ただいま絶賛失業中

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

雪の週末~日本は愛されている
 先週の中頃。小池都知事は、
「週末にはなるべく家から出ないで自宅待機をし、新型コロナ・ウィルスの大規模感染拡大を最小限に抑えましょう」
という要請を出し、近隣の県知事達も、それに同調して、
「不要不急の外出は控えて。特に都内には足を運ばないように」
という趣旨のコメントを出した。

 3月28日土曜日は、まるで5月のような陽気だったのに、3月29日日曜日では一気に10度以上下がって、関東一円には雪が降った。自宅待機の要請を破って土曜日から新町に来ていた僕は、そこから新国立劇場次期合唱団員募集オーディションのために、9時過ぎに新町駅から高崎線に乗った。
 車内はとってもすいている。その一方で、窓の外ではもの凄い勢いで雪がどしどし降っていて、家の屋根や道路などがみるみる真っ白になっていく。国立の家からLINEで家の周りの景色の写真が届いた。新町よりもずっと深く積もっている。僕は、杏樹に書いた。
「オーディションが終わってじーじが帰ったら、一緒にスキーをしようか!」

 このむちゃくちゃな気候変動を見て、僕は最初、日本列島はどこまで呪われているのかなあ?と思っていたが、ある時ピンときた。何かが降りてきたのだ。
「あ、そうか。むしろこれは天上界からの“愛”なんだ」
 こんな荒れた天気の中、人々はあえて外出して花見に行こうとは思わないだろう。だからこの雪は、じっと家に居なさいというサイン。誰からの?それはね、恐らく、我が国を護ろうとする神道系の神様だ。

 神社に行ってお祈りをすると、僕にシンパシーを感じてくれる神様は、必ず頬のあたりに流れる風を起こしてくれる。彼らは、風を起こしたり雨や雪を呼び出すことが得意だ。極端な場合、それまで晴天だったのに、急に大雨が降ったりするのは、最もウェルカムな印だとすら言われている。

 新国立劇場でのオーディションが終わってみたら、雪は止んでいた。その時間に止んでも、さあ今から花見に、という気にはならないだろう。家に着いたら、あんな勢いで降っていたのに、残念ながら雪はスキーができるほど積もってはいなかった。もっと不思議なのは、道路にたまっていた雪も、一夜明けるとすっかり姿を消してしまった。

 イタリアでは新型コロナ・ウイルスの感染による死者が一万人を超えた。世界は、国家そのものが崩壊するような勢いで、感染が爆発的に広がっている。でも、日本の死者はまだ二桁にとどまっている。これは驚異的数字だ。
 専門家達は、日本がこのくらいの状態でいることを不思議に思い、必ずや同じようなオーバーシュートが明日にでも起こるに違いないと思っている。でも、僕はそうでないことを祈りたい。この週末の雪を見て、我が国の神様が必死で国を護ってくれようとしていることに気付いたのだ。

 もう一度言う。週末の雪は、日本が愛されている証し。僕たちは、その愛に応えないといけない。祈ろう!祈ろう!その相手は、誰でもいい。キリストでも仏陀でも。今、世界に必要とされているのは祈りの力だ。

ありがとう、天照大神!ありがとう、天御中主神!

新刊の出版、もうすぐです
 ドン・ボスコ社の編集者から、新刊となる「ちょっと、お話ししていいですか?」のゲラが送られてきた。それを読んで誤字脱字や変えたい表現をチェックして送り返してから、あらためて編集者と会い、最終打ち合わせをした。

 本の装丁のタッチであるが、こんなおじさんが書いた本にしては女性趣味かとも思うけれど、可愛いらしい挿絵がついて柔らかな感じに仕上がりそうである。
 この本のテーマは、宗教的アプローチから音楽と音楽家の生き方を読み解く内容ではあるが、文章はなるべく平易で読み易く書いてある。もともと村上春樹の文体を師と仰ぐ僕の文章は、難しい漢字や表現を避けている。
 それでも、時々プロの中で生きている自分にとって当然のように思われる言い回しなどについて、編集者から容赦ない突っ込みが入ることが多かった。編集者はこう言う。
「音楽家としての三澤さんをよく知っている人、あるいは音楽に詳しい人と、反対に、教会関係の人とか、宗教に興味があるけれど、音楽にはそんなに造詣が深くない人の両方の読者がいます。その両者をつなげるような本にしたいのです」
 だから、サン・パウロとか、宗教書専門店に置いてもらうだけの宗教専門書ではないし、もちろん専門音楽書でもない。もっと広い読者を想定しているので、書店で、
「どんなことが書いてあるかな?」
と気軽に手に取ってもらえるような体裁の本に仕上がるようだ。

