「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」Aキャンプ最終案内
1月22日水曜日及び23日木曜日のAキャンプの最終案内をします。
土日のBキャンプはもうほぼ満員ですが、Aキャンプは平日のため、まだ空きがあります。
キャンプの受付自体は直前まで可能なので、これから条件が整って、
「あ、行ってみようかな!」
と思った人は、どうぞホームページの要項をよく読んだ上で、申し込んでくださいね。
Aキャンプは、結構サプライズな人たちが参加していて、楽しいキャンプになること請け合いです。
今年のキャンプは、より音楽との結びつきが深く、キャンプが終わって帰って来てみたら、音楽が上手になっていた、という結果を導き出すようなものにしたいと思っているよ。どのレベルでもいいので、思い立ったら、下記にメールをください。質問だけも受け付けます。
<キャンプ終了につきメールアドレスは削除しました(CafeMDRコンシェルジュ)>
青春オペラから始まった2020
仕事始めは1月6日月曜日からの「ラ・ボエーム」」音楽稽古だった。そして10日金曜日から立ち稽古となった。立ち稽古初日は第2幕。パリのクリスマス・イヴの混乱を極める群衆を、まず合唱団と助演だけでさばき、それからソリストたちを順次入れていく。
ムゼッタ役を演じるのは、辻井亜季穂さんというソプラノ。新国立劇場初登場で、ドイツを中心にヨーロッパで活躍しているということ以外何も知らないが、合唱団のみんなに混じって稽古場に立った瞬間、僕の目は彼女に釘付けになった。
そこにはムゼッタがいた。彼女からムゼッタのオーラが出ていたのだ。本当はマルチェッロが大好きなくせに、年寄りのアルチンドロを「ルル」と呼んで、まるで犬のように扱いながら引き連れて我が儘放題。それでいて、
「マルチェッロったら、あたしを見てくれないわ」
と思っている。その胸の内が透明ガラスのように透けて見える。
マルチェッロは、ミミに向かって、
「あいつはムゼッタ。姓は『誘惑者』というんだ。食べるものといえば心臓。そうさ、心を食べるんだ」
と紹介する。
辻井さんは、普通の人がひとつ演技をする間に、5つも6つも試みる。それが全て成功しているというわけではないが、必死で(この稽古場のシチュエーションにおける)ムゼッタ像を模索している。
「ムゼッタといったらこんなかな」
などという通り一遍の演技など無意味だ!と言わんばかりに。
こういう人を見ると、僕の舞台人としての心が騒ぐ。それだけで感動してしまう。まだ何も分からないけれど彼女から目を離さないでいよう。僕の勘は当たるんだ。
あらためて、「ラ・ボエーム」とは青春のオペラだなあと思う。ムゼッタが登場する前であるが、ロドルフォは仲間たちに、いましがた出遭ったばかりのミミを紹介する。
「彼女の到着で僕たち仲間は完璧になったんだ。何故なら、僕は詩人il poetaだけど、彼女は詩そのものla poesiaなんだ。僕の脳からは歌が芽生え、彼女の指からは花が芽生える。狂喜する魂からは愛が花開くのさ」
あはははは、僕も昔こんな風に思っていた。
「愛する彼女は花そのものだ。だから僕が命を賭けて守るんだ」
と女性を美化するだけ美化し、自分は騎士気取りでいた。
今、老年時代から振り返って見ると、このようなことはみんな性ホルモンの成せる業だと気付く。ホルモンが妄想をけしかけ、勘違いさせ、いたずらな陶酔と嫉妬と混乱をもたらすのだ(笑)。でも、それはなんという甘いイリュージョンであったろう!
だからといって僕は、ファウスト博士のように、メフィストからもらった薬を飲んで青春時代に戻りたいなどとは決して思わない。もう沢山。今若い女の子を見てもね、みんな妹か娘か、時には孫娘のようにすら感じて、穏やかで暖かい感情で見守ることができる。それでいて僕は女性が大好き。この感情に辿り着いたら、もう手放したくないんだ。
勿論、青春は今でもまぶしく映るんだよ。たとえば第3幕のように、ミミとロドルフォ、ムゼッタとマルチェッロという2組のカップルが、あんなに愛し合っていながら、感情の行き違いで別れてしまうのを見ると、そこに青春の脆弱性を見ると同時に、とても懐かしさを覚え、それだけでもウルウルとなってしまう。なんでなのかな?
みんなに聞いてみると、「ラ・ボエーム」ほど、男性が大好きで、女性は逆にしらけるオペラはないようだ。恐らく女性には見えてしまうんだな。清純に見えるミミの裏に“女のしたたかさ”が。ということは、常日頃から、そういった仮面にコロッと瞞される男を「バッカだなあ」と冷ややかに見ているということか。
僕はね、姉二人の長男で、母親にも祖母にもとっても可愛がられ、結婚したら娘二人生まれて、家の中に男ひとりだったし、さらに今では孫も女の子だから、徹底的に女性に囲まれた人生なのです。
女性ばかりの家の中で、思春期になっても、目の前で赤裸々な生態を見せられて、女性に対する美化とロマンチシズムを潰され、幻滅に陥る危機に必死で耐えながら、それでもロマンチシズムを守り抜いた気高い戦士なのです。
今ではそれも必要なくなって、妻や娘たちが並んでいつまでも鏡の前に向かって化粧していたり、出かける前に何度もワンピースを着替えて、
「これどっちがいい?」
なんて聞いてくるのを、ニコニコしながら眺め、
「パパに聞いてもしょうがないか」
と言われても、あるがままを見守る陽だまりのジージです。
えーと・・・何話していたっけ?とにかく、ロマンチストの男がいる限り、オペラ「ラ・ボエーム」は不滅です。あ、大の仲良しのマエストロであるパオロ・カリニャーニと再会して、また彼とのコラボも再開しました。またいろいろ報告します。
「ワルキューレ」初練習と講演会
1月12日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の2020年初来団。楽劇「ワルキューレ」に焦点を絞っての練習。
「ワルキューレ」は、「リング」4部作の中で、エモーショナルな表出性が圧倒的に高い作品である。元来、「ニーベルング物語」という北方神話が叙事的なストーリーを持つ中で、この楽劇では、ふたつの純愛が描かれているのだ。すなわち、ジークムントとジークリンデの純愛と、ヴォータンとブリュンヒルデの親子の愛である。
愛の陶酔を描く巨匠であるワーグナーが、この機会を逃すはずはないではないか。実際この楽劇は、ストーリーを前に進めるという意味では、ほとんど「寄り道」と言っても過言でない。第1幕後半と第3幕後半は、ただただ愛の陶酔にのみ捧げられているのだから。それ故に、この楽劇は、聴く者に圧倒的な印象を残す。だから「リング」全体の中でも、唯一、単独で上演されることのとても多い楽劇となっているのである。
さて、そんなわけであるから、練習をしていても本当に気持ちがいい。指揮者は、楽員達の演奏を客観的に聴いて、間違いや未熟な点を指摘しなければならないのであるが、時々、そんなことはどうでも良くなって、指揮しながらヴォータンを朗々と歌っていたりする。だって、こんな大管弦楽をバックにヴォータンを歌えるなんて、そうそうあるわけではないでしょう。指揮者の特権だよ。あははははは!あー気持ちいい!
愛知祝祭管弦楽団初練習
講演会