びわ湖「神々の黄昏」立ち稽古

三澤洋史 

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Bキャンプ速報
 速報です!2月22日土曜日及び23日金曜日に開催される「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」Bキャンプは、キャンプ自体に「締め切り」というものはないのですが、すでにペンション・カーサビアンカが満室のため、こちらから積極的な案内は出していませんでした。

 ですが、キャンセルが出ましたので、4人部屋が一室空きました。勿論ひとり使用も可能ですので、今から興味のある方は、Cafe MDRのホームにある申し込み要項をよく読んで、申し込んで下さい。全てのレベルで参加可能です。

 各地のゲレンデはここにきてやっと充分な雪が供給され、特に白馬五竜スキー場では、ハイシーズンの素晴らしい雪の中でのキャンプとなります。ひとりくらいの参加でしたら、開始日ギリギリでもOKですが、何人かのグループ参加の場合は、講師派遣の都合があるので、なるべく早く申し込んで下さい。
 まあ、いずれにしても大賑わいで、それぞれのレベルの方がいて、三澤家の家族も参加するし、まあ楽しいキャンプになることは間違いなしです。

イエスを包む空気~ヨハネ受難曲
 2月8日土曜日。東京バロック・スコラーズの練習にバリトンの萩原潤さんが参加した。まず合唱付きのアリアである24番と32番を合わせた。
24番では、
「怒りから始まって下さい」
と萩原さんに指示を出し、合唱のWohin?(どこへ?)という問いに答えるバリトン・ソロのnach Golgatha!(ゴルゴタの丘へ)で、僕は彼に言った。
「テンポをゆったり落として、艶歌のように泣いて下さい!」
「分かりました!」
合唱団のみんなが笑った。

 それから、イエスが息を引き取った直後に歌われる32番アリアを練習したが、萩原さんはこの曲のテンポが遅いことにびっくりした。僕は、一緒に聞いている合唱団員も意識しながら、萩原さんに向かって自分の意見を述べた。
「イエスがこのアリアの直前に息を引き取っているんだよね。(合唱団員の方を向いて)みなさんも身内の人が亡くなった場面に遭遇したり、あるいは看取ったりしたことあるでしょう。息を引き取った後の、あの静けさ。悲しいけれど、それだけじゃない。同時に、妙に透明で明るさすら感じる絶対的な静寂を感じたことあるだろう。それを表現したいと思っているんだ。
また、それを通して、これが終わりではないということ・・・救世主が事半ばであっけなく死んでしまっておしまいではなく・・・むしろそれは、これから新しく始まる何かの前触れ・・・ということも予感させたい。
この演奏を聴いて、それを受け止める2種類の聴衆がいるだろう。最初は、もう2小節目くらいで貧乏揺すりが始まってしまうか、眠ってしまう聴衆。要するに退屈してしまう人たちだ。
でも、もう一方の人たちもいる。つまり、『このまま、この時が永遠に続いてくれればいいと願う聴衆』。僕は、その人たちのために演奏する。でも、それを可能にするかどうかは、みなさんの緊張感にかかっている。
要するに大事なことは、「空気」であり「空間」なんだ。ある意味、うまく演奏できたとかはどうでもいい。僕が目指しているのは『ヨハネ受難曲』演奏全体に漂う、なんともいえない香りのようなもの。空気感だ。
また、こうも言えよう。ヨハネは、イエスの母マリアの面倒を委ねられたように、イエスからとても愛された弟子だ。当時とても若かったから、他の弟子たちのように逃げる必要もなかった。だから、ヨハネによる福音書のタッチは、他の福音書と全く違う。全体に“愛”が漂っている。ずっと演奏を聴いている聴衆が、ある時ハッと気が付く。この演奏全体に“イエスの愛”、“神の慈愛”がずっと漂っている・・・と。そんな演奏会にしたい」

 萩原さんは、僕の提案を受け止め、一生懸命答えてくれた。聡明な彼のこと。さらにそれを家に持ち帰って、きっと彼ならのものを暖め、出してくれることであろう。僕の脳裏には、すでに仕上がった時の彼の歌唱が見えているのだ。
 そして、その歌唱を包み込む静謐なる合唱のコラール、それを支える西沢央子(にしざわ なかこ)さんのチェロと山縣万里(やまがた まり)さんのチェンバロが醸し出す世界が・・・。

