しあわせな日々
どうも不思議だ。自分の意識がだんだんクリアになってきている。仕事が全くなくて経済的にはとっても心配なのだけれど、その点さえ考えなければ、僕は、もしかしたら今、生涯で一番しあわせな日々を送っているかも知れない。
それに、人混みに紛れていた忙しい生活から解放されて、魂の波がだんだん静まってきて、鏡のような水面となってきた。
ずっと家に居て、妻と、娘二人と、孫娘の、文字通り水入らずの生活が、もう4週間くらい続いている。時々杏樹が分からんチンを言う以外は、とっても仲良くやっている。家では、3人も大人の女性がいるので、娘達は、ピザをお粉から作ったり、パリでよくみんなが食べているアフリカ料理のクスクスを作ったりしている。
そんな洋食に飽きると、妻の出番。娘達は、ばあちゃん料理と呼んでいるが、ひじきの煮物や、納豆オムレツや、豆腐料理や様々な和食に、胃袋も体も癒やされる。鍋料理をしたり、煮物焼き物と結構ご馳走の毎日。
女性達は交代でスーパーに買い物に行っている。杏樹も行きたがるのだが行かせない。みんなの分をいっぺんに買うので、出費が多いように思われるが、よく考えてみると、通常では、それぞれ仕事で外食したり、稽古の合間にちょっとカフェに入って軽食と一緒に珈琲を飲むだけでも結構お金がかかっているんだ。
だから、毎日判で押したように6時半頃に食べる夕食は、贅沢に見えるが予算的には慎ましい生活。それでいて、みんな一緒だから、雰囲気は毎日ディナーって感じ。
お散歩から一日が始まるということは先週も書いた。杏樹も散歩に付き合っているが、約1時間のコースなので、彼女だけは自転車に乗っている。午前中は、僕もいろいろ仕事をするし、志保はピアノを練習しているので、基本的には杏奈が杏樹の面倒を見ている。
妻は、自分のアトリエでロウソクを作ったり、人に頼まれてシルクでマスクを作ったりしている。午後になると、僕は杏樹を連れて外に出る。その日によって杏奈が同行したり志保が付いて来たりいろいろ。
そういう毎日を送っている中、僕の胸の中ではいろいろな追憶が駆け巡っている。まずは僕自身の子供の頃の想い出。無心に土手や家のあたりを駆け巡って遊んでいた。友達と一緒だったり、ひとりだったり。あの頃の親というものは、日が暮れて家に帰るまで、僕が何処をどうほっつき歩いていたなんて知りもしなかった。よく人さらいにも遭わずに、無事にいたもんだ。
何をしていたのか覚えていなかったけれど、今、杏樹と野山を駆け巡っていると、突然思い出した。まあ、要は、ほとんどたいしたことしていなかったんだなあ。あはははは。ザリガニ捕まえたり、メダカ釣ったり、タニシ採ったり、イナゴやバッタを捕まえたり、ただ走ったり・・・。風呂敷背中に巻いて、月光仮面やナショナル・キッドになったつもりで木から飛び降りたり。それがね、結構楽しかったんだなあ。「何かのため」というものがないのは何と自由で気が楽なのだろう。
また僕は沢山プラモデルを作った。お袋がたまに高崎のデパートに僕を連れて買い物に行く。僕はお袋の買い物になんか興味ないが、そんな時、必ずプラモデルを買ってくれるから喜んでついて行った。
お袋は僕から離れて買い物に行く。僕はデパートの片隅で部品をいっぱいに広げて、設計図に沿って夢中になってプラモデルを作り上げる。やがて買い物を終わったお袋が僕を迎えに来るんだ。
僕はお袋が大好きだった。優しかったしたっぷり甘えさせてくれた。別に美人でもないし、ただの田舎のかあちゃんという感じだったが、僕を裏切ったことは一度もなかった。僕にとっては、世界一のお袋だったし、そのお袋の無償の愛の向こうに、僕は子供心にすでに“至高なる存在の崇高な愛”というものの存在を信じていた。
その頃の僕は、戦艦大和の排水量とか大砲がいくつあるとか全部覚えていたし、ゼロ戦と紫電改とはどう違うかとか、グラマンやスピット・ファイヤーやメッサー・シュミットの性能は、どちらがどう勝っているかなど、全部頭に入っていた。今となっては、何の役にも立たない情報だけど・・・。男の子って、よくいるよね。鉄道マニアとか、時刻表を全部覚えている奴とか。