もうすぐ入稿。また連絡します。

ただいま絶賛失業中
 今、この原稿を書く前に、いろいろなことを思い出していた。年末年始、孫娘の杏樹をはじめとして家族全員がB型インフルエンザに感染し、ひとりでみんなと離れて隔離生活をしていた瞑想的で思索的な日々。あの時自分はすでに、これから始まる2020年の暗雲を予感していたような気がする。
 また、「コロナ・ウィルスと愛の関係」という2月3日の原稿を読み返してみたら、まるで今書いているかのような錯覚に陥る。あの当時は、まだ世界がこんな風になってしまうなどとは夢にも思っていなかったのに。
 さらに、「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」Bキャンプの講演会で、ラウラ・パウジーニLaura Pausiniの「私が夢見る世界」Il mondo che vorreiを受講者達に紹介しながら、何故あんなに感情が高ぶってしまったのだろうか、ということも思い返していた。
 僕は、予言者ではないし霊能者でもないから、はっきりしたことは分からなかった。でも、今から考えてみると、それなりに節目節目では伏線のようなものを感じていたんだなあ、と思う。

 新型コロナ・ウィルスの感染拡大は、我々の想像をはるかに超えて、むしろ日本でよりも、米国やイタリアを中心としたヨーロッパなど全世界に爆発的に広がっている。このテクノロジーや医学の高度に発達した現代社会に、これほど簡単に世界的危機となるような事態がおとずれようとは誰が想像し得たであろうか?これは、20世紀における(原爆投下をも含む)第二次世界大戦以来の、人類にとっての最大の脅威に属するかも知れない。
 少なくとも今の時点では、まだ決定的な特効薬もワクチンもないので、人工呼吸器などの使用は単なる補助的なものに過ぎず、一度感染したら、それぞれ個人の自然治癒能力に頼るしかない。
 感染の拡大を止めるのも、人の集まるところにいかないとかいう消極的な防御・・・そして、笑っちゃうことに(笑ってはいけないのだが)、なんと最大の防御は、「手洗い」と「うがい」である。人類最大の脅威に対して「手洗い、うがい」とは、竹槍を持って米軍に立ち向かうことに似ているような気がするのは僕だけであろうか?
 しかしながら、これが案外効くことは証明された。何故なら、今年の冬、皆さんのまわりでインフルエンザや普通の風邪にかかる人って、とっても少なかったのではないですか?普通にこれを実施していたら、かなりの感染症は防げるということの証明ですよね。

 さて、その影響を受けて、新国立劇場の「ホフマン物語」公演が、とうとう中止になってしまった。3月27日金曜日まで合唱音楽練習をしていたのに・・・その日の練習直前に、芸術監督の大野和士さんと話をした。週末には、都市封鎖に近い自宅待機の要請が小池知事からも出ている、どうみても厳しい状況。
「合唱団員たちは、『コジ・ファン・トゥッテ』も中止になって、みんな『ホフマン物語』に賭けているんです。そうでなくともカツカツで生活している人もいれば、仕事のない時、ヤマト運輸やコンビニでアルバイトしている団員もいます。
だから、彼らを守ってあげて下さい。仮に中止になったとしても、ここまで練習していたのです。1円でも多く保証してあげてください。お願いします!」
と懇願した。大野さんはね、いろいろなことを分かっている人だ。でも、彼とてスーパーマンではないからね。僕と話した後、理事長に呼ばれて行った。 

 「ホフマン物語」の合唱音楽稽古は、いつもの合唱練習室ではなく、大ホールのそでという大きな空間に、それぞれの団員が前後左右1メートル以上の間隔を空けて座りながら行われていた。
 さらにその日の練習では、周りの風当たりや自粛の雰囲気を察知してか、なんとなくみんなの気持ちがどよんとしていた。僕の出す注意に対しても反応が鈍かった。そこで、いつもは声を荒げて怒ることなどない僕は、
「みんな・・・マスクして歌ってもいい。声は多少セーブしてもいい。でも、音楽家としてやるべきことはちゃんとやろうぜ!どうせ一生懸命やっても・・・と思うことは絶対許さない!たとえ、キャンセルに追い込まれたとしても、最後の最後まで全力を尽くす。それが僕たちのとるべき態度だ」
と、みんなを叱責した。
 中止の第一報が僕のもとに電話で誰よりも早く自宅に届いたのは、練習終了後約3時間経った時だった。その瞬間、みんなにあんな風に強く言ったことを後悔した。今から考えると、分かっていたよ。この状況の中では、出来るわけないということなんて・・・でも、合唱団のみんなのことを考えると、そう信じたくなかったんだ。そこで、一生懸命にやってさえいれば、何か解決策が・・・なんて淡い望みを抱いていたのさ。
 でも、みんなは、僕の言葉を受け止めてくれて、最後の瞬間まで真摯に音楽に向かい合ってくれた。それを思い出すだけでも涙が出る。
「みんな、本当にありがとう!僕の言葉に従って、練習の最後の瞬間まで、より良い音楽作りを目指して取り組んでくれた。それでこそ音楽家魂というものだ。君たちは僕の誇りだ!」