 萩原さんには、バス・ソロだけではなく、ローマの総督ピラトも歌ってもらうことになっている。まず僕は、合唱団員たちを座らせ、自分でピアノを弾きながら福音史家の部分を歌って、彼と個人的に合わせをし、合唱団員たちには、あえてそれを聴いてもらった。
 その後指揮台に戻って、今度は合唱団を伴い、第2部開始のレシタティーヴォの部分から再び始めた。今度はピアニストに弾いてもらって福音史家を歌い、そこにピラト役の萩原さんと群衆合唱が加わって、指揮しながらドラマの流れを追っていった。

 僕が表現したいのは、とっても人間的なピラト。彼は、イエスをひと目見ただけで、謀反者や革命家たちが醸し出すギラギラしたオーラとは正反対の静けさをそこに見出し、警戒心は即座に好奇心へと変わる。
 イエスは、ピラトの質問を聞いているのかいないのか分からない表情のまま天を仰ぎ、憧れに満ちた微笑みさえ浮かべて述べる。
「わたしの王国はこの世のものではない。わたしは真実を告げに来ただけだ」
不思議な男だ。長い人生の中で、こんな男は見たこともなかった。
「真実?真実とはなんだ?」
とピラトは問う。だがイエスからの答えはない。ははは・・・何も問題ないではないか。何故、こんな男のためにユダヤの民はいきり立つ?この穏やかな男のどこが彼らの気に入らない?
「私たちの律法によれば、彼は死罪にあたります。でも、ローマ帝国の掟では私たちが死刑にすることは許されていないのです。もしあなたがこの男を許したならば、あなたもローマ帝国への反逆者を助けた罪に問われますよ!」
どうして?何故そこまでして、この男を処刑したい?
「十字架につけろ!十字架につけろ!」
俺には理解できない。好きにしろ!俺は知らないからな!

 かくしてイエスは、ユダヤ人たちが望むとおりに十字架に付けられた。しかしながら、あれだけ庇ったピラトは、皮肉にも「ポンティオ・ピラトのもとで十字架に付けられ、葬られ」と信仰宣言の中で永久に唱えられ続ける。

 イエスの頭上には「ユダヤ人の王」と書かれた罪状書きが打ち付けられている。それを書かせたのはピラトだ。彼のイエスに対する最大限のリスペクト。
 ところがユダヤ人たちは、それすら納得せず、執拗にピラトに要求する。
「『ユダヤ人の王』ではなく、『ユダヤ人の王と自称していた』と書いてくれなければ・・・」
「うるさい!俺が書いたものに文句は言うな!」
自分は、これまで沢山の反逆者を処刑してきたが、こんなに後味の悪い想いをしたことはなかった。
 あの全てを見透かしているような透明な瞳。何故、あいつは何のいいわけもしなかったのだ?何故、あいつは十字架上で、
「主よ、彼らを許して下さい。彼らは自分で何をしているか分からないのです」
などと言ったのか?自分を処刑した奴らを許すというのか?
息を引き取る間際には、
「すべてが成し遂げられた!」
と言った。どういうことだ?

 こうしたピラトの内面のドラマが、僕にはまるで映画を見ているようにリアルに感じられる。特に、イエスの周りの喧噪が大きくなればなるほど、イエス自身の存在は、いいようのない静寂に包まれているのを感じる。それを僕はなんとしてでも演奏で表現したい。こういうのは、指揮の仕方がうまいとか、解釈がどうのとかでは決して解決できない。言ってみれば、僕自身の人格の問題とか、自分が醸し出すオーラの問題となる。

 今回の萩原潤さんとの合わせを通して、「これは凄い演奏会になるぞ!」という僕の予感は、すでに予感ではなく現実になりつつあることを確信しているが、あとは僕の精進にかかっていると身を引き締めている「今日この頃」です。

「セヴィリアの理髪師」と「おにころ」立ち稽古初日
 2月8日土曜日は、東京バロック・スコラーズの練習の後、新国立劇場に入り、「セヴィリアの理髪師」の公演を半分だけ観てから高崎に向かった。後で述べるが、この冬僕は、びわ湖ホールの「神々の黄昏」の合唱指揮をしているため、「セヴィリアの理髪師」と「コジ・ファン・トゥッテ」の合唱指揮を冨平恭平君に任せているのだ。とはいえ、僕の合唱団のみんながきちんと仕事しているかな?何か困ったことがないかな?なんて親心が働いて、みんなの顔を見に行ったわけである。
 「セヴィリアの理髪師」公演は、歌手達の粒が揃っていて素晴らしい。先日の「ドン・パスクワーレ」もそうだったけれど、大野和士芸術監督の時代になって、特にベルカント系の歌手の選択が光っているなあ。