寝っ転がってみると。晴れた日の天が高いこと!木の上のずっと高い所に白銀に輝く雲がゆったりと渡っていく。でもね、真っ青な空は、それよりもずっとずっと高いんだぜ。宇宙に果てがないなんて信じられない。
ロケットでずっとずっと行くと、突然立て札が立っている。
「宇宙の果て、ここまでです」
でも、その先があるんだよね。ああ、気がおかしくなる。
それよりも、子供の頃は、寝っ転がりながら素直に思った。すっごい高いって、すっごいことだなんだなあ・・・って。意味分かんねー!この大空にも、僕はお袋と同じような“愛”を感じていた。つまり、僕自身が大空にすっぽり包まれていた感じ。
それから、志保と杏奈の世代に追憶が飛ぶ。僕って、結婚なんてできるのかなあ?子供なんて作れるのかなあ?と思っていたのが、ベルリン留学時代、初めて子供を授かったことを知った時の、あの疼くような幸福感!
ベルリンのシュテークリッツ区のクリニクムでの出産。妻が志保を産んだ時、すごい難産だったと思った。夜中に破水して、生まれたのは次の日の午後。でも、お産としてはノーマルな内に入るのかなあ。
ドイツではラマーズ法が盛んで、僕も妻と一緒に妊婦体操に通った。出産の時も、当然のように立ち会いを許された。産道が1センチからなかなか開かなくて、妻は苦しがるし、居ても立ってもいられなくて、僕は真剣に祈り、そして誓った。
「もし、この子が無事生まれてきたら、僕は、残りの人生のすべてを、妻とこの子のしあわせのために捧げます」
そして長女志保が生まれた。次いで、帰国してからすぐに次女杏奈も生まれた。新しい父親の僕は、家族のために一生懸命働いた。最初の定期的仕事は、愛知県立芸術大学の非常勤講師。ほぼ同時に、二期会というオペラ団体に入って副指揮者から叩き上げた。僕の他の副指揮者のほとんどは、東京芸大指揮科出身のエリートで、ミュージカルの仕事などは敬遠していたが、僕は、自分に来た仕事は全て喜んでやった。すると、ミュージカルという分野の持つ新しさにとても惹かれた。気が付いてみたら「おにころ」などのミュージカルを自分でも作り始めていた。
そんな感じで、若い頃の僕はギャラの単価が安いこともあって、いっぱい仕事を抱えないと食っていけなかった。だから死に物狂いで働いた。それが、仕事を要領良くやることにつながったし、いろんな意味で足腰が強くなった。
思い出すと、今杏樹と遊んでいるようには「野山に行って」ということは出来なかったなあ。子ども達が寝る前に帰宅するのはまれで、たまに僕が早く帰ると、彼女たちが狂喜して、
「わあ、パパだ、パパだ!」
と踊っていた。その代わり、専業主婦の妻が、子ども達をいろんなところに連れ回していたようだ。
教会のミサも、あまり行けなかったけれど、行く時には幼い杏奈が僕の横にいて、体をぎゅっと擦り寄せてきた。そのぬくもりの感触を、今は杏樹で思い出している。志保とはいろんなことを話した。彼女は、ごくごく自然に僕の人生観を受け容れてくれていた。そのお互いの信頼感は今日まで続いている。
僕は、幼い志保をいろんな練習場に連れて行った。仙道敦子(せんどう のぶこ)さんが「シェルブールの雨傘」にデビューした時や、床嶋佳子(とこしま よしこ)さんが「12月のニーナ」に出演した時などの、スタジオでの個人稽古の時には、少女雑誌を買ってあげた。僕がレッスンをしている間、志保は聴きながらおとなしく雑誌の付録で遊んでいた。昔の僕がプラモデルを作っていたように。
そして、その娘達は成長して、長女の志保は杏樹を産んだ。第三の、つまりじーじの世代の話だ。僕は杏樹の出産にも立ち会った。病院ではなく国分寺にある矢島助産院であったが、
「お、おじいちゃんが立ち会うんですかあ?」