またまた残念な知らせがある。
9月のモーツァルト200合唱団の自作ミサ曲Missa pro Paceの混声合唱団&フル・オーケストラ・ヴァージョンでの演奏会も延期。


 岐阜県可児市の合唱団でクラスターが発生したことを受けて、名古屋市では、公共施設及びプライベートの施設のほとんどが閉鎖されている状態なのだ。それは、少なくとも4月いっぱいは変わらず、さらにいつまで続くか分からない。

 ということで、本来びっしり埋まっているはずだった4月のスケジュール表が真っ白になってしまって、早く言えば完全失業中。こんなことは、僕がベルリンの留学から帰って来て、これから日本で仕事をするぞ、と思っていた1984年以来初めてのことだ。

 そういえば、秋本健ちゃんと、
「もし『ホフマン物語』がなくなったら、一緒に白馬にスキーに行くか」
などと冗談に言っていたけれど、いざなくなってみると、そんな気も起きないなあ。この先の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も中止になったりする可能性だってあるし、上半期完全に無収入という事態だって起こりうる。

 スキーもね、一生懸命働いて、それなりに収入を得ているから行こうという気になるんだ。今月は仕事がなくても来月になったら確実にある、というのならいい。でも、ウィルスの活動は現在進行形で、今日明日に絶滅ということはあり得ないだろう。
「観客をいっぱい集めて、舞台上では合唱団がひしめきあって踊りながら歌っている場合か。この世界的危機にクラスターの温床を提供するのか!」
と言われれば、我々オペラ関係者は為す術を持ちませんね。
 若い音楽家なんかはね、区が提供している無担保無利子の借り入れを申し込んでいる人もいるよ。若い音楽家にとっては、政府が非常事態宣言などしなくても、もう充分生きるか死ぬかの“人生の非常事態”だ。

まあ、こちらは、仙人か山ごもりの修道僧のように霞を食べながらひっそりと暮らそう。
 

スキーよ、今シーズンもありがとう!
 そんなわけで、暇にはなったけど、スキーはもうおしまい。先日「かぐらスキー場」でゲレンデに別れを告げてきた。

 3月24日火曜日。その日は、1日吹雪のような日。かぐらメインゲレンデの第1高速リフトは終日ストップしていたし、途中で視界が最悪になって、2メートル先も見えなくなったから、僕は下の「みつまたゲレンデ」に降りてきて、基本的にそこで滑っていた。
 ここも、上のゲレンデがなかったら、それなりのスキー場である。しかもこの日は下でもかなりの新雪が見る見る積もって、人も少ないため、処女雪に飛び込んでいく楽しみも味わえた。

写真 雑誌スキーグラフィックの表紙
スキーグラフィック

 先週の「今日この頃」で、最近のスキー板やスキーを巡る業界の悪口を言っていたけれど、「かぐら」に来る直前、本屋で立ち読みしたら、月刊スキー・グラフィックの中で、青木哲也氏の「コブの大原則」という記事があって、これがなかなかためになった。「今日この頃」では、スキー雑誌も面白くないんだと言ってしまったが、こういう良い記事もあるんだと、ここに訂正しておきたい。

 事実、この記事を読んでから「かぐら」でコブを滑ったら、今までうまくいかなかったところが、まるで何事もなかったかのように改善した。
青木氏の記事は、まず「コブの大原則1」として「いかなるときもクローズ・スタンス」と説き、「コブの大原則2」では「内脚の足首を意識せよ」と説明していた。