 さて、その後高崎に向かったのは、7月に新しい芸術劇場で上演するミュージカル「おにころ」の「おにころ合唱団」立ち稽古初日だからだ。この合唱団の母体となっているのは勿論新町歌劇団なのだが、市報などで公募し、10月から音楽稽古を開始していた。
 「おにころ」は、これまで僕が演出を付けていたが、高崎芸術劇場で上演ともなると、もう限界だ。舞台稽古になり、群馬交響楽団と一緒にオーケストラピットに入ってしまったら、どう考えたって舞台上で起こる演技上の問題に気が回るはずがない。

 そこで今回から演出家を立て、舞台美術家や照明家、衣装ゼザイナーを東京から呼んで、本格的な公演を目指すこととした。演出家は、現在、新国立劇場の座付きの演出家である澤田康子さんである。
 アマチュアの合唱団なので、公演の半年前の2月から立ち稽古というのは決めていたが、演出家を呼んで初回の立ち稽古をする日は、やはり作曲家であり指揮者でもある僕が同席出来る日が望ましいというので、この日に決めた。
 ところが、澤田康子さんは、実は「セヴィリアの理髪師」再演演出を任されていたんだよね。あの外人たちの演技を演出家ヨーゼフ・E・ケップリンガーに代わって全て彼女が付けたのだ。それなので、彼女は「セヴィリアの理髪師」公演の最後までいて、それから高崎に向かうため、練習時間開始には間に合わないから、僕が先に行って場をつないでいる約束なのである。

 高崎市は、この公演のために群馬音楽センターのすぐ裏のコンサートホールを今後の立ち稽古用に押さえておいてくれている。ここは、群馬交響楽団が事務所も練習場も高崎芸術劇場内に移転するまで、練習場として使っていたところで、立ち稽古するのにも充分な広さがある。
 少し遅れて澤田さんがコンサートホールに現れた。初日の今日は、立ち稽古というよりもコンセプト説明が主で、合唱団が音楽ナンバーを順番に歌い、その際、舞台上の説明や移動などについて澤田さんが説明した。
 いままで、暗転の間の時間稼ぎのためにしていた「かごめかごめ」などのブリッジは、紗幕が使えるようになったことと、舞台道具の移動がスムースになったことで要らなくなったことや、稲葉直人さんがデザインする照明が縦横無尽に駆使できることなどを聞いて、僕だけでなく合唱団のみんなは、今回の公演がかなりスマートなものになるであろうことを予感したことと思う。

 澤田さんは、練習後、新幹線で東京方面に帰って行ったが、僕は群馬の実家に泊まり、翌朝は浜松に向かった。浜松バッハ研究会では、来年2月27日に浜松アクトシティ中ホールでバッハ作曲「ロ短調ミサ曲」を演奏する。
 僕は、重たいベーレンライター新全集の「ヨハネ受難曲」と「ロ短調ミサ曲」の2冊と、「おにころ」の譜面と台本を持って、着替えを持ってパソコンも持って、初台~高崎~浜松と渡り歩いていく。移動中にメールを駆使して、この演奏会のソリストを決めた。

ソプラノ: 飯田みち代 
アルト: 三輪陽子 
テノール: 大久保亮 
バス: 大森いちえい 

 まあ、落ち着かない人生ですけど、バッハの大曲に2曲同時に触れることが許され、自作ミュージカルを、こんな素晴らしいスタッフに囲まれて高崎芸術劇場で上演させてもらえるのだから、かなりしあわせな人生だ。神様、ありがとうございます!  


びわ湖の「神々の黄昏」立ち稽古
 先週から、びわ湖ホール主催の「神々の黄昏」の立ち稽古が始まっている。びわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典さんと演出家ミヒャエル・ハンペ氏とのコラボは、毎年の「ニーベルングの指環」でずっと続いているが、合唱がないので、僕は「ラインの黄金」の前年、すなわち2016年3月の「さまよえるオランダ人」以来の共演。

 立ち稽古の初日が始まって驚いた。演出家のハンペ氏は、びっくりするほど元気で、演技を付ける時も相変わらず精力的なのだ。経歴を見ると、1935年6月3日生まれだというから、6月が来ると85歳になる計算だが、とてもそんな風に見えない。
 1985年から90年までは、ザルツブルク音楽祭実行委員会のメンバーに名を連ねていて、カラヤン指揮「ドン・ジョヴァンニ」の演出なども手掛けている重鎮なのに、全く偉ぶったところがなく、むしろとっても自然体で、周囲にも気を遣い、合唱団に注意したり会話したりする終わりにちょっとしたジョークを挟む。そのジョークは、たいして面白くもないのだけれど、僕はそんなハンペ氏の人柄が大好きだ。

 稽古場に入るなり、彼は舞台装置と衣装デザイナーのヘニング・フォン・ギールケ氏と一緒に僕に近づいてきて握手した。ふたりで最初に言った言葉は、
「あの可愛い女の子は元気か?」
というから、「さまよえるオランダ人」の時にピアニストで一緒に仕事していた長女の志保のことかと思ったら、
「ほら、君と手をつないでびわ湖畔を散歩していただろう」
とギールケ氏が言った。
「ああ、孫娘の杏樹だね。6歳になってこの4月から小学校にあがる」
と答えた。
「おおっ!」
とふたり同時に歓声をあげた。
「覚えていてくれたんだ」
「勿論だよ」
ふたりとも優しいんだね。

 演出はまず第2幕第3場から付けられた。ハーゲンによって戦闘態勢で駆け寄った家臣たちは、呼ばれたのが敵の襲来ではなく、むしろ家長のグンターが嫁を連れて帰還するのを迎えるためと聞かされる。同時に、グンターの妹のグートルーネが、英雄ジークフリートと結ばれるため、戦いどころか、今夜は飲めや歌えの大宴会となると知って、家臣たちの緊張はしだいに喜びに変わっていく。
 新国立劇場合唱団とびわ湖声楽アンサンブルの混成メンバーによる合唱団の練習で、僕は、音取りや音楽的な表情だけでなく、各シーンの意味やリアクションを全て細かく説明していた。戦いに向かおうとする荒々しい家臣たちが、ハーゲンのどの言葉に反応し、どのように表情を軟化させていくかについては、単語レベルで彼らに理解させた。
 特に、
「動物を屠り、神々に捧げるのだ」
というハーゲンの発言に対し、物わかりの早い家臣は、
「ははあ・・・これはきっと宴会が始まるに違いないぞ」
と気付き、顔に笑みを浮かべ始めるのだが、まだ気付いていないのんびり者がいたりして、時間的な個人差がつくように、と指摘したり、
「動物を屠った後は・・・それで・・・一体どうするんでさあ?」
というところでは、もうみんな分かっているのに、わざと分かっていないフリをして、とぼけた表情で歌うことを求めた。そしてついにハーゲンの、
「杯を取って・・・・」
という単語が出た瞬間には、
「とうとう出たぞこの言葉が!」
と反応するが、ノーブルな人たちでないので、なるべく下品な表情で笑ったり喜んだりすること、などなど、全部の表情を音楽稽古の間に付けていたのだ。

 だから、初めてこのシーンの段取りを付けてから、
「では音楽を付けて歌いながらやってみよう」
と演技させた時の、ハンペ氏の驚きようったらなかった。
「凄いな、この合唱団は!初回でここまで表現するとは、ドイツ人の合唱団でも考えられない!」
僕は、ちょっと胸を張って言った。
「各シーンの意味は、かなり細かくみんなに理解させておきました」
それから、ハンペ氏は始終ニコニコして、休憩中でも僕にいろいろ話しかけてくるし、昔から仲良かったけれど、とっても仲良しになった。

ま、この楽劇のことはよく知ってるし。

 また続報をお届けすると思うが、今週もウィークデイは毎日立ち稽古。19日水曜日まで続き、インターバルを置いて24日月曜日からいよいよびわ湖ホール入りする。その間の20日木曜日から23日日曜日までは、僕は白馬に行き、特に22日及び23日は、「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」Bキャンプなのだ。
 そして大津に2週間滞在し、「神々の黄昏」2日目の公演の3月8日日曜日に東京に戻ってくると、「ヨハネ受難曲」の演奏会が間際に迫っている。

 出来たら大津滞在中に、広大なびわ湖を眼下に眺めながら滑ることの出来る「びわ湖バレー」スキー場に行きたいのだが、雪があるかな?



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