という感じだったけれど、志保もそれを望んでいたし僕の方にも何の抵抗感もなかった。杏樹が志保のお腹から出てくる瞬間もしっかり見届けた。そして、生命の神秘に、志保の出産の時と同じように感動し、溢れる涙を抑えることができなかった。
志保はオペラの稽古ピアニストやリサイタルの伴奏者として30代半ばの脂がのりきった時期。杏奈は事務所に所属して雑誌のメイクアップ・アーティストとして一本立ちし始めたばかりで中目黒に部屋を借りている。普段は互いに顔を合わせることも少ないが、こうしてみんな仕事がなくなって僕の家でべったりと一緒に過ごしてみると、昔でさえ、こんな密に付き合ったことはないなあと思うが、同時に、これだけいてもこれだけ仲良く出来るなんて素晴らしいことだなあと、手前味噌で思う。
ただただ感謝である
そんな単調だけれど満たされた生活を一ヶ月近くも送っている間に、僕の魂の奥底から、しだいにこういう声が聞こえてきた。
「お前は、今はそれだけを感じていればいい。何も心配することはない。今お前が家族の絆を感じ、しあわせを感じているならば、それが紛れもない『今のお前の人生のリアリティ』なのだ。
これから目を離すべきではない。今お前がしなければならないことは、「感じること」、「理解すること」。
そのしあわせ感が、お前が65年間生きてきた人生のひとつの結果であることを「認識すること」。
それを携えて、お前の魂は次なるステップに進んでいかなければならない」
アセンション?
新型コロナ・ウイルスに関するYoutube映像は、数え切れないほど出ている。僕は、自分でもYoutubeでこのウイルスに関する内容の講演を行った関係で、他の映像も気になって観ることが多くなった。
それらは、むしろ自分が配信した後なので、パクる材料を探していたからではない。自分はこう思ったけれど、では、他の人たちは、このコロナ現象についてどう分析し、どう解釈しているのだろうかな?と疑問に感じただけだ。
すると、スピリチュアル系の人たちの間では、「この時こそ人類の変革の時だ」とか、「今やアセンション(次元上昇)の時」、あるいは「あなたたちの魂が三次元から五次元にシフトする時」という記述が多く、この新型コロナ・ウイルスのグローバルな蔓延自体をポジティブな意味で捉える映像が少なくないことに気が付いた。
通常だと、これらの映像を観ながら、僕は眉に唾をつけることが多い。実際に怪しい映像も少なくない。しかしながら、どうも今回は違うのだ。それどころか、もしかしたら今、自分の魂はまさにアセンションし始めているのではないだろうかと思い始めている。
何故なら、これらの人たちが言っていることのほとんどすべてに、今の自分の魂の状態が当てはまってしまうのである。たとえばアセンションする人の特徴を挙げているサイトでは、こんな条件がある。これを言うことは、自分がうぬぼれているようで恥ずかしいのであるが、あえて言おう。
メンタル面での成長が著しいことなどである。
物事をポジティブに考えられること
人を裁くのではなく、受け容れる寛容さがあること
よこしまな考えではなく、慈愛に満ちたきれいな心を持つこと
Alles Vergängliche | すべての移ろいゆくものは |
Ist nur ein Gleichnis | 比喩にしか過ぎない |
「ファウスト」最後の神秘の合唱 |
「我思う、故に我在り」だから、世界は、全て自分の意識が作り上げている、とも思える。新型コロナ・ウイルスの蔓延した世界。これを人は、どうやっても避けがたい現実として考えている。だがそうではないかも知れない。これは、我々人間の意識が作り出したヴァーチャル・リアリティであるという可能性を考えたことがありますか?
仏: Je pense, donc je suis、羅: Cogito ergo sum)
デカルトRené Descartes『方法序説』(Discours de la méthode)より