 コブでは、クローズ・スタンス(両方の板を離さないこと)をとらねばならないことは理屈では分かっている。コブでは、雪の高低差などが極端なため、ふたつのスキー板の間隔を広げてしまったら、両足のコンディションが違いすぎて不安定になるからである。
 クローズ・スタンスを行うためには、外足のみに加重しなければならない。そこまではできていたのだが、僕の場合、時々それでもターンの終わりで、外スキーがクルッと回り込んだ場合、内スキーが置いて行かれて、ややボーゲンのような三角ができたり、場合によってはスキーが交差してしまった。
 おかしいな、外足には完全に乗れているのにどうしてこうなるのかな?と思っていたが、謎が解けた。青木氏はこう言うのだ。「外足だけに意識がいかずに、内足を足首から回旋させる」と・・・・。
「あ、なんだ」
それでやってみた。
 コブに飛び込んでいく場合、外足のスネをブーツのベロに強く押しつけながら回旋させていくが、内足はその時にスネベロもロクにせず遊んでいたのだ。それを青木氏の助言に従って、むしろ外足よりちょっと先取りするくらいの意識で足首からクルッと回し込んでみたら、最初から最後まで両板を平行のまま保てた。
 その時に大事なことは、内足もスネベロの状態を作り出しておくことだ。もちろん重力を乗せることではない。そうではなくて、自分でつま先を上にするようにして人工的にスネベロの圧を作り出しておけば、半ば浮いている内足は、自由自在にどのようにでも動かせるのである。これは大発見だあ!
 さらに僕は、外足も同じ要領で、腰や上体とある意味切り離して、足首だけでクルッと回旋できることに気が付いてきた。場合によってはそちらの方が身軽に扱えるのかも知れない。あ、なんだ、なんだ!

写真 雑誌スキーグラフィックの青木哲也氏の記事
青木哲也
(画像クリックで拡大表示)

 分かってみれば、こんな簡単なことなのである。それによってターンの最後までパラレルを保ったまま板と板を合わせて滑れるようになった。

 午前中、大会バーンと呼ばれる斜面に、短いポールが立っていて、人が滑ったシュプールがあったので、なぞって滑ってみた。ちょっとスラロームの選手みたいで楽しかった。次に来たら、そこのシュプールが深くなっている。またなぞって滑ったら、ちょっとコブのようであった。3度目に来たら。完全なコブになっている。それで始めて気が付いた。
「ああ、そうか。これってコブを作るためにあったのか。それで、僕もコブを作ることに加担していたのか」
だがその内に、どんどん新雪が降りしきり、僕は処女雪をかき分けるのが面白くて大会バーンからは離れてしまった。

 新雪は楽しい。誰も入ったことのないつるんとした処女雪に、「おりゃおりゃ!」と入っていくことは、男の征服欲を満足させる。でも、雪の深さによってシチュエーションが大きく変わるので、気をつけないとハマって、にっちもさっちもいかなくなるぞ!
 一度ツリーラン行くぞ!と勢いを付けて飛び込んでみたら、予想していたよりも急斜面だった。とっさに防御本能が働き、(本当はそれだけはやってはいけないこと)板を横向きにしてしまった。すると思ったよりも雪が深かったため、横向きのまま板が潜り込んで失速。谷側に転倒しそうになるのを必死でもがいてむしろ山側に転倒した。両板は雪の中深くに潜り込んでいる。
 リフトの上では、若者たちが僕が新雪に踊り込んでいった瞬間、
「おおっ!」
と歓声を上げていたが、次の瞬間潜って止まってしまうと、また、
「ああ~~!」
と落胆の声を上げた。その瞬間、めっちゃ恥ずかしかった。だって、あのもがいていた動きの無様(ぶざま)さったらなかったからな。
「ほっといてよ!」
と叫ぼうかと思ったが、もっとカッコ悪くなるのでやめておいた。
 新雪が深いことを確信できさえすれば、恐いと思っても直滑降のように板を真下に向けるべきなのだ。すると、新雪が優しく受け止めてくれるので、沈み込むことによってブレーキはかかるのだ。いやあ、その見極めというのはなかなか難しいなあ。下には木があったから、どうしても恐怖感が勝ってしまう。

 まあ、こんなことも全てひっくるめてスキーって楽しいなあ。

 最後にもう一度大会バーンを滑る前、この写真を撮った直後、雪山にお祈りした。
「今シーズン、ありがとうございました!沢山のことを学ばせていただき、自分を見つめることができ、大自然に包まれてしあわせでした。来シーズンも、よろしくお願いします!」

写真 別れを告げた「かぐらスキー場」のゲレンデ
ありがとうゲレンデ!

 そして、麓に降りると、脱いだ靴にも、板にもストックにも、手袋にもヘルメットにもゴーグルにも、布で拭きながらありがとうと言った。そうするとね、気のせいかも知れないけれど、みんな僕に向かって微笑んでいるように感じられるんだよ。

こうして僕のスキー・シーズンは終わった。



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA