることに気が付いたのだ。
 その結果、自分の指揮の運動も、また自分が演奏者にする要求も、その法則に沿ってなされるようになり、作り出された音楽は、より血が通い生命力に溢れるものとなった。

 赤ちゃんがヨチヨチ歩くのは、大人から見たら何でもないかも知れない。でも、赤ちゃんは、自分の肉体を使って、ひとつひとつ体験していく。その行動範囲を一歩一歩広げ、世界を少しずつ自分の手の内に入れようとする。その度に、溢れるような歓びを得ている。その歓びを大人は忘れている。

 「当たり前」となった時、世界は死ぬのである。「発見」する時、世界は輝くのである。大人の一年が子供の一年より速く過ぎていくのは、当たり前のことが多すぎて、発見がなさすぎて、死んでいる時間が多いから。驚きがなくなってルーティンになった分だけ、ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」の、世界に広がる「虚無」が、あなたの心のあちこちにも巣くっているからだ。
 あなたの瞬間が輝くならば、世界も時間も濃密になり、再び子供の頃の時の流れに戻っていくのだ。

さあ、あなたも子供になって、キラキラ輝く瞳を取り戻そう!
ゲレンデに集合して、みんなで合い言葉を大きな声で叫ぼう!
Ski Heil !「シー、ハイル!」と。

 

三澤洋史のRING 2020
 昨日の12月8日日曜日、愛知祝祭管弦楽団の練習に行ってきた。今年最後の練習で、次は1月12日日曜日だが、その日の練習後に練習会場の大府市役所B1多目的ホールで、僕が話す「“一歩踏み込んだ”リング講座」がある。
 11月と今月の2回の練習で、次の「ニーベルング指環」ハイライト演奏会のカットを決定してきた。ただ断っておくけれど、これはただの抜粋とか、名場面集ではないからね。きちんと物語がつながって、さらに聴きどころも満載という、自画自賛で言うと「奇蹟のダイジェスト版リング」である。そして、それを踏まえて1月12日の「リング講座」も一歩踏み込んで行う予定。興味のある人は来てね。

 いやあ、「ニーベルングの指環」の四部作を2回の公演にまとめるのって、めちゃくちゃ難しい。ずっと試行錯誤をして、一度カットしたスコアを送ったのだが、まだまだ長いというので、さらにいろんなところを刈り込んだ。

 少しネタバレしてしまおう。たとえば序夜の「ラインの黄金」は元々が2時間半の作品なので、簡単に短く出来るだろうと思っていたら、これは叙事的な作品なので、2時間半の間に物語がどんどん展開していくし、その物語と音楽とが網の目のように絡み合っているため、一番難しかった。
 ヴェルディなんかだと、曲が切れるからすぐカット出来るんだけどね。しかもまだ、同じ調性が続けば、ドミナントでフェルマータしてカットし、次のトニカから始めることが出来るだろうが、ワーグナーって、まるで、
「カットなんかするなよ」
と言っているように、同じ音型が出てきても、必ずと言っていいほど調性が違い、しかも切れ目なく続いているので実にカットしにくい。

 「ワルキューレ」は抒情的な作品なので、むしろ美しいところをたっぷり味わわせてあげたい。しかしながら美しい箇所は長いし、そこだけ拾っていても物語にならない。一方、物語が進んでいく所はそんなに美しくない。けれども、それがないと筋がつながらない。この二律背反は「ラインの黄金」にはない悩みだ。
 勿論「冬の嵐」の2重唱や「ワルキューレの騎行」や「ヴォータンの告別」はたっぷり聴かせてあげますよ。それでいて、始めて観る人にもストーリーは分かるように物語はつながっています。

 後半の「ジークフリート」と「神々の黄昏」になると、作品自体が長大なので、両方を一日の演奏会でやることについて最初は絶望的になった。だからといって、物語がつながらないただの抜粋にだけは、どうしてもなりたくない。音楽的な聴かせどころは外せないけれど、「リング」という作品のストーリーの中に込められた問題意識が伝えられなくては本末転倒だ。
 ただ長大なだけにそれぞれのシーンが長大なので、心を鬼にして本筋に関係ないシーンはバッサリ切った。たとえば「ジークフリート」では、主人公の母への思慕や思春期の性への目覚めといったシーンはカットした。そのお陰で、北方神話の原型の英雄の冒険物語になった。すなわち、恐れを知らぬ英雄が、大蛇を倒して、炎の岩に眠る美しい乙女を目覚めさせる物語がクリアに描かれるようになったのだ。
 第3幕も、エルダの景は後ろ髪引かれながらも割愛。前奏曲の後、ジークフリートがヴォータンの槍を真っ二つに折る対決シーンに飛び、それから炎くぐりに行く。
 「ジークフリート」は、少し物足りないくらいでもいいと思った。これは、何と言っても「神々の黄昏」のネガティブな没落物語の前話として、意図的なポジティブなストーリーなのだから、その中にあるネガティブな要素に引っ掛かりすぎない方がコントラストが映えて良いのだ。目覚めさせられた美しい乙女ブリュンヒルデも、あまり猜疑心を持ったり迷ったりしないで、すっきりと英雄の胸の中にに飛び込んでいく。

 「神々の黄昏」は、もっと身を切るような想いだった。8月にやったばかりだから、各シーンに愛着があるのだ。しかしながら、カットしてみたら案外楽だった。要するに、みんながすでに知っている昔話のノルンの景と、第3幕冒頭のラインの乙女のシーンをまるまるカットした。勿論ね、これを聴きたい人の残念な気持ちも分かるよ。そんなこと言ったら、誰よりも僕が一番残念さ。
 その代わり、第1幕ギービッヒ家のシーンと第2幕の合唱のシーンはほぼノーカット。これだけだって1時間30分以上かかるのだ。そして葬送行進曲とブリュンヒルデの自己犠牲は外せないだろう。

 それなので、2日目の演奏会では、「ジークフリート」と「神々の黄昏」との間に30分の休憩と、「神々の黄昏」の途中で15分の休憩を入れざるを得なくなった。これだけだって、結構長い演奏会です。ま、「神々の黄昏」全曲演奏するよりは短いんだけどね。

 それより、この4つの楽劇をどうやって練習して2日間にわたる演奏会にまで持って行くのか、というのが途方もない悩みなのである。だから長くなればなるほど、大変なのである。
 聴衆は、それぞれの演奏会のこれまでのクォリティを知っているけれど、4年もかかっていたので、「ラインの黄金」や「ワルキューレ」以後に入った新入団員も沢山いるし、直前の通し練習だって、二日間かかるわけだ。
 それなのに、割と最近まで、「4作一挙上演」というのがまことしやかに語られていた。クォリティを考えたら、我が国ではプロ・オケでも決して出来ないことだ。凄いなあ、ヨーロッパって!バックグラウンドが全然違う。

 「神々の黄昏」のラストシーンを練習していたら、思わず胸に込み上げるものがあった。一年前、最初にこのシーンを練習した時にも、同じ気持ちになったなあ。それで、本番は絶対に泣くに違いない、と思ったけれど、不思議と本番は「もうひとつ上のステージの世界」に行っていて、感動はしているのだが泣く感じではないのだ。だから、
「本番は泣けないのだから、今のうちに泣いておこう」
と変な精神状態で練習を終えた。

 不思議なものだ。本番で自分があまり入り過ぎて泣いてしまうようだと、反対に聴衆は冷めてしまう。
「神々の黄昏」のラストで、
「あれ、泣けなかった」
と思って楽屋に戻ってきてみたら、江川紹子さんがワンワン泣きながら僕に抱きついてきた。経験として知っているけれど、これが一番良い形なのだ。

 だから、9月の演奏会でも、自分がなるべく高いステージの境地で演奏することで、満場の聴衆を泣かせてみせたい、と思う。でも、そのためには、「泣かせる、泣かせない」なんていう俗っぽい境地にいては駄目なんだ。禅で言う「三昧」の境地に行かなければ。だから僕に課せられたものは、精神的な精進なのである。これから毎日、心して生活します。




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© HIROFUMI MISAWA